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第一部 街角パン屋の訳あり娘
奇妙な襲撃者 3
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「西の三番通りにあるレストランの店主から聞いたんですけどね」
西の三番通りのレストランと聞いて、サーラはレストランと言うよりバルと言った方が正しい内観をした店を思い出した。
このあたりでは安くて美味しいと人気の店で、特に自家製ソーセージが絶品だ。
シャルが同僚たちと行った帰りに、店主に頼んでソーセージを包んでもらって持って帰ってくれたことがあったけど、皮はパリッとジューシーで、中のあらびき肉からじゅわっと肉汁が溢れて、とても美味しかったのを思い出す。
(確か、『白熊亭』だったわね、店の名前)
リジーによると最初は違う名前を付けていたのだそうだ。けれども、店の店主が色白で、でも熊のように大きいから、常連客が揶揄して「白熊」「白熊」と店主を呼ぶようになった。
白熊のあだ名が定着すると、それならばいっそ「白熊亭」にしてしまえばいいと奥さんの悪ノリで店の名前を変更したらしい。
ちなみにリジーは店主を「白熊さん」と呼んでいて、仲良しだ。なんでも店で出すデザート用に毎日リジーの菓子屋パレットのチーズケーキを買ってくれるお得意様なのだとか。
いつだったか「うちのチーズケーキにベリーソースとかでアレンジを加えてて、これがとっても美味しいの!」と言っていた。
(なるほど、今日の話の情報源はそこだったのね……)
料理に使うパンを買いに来てくれるので、「白熊さん」とはサーラも面識がある。
とはいえ、いつも朝の忙しい時間帯に来るので、あまり話したことはないが、リジー曰くとってもおしゃべりで面白いおじさんとのことだ。
リジーが噂好きであることはこの界隈では有名である。「白熊さん」はさぞ気前よく話してくれたのだろう。
「パレードの前日に、ナイフを持って乱入したその男が白熊亭に来ていたんだそうです。その男は週に一回か二回くらい、決まってソーセージとエールを頼むから覚えていたって白熊さんが言っていました」
「……白熊さん?」
ウォレスが怪訝そうな顔をする。
「店主のことです。リジーは店主を白熊さんと呼んでいるので」
「ああ、なるほど。話の腰を折ってすまない。続けてくれ」
ウォレスは苦笑しながら続くを促すと、ティーカップに手を伸ばした。
リジーも真似をするようにティーカップに手を伸ばし、一口飲んでから続ける。
「で、白熊さん曰く、パレードの前日、カウンター席に座ったその男がぶつぶつと恨み言を言っていたらしいんです」
「恨み言?」
「うん、そう。白熊さんが聞いたのは、『話が違う』とか『このままだ身の破滅だちくしょう』とか、『絶対許さねえ』とか? そんなことばかりをぶつぶつと言ってたって。白熊さんはただの酔っぱらいの愚痴だと思ってたらしいけど、あんなことがあったでしょ? だから、もしかしたら関係があったのかなって言ってた」
「リジー、その話を市民警察にはしたかい?」
「え? あたしは言っていませんけど、言った方がいいですかね?」
「その白熊さんという店主が告げているのなら問題ないだろうが、まだなら伝えてあげた方がいいかもね。今はどんな些細な情報でも欲しいだろう。それがたとえ酔っ払いのたわごとのようなものでもね」
リジーにとってはただの面白いネタでも、それを重要と考える人もいる。
リジーは少し考えて、「あとで白熊さんに訊いてみます」と言った。
「まだ言ってないなら、教えてあげたが言いよって言っておきますね。あたしより、本人が言った方が正確だと思いますし」
「そうだね、それがいいだろう」
ウォレスが頷いてバターロールに手を伸ばした。
ふかふかのバターロールをちぎって口に入れながら、考え込むように視線を落とす。
「それにしても、その話が本当なら、少し気になるには気になるね。話が違う、絶対に許さない……、どういう意味だろう」
「国に不満を持つ国民は、少なからずいます。特に生活が立ち行かない人間には、国の政策のせいで自分がこうなっているのだと逆恨みをする人もいるでしょう。その男も、そうであった可能性もありますね」
サーラが言うと、ウォレスは「確かにそれもあるな」と呟いたが、どうにも納得していない様子だった。
「その男の身元はわかったんですか?」
「いや……。探ってみたがわからなかった。と言うより、名前もわからない。もしかしたら正式な市民権を持っていない類の人間かもしれないな」
