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第二話 忌み地
2⑧
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僕は茜の手を借りながらなんとか瑠菜を背負うと、慎重に階段を降りた。
本当は一秒でも早く建物から脱出したかったが、こんな脆そうなところで転んでしまってはとんでもないことになりかねない。茜も駆け出してしまいたいだろうに、必死の形相でよりそってくれていた。
背後では、甲高い奇声が響いていた。あれが鳴いているのだ。神経に刺さるような、ものすごく嫌な声だった。
僕たちはやっと建物から出て、森の中の道を急いで戻った。
がさがさと引っ掻くような音が付いてきていた。背後に濃厚な気配を感じる。
「振り返っちゃ駄目……」
茜が震え声で囁いた。
八本の足を蠢かせて追ってくるさまが脳裏によぎり、僕は恐怖に叫びたくなった。
背負っている瑠菜は、身動ぎひとつしなかった。様子を確認したかったが、中野の時みたいにあの化け物の顔になっていたらどうしようと思うと、怖くてチラ見すらできない。
時間も距離も曖昧なまま進み続け——やがて背の高い繁みの切れ間に、黒のミニバンとワンボックスカーが見えてきた。
僕は安堵のあまり泣きたくなった。
疲労で震える足を励まして傾きかけた掘っ立て小屋に駆け寄り、その前で膝をついた。そっと瑠菜を背中から下ろす。
背後でどさりと瑠菜が座り込んだ気配がした。腰が抜けてしまったのか。
——うふふふ。くすくす。
ふいに、場違いな笑い声が真後ろで響いた。
驚いて振り向くと、瑠菜がうつむいたまま笑っていた。見開いた目は何も映しておらず——正気でない。
「……瑠菜?」
茜が駆け寄り、瑠菜の顔を覗き込んで青ざめた。
「瑠菜!! 瑠菜!!」
その時、ミニバンの助手席のドアが開き、イスルギが降りてきた。
「やあ、お疲れさま」
イスルギは座り込む僕らに「臭いな」と顔を顰め、ふいに瑠菜に目をとめた。急に速足で近づいてくるなり、笑い続ける瑠菜の前で片膝をついた。
「測定装置は? ちゃんとしてるな」
よし、と頷くと、瑠奈の手を取って測定装置を外し、立ち上がった。
「ちょっと!!」
茜はイスルギのスーツの襟をつかんだ。
「瑠菜が……、どうしてくれんのよ!!」
すさまじく睨みあげた茜の目を、イスルギは冷然と見下ろした。
「他人より自分の心配をしたらどうだ? あれにとってはこの二人にはもう用済みだ。次は君たちだよ」
(次……?)
恐ろしいものが追ってくる気配を思い出し、僕は慄然とした。
イスルギはすこぶる機嫌良さそうに、襟をつかむ茜の手をぽんぽんと軽く叩いた。茜はぞっとしたように手を離す。
「……イスルギさん、中野は? 先にこっちに戻ったはずなんですけど」
イスルギは「ああ」と背後のワンボックスに視線を馳せた。
「彼はもう回収済みだ」
後部座席の窓から中野の姿が見えた。何やら呟きながらにたにた笑っている。
(中野——)
ぐっと唇を噛む僕を、イスルギをじっと見つめた。
「彼らのことは我々に任せて——君たちはとりあえずお祓いにでも行こうか」
まるでコンビニでも誘うような、軽い口調だった。
「お祓い?」
殺気立った目を向ける茜に、イスルギは「そうだ」と答えながら瑠菜を抱き上げた。
「な——何をする気よ!!」
ぎょっと声を上げた茜に、イスルギは「そこで待っていたまえ」と言うと、そのままワンボックスに向かった。
パワースライドドアが開き、イスルギは後部座席のリクライニングを倒して瑠菜を寝かせた。そのままドアを閉めて運転席に回ると、運転手の男にぼそぼそと耳打ちをする。
「君たちはこっちだ」
イスルギは戻ってくると、僕たちにそう告げてミニバンの方に向かった。
「——瑠菜はともかく、中野くんは何とかしてくれってどうゆうことよ」
茜が、イスルギを睨み据えていた。
僕は驚いて茜を見やる。
イスルギはふっと笑うと「聞こえたのか。地獄耳だなあ」と悪びれもせずに言った。
「中野くんはちゃんと元に戻して返さなきゃならないんだ。うるさそうなご家族がいるからね。その点、国生さんは身寄りがいないから」
(――身寄りがいない?)
