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第六話 悪夢
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*
絶叫したところで——俺は目覚めた。
「お客さん。だいぶ魘されてましたね」
運転手の低すぎる声に我に返る。
そこで、俺は自分がまだタクシーに乗っていることに気付いた。
(夢の中で、夢を見ていた……?)
シートに深くもたれた背中は汗でじっとりと濡れていた。口内は乾ききっている。
——この身体は、間宮なのか。それとも自分なのか。
鏡がわりに車窓を見ようと身を起こしかけ、ぎくりとした。
隣に、誰か座っている。
ごくりと唾を飲み込み、こわごわと視線を上げた。
白装束の女が深く俯いていた。長い髪が打ちかかり、その顔は見えない。
(タクシーの前に飛び出したきた女か?)
助かったのだろうか。しかしその身に傷ひとつない。現実でないのだから何でもありなのだ。そう思いつつも安堵の息を吐き——ふいに女の横に置かれたバッグに目がとまった。
(これは……俺が陽菜に買ってやったやつだ……)
見れば、きちんと膝に重ねられた手にはプラチナの指輪、胸元には細身のネックレスが垂れている。それらも、かつて付き合っていた女たちにあげたものだ。指輪は一花に、ネックレスは瑞希に。
ぞっと鳥肌が立った。
何人もの女たちと付き合ってきたが、その中でも、この三人は特に後味の悪い別れ方——本当に最低なのだが、捨てたというかたちとなってしまった。
かなり恨まれている自覚があった。かと言って、こんなところまで自分を追いかけてくるなんて。
だが――俺にしてみれば、女たちの恨みは理不尽そのものだ。
そもそも始まりは向こうも軽い気持ちだったはずだ。そう、遊びだと。互いにそうゆう認識だったはずなのに。
なのに追いすがり、逆恨みすらしてくるなんて。
フェアじゃないと思う。
むしろ搾取されたのはこっちだ。楽しませてもらった代償に、それなりに金をかけてやったはずだ。むしろ向こうだって楽しんでいただろうし、金銭面時間面精神面——トータルで考えても、こっちの方がだいぶ多く負担していた。
そんな理屈が通じる相手なら、拗れることもなかったのだが。
女たちの私怨の怖さは身をもって知っていた。問答無用で逃げるべきだ。そう強く思う一方で、もしあの黒い影が追いついてきたらと思うと恐ろしさに居ても立ってもいられなくなる。
(でも、もうずいぶんタクシーを走らせてるし……。逃げ切ったんじゃないか?)
それにこの状況——とても耐えられそうになかった。
「あの、ここで降ろしてください」
「いいんですか?」
振り向きもせずに運転手は言う。恐る恐るバックミラーに目を馳せたが、制帽のつばに隠れてその目は見えなかった。
はい、と答えると、タクシーは音もなく路肩に停止した。
いくらですかと問おうとして、手に何か握っていることに気付いた。個人タクシー乗車券とある。
(……なんだこれ。タクシーチケットってやつか?)
おずおずと差し出すと、運転手は何も言わずに受け取った。
後部座席のドアが開き、俺は逃げるように降りた。タクシーはすぐに出発した。
闇の中に放り出され、瞬く間に不安に駆られた。
(こんなところで降りて、本当によかったのか……?)
走り去るタクシーを追いすがるような気持ちで目を向けると、後部座席に座った白装束の女がリアウインドウごしにこっちを見ていた。女は、山羊の目をしていた。
降りてよかった——一転して、俺はそう思った。
それにしても。これは、俺の記憶だ。
――ここはね。——の世界です。
(あの山羊の運転手……何て言ったんだ?)
