怪蒐師

うろこ道

文字の大きさ
47 / 58
第六話 悪夢

2④

しおりを挟む
 重い玄関ドアを開けると、外は完全に夜のとばりが落ちていた。
 星ひとつない塗りこめたような闇の中に、街灯が点々と灯りをともしている。
 そんなに時間が経っただろうか——俺は愕然としたが、すぐに夢なのだと思いなおした。
 その時、ふいに悪寒がした。間宮はぱっと振り返り、痙攣ひきつけたように身動ぎした。煌々こうこうと明かりのついた玄関から、あの三体の影が追ってきたのだ。
(ドアを閉めろ!!)
 そう思うと同時に、間宮は渾身の力で玄関ドアを閉めた。
(あの影、今度は間宮を襲うつもりか……?)
 ふと足元に視線をやると、ドア下の隙間から黒い靄がじわじわと染み出していた。
 ひっと間宮は飛び退く。じりじりと後退あとずさり、身をひるがえして駆け出した。
 周囲の家からは暖かな光が漏れていた。だが間宮は助けを求めることもせず、漆黒の夜道を必死で駆けた。
 横っ腹に鈍痛が走る。肺が苦しい。夢の中なのに苦痛を感じるのはどうゆうわけか。
 あの影に捕まったらどうなる? あの男のように喰われるのか。爛れた男の顔が脳裏をよぎり、腹の底から恐怖が突き上げる。
 その時。唐突にタクシーが眼前に現れた。
 息がとまるほどに驚き、つんのめるようにして足をとめた。タクシーもきっと急停止する。轢かれる寸前だった。
(あぶねえじゃねえか!!)
 ぜいぜいと息を切らしながら運転席に目を馳せたその時、後部座席のドアが勢いよく開いた。
 ――乗っていいのか?
 背後から、黒い影の気配が濃厚に迫る。
 どうか乗ってくれ間宮——そう願った一瞬、間宮は飛び込むように車内に乗り込んだ。
 ドアが閉まったとたん、車窓に黒い手形が叩きつけられるように幾つも張りついた。間宮は——俺も——凍りつく。間一髪だったのだ。
「行き先はどちらですか」
 運転手が振り向きもせずに言った。
 ——行き先?
 ふいに車窓の闇が濃くなった。——黒い影が覗き込んでいる、そう思った。
「しょうちゃんちまでお願いします!!」
 間宮が叫ぶように言った。
 しょうちゃん——いがぐり頭の男子が脳裏に浮かび、それと当時にタクシーは音もなく動き出した。
 三つの黒い影は瞬く間に背後に流れ去ってゆく。
 安堵と疲労に倒れ込みたくなった。俺は今、意識だけの存在であるのに。
(……もうたくさんだ)
 すぐにでも目覚めたかった。夢が終わるまで、戻れないのだろうか。
 中断の方法を伝えられていないことに、イスルギの悪意を感じた。もしかしてわざと教えなかったのではないだろうか。あの男ならやりかねない。——だんだんと腹が立ってきた。
 その時、間宮の幼い身体がおこりのように震えていることに気付いた。
 白くなるほどにかたく握りしめた小さな拳を見つめる。
 十年前のトラウマ——イスルギはそう言っていた。先ほど見た惨劇がそれならば、この間宮は今、十歳なのだ。
 かわいそうだった。今、自分が目覚めたら——一人にしてしまう。
(……もう少しだけ、一緒に……)
 そんなことを思い、我に返った。
(何言ってんだ、これは間宮がにすぎないんだぞ)
「お客さん」
 唐突にタクシーの運転手が声を出し、俺はびくりとした。間宮も弾かれたように顔を上げる。
「あなた、これが現実でないと気づいてるんでしょう」
 低い低い、まるで地の底から響いてきたかのような単調な声だった。
(え?)
 一瞬、自分に言われたのかと思った。
 だが、そんなことはありえない。ここは間宮のなのだから――。
? 違いますよ。誰にそんなことを聞いたんです。あなたも騙されて連れてこられたんですか?」
 俺は凍りつく。今のは、俺に対する返答ではないか?
「ここはね。――の世界です」
(何の世界だって?)
 聞き取れなかった。間宮にはちゃんと聞こえたのだろうか。
 ——というか、やはり俺に語りかけている……?
「神隠しって聞いたことありませんかね? あれです。入り口は色んなところにあって、たまーに入り込んでしまう。もしくは自分で来たくて来る人もいる。または悪意を持った人間に送り込まれたり」
 悪意を持って――ふっと脳裏にイスルギの顔が浮かんだ。
 ——まさか。
 冷たい汗が、背筋を降りてゆく。
「……戻ることはできないんですか?」
 間宮が問うた。——いや、今のは。
 自分の声ではなかったか?
「運次第ですね。ただは元の世界と時間軸が違いますから。戻っても向こうじゃ既に何十年も経っていたり、反対に自分がで何十歳と年を重ねていても向こうじゃ時間が動いていなかったりってことがよく起る。それでも帰れるのはほんの一握りですよ」
 運転手は淡々と言った。
(——待ってくれ。ここは、間宮の夢の世界じゃないのか?)
 不穏な思いが膨れ上がってゆく。震えが込み上げた。自分が震えているのか、幼い間宮が震えているのか、もうわからなくなっている。
 そういえば、しょうちゃんちにはまだ着かないのか。同じ学区なら、さすがにもう着いてもいい頃じゃないだろうか。
「……あの、あとどれくらいかかりますか」
 運転手は答えなかった。
 バックミラーを見やり——息を飲む。
 映っていた運転手の目は真円で、その瞳孔は横長だったのだ。そう、まるでマイナスドライバーのような。しかも左右とも極端に耳側に寄っている。
 ——人間じゃない。山羊やぎの目だ。
 どっと冷たい汗が吹き出し、すぐさま目を伏せた。心臓ははち切れんばかりに鼓動を鳴らしている。
 なんだあれは。そして、どこに連れて行かれようとしているんだ。そうっと車窓に目を向けると、遠くに、幾つものぼんやりとした光点がぽつぽつと見えだした。
