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第五章 紀国の御館にて
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守部は保早呂を館に運び入れ、柔らかな鹿皮に座らせると、さっさと出て行ってしまった。
入れかわりに侍女が服と薬湯を持ってきて、保早呂の手元に置いた。保早呂の着ている黒衣を珍しそうにまじまじと見つめて、ぎこちない笑みを浮かべた。
「お着替えが済みましたらそこに置いておいてくださいね。洗っておきますから」
そそくさと出てゆく侍女の後ろ姿を見ながら、保早呂は大きく息を吐いた。乾いた服に着替え、温かな薬湯を飲むと、やっと震えが収まった。
しばらくすると、また足音が近づいてきた。
入ってきたのは丹戸部だった。
「……この場に来着いたのがそなただけとは」
丹戸部は怒りをたたえた眼差しで保早呂を見据えた。
「何があった。まさか祟りに遭ったとでも言うまいな?」
「那束さまと亜而利は神山に呑まれた。井火古も……」
「井火古などどうでもよい!! そなたが側におりながら何というざまだ」
保早呂はぐっと歯を食いしばる。
「……まだ、身罷られたと決まった訳じゃない」
「当然だ。紀国ごときのために那束さまを失うわけにはゆかぬ」
(――亜而利の生死はどうでもいいのか)
保早呂は拳をにぎりこんだ。
(井火古も、助からないかもしれない)
抱えてきた自分が一番よくわかる。熱は一向に移らず、身体は氷のように冷たかった。馬にぐんにゃりと力なくもたれかかり、まるで骸を支えているようだったのだ。
その時、先程の守部が戸口から顔を覗かせた。
「日高見の方々。紀国王がお会いになられます。――こちらへ」
保早呂と丹戸部は、美しく組まれた高床の大館《おおだち》に導かれた。
大館に続く五段の階を上ると、鉾を携えた軍人が大扉を左右に開いた。館内に入るとすぐに玉石をつらねた簾がさがっており、それを着飾った侍女がうやうやしく押し開いた瞬間――いくつもの鋭い視線に射られた。
広々とした白木の板床に、紀国の貴人らがずらりと居並んでいた。その目は皆、殺気立っている。敵である日高見一行が神山を越えて紀国入りしようとしたことは、すでに知れ渡っているようだった。
これだけの敵意にさらされながらも、丹戸部は平然と貴人らの眼前を横切り、しつらえられた円座に座した。保早呂も居心地の悪さを感じながら丹戸部の隣に座す。
「紆余陵から話は聞いておる。神山を越えてきたとな」
口を開いたのは、奥の高座に悠然と座している男だった。
(この男が紀国の王――奴賀毘古か)
歳は五十をいくつか越えた程と聞いていたが、褐色に焼けた肌にはまだ張りがあり、白髪を束ねた美豆良は豊かで、ひどく若々しく見えた。眼光の鋭さと引き締まった顎まわりが、かつて幾つもの勲を積み上げてきた将軍であったのだろうことがうかがえる。
「神山に侵入るなど、なんと罰当たりな!」
「そなたら、神山が紀国の神域とわかっていての所業か!?」
長老たちが堰を切ったように責め立てはじめた。
「異国の神域をおかすこと、国々との則に反するとわかっているのか!!」
長老のひとりがいきり立ったようすで指を突きつけた。そうだそうだと声が上がる中――丹戸部は事もなげに言った。
「まさかあれが山だとは知らず。日高見の峨々たる神峰に比ぶれば、まるで丘かと」
そのあまりに不遜な物言いに紀の貴人らは絶句し、見る見るうちに顔色を変えた。
保早呂も唖然として、その白々とした横顔を見やる。
「貴様、神山を貶める物言い、許さんぞ!」
「知らなかったでは済まされぬ。神山を侵したこと、この場で殺されても仕方なしと心得よ!」
煽るな――保早呂は冷や汗がじわりとにじむのを感じた。
「日高見王は山神がお隠しになられたのだ!」
壮年の男らの怒声が飛び交う中で、若く力強い声が響いた。
声の主は、王の高座に一番近い席に座した若盛りの男だった。歳は、那束と同じくらいだろうか。燃えるような怒りをたたえた目で、こっちを睨みつけている。髪から足首まで珠や貝、金銀の装飾で飾り立て、一見して身分の高さがうかがえた。
「神山の守りである紀国に手を出さんとしたらどうなるか思い知ったか! さすが我が国の神、我々が手を下さずとも、紀国に害為すものはことごとく滅して下さるのだ」
