サクラブストーリー

桜庭かなめ

文字の大きさ
91 / 202
本編-新年度編-

第58話『後輩と自分』

しおりを挟む
 ――元気になれるきっかけを与えてくれたのは……大輝先輩なんですよ。

 柔らかい笑顔になり、優しい声で杏奈はそう言ってくれる。その理由に心当たりがあった。

「……そういうことか」

 初めて杏奈に接客したのは、バイトに慣れ始めてきたゴールデンウィーク明けの頃だった。そのときの杏奈は寂しげな笑みを浮かべて、

『……アイスコーヒーSサイズを1つ。シロップもミルクもいらないです。ブラックでいいです』

 と頼んでいた。今でも鮮明に覚えている。

「初めて接客したときに元気がなかったのは、浮須さんが志気さんに浮気したのが分かって、2人との縁を切ったからだったんだな」

 俺がそう言うと、杏奈は俺の目を見てしっかりと首肯した。

「そうです」
「やっぱり。今になって、あのとき元気がなかった理由が分かったよ」
「当時のことを覚えていてくれて嬉しいです。マスバーガーは小さいときから行っていて、陽菜ちゃんや葵ちゃんとも行ったことがありました。その日、1人で南口を何となく散歩していたら、マスバーガーの入り口から一生懸命に接客している大輝先輩の姿が見えて。喉が渇いたので、飲み物を買うためにお店に入ったんです」
「なるほどね。それで、ダイちゃんが杏奈ちゃんに初めて接客することになったと」
「そうです。頼んだのはアイスコーヒーだったと思います。きっと、相当元気がなかったんでしょうね。コーヒーを渡してくれるとき、優しい笑顔を見せながらあたしに『きっと、このコーヒーを飲めば、少しは元気が出たり、リフレッシュできたりしますよ』って言ってくれたんです。その言葉が体の中にすっと入ってきて。気持ちが軽くなったんです。あのときは本当にありがとうございました」

 杏奈は優しい笑顔でお礼を言ってくれた。
 元気がなかったから、アイスコーヒーを渡すときに何か言葉を掛けたのは覚えていたけど、そんな言葉だったのか。それが傷心の杏奈を元気にするきっかけになった。元気のない当時の杏奈に接客したのもあって、とても嬉しい気持ちになる。

「杏奈の力になれたようで良かったよ」
「……そのことがあってから、友達と一緒におしゃべりしたり、美術部で絵を描いたり。また楽しい中学生活を送れるようになりました。それまでとは違って、マスバーガーへ定期的に通うようにもなりました。1人で行くときもあれば、友達と一緒に行くときもありました。大輝先輩は恩人ですから、なるべく先輩がバイトをしているときに行くようにしました」
「……今の杏奈ちゃんの話を聞くと、ダイちゃんが凄い人に思えてきたよ!」

 俺に尊敬の眼差しを向けるサクラ。
 俺がバイトをしているときを狙って来てくれていたとは。可愛い女の子だ。思い返せば、最初に接客したとき以外、杏奈はいつも楽しそうにしていた。友達と一緒に来たときは、カウンターでも客席でも楽しく話していて。

「そういう事情があって、この前……バイトの様子を見に行ったとき、杏奈のことをよろしくと言ったんだ」

 気づけば、杏奈の部屋の扉が開いており、入口のところには小鳥遊先輩が立っていた。先輩は爽やかな笑みを見せている。

「お、お兄ちゃん!」
「サークルの用事がだいぶ早く終わったんだ。帰ってきたら、見覚えのない靴が2足あったからさ。しかも、1足は男性ものでサイズが大きい。だから、扉の前でこっそりと話を聞いていたんだ。それについては謝るよ。すまない」

 謝罪の言葉を言って、小鳥遊先輩は軽く頭を下げる。それもあってか、杏奈は特に怒った様子は見せない。

「挨拶が遅れたね。いらっしゃい、速水君と……桜井さんだったかな。前に杏奈からスマホで写真を見せてもらってさ」
「はい。桜井文香です。初めまして。四鷹高校の2年で彼とは幼馴染でクラスメイトです」
「初めまして、杏奈の兄の勇希です。よろしく。……陽菜ちゃんや葵ちゃんの話をしていたってことは、出かけている間に2人と会ったのか?」
「先輩方と一緒に四鷹駅に帰ってきたとき、改札口のところで陽菜ちゃんと会って。何か話したかったみたいだけど、あたしがイライラしちゃって」
「……そうか。あんなことがあったけど、1年近く前までは親友だった子だ。杏奈に伝えたいことがあったんだろう。もちろん、それに応じろって言っているわけじゃないからな。兄ちゃんはそんな強要はしないぞ」

 うんうん、と小鳥遊先輩は何度も頷いている。下手すると、妹に嫌われるかもしれないと思っているのかな。杏奈はそんな兄に苦笑い。

「話は戻るけど、去年のゴールデンウィーク明け、あることを境に笑顔を見せてくれるようになった。その理由を訊いたら、マスバーガーで速水君に接客されたとき、速水君に優しい言葉を掛けられたからだと分かって。それ以降は、マスバーガーに行ったときの話は特に楽しそうに話してくれるようになった。うちの家族の中では、速水君は恩人だ」
「そ、そうなんですか」