 なんだろう。思わず窓のふちにしがみつくようにしてそれを見やる。
 やがてそれが人の行列だと気づいた。
 光の点は彼らの持つ提灯だった。列の中央では、何か大きいもの——神輿だろうか——を運んでいる。
 お祭りでもやっているのだろうか。こんな夜中に。
 タクシーはそれにどんどんと近づいていくようだった。やがて道路脇の歩道を進む行列とすれ違い——俺ははっと息を飲んだ。
(祭りじゃない。葬列だ)
 法被と思ったそれは白装束で、神輿と思ったそれは大きな樽だった。皆、一様にうつむいて歩いている。——あの樽には、きっと死体が入っているのだ。
 タクシーは瞬く間に行列を追い抜き、光点の群れはあっという間に後ろに過ぎ去った。
(……なんだあれ)
 車窓は再び塗りこめた黒一色になった。俺はぎょっとした。そこに映っていたのは間宮でなく、青醒め、強張った自分の顔だった。
 呆然としているうち、前方の闇の中に新たな光景が現れた。一部がスポットライトを当てられたように明るくなっている。
 近づくにつれ、土を丸く盛り上げたものが無数に並んでいるのだとわかった。不思議なことに、その一つ一つが青白く発光して見え、その一帯を広くライトで照らしているように見えたのだ。
「土葬はだめだ‼︎ やまいが流行るだろうが‼︎」
 唐突に声が飛び込んできた。耳元で直接怒鳴られたかのような衝撃だった。
 見ると、光のあたる一帯の真ん中あたりに男が立っていた。高そうなスーツを着た、だらしなく太った男だった。その顔は、怒りに殺気立っている。
 俺は目を見開いた。
(親父……?)
 そこをタクシーが通り過ぎる瞬間――スローモーションのようにはっきりと見えた。盛り上げた土の一つ一つには卒塔婆そとばが突き立っていたのだ。
 その中の一基に目が吸い寄せられた。父が運営する会社の社員の名前が記されていたのだ。自殺した彼の遺書には、父への恨みつらみが細かい文字でぎっしりと記してあったという。
 他にも知っている名前がちらほらあった。自分が知っている限りだが、父が今の地位に上り詰めるために蹴落としてきた人間の名前だ。その中に紛れるように、兄と母、そして自分の名があった。認識したと同時に、その光景は一瞬で過ぎ去った。
 こめかみを伝う汗を拭う。その手は見慣れた自分の手だった。
 確信した。——もう、これは間宮の夢ではない。
(じゃあは、何なんだ?)
 その時、前方を白装束の女性が横切るのが目に入った。さっきの葬列の中の一人だろうか——そう思った瞬間、タクシーはスピードを上げた。
「おい!! 前に人が……」
 どん、と衝撃があり、何かに乗り上げた振動があった。だがタクシーはそのまま進んでゆく。
 俺は唖然とし、透明の仕切り板をがんと叩いた。
「とまれよ!! 人、轢いただろ!!」
「何言ってるんですか。あれは山羊やぎですよ」
 ほら、と振り向いた運転手の顔は山羊だった。右半分が大きく陥没している。顔面を覆う白毛は赤く染まり、制帽はひしゃげて血でびっしょりと濡れていた。
 飛び出した眼球が垂れ下がっていた。その横長の黒目が、じっと俺を見ている。
「うわあああっ!!」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

短い怖い話 (怖い話、ホラー、短編集)

本野汐梨 Honno Siori
ホラー
 あなたの身近にも訪れるかもしれない恐怖を集めました。 全て一話完結ですのでどこから読んでもらっても構いません。 短くて詳しい概要がよくわからないと思われるかもしれません。しかし、その分、なぜ本文の様な恐怖の事象が起こったのか、あなた自身で考えてみてください。 たくさんの短いお話の中から、是非お気に入りの恐怖を見つけてください。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

終焉列島:ゾンビに沈む国

ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。 最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。 会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2026/1/2:『そうしき』の章を追加。2026/1/9の朝4時頃より公開開始予定。 2026/1/1:『いえい』の章を追加。2026/1/8の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/31:『たこあげ』の章を追加。2026/1/7の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/30:『ねんがじょう』の章を追加。2026/1/6の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/29:『ふるいゆうじん』の章を追加。2026/1/5の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/28:『ふゆやすみ』の章を追加。2026/1/4の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/27:『ことしのえと』の章を追加。2026/1/3の朝8時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

処理中です...