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第二部 すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く
動き出す何か 3
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「それで、殿下とはちゃんと別れられたんでしょうね」
執務室に到着し、扉を閉めて部屋の中に完全に二人きりになるや否や、アルフレッドは開口一番にそう訊ねてきた。
癒えるどころか、まだ瘡蓋すらできていない傷をえぐられて、サーラはきゅっと唇をかむ。
この男はこんな話がしたいからわざわざサーラを連行したのだろうか。
もちろん、第二王子を支える補佐官としては、重要な問題ではあるだろう。
関係がきちんと清算できていないと困るのだ。
それは、わかっているけれど――
「…………ええ、昨日」
やっとのことで声を絞り出して答えれば「結構」と回答がある。
アルフレッドが無神経なのは今にはじまったことではないが、できれば今日くらいはそっとしていてほしかった。
「話は以上ですか?」
「はい? そんなはずないでしょう。今のは単なる世間話ですよ。座りなさい」
(……世間話で訊くようなものではないでしょう?)
やはりこの男は変である。
座れと言われたので、サーラは渋々ソファに腰を下ろした。
アルフレッドが対面に座って、長い脚を組む。
「殿下の方がもう少しごねるかと思いましたが、すっきりと別れられたようでよかったです。別れられなかったときの脅しを考えておいたんですが無駄になりましたね」
主人を脅そうとする補佐官ってどうなのだろう。
アルフレッドは眼鏡をはずし、ハンカチでレンズを拭きながら「ところで」と続けた。
「マリア、問題なく別れられたのならば、パパのお嫁さんになりませんか?」
「……………………は?」
サーラは目を点にした。
冗談なのか、本気なのか。
眼鏡をはずしたままのアルフレッドの紫色の瞳が、楽しそうな色を宿している。
「いえ、私もちょっと考えてみたんですよ。いい加減私も身を固めたほうが何かと都合がいいんですが、面倒そうな女性との結婚はちょっと嫌なんですよね。その点あなたは、私からの愛情なんて必要としなさそうですし、外見も整っているので子供が生まれれば美人でしょうし、頭の出来も申し分ない。よく考えてみると、今のところ、私の相手としてあなたが一番都合がいいんです」
(そういえばこの人、元婚約者にも娘が生まれたら美人だろうから政略結婚の道具に使えてちょうどいい、みたいな発言をして怒らせたことがあるってウォレス様が言ってたわね)
サーラはもう、あきれてものも言えない。
「丁重に、お断りします」
「少しくらい考えてくれてもいいと思うんですが……」
「今の発言のどこに、考える余地がありますか?」
結婚したいのならば、せめてもう少し、表面上だけでもいいから取り繕えるようにならなければ無理だろう。
しかしこの合理的な変人がそんな面倒なことをするはずがないから、彼はたぶん一生独身だ。政略結婚にしても、限度というものがあろう。
どちらにせよ、サーラは誰かと結婚する気はないのだから、どんなに言葉や態度を尽くされても答えは「否」しか持ち合わせていないが。
アルフレッドはつまらなそうに一つ息をついて、眼鏡をかけなおした。
「まあいいです」
「そうですか。ところで、こんなくだらない話をするためにここへ?」
その程度の誘いだったんだなとホッとしつつ、用事が終わったなら帰りたいなという空気を出すと、アルフレッドからは「そんなはずないでしょう」と先ほどと同じ回答があった。
「これを見なさい」
アルフレッドが広げたのは、城の人事を書き記した表だった。
「あの、見たところで、名前と顔が一致しないのでわからないですけど……」
「ああそうでした。あなたには早急に貴族名鑑を暗記してもらう必要がありそうです」
(え、嫌だけど!)
