すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く

狭山ひびき

文字の大きさ
98 / 173
第一部 街角パン屋の訳あり娘

決断 1

しおりを挟む
 パン屋ポルポルでひと騒動があって二日。
 店の入り口にはクローズの看板が掲げられていた。
 店の片づけは一日で終わったので、店を開けようと思えばできたのだが、ウォレスが待ったをかけたのだ。

 ブノアから話を聞いたウォレスは、サーラ達一家を全員、東の一番通りの彼の邸に避難させることに決めた。
 最初は断ったサーラだったが、それならばポルポルにマルセルとブノアを常駐させるなどととんでもないことを言い出されて諦めた。
 あれよあれよという間に家から必要なものが運び込まれ、広い邸の中にそれぞれの部屋が整えられた。
 ウォレスは邸を自由にしていいと太っ腹なことを言ったが、貴族生活から離れて八年。すっかり平民の生活になじんでいたアドルフ一家が、大きな邸でのんびりできるはずもない。

 何もしないのは落ち着かないと、アドルフはキッチンを借りてパンを焼き、グレースはベレニスを手伝って家政婦のまねごとをはじめた。
 シャルは市民警察の仕事があるから外出している。
 そしてサーラはというと――、昼をすぎてやって来たウォレスにサロンに呼び出されていた。

「ここでパン屋でもするのか?」

 挨拶もそこそこに、ウォレスが邸中に漂っているパンの香りに苦笑しながらそんなことを言った。

「……さすがにそれは。ただ、焼いていないと落ち着かないんでしょうね。お父さんが食べきれないだけのパンを焼いたみたいなので、よかったらもらってください」

 リジーには、シャルに連絡を入れてもらうようにしている。
 まあ、わざわざ連絡を入れなくとも、噂好きのリジーのことだ。ポルポルでひと騒動あったことはすでにどこかから聞き及んでいるだろう。
 サーラ達がよそに避難していて、無事であることさえ伝えれば安心してくれるはずだ。

「それで、何があったんですか?」
「あったのはそっちだろう」

 サーラが問えばウォレスがあきれ顔をしたが、サーラはゆっくりと首を横に振った。

「ウォレス様が心配してくださったのはわかりますけど、強引に居を移させたのは、ウォレス様らしくありません。何かあったんでしょう?」

 ウォレスは強引なところはあるが、それでも相手の話は聞いてくれる。
 それなのに半ば脅すようなことを言って無理やりサーラ達一家をここに連れてきたのは、普段の彼からすれば強引すぎた。
 今朝、強制的に住処を移らせたウォレスは、王子として仕事があるのですぐに貴族街に戻って行った。だからまだ詳しいことは何も聞いていない。

 ベレニスがお茶を出して下がると、ウォレスとともに貴族街から来ていたマルセルが扉の内側に立った。
 ここには現在ブノアやベレニスたちと、それからアドルフ一家しかいない。マルセルが警戒して扉の前に立つということは、今から話すことは聞かれたくない話なのかもしれない。

「君はすぐにそうやって勘付くから、隠し事ができないな」
「隠したいことなんですか?」
「いや、そういうわけではないが……、こっちにもいろいろ心の準備があるんだ」
(心の準備……?)

 サーラの心臓がざわりとした。
 二人の間で、「心の準備」をしなければならない話なんて、サーラには一つしか思い浮かばない。

(……結婚が、決まったのかしら)

 シャルは、引っ越すことを検討してほしいと言っていた。
 つまりウォレスと別れる決断をしろと。
 けれども、サーラが決断する前に、ウォレスから別れを切り出されるのだろうか。

(それは……いや…………)

 何とも我儘だと、自分でも思う。
 別れることは決まっていた。
 最初から二人の終着点には、別離しか存在していない付き合いだった。
 覚悟はしていたし、納得していたはずだった。
 それなのに、自分が別れを決断するより早くウォレスから切り出されるのは嫌だと思ってしまう。

 息をつめて、ぎゅっと自分の手を握り締めてウォレスの言葉を待っていると、彼は「あーっ」と叫んで髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
 いつも綺麗に整えられているウォレスの黒髪が、鳥の巣のようになる。

「何から話せばいいのかわからないから、とにかく順番に話す!」

 それは、ウォレスの結婚相手とのなれそめからということだろうか。

(そんなの聞きたくないわ……)

