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第17話 偽りの婚約話と試される心
〇
病が癒えた数日後、私は庭で日差しを浴びていた。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、まだ残る倦怠感を和らげていたとき、執事が一通の封書を携えて現れた。差し出された羊皮紙には、王宮の印章が押されている。
「閣下宛てでございますが……内容が、奥様にも関わるかと」
私は胸にざわめきを覚えながら受け取った。中には、王宮での舞踏会の招待状と共に、衝撃の一文が添えられていた。
――宰相閣下には、他家の令嬢との婚約話が再浮上している。真偽のほどは舞踏会で明らかにされるだろう。
文字を追うたびに指が冷たくなる。病の間、彼は私を看病し続けてくれた。あの温もりを思えば、こんな噂は信じるべきではない。それでも心は揺れた。かつて裏切られた婚約の記憶が疼き、不安が膨らんでいく。
夕刻、彼が帰宅すると、私は意を決して問いかけた。
「……宰相閣下。王宮で、あなたに別の婚約話があると噂されています」
アルベルトは外套を外しながら、微かに眉を動かした。
「馬鹿げている。だが、放置すれば利用される」
「……本当に、ないのですね?」
問い詰めるような声に、彼はまっすぐ私を見た。灰色の瞳は揺らがず、ただ静かに答えた。
「ない。君を妻に迎えた時点で、他は考えない」
その断言に胸が震える。だが、不安は完全には消えなかった。舞踏会という公の場で、再び試される未来が待っている――そう予感したからだ。
△
舞踏会の夜、王宮の大広間は煌めく灯火に照らされ、絹の衣擦れと笑い声が交錯していた。私は淡い青のドレスに身を包み、彼の隣に立っていた。人々の視線が突き刺さる。噂がどれほど広まっているのか、ひそひそ声があちこちで響いた。
「ご覧なさい、あれが宰相の奥方よ」
「でも他家の令嬢の方が相応しいのでは」
心臓が締め付けられるように痛み、私は視線を落とした。するとアルベルトが手を差し出し、私の指を絡めた。
「顔を上げろ。君は私の妻だ」
低い声に支えられ、私は恐る恐る顔を上げた。
その時、場の中央に煌びやかなドレスを纏った侯爵令嬢が現れた。彼女は私に冷ややかな微笑を向け、堂々とアルベルトに歩み寄る。
「宰相閣下。久方ぶりにお会いできて光栄です」
その声はよく通り、広間の視線が一層集まった。
彼女はためらいもなく続ける。
「皆様もご存知の通り、我が家と閣下の婚約話は長く途絶えておりましたが――再び持ち上がっております。宰相府としても前向きにご検討を?」
会場にざわめきが広がり、胸が冷たくなる。私は息を呑み、指先が震えた。
◇
次の瞬間、アルベルトは私の腰を引き寄せ、全員の前ではっきりと言い放った。
「偽りだ。婚約話など存在しない。私の妻はここにいる」
灰色の瞳が会場を一掃するように走り、侯爵令嬢の笑みが凍りつく。
「だが閣下、噂では――」
「噂で国政を揺るがそうとするなら、それは反逆と変わらぬ。覚悟して発言することだ」
冷徹な声に広間が静まり返る。令嬢は唇を震わせ、結局何も言えずに退いた。
その場にいた貴族たちは一斉に視線を逸らし、空気が張り詰める。私は腰に回された彼の手の力強さに支えられ、涙がこみ上げそうになるのを必死で堪えた。
「君を疑わせたことは、わたしの落ち度だ」
小声で囁かれたその一言に、胸が熱くなった。私は首を振り、彼の手を強く握り返す。
「いいえ……信じます。もう、揺らぎません」
舞踏会はその後、何事もなかったかのように続いた。だが私にとって、あの瞬間こそがすべてだった。公の場で彼が選んだのは、確かに私。
夜更け、馬車に揺られながら、私は彼の肩に身を寄せた。
「……ありがとうございます」
「礼は不要だ。これからも同じだ」
静かな囁きに、胸が甘く震えた。
――契約ではなく、心で結ばれているのだと。
その確信が、私の眠りを温かく包んだ。
