家族から邪魔者扱いされた私が契約婚した宰相閣下、実は完璧すぎるスパダリでした。仕事も家事も甘やかしも全部こなしてきます

さら

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第3話 契約婚の条件

 公の場で名を明かす日は、思ったよりも鮮やかだった。午前の礼拝堂には招待客が並び、窓から差し込む光がステンドグラスの模様を床に刻む。私は黒い礼服に白いスカーフを合わせ、胸の内で鼓動を抑えつつ列席者の視線を受け流す練習をした。アルベルトは横に立ち、姿勢ひとつで場の空気を引き締めるので、自然と私の背筋が伸びた。

 公証の場とは違い、この場は人目を意識した舞台装置だと感じた。司祭が格式ばった言葉を紡ぎ、列席者の囁きが波のように伝わる。家族の席に目を向ければ、父の面持ちは硬く、母の唇は引き結ばれている。長姉は白い扇子で視線を巧みに隠し、次姉の眼差しは薄い刃物のように冷たい。

 アルベルトは宣言の言葉を淡々と述べ、私の名前を公にする際にひと呼吸置いた。呼び上げられた瞬間、空気が私の周りで変わった気がしたのは、単なる錯覚ではない。彼の右手が私の小さな手の甲を軽く掴み、指先に伝わる温度は緊張を一瞬で溶かしてしまう。私は声にならない何かを呑み込み、決められた言葉を静かに繰り返した。

 式が終わると、邸に戻って改めて条項の説明が行われた。執務室の長机に座る彼は公の言葉と同じく簡潔で明瞭だが、細かい配慮が随所に織り込まれていた。私の居室の管理権、外出の手続き、家政に関する裁量、学びのための資金供与、いずれも曖昧な温情ではなく、文書に残る約束として示される。私は一つ一つの条項に目を落としながら、自分の選択が確かに守られることに、驚きと安堵を覚えた。



 机に広げられた羊皮紙の上で、インクがまだ乾ききらぬ署名が光っている。私の筆跡の隣に押された宰相の印章は、揺るぎのない形で契約の重さを告げていた。私の胸には不安と同時に、不思議な確かさが芽生え始める。これまで誰にも守られなかった私の存在が、文字と印により保証されたのだ。

「条項に不足はないか」
 アルベルトは椅子に深く腰掛け、静かな灰色の瞳を向けてきた。その眼差しは問い詰めるのではなく、答えを待つ余裕を含んでいる。私は羊皮紙の一文に指先を滑らせた。
「……“互いの学びを支援する”とありましたね。私は政務のことを、ほんの少しでも学んでみたいです」
「望むなら師を付ける。文官の仕事は退屈だが、見ておけば理解が深まるだろう」
 彼は淡々と告げながらも、口調には拒絶の影がなかった。

 私は迷いながらも次の質問を口にした。
「……もしも、私が失敗したら?」
「失敗を恐れるのは経験がない証拠だ。必要なのは恐れではなく、次に生かす記録だ」
 その一言に、胸の奥の重石がふっと軽くなる。彼の言葉は冷徹さの衣をまとっていても、芯には温度が宿っている。私は視線を落とし、ペン先で余白に小さく印を描いた。

 午後、邸の広間に集まった使用人たちに向かって、アルベルトは簡潔に告げた。
「彼女は私の妻だ。疑問や侮蔑は許さない。だが、彼女の言葉には耳を貸せ。家政の裁量は彼女にある」
 その声に広間の空気が一瞬で変わった。敬礼する執事の姿を見て、私は深く息を吸った。背筋が伸び、胸の奥に小さな誇りが灯る。

 夕刻、窓辺の空が紫に染まる頃、私は再び契約書を開き、署名に指を重ねた。アルベルトは横で静かに本を閉じ、目を細める。
「これで、形式は整った。あとは日々を重ねるだけだ」
 その穏やかな宣告が、夜の始まりを告げる鐘のように響いた。



 夜の帳が邸を包み、蝋燭の炎が壁に柔らかな影を揺らしていた。私の部屋の机の上には、昼間の契約書の写しが置かれている。羊皮紙に記された文字はもう乾いて、しっかりとした墨の色を保っていた。私は椅子に腰掛け、その紙を指先でなぞる。指先に伝わるのは凹凸ではなく、約束の重みだった。

 窓を叩く風の音がして、私は思わず呼び鈴へと視線を向ける。けれど今夜は鳴らさなかった。ただ机に置いたまま、その存在に安心を覚えていた。昨夜とは違う。確かにここに居場所があると、胸の奥で感じられるから。

 扉が軽くノックされ、アルベルトが姿を現した。執務用の上着を脱ぎ、シャツの袖を少し捲り上げた姿は、昼の冷徹な宰相の顔ではなく、穏やかな人の気配を纏っていた。
「契約書に目を通していたのか」
「ええ。……重さが、まだ胸に残っていて」
「重さは悪くない。足を地につけるものだからな」
 彼は机の向かいに腰を下ろし、蝋燭の火を少し弱める。光が柔らかくなり、彼の横顔に陰影が差した。

「君が望むなら、政務の場に連れて行こう。退屈かもしれないが、実際に見て学ぶことは机上に勝る」
「……いいのですか」
「契約条項だ。わたしが拒む理由はない」
 淡々と告げる声に、妙な温かさがあった。私は小さく笑みを浮かべ、契約という形に守られた自分の未来をかみしめる。

 やがて夜は更け、部屋を出る前に彼は私に視線を向けた。
「今日から、君はもう一人ではない。そのことを忘れるな」
 言葉は短く、それでいて心に深く刻まれる。扉が閉まった後も、その余韻が残っていた。私は机上の契約書を静かに畳み、胸に抱えたままベッドに入る。瞼を閉じれば、今日という一日が新しい未来の始まりであることを、身体の芯から感じられた。
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