 まさか、小鳥遊先輩の口からも「恩人」という言葉を言われるとは。しかも、家族中から恩人扱いとは。それだけ、俺に接客されたことをきっかけに、杏奈が元気になっていったことが嬉しかったのだろう。

「杏奈がマスバーガーでバイトを始めるときも、速水君がいるお店だからと両親は二つ返事で許可したからな。……1年前のことを速水君が知ったら、お礼を言いたいと思っていたよ。家族代表として言わせてくれ。本当にありがとう、速水君」

 小鳥遊先輩は俺にそんなお礼を言ってくれた。その温かくて優しい笑みから、今のお礼の言葉は兄としての感謝の想いが詰まっていると分かる。

「いえいえ。こちらこそ嬉しく思います。高校とバイトの後輩を元気にできましたから」
「そうか。改めて杏奈のことをよろしくお願いします。桜井さんも杏奈と仲良くしてもらえると嬉しい」
「もちろんです! 杏奈ちゃん可愛いですし。素敵な後輩ができて嬉しいです」
「……ありがとう。邪魔したね」

 そう言うと、小鳥遊先輩は俺達に一度頭を下げて、部屋を出て行った。

「お兄さん。杏奈ちゃんのことを大切に想っているんだね」
「……ええ。まあ、シスコンな兄ですから、たまに心配しすぎたりすることもあるんですけどね。いい兄ですよ」

 呆れ気味に笑いながら杏奈はそう言う。
 その直後、扉の向こうから「よしっ!」と小鳥遊先輩の声が聞こえてくる。また部屋の前に立って聞いていたのか。そのことに、杏奈はやれやれと呆れていた。
 残りのブラックコーヒーを飲んでいると、外から防災無線の『夕焼け小焼け』のメロディーが聞こえてくる。

「もう5時になったんだね」
「そうだな。……そろそろ俺達は帰るか」
「そうだね。杏奈ちゃん、今日は中学時代のことを聞かせてくれてありがとね。コーヒーとクッキーごちそうさま」
「いえいえ。むしろ、嫌な昔話を聞かせてしまってごめんなさいって感じです」
「気にしないでいいさ」
「ダイちゃんの言う通りだよ」

 俺達の言葉に納得したのか、杏奈は口角を上げて、ゆっくり頷いた。
 さすがに映画を観たり、お昼ご飯を食べたりしたときほどではないけど、志気さんと話した直後よりは、杏奈はいい表情を見せてくれている。

「じゃあ、俺達は帰るよ」
「またね、杏奈ちゃん」
「はい。大輝先輩、明日のバイトよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」

 ただ、さっきは志気さんに「また出直してこい」と受け取られるようなことを言ってしまった。もしかしたら、明日……杏奈に会いに来るかもしれない。それに怖がっている可能性はある。

「今日は琴宿に出かけたし、帰りには志気さんとも会った。だから、今夜はゆっくりと休んで。明日もバイトができそうだと思ったら来てくれ。休むときは店長か俺に連絡してくれればいいから」
「分かりました。では、また明日です」

 俺はサクラと一緒に帰路に就く。
 夕方になったから、昼間に比べると涼しくなっている。ただ、歩くとすぐに体が温かくなってきて。そのことが心地良く感じる。

「杏奈ちゃん……まさか、中学時代にあんなに辛い経験をしていたなんて」
「俺も想像していなかったよ」
「そっか。ダイちゃんもか。……あと、ダイちゃんのおかげで元気になったって話を聞いて、誇らしく思ったよ。それと同時に羨ましくも思っちゃった。ダイちゃんと距離があった時期の話だからかな。もちろん、ダイちゃんには小さい頃から、色々なことで助けてもらって、元気をもらっているのは分かっているよ」

 サクラははにかみながら俺のことをチラチラと見てくる。
 あの一件がなければ、きっと……宿題や試験勉強を手伝うなど、サクラを助けることがたくさんあっただろう。ただ、そう思っても過去に戻ることはできない。これまで歩んできたことは絶対に変えられないのだ。

「俺もこれまでサクラにはたくさん助けられて、元気をもらってきたよ。それに、今は同じ家で一緒に生活している。だから、今まで以上に増えるかもしれないな」

 一緒に住んでいるからといって、何でもかんでもサクラに頼ったり、甘えたりしてはいけないけど。あと、今の環境だからこそ、サクラに元気を与えられることはあると思う。今後、それを追究していきたい。
 それまで散漫していたサクラの視線が俺の方に定まる。

「そうかもねっ!」

 ハキハキとした声で言うと、サクラは俺の左手をしっかりと掴んできた。そのことで伝わる温もりはとても優しい。体の奥深くまで伝わってくる。きっと、この手は一緒に家に入るときまで繋いだままだろう。そう思うと嬉しくて、愛おしくて、元気がもらえる。
 歩幅を合わせ、いつもよりもゆったりとしたペースで、俺達は同じ家に向かって歩くのであった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

昔好きだったお姉さんが不倫されたので落としに行ったら後輩からも好かれていた

九戸政景
恋愛
高校三年生の柴代大和は、小学校一年生の頃からの付き合いである秋田泰希の姉である夕希に恋心を抱いていたが、夕希の結婚をきっかけに恋心を諦めていた。 そして小学生の頃の夢を見た日、泰希から大和は夕希の離婚を伝えられ、それと同時にある頼みをされる。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

陰キャ幼馴染に振られた負けヒロインは俺がいる限り絶対に勝つ!

