婚約者に捨てられた私ですが、なぜか宰相様の膝の上が定位置になっています 

さくら

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第19話 新たな試練



 求婚を交わした日から数日が経ち、宰相様と私は、これまで以上に穏やかな時間を共有するようになった。私が膝の上に座り、執務を手伝う日常。彼の側にいるだけで、私の心は満たされ、何も怖くなくなった。

 だが、そんな日々の中で、一つの小さな変化が私の心に影を落とし始めた。

 それは、宰相様が一度も私の膝の上から降ろすことなく過ごすようになったことだ。

「宰相様、今日もずっと……」
「君がいると、私は一番安らげる」
 その言葉には、少しの疑念を抱く余地すら残されていない。

 昼間は、書類や政治的な話を黙々とこなしながら、時折私に目を向け、さりげなく微笑んでくれる。けれど夜になると、膝の上に座らせたまま、私の手を取って話すことが多くなった。

「今日は、何を話そうか」
「……宰相様、最近何か、変わったことはありませんか」
「変わったこと?」
「そうです。最近、少し……私を膝の上に座らせすぎている気がして……」

 不安が胸をよぎる。もしかして、私は宰相様に依存してしまっているのではないかと。

 そのとき、宰相様はしばらく黙って私の顔をじっと見つめた後、静かに告げた。
「君が座っていることは、私にとっては何の負担でもない。むしろ、君が私の膝に座ることで、私の力が強くなる」

 その言葉に、胸が温かくなり、同時に少しの違和感が残る。

「でも、宰相様……私がいつも膝の上にいること、皆はどう思っているのでしょうか」
「皆がどう思おうと構わない。君が安心していることが一番大切だ」
「安心……」
「そうだ。君は私の膝の上で笑っていればいい。それが一番自然で、君の居場所だ」

 その言葉には、優しさと確固たる決意が込められていた。けれど、その言葉の裏に何か違和感がひっかかるのは私だけだろうか。

 その夜、私の不安を押し込めるように、宰相様は再び私を膝の上に抱き寄せ、温かい言葉を囁いた。
「どんな困難が来ようとも、私は君を守る。君が笑っていられるように、私はすべてを背負う」

 その言葉に、心が震え、胸が満たされていく。けれど、同時に一つの疑念が頭をよぎった。

――私は本当に、宰相様の隣に立っていられるのだろうか。



 宰相様の膝の上で過ごす日々が続く中で、私は次第に心の中に積もる疑念を感じていた。宰相様が私を膝に抱き続け、私もその安定した場所に甘えてしまうことが、どこかで「依存」になっているのではないか。

 その不安が胸に広がり、私は彼にどうしても尋ねたくなった。

「宰相様、最近……私が膝の上にいること、少し重くはありませんか?」
「重い?」
 宰相様は不思議そうに私を見つめ、眉をひそめた。
「どうしてそう思う?」

 その問いに私は思わず息を呑んだ。けれど、どうしても言葉にしなければ気が済まなかった。
「私は、こうしてあなたの膝の上にいると、あなたの肩に負担をかけている気がして……」

 その言葉を絞り出すと、宰相様はしばらく黙って私を見つめていた。
「エリナ……君が重荷だとは思ったことはない」

 その静かな答えに胸がじんわりと温かくなる。しかし、次に彼が放った言葉は、私の心に微かな違和感を残した。
「君が私にとって重荷でないことは、君が一番よく分かっているだろう」

 その言葉を受けて、私の心に微かな不安がまた湧き上がった。彼が言うように、私の存在は重荷ではない。しかし、それでも「膝の上に座り続けること」が私の居場所であり、私が望まれている場所だと感じ続けることに、少しの疑問が生まれていた。

「でも、私はあなたにいつまでもこうして甘えていてもいいのでしょうか?」
「……甘えてくれるのが一番だ」

 その言葉には何の躊躇いもなく、宰相様の目には確固たる決意が浮かんでいる。けれどその決意が、私には少しだけ重く感じられた。私は心の中で再び問いかけた。

――私は、宰相様に甘えてばかりでは、駄目なのだろうか。

 その夜、私は寝室でふと目を覚まし、静かに窓を開けた。外には満月が輝いており、その光が庭園を照らし、まるで私を見守っているかのように感じた。

 私は深く息を吸い込み、冷たい風を感じながら、心の中で誓った。

――私は宰相様の隣に立てる人間になりたい。彼に頼りすぎず、彼を支える存在でありたい。

 その誓いを胸に、再び宰相様の元へ戻った。

 彼は静かに私を迎え入れ、私を膝に抱き上げる。
「帰ってきたか」
「はい」
 私はそのまま彼の膝の上に座り、再び心を落ち着ける。彼の温もりに包まれていると、心の中の不安は少しずつ消えていく。

 だが、私は心の中で確信を持った。私は、宰相様の膝の上に座っているだけではなく、彼を支え、共に歩んでいく存在になりたい。




 翌日から、私は心の中で決意を新たにした。宰相様の膝の上に座り続けることは、私にとっては何よりの安心感を与えてくれるが、それと同時に私は彼に頼りすぎることなく、彼を支えられるような存在でありたい。

 その思いを抱えながらも、いつも通り膝の上に座り、宰相様と共に執務を進める。書類を見ながら、時折私の手に触れてきては、静かに囁く。
「今日は、君が少しだけ休んでもいい」
「休んでいても、宰相様のお手伝いにはならないのでは……」
「君が手伝うことが、私にとっては何よりも力になる」

 その言葉に、胸が温かくなった。私の存在が、少しでも彼を支えていると感じることができたからだ。だが、少しずつ心の中に芽生えた疑念も確かで、私はその思いをどこかで感じ続けていた。

 それは、宰相様が一度も私を膝の上から降ろさないことに対する不安だった。彼の目には、いつも私を抱きしめているその姿勢が当然で、私がそこにいることが何よりも自然なことのように思われていた。

 けれど、私はそのままでいいのだろうか?