あの時、ちゃんと訊き返さなかったのが悔やまれた。俺はぐっと歯を食いしばる。
(……とりあえず戻ろう)
道なりに行けばどこかにつくはずだ。俺は歩道を戻り始めた。
吐く息が白かった。
(現実じゃないくせに寒いなんて……)
おまけに疲労すら感じた。体力を失ってはまずい気がする。目が覚めるまで動かずに待っていたほうがいいだろうか。
そもそも、ちゃんと現実に戻れるのだろうか。この闇の中を永遠と彷徨うことになったら——。
ぞっとした。無駄だと思いながらもズボンのポケットに手を突っ込む。
いつもそこに入れているはずのスマートフォンはなく、かわりに測定装置が入っていた。
「くそぉっ」
アスファルトに叩きつけたい衝動をこらえ、表示に目を馳せた。時間が知りたかったのだ。
——な□あチ□理□□。
「読めねえよ!」
思わず声を荒げた。数字ですらない。
(……もう、めちゃくちゃだ)
その時――ふいに遠くの闇が揺らいだ気がした。
俺は訝しげに目を凝らす。
かろうじて人の形をした三体が、伸縮しながらこっちに向かってきていた。それは闇に溶け込んでいたが、周囲よりあきらかに黒い。
(——あの化け物だ)
一瞬、間宮の夢に戻ったのかと思ったが、着ている服も靴も自分のもので、なにより体が馴染んだ自分のものだった。
(……これが間宮の夢じゃないのなら、捕まったら、どうなるんだ?)
作業服の男の無惨な末期の姿が脳裏に浮かぶ。頭がおかしくなりそうだった。
影たちはゆらゆらと揺らぎながら距離を詰めてきていた。
俺は踵を返し、駆け出した。タクシーを降りたことをものすごく後悔した。だがきっと、あのまま残っても後悔しただろう。この化け物と山羊の女、どっちがましという話だ。
迫りくる悍ましい気配を背中に感じながら、必死の思いで夜道を逃げていると。
カンカンカンカン——。
唐突の踏切音に驚き、思わず足をとめた。
見れば、目の前に遮断桿が下りていた。行く手を阻む黄色と黒の棒をつかみあげたところで——がたんがたんと電車の音が近づいてくることに気付いた。
驚いて振り向くと、電車の前照灯の光が目を打った。眩しさに思わず目を眇める。
(電車——)
後ろからは影が追っていた。俺は呆然と立ちすくむ。
(このまま化け物に喰われるか。電車に飛び込むか……か?)
足元から震えが込み上げた。
「……なんだよ、この究極の選択は……」
呟いた声まで震えていた。
俺は何度も生唾を飲み込み——意を決し、汗だくの顔を上げた。
俺の選んだ選択は——。
絶叫したところで——俺は目覚めた。
「お客さん。だいぶ魘されてましたね」
運転手の低すぎる声に我に返る。
そこで、俺は自分がまだタクシーに乗っていることに気付いた。
(夢の中で、夢を見ていた……?)
シートに深くもたれた背中は汗でじっとりと濡れていた。口内は乾ききっている。
——この身体は、間宮なのか。それとも自分なのか。
鏡がわりに車窓を見ようと身を起こしかけ、ぎくりとした。
隣に、誰か座っている。
ごくりと唾を飲み込み、こわごわと視線を上げた。
白装束の女が深く俯いていた。長い髪が打ちかかり、その顔は見えない。
(タクシーの前に飛び出したきた女か?)
助かったのだろうか。しかしその身に傷ひとつない。現実でないのだから何でもありなのだ。そう思いつつも安堵の息を吐き——ふいに女の横に置かれたバッグに目がとまった。
(これは……俺が陽菜に買ってやったやつだ……)
見れば、きちんと膝に重ねられた手にはプラチナの指輪、胸元には細身のネックレスが垂れている。それらも、かつて付き合っていた女たちにあげたものだ。指輪は一花に、ネックレスは瑞希に。
ぞっと鳥肌が立った。
何人もの女たちと付き合ってきたが、その中でも、この三人は特に後味の悪い別れ方——本当に最低なのだが、捨てたというかたちとなってしまった。
かなり恨まれている自覚があった。かと言って、こんなところまで自分を追いかけてくるなんて。
だが――俺にしてみれば、女たちの恨みは理不尽そのものだ。
そもそも始まりは向こうも軽い気持ちだったはずだ。そう、遊びだと。互いにそうゆう認識だったはずなのに。
なのに追いすがり、逆恨みすらしてくるなんて。
フェアじゃないと思う。
むしろ搾取されたのはこっちだ。楽しませてもらった代償に、それなりに金をかけてやったはずだ。むしろ向こうだって楽しんでいただろうし、金銭面時間面精神面——トータルで考えても、こっちの方がだいぶ多く負担していた。
そんな理屈が通じる相手なら、拗れることもなかったのだが。
女たちの私怨の怖さは身をもって知っていた。問答無用で逃げるべきだ。そう強く思う一方で、もしあの黒い影が追いついてきたらと思うと恐ろしさに居ても立ってもいられなくなる。
(でも、もうずいぶんタクシーを走らせてるし……。逃げ切ったんじゃないか?)