アルフレッドはサーラに何をさせるつもりだろう。
「時間がないのでざっくりと説明しますと、年明けから今日までの人事異動で、重要な役職にいたこちらの派閥の人間が、かなりの割合で閑職に追いやられました。その後釜で第一王子派閥の、それもこれまで政治にまともに携わっていなかった地方貴族が抜擢されています」
第一王子派閥の人間にいくつもの重要なポストを取られたとは聞いていたが、それにしても妙だ。
「それは、いくら何でも強引ではないですか?」
「私もそう思いますが、それが通ってしまったのです。今までこんなことはありませんでした。王妃様やラコルデール公爵の目がありましたし、何よりセザール殿下も、城の人事に口を出すような方ではありませんでしたから」
それはつまり、王妃とラコルデール公爵の権力の低下と、同時にこれまで昼行燈のふりをしてきたセザールが、こっそり研いで隠していた爪を出したということだろうか。
(でも王妃様やラコルデール公爵の影響力の低下はまだしも、セザール殿下はおかしい気がするんだけど……)
とはいえ、あの第一王子には、サーラの理解も及ばない。
能力的には高いとは踏んでいるが、それを今まで隠してきた理由も、動かなかった理由もサーラにははっきりしないのだ。
ウォレスのことが好きすぎるくらい好きなブラコンっぽかったので、ウォレスのためにそうしているような気がしていたが、ただ、そんな気がするという程度だった。
そして今回の動きを考えると、もしかしたらただ単に好機を狙っていただけの可能性も浮上する。
こつん、とアルフレッドが人事が記された紙を爪先で叩いた。
「今年中に何かが動くかもしれません。早急にこちらの陣営を整えておく必要があります。あなたの何かと使い勝手のいい頭にも、頑張ってフル回転していただかなくてはなりません」
(人の頭を道具みたいに……)
城に来てまだわずか数か月のサーラに何ができるというのか。
ウォレスにしてもアルフレッドにしても、サーラの頭を買いかぶりすぎている。これまでだって、たまたま気がついたり、たまたま知っていたことだったりしたからわかっただけで、何でもかんでも持って来られても、答えが用意できるわけではない。
サーラはじっと人事の書かれた紙を見つめた。
「これ、本当にセザール殿下の暗躍の結果なんでしょうか?」
「そうとしか思えないでしょう。他に何かありますか?」
「いえ……。例えばですけど、アルフレッド様なら」
「パパです」
「アルフレッド様なら」
「ですからパパです」
面倒くさいので、スルーしよう。
「――ええっと、例えばですよ。自分の派閥の二人の伯爵がいて、一人は長年政治に携わって来た人物で、もう一人はずっと地方でくすぶっていた人物とします。重役に抜擢するならどちらを選びますか?」
「そんなの、長年政治に携わって来た伯爵に決まっているでしょう? もう一人を使うにしても、最初は様子見で役職はつけずに一般職から――なるほど、そういうことですか」
「ええ。これがセザール殿下の意思なら、ずいぶん奇策を用いたなと思いまして。抜擢した人物が失敗を犯せば、そのままセザール殿下の評価につながるでしょうし……」
(あ、待って。だから?)
セザールが失策を犯せば、その分ウォレス側の評価があがる。
(って、セザール殿下がウォレス様に味方しているかどうかはまだ確定していないんだから、楽観的に考えるのはまずいわよね)
そもそも、それならば第二王子派閥の役職持ちを閑職に追いやるなんて回りくどいことをする必要はないだろう。自分の評価を下げる方法など、いくらでもやりようがある。
「つまりマリアは、この人事異動にも、さらに何か裏があるかもしれないと、そう言いたいんですね」
「考えすぎかもしれませんが」
「いえ、なかなか的を射た意見です。第一王子派閥にも長年政治に携わっていた貴族はいますが……この人事表を見るに、彼らの一部も閑職に追いやられていますね」
「わざわざ自分の陣営の人間も閑職に追いやってまで、新しい人間を入れ込んだ、ということでうすね」
「きな臭いですねえ。……ふふ、ここをつつけば何か出てくるでしょうか」
「下手につついて蛇が出てきても知りませんよ」
「藪はつついてみないとわからないでしょう? 蛇が怖くて政治家なんてやっていられません」
いや。それはアルフレッドだけの気がするが。
「今のように何か気づいたことがあれば教えなさい。近いうちに貴族名鑑と、あとこの人事表の写しも届けておきます。……本当はあなたを文官として起用できればもっと使いやすいんですけど、女性文官は非常に少ないので目立ちますからね。あなたの立場を考えるとやめておいた方が無難です」
貴族名鑑も人事表の写しも、別にほしくもなんともないのだが、こうなればアルフレッドは止まるまい。
(まあ、忙しくしていたほうが気がまぎれるのかしら)
仕方がないので、ちょっとだけ前向きになれる考え方をしてみることにした。
執務室に到着し、扉を閉めて部屋の中に完全に二人きりになるや否や、アルフレッドは開口一番にそう訊ねてきた。
癒えるどころか、まだ瘡蓋すらできていない傷をえぐられて、サーラはきゅっと唇をかむ。
この男はこんな話がしたいからわざわざサーラを連行したのだろうか。
もちろん、第二王子を支える補佐官としては、重要な問題ではあるだろう。
関係がきちんと清算できていないと困るのだ。
それは、わかっているけれど――
「…………ええ、昨日」
やっとのことで声を絞り出して答えれば「結構」と回答がある。
アルフレッドが無神経なのは今にはじまったことではないが、できれば今日くらいはそっとしていてほしかった。
「話は以上ですか?」
「はい? そんなはずないでしょう。今のは単なる世間話ですよ。座りなさい」
(……世間話で訊くようなものではないでしょう?)
