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本編
第31話『僕として-前編-』
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あの日のこと。
あの日までのこと。
あの日からのこと。
沙奈会長を見つめながら、辛くて虚しい日々を思い出している。僕が「僕」だったときのことを。
「殺人未遂……? 刑務所で生活……? それって本当なの?」
沙奈会長はこれまでの中で一番驚いた表情を見せる。
沙奈会長には僕がどう見えているのだろう。どう思っているのだろう。何だっていい。今は彼女に僕の過去を知ってほしい。
「はい。2年前の6月下旬。僕は、恩田琴葉にいつ目覚めるか分からないほどの重傷を負わせたことにより、殺人未遂の罪で逮捕されました。僕は4月生まれなので事件当時、14歳になっていましたからね。起訴され、裁判も行なわれました。そこで、執行猶予の付かない禁固1年の判決が下ったので、去年……2017年はずっと刑務所で生活をしていました」
判決が確定するまでの方が頭にくることが多かったので、服役生活の方がまだマシだと思えたくらいだけれど。
「14歳の未成年が殺人未遂の罪を犯して逮捕されるのはまだ分かるよ。でも、執行猶予のない実刑が下るなんて。法律についてはあまり詳しくないけれど、それは厳しすぎるような気がするよ。それに未成年だったら、刑務所じゃなくて少年院じゃないかな……」
「僕も法を超えた力が働いたとすぐに分かりました。いきなり逮捕されたと言ったので、逮捕されたことが気になるとは思います。ただ、そもそもどうして琴葉が意識不明になる事件が起きたのか。簡単にですが、まずはそれについて話そうと思います」
まさか、高校に入学してから1ヶ月も経たずに、誰かに僕の過去を話すことになるとは思わなかった。しかも、それが生徒会長だなんて。
さて、あの事件が起こるまでのことを話すとは言ったけれど、何から話そうか。
「玲人君、ゆっくりと話していいからね」
「……はい。この前の週末にも話しましたが、琴葉は近所に住んでいたこともあって、小さい頃からお互いの家に行き来し、姉さんと3人でよく遊んでいました」
「いわゆる、幼なじみってやつだね」
「ええ。学校でも初めて一緒のクラスになってから、事件の起こった中学2年生までずっと同じでした」
「腐れ縁でもあるんだね」
「そうとも言いますね」
だけど、僕と琴葉の縁が腐っているとは一度も思ったことはない。
「琴葉は明るく優しい性格の持ち主で。ですから、毎年、クラスでは男女問わず人気のある女の子でした。僕と一緒にいることが多かったですけど。琴葉の存在もあって、僕も男子よりも女子と話すことが多かったですね」
「お姉様もいるものね。玲人君は小さい頃から、女性と話すことは慣れているんだね」
沙奈会長は笑顔でそう言うけれど、心なしか怒っているように思えて。女子と関わることの方が多かったと言ったからかな。
「今の会長ほど親密に接した女の子は、姉さんを除けば琴葉くらいしかいませんよ」
「へ、へえ……そうなんだ。別に、私は玲人君がこれまでに女の子とどんな風に付き合っていても気にしないけどね」
と言いながらも会長はニヤニヤしている。嬉しいなら嬉しいと言えばいいものを。反応が面白いので指摘しないでおこう。
「話は戻りますが、中学2年生になっても、琴葉が僕と一緒にいることが多かったからか、一部の生徒が琴葉にいじめをしてくるようになりました」
「いじめか。いつ、どこでもいじめはあるものなのね……」
さっきまでの笑顔は嘘であるかのように、沙奈会長は真剣な表情になる。
「すぐに、琴葉はいじめられていることを僕に言ってくれました。詳しく聞くと、中心人物はクラスの中で最も人気のある女子生徒で、僕にフラれた女の子でもあったんです」