「他国からの旅行者、もしくは移民、ということですか?」
そうだとしてもおかしいだろう。
旅行者であれば、入国する際に身分証の提出が義務付けられている。提示された身分証を関所で控えられて、何をしに来たのか、大体どのくらいの滞在であるのかが訊ねられ、旅行者として登録される。
移民であっても同じだが、移民の方が手続きがややこしい。
身分証の提示がもちろん必須であり、その後いろいろな審査があるのだ。
つまり、正式な手順を踏んだ旅行者ないし移民であれば、登録が残っているはずなのである。
「不法入国者の可能性がある」
サーラが思ったことと同じことをウォレスが言う。
(また厄介な……)
不法入国者であれば、男がどこの誰かを探るには彼の所持品を確かめるしかないが、名前すらわからないと言うことはまともなものを持っていなかったのだろう。
「この近くの大衆浴場に週に何度か行っていたという情報は得られている。だが、あそこは名前を付けないだろう?」
「そうですね……」
店番に銅貨一枚を支払えば誰でも入ることができるが、その際にいちいち名前を書かせたりはしない。
というより、平民の中には文字の読み書きができない人間もいるので、下手に名前を書けなどと言えばトラブルの元になることがあるのだ。
特に安い大衆浴場の常連客は、家にバスタブがない貧乏人や孤児や路上生活者が大半で、統計的にそういった人たちの多くは文字が書けない。
「宿はどうです?」
「下町の宿に全文確認を取ったが、どこにも泊まっていなかったそうだ」
ウォレスが頭痛を我慢するような顔で言うと、リジーが両手の拳を握り締めた。
「まさに五里霧中ってやつですね!」
あっているような、それでいて微妙に違うような、返答しにくいことを言ってくれる。
サーラは小さく笑った。
「今わかっている情報を整理すると、男はどこの誰かはわからない、不法入国者である可能性がある人間で、週に一、二回白熊亭でソーセージとエールを頼んでいた。そして、週に何度か大衆浴場にも訪れている。パレードのときの男の見た目は、小綺麗でしたか? ひげなどは?」
「うん? ああ、そういえば、身なりは綺麗だったと言っていたな。別に臭くもなかったそうだ。もっとも、血の匂いのせいでわからなかった可能性もあるが……、少なくとも浮浪者と言う感じではなかったと聞いている」
「所持品は?」
「例のナイフと、それから銅貨がたくさん詰まった財布代わりの袋を持っていたようだな」
「たくさんって、具体的には?」
「百枚は軽く超えていたらしいが……、何かわかったのか?」
「わかったと言うか……。その男は、本当にどこの宿にも泊まっていなかったんですね?」
「ああ、そう聞いたが……」
サーラは紅茶に映る自分の顔を見下ろしながら考えた。
「ねえねえ、何か気になることがあるの?」
リジーがわくわくしながら顔を覗き込んでくる。
サーラはリジーに微笑み返して、どこかに見落としがないか頭の中の整理をはじめた。
サーラの勘では、男が宿を使わないと言うのが引っかかるのだ。
「今聞いた話だと、その男は綺麗好きだと思うんですよ。少なくとも週に数回大衆浴場で汗を流していて、着ていた服も小綺麗だったのなら着替えもしているはずですよね。ひげも剃っている。そんな男が路上生活をするとは思えないので、宿を取っていないのなら、どこかの、浴室のない小さな家もしくは集合住宅に暮らしていたと思うんですけど……」
「調べたが、今のところそんな情報は上がって来ていない」
「男がほかに食事をするために訪れたレストランなどは?」
「それはまだわからない。そんなに宿を取らないことがおかしいのか?」
「銅貨百枚以上も持っていたのなら、当面生活するお金はあったはずですよね。お金がないのであれば仕方がないでしょうが、週に何度も大衆浴場を訪れているんです、男はそこそこ潔癖だった可能性があります。下町の、客商売をしていないような人は、あんまりお風呂に入らないんです。入ってもせいぜい一、二週間に一度くらいですからね」
「そ、そうなのか……?」
ウォレスがドン引きしてのけぞった。
毎日広いバスタブで優雅に入浴ができる王子様には想像もできないことだろう。
「うちは客商売をしているので入浴は欠かしませんけど、なんて言えばいいのか……、お風呂を入れるのは、結構大変なんですよ。井戸から水を汲んで運んで沸かして……」
貴族や王族と違って、使用人が身の回りのことをしてくれるわけではないのだ。全部自分たちで行わなければならない。