やはりこの男は変である。
座れと言われたので、サーラは渋々ソファに腰を下ろした。
アルフレッドが対面に座って、長い脚を組む。
「殿下の方がもう少しごねるかと思いましたが、すっきりと別れられたようでよかったです。別れられなかったときの脅しを考えておいたんですが無駄になりましたね」
主人を脅そうとする補佐官ってどうなのだろう。
アルフレッドは眼鏡をはずし、ハンカチでレンズを拭きながら「ところで」と続けた。
「マリア、問題なく別れられたのならば、パパのお嫁さんになりませんか?」
「……………………は?」
サーラは目を点にした。
冗談なのか、本気なのか。
眼鏡をはずしたままのアルフレッドの紫色の瞳が、楽しそうな色を宿している。
「いえ、私もちょっと考えてみたんですよ。いい加減私も身を固めたほうが何かと都合がいいんですが、面倒そうな女性との結婚はちょっと嫌なんですよね。その点あなたは、私からの愛情なんて必要としなさそうですし、外見も整っているので子供が生まれれば美人でしょうし、頭の出来も申し分ない。よく考えてみると、今のところ、私の相手としてあなたが一番都合がいいんです」
(そういえばこの人、元婚約者にも娘が生まれたら美人だろうから政略結婚の道具に使えてちょうどいい、みたいな発言をして怒らせたことがあるってウォレス様が言ってたわね)
サーラはもう、あきれてものも言えない。
「丁重に、お断りします」
「少しくらい考えてくれてもいいと思うんですが……」
「今の発言のどこに、考える余地がありますか?」
結婚したいのならば、せめてもう少し、表面上だけでもいいから取り繕えるようにならなければ無理だろう。
しかしこの合理的な変人がそんな面倒なことをするはずがないから、彼はたぶん一生独身だ。政略結婚にしても、限度というものがあろう。
どちらにせよ、サーラは誰かと結婚する気はないのだから、どんなに言葉や態度を尽くされても答えは「否」しか持ち合わせていないが。
アルフレッドはつまらなそうに一つ息をついて、眼鏡をかけなおした。
「まあいいです」
「そうですか。ところで、こんなくだらない話をするためにここへ?」
その程度の誘いだったんだなとホッとしつつ、用事が終わったなら帰りたいなという空気を出すと、アルフレッドからは「そんなはずないでしょう」と先ほどと同じ回答があった。
「これを見なさい」
アルフレッドが広げたのは、城の人事を書き記した表だった。
「あの、見たところで、名前と顔が一致しないのでわからないですけど……」
「ああそうでした。あなたには早急に貴族名鑑を暗記してもらう必要がありそうです」
(え、嫌だけど!)