それにこの状況——とても耐えられそうになかった。
「あの、ここで降ろしてください」
「いいんですか?」
振り向きもせずに運転手は言う。恐る恐るバックミラーに目を馳せたが、制帽のつばに隠れてその目は見えなかった。
はい、と答えると、タクシーは音もなく路肩に停止した。
いくらですかと問おうとして、手に何か握っていることに気付いた。個人タクシー乗車券とある。
(……なんだこれ。タクシーチケットってやつか?)
おずおずと差し出すと、運転手は何も言わずに受け取った。
後部座席のドアが開き、俺は逃げるように降りた。タクシーはすぐに出発した。
闇の中に放り出され、瞬く間に不安に駆られた。
(こんなところで降りて、本当によかったのか……?)
走り去るタクシーを追いすがるような気持ちで目を向けると、後部座席に座った白装束の女がリアウインドウごしにこっちを見ていた。女は、山羊の目をしていた。
降りてよかった——一転して、俺はそう思った。
それにしても。これは、俺の記憶だ。
――ここはね。——の世界です。
(あの山羊の運転手……何て言ったんだ?)
あの時、ちゃんと訊き返さなかったのが悔やまれた。俺はぐっと歯を食いしばる。
(……とりあえず戻ろう)
道なりに行けばどこかにつくはずだ。俺は歩道を戻り始めた。
吐く息が白かった。
(現実じゃないくせに寒いなんて……)
おまけに疲労すら感じた。体力を失ってはまずい気がする。目が覚めるまで動かずに待っていたほうがいいだろうか。
そもそも、ちゃんと現実に戻れるのだろうか。この闇の中を永遠と彷徨うことになったら——。
ぞっとした。無駄だと思いながらもズボンのポケットに手を突っ込む。
いつもそこに入れているはずのスマートフォンはなく、かわりに測定装置が入っていた。
「くそぉっ」
アスファルトに叩きつけたい衝動をこらえ、表示に目を馳せた。時間が知りたかったのだ。
——な□あチ□理□□。
「読めねえよ!」
思わず声を荒げた。数字ですらない。
(……もう、めちゃくちゃだ)
その時――ふいに遠くの闇が揺らいだ気がした。
俺は訝しげに目を凝らす。
かろうじて人の形をした三体が、伸縮しながらこっちに向かってきていた。それは闇に溶け込んでいたが、周囲よりあきらかに黒い。
(——あの化け物だ)
一瞬、間宮の夢に戻ったのかと思ったが、着ている服も靴も自分のもので、なにより体が馴染んだ自分のものだった。
(……これが間宮の夢じゃないのなら、捕まったら、どうなるんだ?)
作業服の男の無惨な末期の姿が脳裏に浮かぶ。頭がおかしくなりそうだった。
影たちはゆらゆらと揺らぎながら距離を詰めてきていた。
俺は踵を返し、駆け出した。タクシーを降りたことをものすごく後悔した。だがきっと、あのまま残っても後悔しただろう。この化け物と山羊の女、どっちがましという話だ。
迫りくる悍ましい気配を背中に感じながら、必死の思いで夜道を逃げていると。
カンカンカンカン——。
唐突の踏切音に驚き、思わず足をとめた。
見れば、目の前に遮断桿が下りていた。行く手を阻む黄色と黒の棒をつかみあげたところで——がたんがたんと電車の音が近づいてくることに気付いた。
驚いて振り向くと、電車の前照灯の光が目を打った。眩しさに思わず目を眇める。
(電車——)
後ろからは影が追っていた。俺は呆然と立ちすくむ。
(このまま化け物に喰われるか。電車に飛び込むか……か?)
足元から震えが込み上げた。
「……なんだよ、この究極の選択は……」
呟いた声まで震えていた。
俺は何度も生唾を飲み込み——意を決し、汗だくの顔を上げた。
俺の選んだ選択は——。
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