怪蒐師

うろこ道

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第二話 忌み地

2⑥

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 建物のドアは塗装が剥がれ、真っ黒に腐った地の板が剥き出しになっていた。中野が青錆の浮いたドアノブを引くと、ぎぃ、と軽い手ごたえで開いた。
 中はひどく荒れ果てていた。剥がれた壁材や割れた窓ガラスが床に散らばっている。
 部屋の中央にある重厚なテーブルには埃が厚く積もっていた。ソファーは座面のクッションが破れ、中身をこぼしている。天井は基礎が剥き出しになり、羽が折れたシーリングファンが今にも落ちそうにぶら下がっていた。
 こわごわとあたりを見渡していた瑠菜が、ふいに顔をしかめた。
「……臭くない?」
 ちょっと埃っぽいかもね、と茜が言った。
「ううん、そうゆうんじゃなくて。なんか……」
 瑠菜はそこで「うっ」と言葉を途切れさせた。ポーチからハンカチを出し、鼻と口を覆う。
(……そこまで?)
 正直、においらしいにおいは感じなかった。窓が割れているのでむしろ風通しがいいくらいである。
 瑠奈に気を取られていると、中野がはっと顔を上げた。まるで獣のような敏捷な動きだった。
「今、音が聞こえなかったか?」
 音など何もしなかったように思う。
 こんな場所である。動物か何か棲みついていてもおかしくない。だが、中野の言っているのはそうゆうもののことではないのだろう。
「もう十分だよ。戻ろう?」
 瑠菜が泣き出しそうな声で訴えた。――瑠菜には音が聞こえたのだろうか。
 その時、唐突に中野が「あっ」と声を上げた。僕は息がとまるほどに驚いた。
 中野は階段の上を見あげていた。
「今、手摺の奥から顔を覗かせやがった。やっぱりあの子供だ」
 そう言うと、中野は踏み抜きそうなほどにぼろぼろの階段を駆け上がって行った。
 僕は唖然とした。がいる場所に躊躇なく駆けてゆくなんて。
「瑠菜、ここで間宮くんと待ってて」
 階段を見据えた茜の腕を、瑠菜が掴んだ。
「行っちゃだめ、茜ちゃん!」
 瑠菜は絶対に離さないとばかりに茜の腕を抱え込んだ。
「放っておけないわ。連れ戻してくる」
「中野くんは自分で行ったんじゃん! もういいよ。逃げよう? 茜ちゃん、中野くんに酷いこと言われてたじゃない。服掴まれたりだって……。助けに行くことないよ!」
「……中野はそうゆうやつじゃないよ。女子に暴言吐いたり手をあげたりできる性格じゃない」
 思わず口を挟むと、瑠菜がぐっと歯を食いしばって睨んできた。余計なことを言うなとばかりの目だった。
「……君たちって仲よかったの?」
 茜が訊いた。
「しゃべったの今日が初めてだけど。——いやでも仲良くなくてもわかるだろ、そうゆうの」
 訝しげな目を向けてきた二人に、僕は慌てて言葉を継いだ。
「……わかってる。中野くんが本当は優しい人だってことは……。でもあたしにとっては茜ちゃんのほうが大事だもの。もし茜ちゃんに何かあったら……」
 行くわ、と茜は瑠菜の手をそっと外した。
「何にせよ二階に行かなきゃ報酬は出ないんだし。このままじゃ怖い目に遭い損だもの。ほら、頑張って引っ越し代稼ごうって言ったじゃない」
「引っ越し代?」
 問うた僕に、茜は「そう」と頷いた。
「お金溜めて、大学卒業したら一緒に二人暮らしするのよね?」
 茜は瑠菜を励ますように言った。
「大丈夫。わたしにはは見えてないもの。その臭いだって全然感じないし」
 でも、と顔を上げた瑠奈の言葉をさえぎるように、茜は僕に目を向けた。
「ええっと、間島くんだっけ」
「いや、間宮です」
 ごめん――茜は真顔であやまると、真正面から僕を見た。