 その問いに答えが出る前に、再び王宮からの使者がやってきた。使者はひざまずき、宰相様に向かって一礼した。
「閣下、王宮より急な要請がございます。第一王子殿下が、再び政務に関しての相談をしたいと申し出ております」

 その言葉に、宰相様は顔色を変えずに頷いた。
「承知した。すぐに準備を進めさせろ」
 使者が退室し、私の手を取った宰相様は、再び膝の上に私を抱き上げた。

「エリナ」
「……はい、宰相様」
「君に頼むことがある」

 その言葉に、心がきゅっと締め付けられるような気がした。彼の目が真剣で、私は緊張しながらも答えた。
「何でもお聞きください」

 彼の言葉は静かだが、確かに響いた。
「君には、これからの政治の場で私を支えてほしい」

 その言葉が私に与えられる試練のような気がした。まだまだ未熟な私は、宰相様を支える資格があるのだろうか。だが、私は一度深呼吸をしてから決意を固め、答えた。
「はい。私、必ず支えます」

 その返答に宰相様は穏やかな笑みを浮かべ、私の手を握りしめた。
「頼りにしている」

 私はその言葉に背中を押され、心の中で確信を持った。これからの試練に立ち向かう覚悟が、少しずつ固まっていくのを感じる。

 その夜、王宮での政務の準備が整い、私は宰相様と共に馬車で向かうこととなった。大きな広間に足を踏み入れると、王子殿下が待っていた。

 王子殿下の視線が私たちに向けられ、その目はどこか冷徹で、私たちの存在を無視するように見えた。だが、宰相様はその視線を受け止めながら、私の手をしっかりと握っていた。

「第一王子、久しぶりだな」
「……宰相、また無駄な時間を費やしに来たのか?」
 殿下の冷ややかな言葉に、宰相様は微動だにせず、静かに答える。
「無駄ではない。君の非道な行いを正すために来た」

 その一言が広間に響き渡り、私もまたその場に立ちすくむ。けれど宰相様が再び私の手を握りしめると、不思議と恐れが薄れていくのを感じた。

 そして、宰相様はさらに冷徹な視線を王子殿下に向けて、堂々と続けた。
「君の愚かさを、今ここで証明しよう」
 その言葉には揺るぎない力が込められていて、広間に響き渡った。



 宰相様の一言が広間に静かな圧力をかける。王子殿下は微動だにせず、ただ冷ややかな視線で宰相様を見つめていた。その瞳には、過去の対立が色濃く映し出されている。

 私の心臓は早鐘のように打ち、冷たい汗が額に浮かんだ。しかし、宰相様がしっかりと私の手を握りしめ、私に向けて静かな言葉を落とす。
「君はただ、私の隣にいるだけでいい。何も恐れることはない」

 その言葉に、私は深く頷いた。宰相様が私を守ってくれる。その確かな感覚が、心の中で安心を与えてくれる。

「第一王子、私が君を庇護するのはただの気まぐれではない」
 宰相様の声は、まるで鋼のように強く、冷徹で、しかし深い愛情を秘めていた。
「君が私に選ばれた時点で、君は私の誇りとなった。それを全ての者に証明し、君を守り抜くと誓った」

 その言葉が広間を支配し、王子殿下の顔に微かな動揺を浮かべさせた。私の心の中で一歩踏み出す勇気が湧いてきた。宰相様は、私を心から信じ、支えてくれる。その力強さが、今ここにいる全てを打ち砕くような感覚を与えてくれる。

 王子殿下は沈黙したまま、言葉を失っている。私の心も揺れながら、静かに宰相様の隣で立ち続けた。その中で、次に宰相様が口を開いた。

「君がどんなに私を嫌い、私の立場を脅かそうとしても、私は恐れない。君をここに置いておくのは私の決断だ」

 宰相様の言葉に、王子殿下の表情が少しずつ歪んでいく。彼が何を言っても、私と宰相様の絆は揺るがない。それが、今ははっきりと感じられる。

「これ以上、私を試すのはやめておけ」
 宰相様の言葉は鋭く、広間に張り詰めた空気を一気に切り裂いた。その瞬間、王子殿下は言葉を飲み込み、黙り込んだ。周囲の貴族たちも息を呑んで見守っている。

 私は、宰相様の手をしっかりと握り返した。その手の温かさが、今の私に必要なもの全てを与えてくれる。私が求めているのはただ一つ。――宰相様の隣に立つこと、それだけだった。

 その後、宰相様は一度深呼吸をし、冷静な表情に戻った。
「君が今後何を言おうとも、私は君に屈しない。君はただ、私の膝の上で笑っていればいい」

 その言葉に、再び広間が静まり返る。その後、誰もが言葉を発することなく、私たちはそのまま退室することとなった。

 馬車に乗り込むと、宰相様は私を膝の上に抱きしめ、優しく言った。
「よく頑張ったな」
「……私、怖かったです。でも、宰相様がいてくださったから、何も怖くなくなりました」

 宰相様は微笑み、私の髪を優しく撫でる。
「君は強い。私が支える必要はないと思っていたが、君が側にいるだけで、私は強くなれる」

 その言葉に、私の心は溢れんばかりの幸福で満たされ、涙がこぼれた。

 ――私は、宰相様の隣で生きていく。彼を支えるために、私も強くなりたいと心から思った。
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