「なるほど。つまり、その中心となった女の子は、幼なじみである恩田さんが玲人君の側にいるからフラれたと思った。そして、それを口実に恩田さんをいじめたのかな」
「そうです。ただ、当時からいじめを訴えても、学校側は適切な対応をしないという報道が多かった。しかも、琴葉の場合はクラスカースト最上位の女子生徒がいじめの中心人物。なので、ただ訴えただけでは、おざなりな対応をされると思いました。ですから、スマートフォンで写真を撮ったり、会話を録音したりして証拠を集めてから、学校側に訴えることにしました。琴葉にとっては辛いことですが、今後もずっと続くことに比べれば我慢できると本人も言っていました」
ただ、証拠を集めるとはいえ、いじめられていることに変わりはない。証拠を集めてから学校に訴えようという考えが正しかったのかどうか。正直、今でも分からない。
「それで、証拠は手に入ったの?」
「ええ、短い間にたっぷりと。琴葉と一緒に集めた証拠は今も僕の部屋にあります。手に入れた証拠をまとめ、僕と琴葉の家族にいじめについて簡単に説明しました。そして、学校側に訴えようとした矢先、琴葉は数人の男子生徒から襲われそうになったんです」
「そんな……」
今でもあのときのことを思い出すと、胸が苦しくなって吐き気がしてくる。これまでに何度もあった。ただ、琴葉の味わった苦しみに比べれば、こんなのは軽いと思っている。
「事件が起こったのは放課後でした。琴葉は逃げるようにして教室を後にしたので、おかしいと思いました。ですから、僕は気付かれないように琴葉の後をついて行きました。辿り着いたところは、人気の全然ない場所にあった廃墟ビルでした。入り口の前にはクラスメイトの男子生徒が数人いました。その男子生徒達も琴葉のいじめに関わっていて。その中にはいじめの本当の首謀者も含まれていました。そして、彼らは琴葉をビルの中に連れ込もうとしたんです」
「……数人で恩田さんを強姦しようとしたのね」
「おそらくそうだと思います」
コーヒーを飲んだこともあってか、胃がキリキリしてきた。
「僕はすぐに琴葉を助けに行きました。力ずくで男子生徒らを琴葉から引き離した。ただ、琴葉は僕に暴力を振わせたくはなかったのでしょう。僕を必死に押さえようとした。でも、怒りが収まらなかった僕は琴葉を勢いよく振り払ってしまったんです」
「じゃあ、そのときに……」
「……はい。僕が振り払ってすぐに、鈍い音が響き渡りました。その瞬間、妙に寒気を感じたことを今でもよく覚えています。気付いたときには、頭から血を流して倒れている琴葉がいました。ビルの壁に血が付いていたので、おそらく僕に振り払われたことで、琴葉はビルの壁に強く頭を打ってしまったのだと思います」
今でも、頭から血を流しながら倒れている琴葉の姿はよく覚えている。その姿を見た瞬間、僕のせいで琴葉が傷付いてしまったのだと分かった。
琴葉の名前を何度も言ったけれど、彼女が目を覚ますことはなくて。頬を軽く叩いてもダメだった。生温かい彼女の血がベットリと手について、ひたすら虚しい気持ちになったことを今でも鮮明に思い出す。
「琴葉が倒れたことで、襲おうとした男子生徒達は逃げました。僕は救急車を呼んで、琴葉と一緒に病院に行きました。ケガはひどく、一時は重篤な状態にもなりましたが、緊急手術のおかげで命は助かりました。意識は……今まで一度も取り戻していません。僕は琴葉と彼女のご家族にひたすら謝り続けました」
「恩田さんのご家族は、玲人君のことをどう思っているの?」
「……有り難い話で、僕には全く怒りませんでした。すぐに許していただきました。むしろ、襲われそうなところを守ったことに感謝さえしてくれて」
それでも、僕が琴葉にひどいケガを負わせた事実は変わらない。せめて、あの日だけでもご家族から怒られたかったと思っている。