ざまあみろと言わんばかりの態度に見かねた奴賀毘古が「よせ、香々背男」とたしなめた。
入れかわりに侍女が服と薬湯を持ってきて、保早呂の手元に置いた。保早呂の着ている黒衣を珍しそうにまじまじと見つめて、ぎこちない笑みを浮かべた。
「お着替えが済みましたらそこに置いておいてくださいね。洗っておきますから」
そそくさと出てゆく侍女の後ろ姿を見ながら、保早呂は大きく息を吐いた。乾いた服に着替え、温かな薬湯を飲むと、やっと震えが収まった。
しばらくすると、また足音が近づいてきた。
入ってきたのは丹戸部だった。
「……この場に来着いたのがそなただけとは」
丹戸部は怒りをたたえた眼差しで保早呂を見据えた。
「何があった。まさか祟りに遭ったとでも言うまいな?」
「那束さまと亜而利は神山に呑まれた。井火古も……」
「井火古などどうでもよい!! そなたが側におりながら何というざまだ」
保早呂はぐっと歯を食いしばる。
「……まだ、身罷られたと決まった訳じゃない」
「当然だ。紀国ごときのために那束さまを失うわけにはゆかぬ」
(――亜而利の生死はどうでもいいのか)
保早呂は拳をにぎりこんだ。
(井火古も、助からないかもしれない)
抱えてきた自分が一番よくわかる。熱は一向に移らず、身体は氷のように冷たかった。馬にぐんにゃりと力なくもたれかかり、まるで骸を支えているようだったのだ。
その時、先程の守部が戸口から顔を覗かせた。
「日高見の方々。紀国王がお会いになられます。――こちらへ」
保早呂と丹戸部は、美しく組まれた高床の大館《おおだち》に導かれた。
大館に続く五段の階を上ると、鉾を携えた軍人が大扉を左右に開いた。館内に入るとすぐに玉石をつらねた簾がさがっており、それを着飾った侍女がうやうやしく押し開いた瞬間――いくつもの鋭い視線に射られた。
広々とした白木の板床に、紀国の貴人らがずらりと居並んでいた。その目は皆、殺気立っている。敵である日高見一行が神山を越えて紀国入りしようとしたことは、すでに知れ渡っているようだった。
これだけの敵意にさらされながらも、丹戸部は平然と貴人らの眼前を横切り、しつらえられた円座に座した。保早呂も居心地の悪さを感じながら丹戸部の隣に座す。
「紆余陵から話は聞いておる。神山を越えてきたとな」
口を開いたのは、奥の高座に悠然と座している男だった。
(この男が紀国の王――奴賀毘古か)
歳は五十をいくつか越えた程と聞いていたが、褐色に焼けた肌にはまだ張りがあり、白髪を束ねた美豆良は豊かで、ひどく若々しく見えた。眼光の鋭さと引き締まった顎まわりが、かつて幾つもの勲を積み上げてきた将軍であったのだろうことがうかがえる。
「神山に侵入るなど、なんと罰当たりな!」
「そなたら、神山が紀国の神域とわかっていての所業か!?」
長老たちが堰を切ったように責め立てはじめた。
「異国の神域をおかすこと、国々との則に反するとわかっているのか!!」
長老のひとりがいきり立ったようすで指を突きつけた。そうだそうだと声が上がる中――丹戸部は事もなげに言った。
「まさかあれが山だとは知らず。日高見の峨々たる神峰に比ぶれば、まるで丘かと」
そのあまりに不遜な物言いに紀の貴人らは絶句し、見る見るうちに顔色を変えた。
保早呂も唖然として、その白々とした横顔を見やる。
「貴様、神山を貶める物言い、許さんぞ!」
「知らなかったでは済まされぬ。神山を侵したこと、この場で殺されても仕方なしと心得よ!」
煽るな――保早呂は冷や汗がじわりとにじむのを感じた。
「日高見王は山神がお隠しになられたのだ!」
壮年の男らの怒声が飛び交う中で、若く力強い声が響いた。
声の主は、王の高座に一番近い席に座した若盛りの男だった。歳は、那束と同じくらいだろうか。燃えるような怒りをたたえた目で、こっちを睨みつけている。髪から足首まで珠や貝、金銀の装飾で飾り立て、一見して身分の高さがうかがえた。
「神山の守りである紀国に手を出さんとしたらどうなるか思い知ったか! さすが我が国の神、我々が手を下さずとも、紀国に害為すものはことごとく滅して下さるのだ」
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