 それは誠実なようで残酷な行為だ。
 ウォレスならばそのくらいわかるはずなのに。
 きゅっと唇をかみしめると、ウォレスが真顔になった。

「君たちにここに来てもらったのは、少々厄介なことになったからだ」
「……結婚相手が厄介な相手ということですか?」
「は?」

 真面目な顔を作っていたウォレスが、ぽかんとした顔になる。

「何の話だ? ちょっと待て。――まさかサーラ、結婚するのか⁉ 聞いていないぞそんなこと‼」

 今度はサーラがぽかんとする番だった。

「ウォレス様こそ何を言っているんですか? 結婚するのはウォレス様でしょう?」
「どうして私が結婚するんだ⁉ マルセル! 私が知らないうちに、私の結婚が決まったのか⁉」
「え? いえ、俺は知りませんけど……」

 水を向けられたマルセルが戸惑いつつ首を振る。
 サーラはぱちぱちと目をしばたたいた。

「結婚の報告じゃないなら……あの、ウォレス様は、なんの話をするつもりなんですか?」
「君こそなんで私が結婚報告をするなんて勘違いを――、ああもういい! マルセル! 部屋から出ていろ! 邪魔だ!」

 八つ当たりをされたマルセルが納得いかない顔をしつつ「じゃあ外にいます」と言って部屋から出て行く。
 部屋の中に二人きりになると、ウォレスがすでにぐしゃぐしゃになっている髪をさらにかきむしって、ソファから立ち上がった。
 サーラの隣に座ると、両手でサーラの頬を挟んで顔を近づけてくる。
 こつん、と額同士がぶつかった。

「君は、私が別れ話をすると思ったのか?」
「……ウォレス様が心の準備なんて言うからです。それに……その、兄からも、引っ越しを検討するように言われていましたから、だから……」

 二日前から、彼と別れなければと、そればかり考えていたせいか、ウォレスの言うところの心の準備が必要な話は、別れ話しかないとそう決めつけてしまった。

「引っ越し? 聞いていないぞ!」
「店に来た男の目的がわかりませんから……。もし、わたしの正体を知っていて、何らかの目的でわたしに接触しようとしてきたのならば、早いうちに引っ越してしまった方が賢明だろうと……」
「引っ越すって、遠くか」
「近かったら意味がないでしょう?」
「却下だ。許さない」

 怒った顔で命じるウォレスは横暴だ。
 横暴なのに――嬉しいと思ってしまうのはどうしてだろう。

「でも、わたしを探している男やセレニテは、わたしの正体を知っているのかもしれないでしょう? わたしの過去に何か不都合があって、口を封じようとしている可能性だって……」
「……それについては、可能性があると私も思う」