「きっと、それは長い付き合いと、恩田さんの受けているいじめに対して真摯に支えていたからじゃないかな。でも、恩田さんのご家族が許したのなら、どうして玲人君は逮捕されて、服役しなくちゃいけないの?」
やっぱり、沙奈会長はそう疑問を抱くよな。
「誰かが警察に通報したからですよ。僕が琴葉のことを突き飛ばした。それを目撃したと。それにより、僕は事件翌日に逮捕されました」
「そんな……」
さすがの沙奈会長も段々と怒った表情になっていく。
「通報してきた人が誰なのかすぐに分かりました。菅原和希というクラスメイトの男子生徒です。実は彼が琴葉のいじめの首謀者だったんです」
「……何となくだけど、彼の目的が分かった気がする。殺人未遂の罪で玲人君を逮捕させることで、事件当日に自分達が恩田さんを襲おうとしたことも含めて、これまでのいじめも隠そうとしたってこと?」
「その通りです」
「でも、玲人君が警察の取り調べで、菅原君達が現場にいたことや、恩田さんがいじめられていたことを供述するかもしれないじゃない。それに、被害者である恩田さんの家族が、玲人君を許していることを証言すれば、実刑判決になって服役という結果にはならなかったんじゃない? 不起訴になって釈放されるとか」
「普通ならそうだと思います。琴葉の御両親も被害届は出しませんでしたから。しかし、僕の場合は違いました。沙奈会長、突然ですが……菅原博之という人はご存知ですか?」
「その名前、どこかで……」
う~ん、と沙奈会長は腕を組んでいる。記憶を探っているのかな。
「あっ、確か……前に国会のニュースでその名前を聞いたことがあるわ」
「ええ、その通りです。菅原和希の父親の菅原博之は、当時から与党所属の衆議院議員なんです。将来の大臣候補の1人とも言われています」
さすがに、与党に所属する大物国会議員について沙奈会長も知っていたか。
「つまり、裏で圧力が働いていたってこと? 自分の息子が関わっていたいじめや犯罪を隠すために」
「おそらく。息子がいじめの首謀者であり、意識不明の殺人未遂事件にも関わっていたことが分かれば、親としての責任を取るために党からの除名処分、最悪の場合は議員を辞職することもあるでしょう。もし、そんな処分はなくても、イメージは著しく下がり、次回の選挙戦にもかなりの影響が出るかと」
「確かにそうね」
「警察は与党所属の現役国会議員に忖度をした。そんな力が働いていると思い始めたのは、警察の取り調べで事件当時のことを話しても、警察はそんな事実は確認できないと言われたときでした。僕の家族や琴葉の家族からも、いじめの話を聞いていたそうですが……」
「玲人君の供述をまともに聞いてくれなかったのね」
「ええ」
僕の話を端から信用していない雰囲気だった。警察からはそんな事実はないと言われるだけで。果てには侮辱罪や公務執行妨害罪になってしまうかもしれないから、これ以上嘘を言うのは止めろとも言われてしまった。
そんな中で警察……いや、世間というのは、10の暴言を吐く人間には罰することなく、1の暴力を働いた人間には理由に問わず必ず罰するのだろうと思った。
「ただ、琴葉のいじめや、事件当時の様子を示す証拠を持っていると言わないで正解でした。言ってしまったらきっと、警察によって没収、隠滅されたでしょうから。当時、僕の自宅に家宅捜索が入りましたが、運良く回収はされませんでした」
「ちょっと待って。事件当時の証拠を持っていたの?」
「ええ。琴葉のいじめ調査をしていく中で、何かあったらすぐに記録を取るという癖が付いていて。琴葉が連れ込まれそうになったとき、スマホで何枚か写真を撮り、ICレコーダーの録音スイッチを押し、琴葉のところに向かったんです」
証拠集めなんて考えず、真っ先に琴葉を助けに行けば、何か違う結果になっていたかもしれない。それはこれまでに何度も思った。
「よくそこまでできたね。それに、普通なら取り調べのときに証拠を持っているって言いそうだけれど。きっと、当時の玲人君にとって、自分を取り巻く空気や警察官の態度がおかしいと思ったのね」