みずがめ
恋愛
★講談社ラノベ文庫新人賞佳作を受賞しました!  杉藤千夏はツンデレ少女である。  そんな彼女は誤解から好意を抱いていた幼馴染に軽蔑されてしまう。その場面を偶然目撃した佐野将隆は絶好のチャンスだと立ち上がった。  千夏に好意を寄せていた将隆だったが、彼女には生まれた頃から幼馴染の男子がいた。半ば諦めていたのに突然転がり込んできた好機。それを逃すことなく、将隆は千夏の弱った心に容赦なくつけ込んでいくのであった。  徐々に解されていく千夏の心。いつしか彼女は将隆なしではいられなくなっていく…。口うるさいツンデレ女子が優しい美少女幼馴染だと気づいても、今さらもう遅い! ※他サイトにも投稿しています。 ※表紙絵イラストはおしつじさん、ロゴはあっきコタロウさんに作っていただきました。

僕の姉的存在の幼馴染が、あきらかに僕に好意を持っている件〜

柿 心刃
恋愛
僕の幼馴染で姉的な存在である西田香奈は、眉目秀麗・品行方正・成績優秀と三拍子揃った女の子だ。彼女は、この辺りじゃ有名な女子校に通っている。僕とは何の接点もないように思える香奈姉ちゃんが、ある日、急に僕に急接近してきた。 僕の名は、周防楓。 女子校とは反対側にある男子校に通う、ごく普通の男子だ。

イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について

のびすけ。
恋愛
春から一人暮らしを始めた大学一年生、天城コウは――ただの一般人だった。 だが、再会した義妹・ひよりのひと言で、そんな日常は吹き飛ぶ。 「お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」 ひよりはフォロワー20万人超えの人気Vtuber《ひよこまる♪》。 だが突然の喉の不調で、配信ができなくなったらしい。 その代役に選ばれたのが、イケボだけが取り柄のコウ――つまり俺!? 仕方なく始めた“妹の中の人”としての活動だったが、 「え、ひよこまるの声、なんか色っぽくない!?」 「中の人、彼氏か?」 視聴者の反応は想定外。まさかのバズり現象が発生!? しかも、ひよりはそのまま「兄妹ユニット結成♡」を言い出して―― 同居、配信、秘密の関係……って、これほぼ恋人同棲じゃん!? 「お兄ちゃんの声、独り占めしたいのに……他の女と絡まないでよっ!」 代役から始まる、妹と秘密の“中の人”Vライフ×甘々ハーレムラブコメ、ここに開幕!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

管理人さんといっしょ。

桜庭かなめ
恋愛
 桐生由弦は高校進学のために、学校近くのアパート「あけぼの荘」に引っ越すことに。  しかし、あけぼの荘に向かう途中、由弦と同じく進学のために引っ越す姫宮風花と二重契約になっており、既に引っ越しの作業が始まっているという連絡が来る。  風花に部屋を譲ったが、あけぼの荘に空き部屋はなく、由弦の希望する物件が近くには一切ないので、新しい住まいがなかなか見つからない。そんなとき、 「責任を取らせてください! 私と一緒に暮らしましょう」  高校2年生の管理人・白鳥美優からのそんな提案を受け、由弦と彼女と一緒に同居すると決める。こうして由弦は1学年上の女子高生との共同生活が始まった。  ご飯を食べるときも、寝るときも、家では美少女な管理人さんといつもいっしょ。優しくて温かい同居&学園ラブコメディ!  ※特別編11が完結しました!(2025.6.20)  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

クラスメイトの王子様系女子をナンパから助けたら。

桜庭かなめ
恋愛
 高校2年生の白石洋平のクラスには、藤原千弦という女子生徒がいる。千弦は美人でスタイルが良く、凛々しく落ち着いた雰囲気もあるため「王子様」と言われて人気が高い。千弦とは教室で挨拶したり、バイト先で接客したりする程度の関わりだった。  とある日の放課後。バイトから帰る洋平は、駅前で男2人にナンパされている千弦を見つける。普段は落ち着いている千弦が脚を震わせていることに気付き、洋平は千弦をナンパから助けた。そのときに洋平に見せた笑顔は普段みんなに見せる美しいものではなく、とても可愛らしいものだった。  ナンパから助けたことをきっかけに、洋平は千弦との関わりが増えていく。  お礼にと放課後にアイスを食べたり、昼休みに一緒にお昼ご飯を食べたり、お互いの家に遊びに行ったり。クラスメイトの王子様系女子との温かくて甘い青春ラブコメディ!  ※特別編3が完結しました!(2025.12.18)  ※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、いいね、感想などお待ちしております。

処理中です...