「間宮くん、瑠菜を外に連れて行ってくれる?」
「嫌! あんなところに一人で行かすくらいなら、あたしも行くから!」
 瑠奈は茜にしがみついた。必死だった。目が据わっている。
「……わかった。お守り、ちゃんと持ってるよね?」
「う……うん。ここに……」
 瑠菜はポーチから赤いお守りを取り出し――ひっと引き攣った声を上げた。
 赤い布地が、ところどころ墨を吸わせたように斑に黒くなっていた。
「い――嫌ああっ!」
「大丈夫よ!!」
 茜は一喝した。瑠菜はぴたりと悲鳴をとめた。息が上がっている。
「まだ何個も持ってきてるからパニック起こさない。ほら、新しいお守り。ちゃんと持って。肌身離さずに。いいね?」
 茜はてきぱきとナップザックから青地のお守りを取り出し、瑠菜に握らせた。
「間宮くんはどうするの? 行かないならもうここから出たほうがいいよ」
 選択を迫られ、僕は黙した。
 行くべきでない。本能がそう告げている。
 そもそも仲良くもない知人、そして初対面の女子である。義理立てして付き合うことはない。
 だが僕は、気づけば言ってしまっていた。
「……行くよ」
 茜は意外そうに僕を見た。
「いや、ほら。僕だけ報酬が出なかったら悔しいじゃないか」
 と言いつつも、僕は中野を見捨てる気にはなれなかったのだ。三ツ橋の、そしてイスルギの被害者として、知らず仲間意識が芽生えていたのかもしれない。
 ただ、言ってからたちどころに後悔が込み上げたのだが。
 そうだね、と瑠奈が青い顔に微笑みを浮かべた。女子二人に内面を見透かされているようで、僕は足元の瓦礫に視線を落とす。
(……大丈夫だ。僕だって、は見えていないんだから)
 お守りを見せて――茜に言われ、ポケットから出したそれは、汚れひとつなく真新しいままだった。
 茜はほっと息を吐く。
「……よかった。じゃあ行きましょう」
 どこにでも売ってそうなお守りを、茜がそこまで信用しているのが不思議だった。拠り所があるだけでも違うのだろうか。
 ともあれ、茜がどんと構えているのはものすごく心強い。瑠菜が頼りにするのもわかる気がした。
 今にも崩れ落ちそうな階段を、女子二人は寄り添いながら上がってゆく。
 その後ろを、僕は慎重についていった。
 踏板はなんだかぶよぶよしていた。ところどころが腐り落ちている。中野はこんなところをよく駆けあがったものだと考えていると――頭上からぼそぼそと声が聞こえはじめた。
 ――中野の声だ。
 ぞっとした。誰と喋っているのか。
 瑠菜が茜の手をぎゅっと握ったのがわかった。茜の背中も、緊張で張りつめている。
「……行きましょう」
 茜が深く息を吐いて言った。
 もう上りきる直前で、不意に瑠菜がぴたりと足をとめた。茜もつられるように足をとめた。彼女らの目線で、ちょうど二階の部屋が視界に入る位置である。
「どうしたの」
 茜が瑠奈に顔を向けた。
 瑠菜は二階の部屋の一点を見入っているようだった。
「……あ……あ……」
 瑠奈はおこりのように震えながら、喘ぐような声を漏らした。
 ちょっと、どうしたの瑠菜——茜は瑠菜と二階を見比べながら、切迫した表情で瑠菜の肩を揺すっている。茜には見えていない何かを、瑠菜は見ているようだった。
 突然、瑠菜は絶叫した。それと同時にものすごい勢いで駆け下りて行った。階段の下り口を曲がり、瓦礫を踏みしだく音が遠ざかってゆく。
「間宮くん、瑠菜を追って!!」
 あまりのことに、呆然としていた僕は我に返った。
「日下部さんは!? どうするんだ」
「中野くんを連れて戻る。早く行って!! 瑠菜を見失っちゃう!!」
 僕はまともに思考が働かず、言われるがままに階段を駆け下りた。
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