BODY SWAP

廣瀬純七

文字の大きさ
5 / 27

業務開始

しおりを挟む

 「ふぅ……なんとか、席に着けた……」

 拓也は純の体で、純のデスクに腰を下ろした。フロアはすでに朝の活気に包まれていて、コピー機の音や、コーヒーの香りが立ち込めている。

 ──座るだけでこんなに緊張するとはな……。

 周囲にはいつもの同僚たちの顔が並び、誰もが「純」としての自分を見ている。たったそれだけのことなのに、妙に背中がこそばゆい。ましてや、自分の姿でどこかの席に「自分自身」がいると思うと、もう頭がぐるぐるだ。

 「おはよう、純ちゃん!」

 明るい声とともに、隣の席の総務の小野田さんが声をかけてきた。

 「お、おはようございます……!」

 「えっ、ちょっと声低くない? 昨日飲み過ぎた?」

 「いえ、あの、ちょっと……のどが、ですね、乾燥で……!」

 「そっか。てか昨日、資料の修正ありがとうね~! 助かったよ」

 「し、資料……?」

 ──しまった、なにを修正したんだ!?

 拓也の脳内がフル回転する。とっさに笑顔を作って、ごまかすように言葉を返す。

 「い、いえいえ……また何かあれば……!」

 すると背後から別の男性社員──営業部の黒田が近づいてきた。

 「純ちゃん、昨日のアポ先との電話の件、メモあったら見せてくれない?」

 「……っ」

 完全に詰んだ。

 そんな電話、記憶にない。なにせそれをしたのは、本来の“中身”である本物の純の方だ。

 ──どうする!?「忘れました」じゃ変に思われる! ……あ、いや、純さんって確か──

 「あ……すみません、手帳に書いてあるかも……ちょっと確認しますね」

 そう言いながら、拓也は慣れない手付きでデスクの引き出しを探り、スケジュール帳をめくった。字が小さくて読みづらいが、何とか「電話 田中商事 佐藤様 午後2時 決裁金額調整」らしきメモを見つけた。

 「えーっと……こちらです、多分これがその時のメモで……」

 「おお、助かる! さすが純ちゃん、いつもキッチリだねぇ」

 「ど、どうも……」

 汗がにじんでいた。バレずに済んだのが奇跡に思える。何気ない一日でも、積み重ねた業務と人間関係の連鎖で回っている。それを“演じる”というのが、これほど大変だとは。

 「……尊敬するわ、純さん……」

 拓也は心からそう思った。

 そして──少し離れた場所では、拓也の体をした純が、自分のデスクに座っていた。

 「あっ……上杉さん、ですね?」

 声をかけてきたのは後輩の篠原。営業チームで拓也を慕っている若手だ。

 「は、はい……(まずい、名前、えっと、この子誰だっけ!?)」

 「昨日の資料、確認ありがとうございました。今日の午後イチのプレゼン、一緒にがんばりましょうね!」

 「プレゼン!? 今日!?」

 「はいっ! “上杉さん”のパート、期待してますよ!」

 笑顔で言い残して去っていく篠原を、純(体は拓也)は目を丸くして見送った。

 ──あれ……もしかして、プレゼンって……私がやるの!?!?

 お互いの席から、そっと視線を送り合う二人。

 目が合ったその瞬間、二人の顔に同時に浮かんだのは──

 (……やばい。)

 そんな一言に尽きる、見事なまでの絶望だった。

---
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

OLサラリーマン

廣瀬純七
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

不思議な夏休み

廣瀬純七
青春
夏休みの初日に体が入れ替わった四人の高校生の男女が経験した不思議な話

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

兄になった姉

廣瀬純七
大衆娯楽
催眠術で自分の事を男だと思っている姉の話

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...