思わず見返した僕に、イスルギは言った。
「国生さんと日下部さんは児童養護施設出身なんだ。君と同じでね」
僕は愕然とした。
(幼馴染って……そうゆうことか)
「だが中野くんはそうじゃないからね。むしろボンボン育ちのお坊ちゃんだ。なんであんな後始末の面倒な子を紹介したかなぁ三ツ橋くんは」
茜はイスルギを睨みながら唇を噛んだ。今にも飛びかからんばかりの殺気を感じ、僕はとっさに口を挟んだ。
「中野が僕たちのように使い捨てできなくて、残念でしたね」
嫌味を言った僕を、イスルギは斜に見やった。
「何を言ってるんだ。君たちのことは大事に使い倒す気でいるよ私は。だからほら、早く乗りたまえ。まだついてきているから。――彼らの二の舞にはなりたくないだろう?」
イスルギはそう言いながら、ミニバンの後部座席のドアを開けた。僕たちが乗り込むのを確認し、ドアを閉めて助手席に向かう。
「さてどこに行こうか。神様のようなものだから、寺より神社だろうな」
シートベルトを締めながら、イスルギが言った。
(……あんなものが神様のわけないだろう)
僕はその丁寧にヘアセットされた後頭部を睨みつける。
すると運転席の男がぼそぼそと何事かを口にし、イスルギは「ああ、そこにしよう」と言った。
「また怒られてしまうなあ」
笑いを含んだ声音だった。
隣に座った茜が、かっと腰を浮かせ――僕はぐっと彼女の手首をつかんだ。
「……今は我慢だよ」
茜は一度僕に目を馳せ、かたく唇を噛みしめてうつむいた。
本当は一秒でも早く建物から脱出したかったが、こんな脆そうなところで転んでしまってはとんでもないことになりかねない。茜も駆け出してしまいたいだろうに、必死の形相でよりそってくれていた。
背後では、甲高い奇声が響いていた。あれが鳴いているのだ。神経に刺さるような、ものすごく嫌な声だった。
僕たちはやっと建物から出て、森の中の道を急いで戻った。
がさがさと引っ掻くような音が付いてきていた。背後に濃厚な気配を感じる。
「振り返っちゃ駄目……」
茜が震え声で囁いた。
八本の足を蠢かせて追ってくるさまが脳裏によぎり、僕は恐怖に叫びたくなった。
背負っている瑠菜は、身動ぎひとつしなかった。様子を確認したかったが、中野の時みたいにあの化け物の顔になっていたらどうしようと思うと、怖くてチラ見すらできない。
時間も距離も曖昧なまま進み続け——やがて背の高い繁みの切れ間に、黒のミニバンとワンボックスカーが見えてきた。
僕は安堵のあまり泣きたくなった。
疲労で震える足を励まして傾きかけた掘っ立て小屋に駆け寄り、その前で膝をついた。そっと瑠菜を背中から下ろす。
背後でどさりと瑠菜が座り込んだ気配がした。腰が抜けてしまったのか。
——うふふふ。くすくす。
ふいに、場違いな笑い声が真後ろで響いた。
驚いて振り向くと、瑠菜がうつむいたまま笑っていた。見開いた目は何も映しておらず——正気でない。
「……瑠菜?」
茜が駆け寄り、瑠菜の顔を覗き込んで青ざめた。
「瑠菜!! 瑠菜!!」
その時、ミニバンの助手席のドアが開き、イスルギが降りてきた。
「やあ、お疲れさま」
イスルギは座り込む僕らに「臭いな」と顔を顰め、ふいに瑠菜に目をとめた。急に速足で近づいてくるなり、笑い続ける瑠菜の前で片膝をついた。
「測定装置は? ちゃんとしてるな」
よし、と頷くと、瑠奈の手を取って測定装置を外し、立ち上がった。
「ちょっと!!」
茜はイスルギのスーツの襟をつかんだ。
「瑠菜が……、どうしてくれんのよ!!」
すさまじく睨みあげた茜の目を、イスルギは冷然と見下ろした。
「他人より自分の心配をしたらどうだ? あれにとってはこの二人にはもう用済みだ。次は君たちだよ」
(次……?)
