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第二話 冷徹団長の揺らぎ
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食堂の石壁は無骨で、灯された松明が淡い橙を揺らしていた。長机に並ぶ兵士たちは、皿と匙を手に待ち構えている。初日の晩餐を整えたクラリッサは、鍋から一杯ずつよそいながら、背筋を伸ばして兵士たちの視線を受け止めた。皿を渡すたびに笑みがこぼれ、香草の香りが広がる。空腹は警戒心を溶かし、湯気は心をほぐしていく。
「こりゃあ、腹に沁みるな……!」
「今までの麦粥が、泥水みたいに思えるぜ!」
兵士たちは声を上げ、匙を鳴らしながら夢中で食べる。クラリッサは安堵を胸に隠し、最後にレオンハルトの皿を手に取った。彼は長机の端、誰も寄せつけぬ冷ややかさで座っている。松明の光に照らされる横顔は彫像のように硬く、感情を伺わせない。
「団長、どうぞ」
皿を差し出すと、レオンハルトは無言で受け取り、匙を沈めた。兵士たちが一斉に息を呑む。灰色の瞳がわずかに細まり、喉仏が静かに上下する。
「……燃料にはなる」
淡々とした声。しかしその皿は、最後の一滴まで空になった。クラリッサの胸に小さな炎が灯る。わかりにくくても、彼は確かに味わってくれた。
翌朝、砦は早くから剣戟の音に包まれた。兵士たちは稽古に汗を流し、クラリッサは厨房で干し肉を戻しながら支度をする。竈の熱気と香草の香りに包まれる時間は、彼女にとって安らぎだった。だが、ふと入口に立つ影に気づき、振り向いた。
「……お前の食事で、兵の顔色が違う」
レオンハルトが腕を組んで立っていた。鎧姿のまま、視線は厳しく鋭い。だが、言葉には微かな戸惑いが混じっている。
「よいことではありませんか?」
「兵は緩みやすい。満腹は、剣を鈍らせる」
「いいえ。温かい食事は、心を折れにくくします」
言い切るクラリッサに、レオンハルトはわずかに眉を寄せた。沈黙が数拍続き、やがて彼は短く言った。
「……うまかった」
「え?」
「昨夜の粥だ。……悪くないどころか、うまかった」
低い声で吐き出すように告げると、彼は背を向け、足音だけを残して去っていった。クラリッサは呆然と立ち尽くし、頬に熱が昇るのを感じる。冷徹と呼ばれる男の唇からこぼれた、その一言。胸の奥に小さな鐘が鳴ったように響き、しばらく消えなかった。
数日後、砦に王都からの使者が現れた。金糸の装飾を施した外套をまとい、鼻を高く掲げたその男は、宴席の準備を命じる。理由は「団長への叙任祝い」だと説明されたが、瞳には企みの色がちらついている。クラリッサは胸騒ぎを覚えながらも、台所に立ち続けた。
宴の夜、長机には豪奢な料理が並んだ。使者が持ち込んだ酒瓶が開けられ、琥珀色の液体が杯に注がれる。レオンハルトが手に取ったその瞬間――クラリッサの鼻が鋭く震えた。甘すぎる芳香、わずかに金属的な苦み。記憶の中で祖母の声が囁く。
『香りが甘すぎる酒には気をつけなさい。毒は舌より先に鼻が知るのよ』
「お待ちください!」
クラリッサは思わず叫び、杯に伸びる手を押さえた。周囲がざわめく。レオンハルトの灰色の瞳が鋭く彼女を射抜いた。
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食堂の石壁は無骨で、灯された松明が淡い橙を揺らしていた。長机に並ぶ兵士たちは、皿と匙を手に待ち構えている。初日の晩餐を整えたクラリッサは、鍋から一杯ずつよそいながら、背筋を伸ばして兵士たちの視線を受け止めた。皿を渡すたびに笑みがこぼれ、香草の香りが広がる。空腹は警戒心を溶かし、湯気は心をほぐしていく。
「こりゃあ、腹に沁みるな……!」
「今までの麦粥が、泥水みたいに思えるぜ!」
兵士たちは声を上げ、匙を鳴らしながら夢中で食べる。クラリッサは安堵を胸に隠し、最後にレオンハルトの皿を手に取った。彼は長机の端、誰も寄せつけぬ冷ややかさで座っている。松明の光に照らされる横顔は彫像のように硬く、感情を伺わせない。
「団長、どうぞ」
皿を差し出すと、レオンハルトは無言で受け取り、匙を沈めた。兵士たちが一斉に息を呑む。灰色の瞳がわずかに細まり、喉仏が静かに上下する。
「……燃料にはなる」
淡々とした声。しかしその皿は、最後の一滴まで空になった。クラリッサの胸に小さな炎が灯る。わかりにくくても、彼は確かに味わってくれた。
翌朝、砦は早くから剣戟の音に包まれた。兵士たちは稽古に汗を流し、クラリッサは厨房で干し肉を戻しながら支度をする。竈の熱気と香草の香りに包まれる時間は、彼女にとって安らぎだった。だが、ふと入口に立つ影に気づき、振り向いた。
「……お前の食事で、兵の顔色が違う」
レオンハルトが腕を組んで立っていた。鎧姿のまま、視線は厳しく鋭い。だが、言葉には微かな戸惑いが混じっている。
「よいことではありませんか?」
「兵は緩みやすい。満腹は、剣を鈍らせる」
「いいえ。温かい食事は、心を折れにくくします」
言い切るクラリッサに、レオンハルトはわずかに眉を寄せた。沈黙が数拍続き、やがて彼は短く言った。
「……うまかった」
「え?」
「昨夜の粥だ。……悪くないどころか、うまかった」
低い声で吐き出すように告げると、彼は背を向け、足音だけを残して去っていった。クラリッサは呆然と立ち尽くし、頬に熱が昇るのを感じる。冷徹と呼ばれる男の唇からこぼれた、その一言。胸の奥に小さな鐘が鳴ったように響き、しばらく消えなかった。
数日後、砦に王都からの使者が現れた。金糸の装飾を施した外套をまとい、鼻を高く掲げたその男は、宴席の準備を命じる。理由は「団長への叙任祝い」だと説明されたが、瞳には企みの色がちらついている。クラリッサは胸騒ぎを覚えながらも、台所に立ち続けた。
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『香りが甘すぎる酒には気をつけなさい。毒は舌より先に鼻が知るのよ』
「お待ちください!」
クラリッサは思わず叫び、杯に伸びる手を押さえた。周囲がざわめく。レオンハルトの灰色の瞳が鋭く彼女を射抜いた。
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