「それに、バスルームがついていない家もたくさんあります。そんな人たちはもちろん大衆浴場に行きますが、入浴料を取られますからね。我慢できる間は我慢しますよ。お金がもったいないですから」
バスルームがついていない家で暮らす人たちは、サーラやリジーの家よりもはるかに貧乏な人たちだ。
サーラやリジーの家はお金持ちではないけれど、平民の中ではミドルクラスである。あくまで貴族を省き、大富豪を頂点としたヒエラルキーの中での話だが、そのヒエラルキーの底辺にいるような人たちは、その日暮らすのがやっとの人もいる。
銅貨一枚を惜しむ暮らしをする人たちは、入浴だけで銅貨一枚も取られる大衆浴場へ頻繁に通うようなことはしない。我慢できるうちは水浴びですませ、我慢できなくなったころにたまの贅沢で大衆浴場へ足を運ぶのだ。
(王子様にはわからないでしょうね)
かくいうサーラも、お風呂が贅沢なものだったなんて、平民として暮らしはじめるまでは知らなかった。
「話を戻しますが、その男はもともと、最低でもわたしやリジー程度の暮らしをしていた人だと思われます。そんな人がお金を持っているのに路上暮らしをするでしょうか?」
「……一理あるな」
「かといって、所持金が銅貨だけなら、高い宿に泊まり続けるのは困難でしょう。そして大衆浴場に通っていることを考えると、お風呂のない安宿に泊まっていた可能性が……」
そこまで考えて、サーラはハッとした。
「娼館通り!」
「なに?」
「娼館通り……ええっと、西の七番通りのあたりは確かめましたか? あのあたりは高級娼館もあれば、銅貨二、三枚の、言い方は悪いですが下級娼館もあるんです。下級娼館にはお風呂はないはず……、リジー、わかる?」
「あたしも詳しくないけど、確かにお風呂はないはずだよ。知り合いの高級娼館の姐さんに訊いてみようか? 男衆を使ってもらったら、その乱入者がどこかの下級娼館に出入りしていたかどうかはわかると思うよ」
リジーはそんなところまで情報源があるらしい。
「それはいい線かもしれない。さすがに娼館には捜査の手を伸ばしていないはずだ」
ウォレスもぱっと顔を輝かせる。
「リジー、頼めるか?」
ウォレスの頼みに、リジーはにっこりと笑った。美丈夫の頼みを断るようなリジーではない。
サーラの予想通り、リジーは自信満々に頷いた。
「任せてください!」
西の三番通りのレストランと聞いて、サーラはレストランと言うよりバルと言った方が正しい内観をした店を思い出した。
このあたりでは安くて美味しいと人気の店で、特に自家製ソーセージが絶品だ。
シャルが同僚たちと行った帰りに、店主に頼んでソーセージを包んでもらって持って帰ってくれたことがあったけど、皮はパリッとジューシーで、中のあらびき肉からじゅわっと肉汁が溢れて、とても美味しかったのを思い出す。
(確か、『白熊亭』だったわね、店の名前)
リジーによると最初は違う名前を付けていたのだそうだ。けれども、店の店主が色白で、でも熊のように大きいから、常連客が揶揄して「白熊」「白熊」と店主を呼ぶようになった。
白熊のあだ名が定着すると、それならばいっそ「白熊亭」にしてしまえばいいと奥さんの悪ノリで店の名前を変更したらしい。
ちなみにリジーは店主を「白熊さん」と呼んでいて、仲良しだ。なんでも店で出すデザート用に毎日リジーの菓子屋パレットのチーズケーキを買ってくれるお得意様なのだとか。
いつだったか「うちのチーズケーキにベリーソースとかでアレンジを加えてて、これがとっても美味しいの!」と言っていた。
(なるほど、今日の話の情報源はそこだったのね……)
料理に使うパンを買いに来てくれるので、「白熊さん」とはサーラも面識がある。
とはいえ、いつも朝の忙しい時間帯に来るので、あまり話したことはないが、リジー曰くとってもおしゃべりで面白いおじさんとのことだ。
リジーが噂好きであることはこの界隈では有名である。「白熊さん」はさぞ気前よく話してくれたのだろう。
「パレードの前日に、ナイフを持って乱入したその男が白熊亭に来ていたんだそうです。その男は週に一回か二回くらい、決まってソーセージとエールを頼むから覚えていたって白熊さんが言っていました」
「……白熊さん?」
ウォレスが怪訝そうな顔をする。
「店主のことです。リジーは店主を白熊さんと呼んでいるので」
「ああ、なるほど。話の腰を折ってすまない。続けてくれ」
ウォレスは苦笑しながら続くを促すと、ティーカップに手を伸ばした。