恐ろしいものが追ってくる気配を思い出し、僕は慄然とした。
イスルギはすこぶる機嫌良さそうに、襟をつかむ茜の手をぽんぽんと軽く叩いた。茜はぞっとしたように手を離す。
「……イスルギさん、中野は? 先にこっちに戻ったはずなんですけど」
イスルギは「ああ」と背後のワンボックスに視線を馳せた。
「彼はもう回収済みだ」
後部座席の窓から中野の姿が見えた。何やら呟きながらにたにた笑っている。
(中野——)
ぐっと唇を噛む僕を、イスルギをじっと見つめた。
「彼らのことは我々に任せて——君たちはとりあえずお祓いにでも行こうか」
まるでコンビニでも誘うような、軽い口調だった。
「お祓い?」
殺気立った目を向ける茜に、イスルギは「そうだ」と答えながら瑠菜を抱き上げた。
「な——何をする気よ!!」
ぎょっと声を上げた茜に、イスルギは「そこで待っていたまえ」と言うと、そのままワンボックスに向かった。
パワースライドドアが開き、イスルギは後部座席のリクライニングを倒して瑠菜を寝かせた。そのままドアを閉めて運転席に回ると、運転手の男にぼそぼそと耳打ちをする。
「君たちはこっちだ」
イスルギは戻ってくると、僕たちにそう告げてミニバンの方に向かった。
「——瑠菜はともかく、中野くんは何とかしてくれってどうゆうことよ」
茜が、イスルギを睨み据えていた。
僕は驚いて茜を見やる。
イスルギはふっと笑うと「聞こえたのか。地獄耳だなあ」と悪びれもせずに言った。
「中野くんはちゃんと元に戻して返さなきゃならないんだ。うるさそうなご家族がいるからね。その点、国生さんは身寄りがいないから」
(――身寄りがいない?)
思わず見返した僕に、イスルギは言った。
「国生さんと日下部さんは児童養護施設出身なんだ。君と同じでね」
僕は愕然とした。
(幼馴染って……そうゆうことか)
「だが中野くんはそうじゃないからね。むしろボンボン育ちのお坊ちゃんだ。なんであんな後始末の面倒な子を紹介したかなぁ三ツ橋くんは」
茜はイスルギを睨みながら唇を噛んだ。今にも飛びかからんばかりの殺気を感じ、僕はとっさに口を挟んだ。
「中野が僕たちのように使い捨てできなくて、残念でしたね」
嫌味を言った僕を、イスルギは斜に見やった。
「何を言ってるんだ。君たちのことは大事に使い倒す気でいるよ私は。だからほら、早く乗りたまえ。まだついてきているから。――彼らの二の舞にはなりたくないだろう?」
イスルギはそう言いながら、ミニバンの後部座席のドアを開けた。僕たちが乗り込むのを確認し、ドアを閉めて助手席に向かう。
「さてどこに行こうか。神様のようなものだから、寺より神社だろうな」
シートベルトを締めながら、イスルギが言った。
(……あんなものが神様のわけないだろう)
僕はその丁寧にヘアセットされた後頭部を睨みつける。
すると運転席の男がぼそぼそと何事かを口にし、イスルギは「ああ、そこにしよう」と言った。
「また怒られてしまうなあ」
笑いを含んだ声音だった。
隣に座った茜が、かっと腰を浮かせ――僕はぐっと彼女の手首をつかんだ。
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