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病が癒えた数日後、私は庭で日差しを浴びていた。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、まだ残る倦怠感を和らげていたとき、執事が一通の封書を携えて現れた。差し出された羊皮紙には、王宮の印章が押されている。
「閣下宛てでございますが……内容が、奥様にも関わるかと」
私は胸にざわめきを覚えながら受け取った。中には、王宮での舞踏会の招待状と共に、衝撃の一文が添えられていた。
――宰相閣下には、他家の令嬢との婚約話が再浮上している。真偽のほどは舞踏会で明らかにされるだろう。
文字を追うたびに指が冷たくなる。病の間、彼は私を看病し続けてくれた。あの温もりを思えば、こんな噂は信じるべきではない。それでも心は揺れた。かつて裏切られた婚約の記憶が疼き、不安が膨らんでいく。
夕刻、彼が帰宅すると、私は意を決して問いかけた。
「……宰相閣下。王宮で、あなたに別の婚約話があると噂されています」
アルベルトは外套を外しながら、微かに眉を動かした。
「馬鹿げている。だが、放置すれば利用される」
「……本当に、ないのですね?」
問い詰めるような声に、彼はまっすぐ私を見た。灰色の瞳は揺らがず、ただ静かに答えた。
「ない。君を妻に迎えた時点で、他は考えない」
その断言に胸が震える。だが、不安は完全には消えなかった。舞踏会という公の場で、再び試される未来が待っている――そう予感したからだ。
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舞踏会の夜、王宮の大広間は煌めく灯火に照らされ、絹の衣擦れと笑い声が交錯していた。私は淡い青のドレスに身を包み、彼の隣に立っていた。人々の視線が突き刺さる。噂がどれほど広まっているのか、ひそひそ声があちこちで響いた。
「ご覧なさい、あれが宰相の奥方よ」
「でも他家の令嬢の方が相応しいのでは」
心臓が締め付けられるように痛み、私は視線を落とした。するとアルベルトが手を差し出し、私の指を絡めた。
「顔を上げろ。君は私の妻だ」
低い声に支えられ、私は恐る恐る顔を上げた。
その時、場の中央に煌びやかなドレスを纏った侯爵令嬢が現れた。彼女は私に冷ややかな微笑を向け、堂々とアルベルトに歩み寄る。
「宰相閣下。久方ぶりにお会いできて光栄です」
その声はよく通り、広間の視線が一層集まった。
彼女はためらいもなく続ける。
「皆様もご存知の通り、我が家と閣下の婚約話は長く途絶えておりましたが――再び持ち上がっております。宰相府としても前向きにご検討を?」
会場にざわめきが広がり、胸が冷たくなる。私は息を呑み、指先が震えた。
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次の瞬間、アルベルトは私の腰を引き寄せ、全員の前ではっきりと言い放った。
「偽りだ。婚約話など存在しない。私の妻はここにいる」
灰色の瞳が会場を一掃するように走り、侯爵令嬢の笑みが凍りつく。
「だが閣下、噂では――」
「噂で国政を揺るがそうとするなら、それは反逆と変わらぬ。覚悟して発言することだ」
冷徹な声に広間が静まり返る。令嬢は唇を震わせ、結局何も言えずに退いた。
その場にいた貴族たちは一斉に視線を逸らし、空気が張り詰める。私は腰に回された彼の手の力強さに支えられ、涙がこみ上げそうになるのを必死で堪えた。
「君を疑わせたことは、わたしの落ち度だ」
小声で囁かれたその一言に、胸が熱くなった。私は首を振り、彼の手を強く握り返す。
「いいえ……信じます。もう、揺らぎません」
舞踏会はその後、何事もなかったかのように続いた。だが私にとって、あの瞬間こそがすべてだった。公の場で彼が選んだのは、確かに私。
夜更け、馬車に揺られながら、私は彼の肩に身を寄せた。
「……ありがとうございます」
「礼は不要だ。これからも同じだ」
静かな囁きに、胸が甘く震えた。
――契約ではなく、心で結ばれているのだと。
その確信が、私の眠りを温かく包んだ。
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