リジーも真似をするようにティーカップに手を伸ばし、一口飲んでから続ける。
「で、白熊さん曰く、パレードの前日、カウンター席に座ったその男がぶつぶつと恨み言を言っていたらしいんです」
「恨み言?」
「うん、そう。白熊さんが聞いたのは、『話が違う』とか『このままだ身の破滅だちくしょう』とか、『絶対許さねえ』とか? そんなことばかりをぶつぶつと言ってたって。白熊さんはただの酔っぱらいの愚痴だと思ってたらしいけど、あんなことがあったでしょ? だから、もしかしたら関係があったのかなって言ってた」
「リジー、その話を市民警察にはしたかい?」
「え? あたしは言っていませんけど、言った方がいいですかね?」
「その白熊さんという店主が告げているのなら問題ないだろうが、まだなら伝えてあげた方がいいかもね。今はどんな些細な情報でも欲しいだろう。それがたとえ酔っ払いのたわごとのようなものでもね」
リジーにとってはただの面白いネタでも、それを重要と考える人もいる。
リジーは少し考えて、「あとで白熊さんに訊いてみます」と言った。
「まだ言ってないなら、教えてあげたが言いよって言っておきますね。あたしより、本人が言った方が正確だと思いますし」
「そうだね、それがいいだろう」
ウォレスが頷いてバターロールに手を伸ばした。
ふかふかのバターロールをちぎって口に入れながら、考え込むように視線を落とす。
「それにしても、その話が本当なら、少し気になるには気になるね。話が違う、絶対に許さない……、どういう意味だろう」
「国に不満を持つ国民は、少なからずいます。特に生活が立ち行かない人間には、国の政策のせいで自分がこうなっているのだと逆恨みをする人もいるでしょう。その男も、そうであった可能性もありますね」
サーラが言うと、ウォレスは「確かにそれもあるな」と呟いたが、どうにも納得していない様子だった。
「その男の身元はわかったんですか?」
「いや……。探ってみたがわからなかった。と言うより、名前もわからない。もしかしたら正式な市民権を持っていない類の人間かもしれないな」
「他国からの旅行者、もしくは移民、ということですか?」
そうだとしてもおかしいだろう。
旅行者であれば、入国する際に身分証の提出が義務付けられている。提示された身分証を関所で控えられて、何をしに来たのか、大体どのくらいの滞在であるのかが訊ねられ、旅行者として登録される。
移民であっても同じだが、移民の方が手続きがややこしい。
身分証の提示がもちろん必須であり、その後いろいろな審査があるのだ。
つまり、正式な手順を踏んだ旅行者ないし移民であれば、登録が残っているはずなのである。
「不法入国者の可能性がある」
サーラが思ったことと同じことをウォレスが言う。
(また厄介な……)
不法入国者であれば、男がどこの誰かを探るには彼の所持品を確かめるしかないが、名前すらわからないと言うことはまともなものを持っていなかったのだろう。
「この近くの大衆浴場に週に何度か行っていたという情報は得られている。だが、あそこは名前を付けないだろう?」
「そうですね……」
店番に銅貨一枚を支払えば誰でも入ることができるが、その際にいちいち名前を書かせたりはしない。
というより、平民の中には文字の読み書きができない人間もいるので、下手に名前を書けなどと言えばトラブルの元になることがあるのだ。
特に安い大衆浴場の常連客は、家にバスタブがない貧乏人や孤児や路上生活者が大半で、統計的にそういった人たちの多くは文字が書けない。
「宿はどうです?」
「下町の宿に全文確認を取ったが、どこにも泊まっていなかったそうだ」
ウォレスが頭痛を我慢するような顔で言うと、リジーが両手の拳を握り締めた。
「まさに五里霧中ってやつですね!」
あっているような、それでいて微妙に違うような、返答しにくいことを言ってくれる。
サーラは小さく笑った。
「今わかっている情報を整理すると、男はどこの誰かはわからない、不法入国者である可能性がある人間で、週に一、二回白熊亭でソーセージとエールを頼んでいた。そして、週に何度か大衆浴場にも訪れている。パレードのときの男の見た目は、小綺麗でしたか? ひげなどは?」
「うん? ああ、そういえば、身なりは綺麗だったと言っていたな。別に臭くもなかったそうだ。もっとも、血の匂いのせいでわからなかった可能性もあるが……、少なくとも浮浪者と言う感じではなかったと聞いている」
「所持品は?」
「例のナイフと、それから銅貨がたくさん詰まった財布代わりの袋を持っていたようだな」