アルフレッドはサーラに何をさせるつもりだろう。
「時間がないのでざっくりと説明しますと、年明けから今日までの人事異動で、重要な役職にいたこちらの派閥の人間が、かなりの割合で閑職に追いやられました。その後釜で第一王子派閥の、それもこれまで政治にまともに携わっていなかった地方貴族が抜擢されています」
第一王子派閥の人間にいくつもの重要なポストを取られたとは聞いていたが、それにしても妙だ。
「それは、いくら何でも強引ではないですか?」
「私もそう思いますが、それが通ってしまったのです。今までこんなことはありませんでした。王妃様やラコルデール公爵の目がありましたし、何よりセザール殿下も、城の人事に口を出すような方ではありませんでしたから」
それはつまり、王妃とラコルデール公爵の権力の低下と、同時にこれまで昼行燈のふりをしてきたセザールが、こっそり研いで隠していた爪を出したということだろうか。
(でも王妃様やラコルデール公爵の影響力の低下はまだしも、セザール殿下はおかしい気がするんだけど……)
とはいえ、あの第一王子には、サーラの理解も及ばない。
能力的には高いとは踏んでいるが、それを今まで隠してきた理由も、動かなかった理由もサーラにははっきりしないのだ。
ウォレスのことが好きすぎるくらい好きなブラコンっぽかったので、ウォレスのためにそうしているような気がしていたが、ただ、そんな気がするという程度だった。
そして今回の動きを考えると、もしかしたらただ単に好機を狙っていただけの可能性も浮上する。
こつん、とアルフレッドが人事が記された紙を爪先で叩いた。
「今年中に何かが動くかもしれません。早急にこちらの陣営を整えておく必要があります。あなたの何かと使い勝手のいい頭にも、頑張ってフル回転していただかなくてはなりません」
(人の頭を道具みたいに……)
城に来てまだわずか数か月のサーラに何ができるというのか。
ウォレスにしてもアルフレッドにしても、サーラの頭を買いかぶりすぎている。これまでだって、たまたま気がついたり、たまたま知っていたことだったりしたからわかっただけで、何でもかんでも持って来られても、答えが用意できるわけではない。
サーラはじっと人事の書かれた紙を見つめた。
「これ、本当にセザール殿下の暗躍の結果なんでしょうか?」
「そうとしか思えないでしょう。他に何かありますか?」
「いえ……。例えばですけど、アルフレッド様なら」
「パパです」
「アルフレッド様なら」
「ですからパパです」
面倒くさいので、スルーしよう。
「――ええっと、例えばですよ。自分の派閥の二人の伯爵がいて、一人は長年政治に携わって来た人物で、もう一人はずっと地方でくすぶっていた人物とします。重役に抜擢するならどちらを選びますか?」
「そんなの、長年政治に携わって来た伯爵に決まっているでしょう? もう一人を使うにしても、最初は様子見で役職はつけずに一般職から――なるほど、そういうことですか」
「ええ。これがセザール殿下の意思なら、ずいぶん奇策を用いたなと思いまして。抜擢した人物が失敗を犯せば、そのままセザール殿下の評価につながるでしょうし……」
(あ、待って。だから?)
セザールが失策を犯せば、その分ウォレス側の評価があがる。
(って、セザール殿下がウォレス様に味方しているかどうかはまだ確定していないんだから、楽観的に考えるのはまずいわよね)
そもそも、それならば第二王子派閥の役職持ちを閑職に追いやるなんて回りくどいことをする必要はないだろう。自分の評価を下げる方法など、いくらでもやりようがある。
「つまりマリアは、この人事異動にも、さらに何か裏があるかもしれないと、そう言いたいんですね」
「考えすぎかもしれませんが」
「いえ、なかなか的を射た意見です。第一王子派閥にも長年政治に携わっていた貴族はいますが……この人事表を見るに、彼らの一部も閑職に追いやられていますね」
「わざわざ自分の陣営の人間も閑職に追いやってまで、新しい人間を入れ込んだ、ということでうすね」
「きな臭いですねえ。……ふふ、ここをつつけば何か出てくるでしょうか」
「下手につついて蛇が出てきても知りませんよ」
「藪はつついてみないとわからないでしょう? 蛇が怖くて政治家なんてやっていられません」
いや。それはアルフレッドだけの気がするが。
「今のように何か気づいたことがあれば教えなさい。近いうちに貴族名鑑と、あとこの人事表の写しも届けておきます。……本当はあなたを文官として起用できればもっと使いやすいんですけど、女性文官は非常に少ないので目立ちますからね。あなたの立場を考えるとやめておいた方が無難です」
貴族名鑑も人事表の写しも、別にほしくもなんともないのだが、こうなればアルフレッドは止まるまい。
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