 はあ、とウォレスは息を吐いた。
 ちょっとミントの香りがするので、ここに来る前にミントティーか何かを飲んだのだろうか。

「というより私も、これから先の君の安全を守るにはどうするかという話をしに来たんだ」

 ウォレスがサーラの背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。

「君が動揺するかもしれないと思って、どう切り出せばいいのか悩んでいたんだが……、引っ越すなんて言うから、もう、はっきり言う」

 染料のせいでごわつくサーラの髪を、ウォレスはゆっくりと撫でた。

「サーラ、セレニテの正体がわかった」

 サーラが顔を上げると、ウォレスがかすかに眉を寄せて続ける。

「セレニテの本名は、フィリベール・シャミナード。セザール兄上の妃レナエルの実の兄で、シャミナード公爵家の次男だ。……今、城にいる」

 サーラはひゅっと、息を呑んだ。



しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

偽聖女と追放された私は、辺境で定食屋をはじめます~こっそり生活魔法で味付けしていたら、氷の騎士団長様が毎日通ってくるんですけど!?~

咲月ねむと
恋愛
【アルファポリス女性向けHOTランキング1位達成作品!!】 あらすじ 「役立たずの偽聖女め、この国から出て行け!」 ​聖女として召喚されたものの、地味な【生活魔法】しか使えず「ハズレ」の烙印を押されたエリーナ。 彼女は婚約者である王太子に婚約破棄され、真の聖女と呼ばれる義妹の陰謀によって国外追放されてしまう。 ​しかし、エリーナはめげなかった。 実は彼女の【生活魔法】は、一瞬で廃墟を新築に変え、どんな食材も極上の味に変えるチートスキルだったのだ! ​北の辺境の地へ辿り着いたエリーナは、念願だった自分の定食屋『陽だまり亭』をオープンする。 すると、そこへ「氷の騎士団長」と恐れられる冷徹な美形騎士・クラウスがやってきて――。 ​「……味がする。お前の料理だけが、俺の呪いを解いてくれるんだ」 ​とある呪いで味覚を失っていた彼は、エリーナの料理にだけ味を感じると判明。 以来、彼は毎日のように店に通い詰め、高額な代金を置いていったり、邪魔する敵を排除したりと、エリーナを過保護なまでに溺愛し始める。 ​最強の騎士団長と騎士たちに胃袋を掴んで守られながら、エリーナは辺境で幸せなスローライフを満喫中?

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!

エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」 華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。 縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。 そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。 よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!! 「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。 ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、 「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」 と何やら焦っていて。 ……まあ細かいことはいいでしょう。 なにせ、その腕、その太もも、その背中。 最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!! 女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。 誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート! ※他サイトに投稿したものを、改稿しています。

【完結】さようなら。毒親と毒姉に利用され、虐げられる人生はもう御免です 〜復讐として隣国の王家に嫁いだら、婚約者に溺愛されました〜

ゆうき
恋愛
父の一夜の過ちによって生を受け、聖女の力を持って生まれてしまったことで、姉に聖女の力を持って生まれてくることを望んでいた家族に虐げられて生きてきた王女セリアは、隣国との戦争を再び引き起こした大罪人として、処刑されてしまった。 しかし、それは現実で起こったことではなく、聖女の力による予知の力で見た、自分の破滅の未来だった。 生まれて初めてみた、自分の予知。しかも、予知を見てしまうと、もうその人の不幸は、内容が変えられても、不幸が起こることは変えられない。 それでも、このまま何もしなければ、身に覚えのないことで処刑されてしまう。日頃から、戦争で亡くなった母の元に早く行きたいと思っていたセリアだが、いざ破滅の未来を見たら、そんなのはまっぴら御免だと強く感じた。 幼い頃は、白馬に乗った王子様が助けに来てくれると夢見ていたが、未来は自分で勝ち取るものだと考えたセリアは、一つの疑問を口にする。 「……そもそも、どうして私がこんな仕打ちを受けなくちゃいけないの?」 初めて前向きになったセリアに浮かんだのは、疑問と――恨み。その瞬間、セリアは心に誓った。自分を虐げてきた家族と、母を奪った戦争の元凶である、隣国に復讐をしようと。 そんな彼女にとある情報が舞い込む。長年戦争をしていた隣国の王家が、友好の証として、王子の婚約者を探していると。 これは復讐に使えると思ったセリアは、その婚約者に立候補しようとするが……この時のセリアはまだ知らない。復讐をしようとしている隣国の王子が、運命の相手だということを。そして、彼に溺愛される未来が待っていることも。 これは、復讐を決意した一人の少女が、復讐と運命の相手との出会いを経て、幸せに至るまでの物語。 ☆既に全話執筆、予約投稿済みです☆

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる

鷹 綾
恋愛
永遠の十七歳―― それは祝福ではなく、三百年続く“呪い”だった。 公には「名門イソファガス家の孫娘」として知られる少女キクコ。 だがその正体は、歴史の裏側で幾度も国を救ってきた不老の元聖女であり、 王家すら真実を知らぬ“生きた時代遺産”。 政治も権力も、面倒ごとは大嫌い。 紅茶と読書に囲まれた静かな余生(?)を望んでいたキクコだったが―― 魔王討伐後、王位継承問題に巻き込まれたことをきっかけに、 まさかの王位継承権十七位という事実が発覚する。 「……私が女王? 冗談じゃないわ」 回避策として動いたはずが、 誕生した新国王アルフェリットから、なぜか突然の求婚。 しかも彼は、 幼少期に命を救われた“恩人”がキクコであることを覚えていた―― 年を取らぬ姿のままで。 永遠に老いない少女と、 彼女の真実を問わず選んだ自分ファーストな若き王。 王妃になどなる気はない。 けれど、逃げ続けることももうできない。 これは、 歴史の影に生きてきた少女が、 はじめて「誰かの隣」を選ぶかもしれない物語。 ざまぁも陰謀も押し付けない。 それでも―― この国で一番、誰よりも“強い”のは彼女だった。

処理中です...