「たくさんって、具体的には?」
「百枚は軽く超えていたらしいが……、何かわかったのか?」
「わかったと言うか……。その男は、本当にどこの宿にも泊まっていなかったんですね?」
「ああ、そう聞いたが……」
サーラは紅茶に映る自分の顔を見下ろしながら考えた。
「ねえねえ、何か気になることがあるの?」
リジーがわくわくしながら顔を覗き込んでくる。
サーラはリジーに微笑み返して、どこかに見落としがないか頭の中の整理をはじめた。
サーラの勘では、男が宿を使わないと言うのが引っかかるのだ。
「今聞いた話だと、その男は綺麗好きだと思うんですよ。少なくとも週に数回大衆浴場で汗を流していて、着ていた服も小綺麗だったのなら着替えもしているはずですよね。ひげも剃っている。そんな男が路上生活をするとは思えないので、宿を取っていないのなら、どこかの、浴室のない小さな家もしくは集合住宅に暮らしていたと思うんですけど……」
「調べたが、今のところそんな情報は上がって来ていない」
「男がほかに食事をするために訪れたレストランなどは?」
「それはまだわからない。そんなに宿を取らないことがおかしいのか?」
「銅貨百枚以上も持っていたのなら、当面生活するお金はあったはずですよね。お金がないのであれば仕方がないでしょうが、週に何度も大衆浴場を訪れているんです、男はそこそこ潔癖だった可能性があります。下町の、客商売をしていないような人は、あんまりお風呂に入らないんです。入ってもせいぜい一、二週間に一度くらいですからね」
「そ、そうなのか……?」
ウォレスがドン引きしてのけぞった。
毎日広いバスタブで優雅に入浴ができる王子様には想像もできないことだろう。
「うちは客商売をしているので入浴は欠かしませんけど、なんて言えばいいのか……、お風呂を入れるのは、結構大変なんですよ。井戸から水を汲んで運んで沸かして……」
貴族や王族と違って、使用人が身の回りのことをしてくれるわけではないのだ。全部自分たちで行わなければならない。
「それに、バスルームがついていない家もたくさんあります。そんな人たちはもちろん大衆浴場に行きますが、入浴料を取られますからね。我慢できる間は我慢しますよ。お金がもったいないですから」
バスルームがついていない家で暮らす人たちは、サーラやリジーの家よりもはるかに貧乏な人たちだ。
サーラやリジーの家はお金持ちではないけれど、平民の中ではミドルクラスである。あくまで貴族を省き、大富豪を頂点としたヒエラルキーの中での話だが、そのヒエラルキーの底辺にいるような人たちは、その日暮らすのがやっとの人もいる。
銅貨一枚を惜しむ暮らしをする人たちは、入浴だけで銅貨一枚も取られる大衆浴場へ頻繁に通うようなことはしない。我慢できるうちは水浴びですませ、我慢できなくなったころにたまの贅沢で大衆浴場へ足を運ぶのだ。
(王子様にはわからないでしょうね)
かくいうサーラも、お風呂が贅沢なものだったなんて、平民として暮らしはじめるまでは知らなかった。
「話を戻しますが、その男はもともと、最低でもわたしやリジー程度の暮らしをしていた人だと思われます。そんな人がお金を持っているのに路上暮らしをするでしょうか?」
「……一理あるな」
「かといって、所持金が銅貨だけなら、高い宿に泊まり続けるのは困難でしょう。そして大衆浴場に通っていることを考えると、お風呂のない安宿に泊まっていた可能性が……」
そこまで考えて、サーラはハッとした。
「娼館通り!」
「なに?」
「娼館通り……ええっと、西の七番通りのあたりは確かめましたか? あのあたりは高級娼館もあれば、銅貨二、三枚の、言い方は悪いですが下級娼館もあるんです。下級娼館にはお風呂はないはず……、リジー、わかる?」
「あたしも詳しくないけど、確かにお風呂はないはずだよ。知り合いの高級娼館の姐さんに訊いてみようか? 男衆を使ってもらったら、その乱入者がどこかの下級娼館に出入りしていたかどうかはわかると思うよ」
リジーはそんなところまで情報源があるらしい。
「それはいい線かもしれない。さすがに娼館には捜査の手を伸ばしていないはずだ」
ウォレスもぱっと顔を輝かせる。
「リジー、頼めるか?」
ウォレスの頼みに、リジーはにっこりと笑った。美丈夫の頼みを断るようなリジーではない。
サーラの予想通り、リジーは自信満々に頷いた。
「任せてください!」
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