「そうですね」
僕が逮捕されると知った瞬間から、警察に対する疑念はあった。琴葉の家族も僕のことを許してくれて、菅原達に襲われそうになっていたことも信じてくれていたから。
「あと、家族から聞きましたが、報道でも僕が琴葉に重傷を負わせたことしか報道されなかったそうです。一部メディアでは琴葉がいじめられていたという話もあると報じたそうですが、学校側がそれを否定したと」
「面倒なことにはなりたくなかったから、学校側は玲人君と恩田さんの間で起こった事件として話をつけたかった……ということなのかな」
「きっとそうでしょう」
本当は学校側もいじめの存在に気付いていたのかもしれないけど。
僕が逮捕された後、僕の家族と琴葉の家族が学校に琴葉のいじめがあったと訴えた。しかし、形式的な調査をしただけで、いじめはあると認定されなかった。
「マスコミ関係者は僕や琴葉の家を突き止めました。特に週刊誌の記者はしつこく、僕の家族も琴葉の家族も、事件直後は心身共にかなり疲れたと言っていました。取材を断ったときには、虚偽の内容を書かれたと聞いています」
「自分達の利益のためなら、人の心情やプライバシーは関係ないって感じね。聞いているだけでイライラしてくるわ」
僕もその話を初めて聞いたときはイライラしたけれど、事の発端は自分なので申し訳ない気持ちの方が強かった。毎回、琴葉のご家族が面会しに来たときには何度も謝った。
「もう、何も信じられなくなりました。ただ、琴葉を傷つけたことに対して償いたいと思っていました。菅原博之の力が働いていたとは思いますが、禁固1年という判決も受け入れ、刑務所で生活をすることになったんです」
こうして、僕は14歳にして罪人として生きることになったんだ。閉じられた世界で僕は1年間過ごすことになったのであった。
あの日までのこと。
あの日からのこと。
沙奈会長を見つめながら、辛くて虚しい日々を思い出している。僕が「僕」だったときのことを。
「殺人未遂……? 刑務所で生活……? それって本当なの?」
沙奈会長はこれまでの中で一番驚いた表情を見せる。
沙奈会長には僕がどう見えているのだろう。どう思っているのだろう。何だっていい。今は彼女に僕の過去を知ってほしい。
「はい。2年前の6月下旬。僕は、恩田琴葉にいつ目覚めるか分からないほどの重傷を負わせたことにより、殺人未遂の罪で逮捕されました。僕は4月生まれなので事件当時、14歳になっていましたからね。起訴され、裁判も行なわれました。そこで、執行猶予の付かない禁固1年の判決が下ったので、去年……2017年はずっと刑務所で生活をしていました」
判決が確定するまでの方が頭にくることが多かったので、服役生活の方がまだマシだと思えたくらいだけれど。
「14歳の未成年が殺人未遂の罪を犯して逮捕されるのはまだ分かるよ。でも、執行猶予のない実刑が下るなんて。法律についてはあまり詳しくないけれど、それは厳しすぎるような気がするよ。それに未成年だったら、刑務所じゃなくて少年院じゃないかな……」
「僕も法を超えた力が働いたとすぐに分かりました。いきなり逮捕されたと言ったので、逮捕されたことが気になるとは思います。ただ、そもそもどうして琴葉が意識不明になる事件が起きたのか。簡単にですが、まずはそれについて話そうと思います」
まさか、高校に入学してから1ヶ月も経たずに、誰かに僕の過去を話すことになるとは思わなかった。しかも、それが生徒会長だなんて。
さて、あの事件が起こるまでのことを話すとは言ったけれど、何から話そうか。
「玲人君、ゆっくりと話していいからね」
「……はい。この前の週末にも話しましたが、琴葉は近所に住んでいたこともあって、小さい頃からお互いの家に行き来し、姉さんと3人でよく遊んでいました」
「いわゆる、幼なじみってやつだね」
「ええ。学校でも初めて一緒のクラスになってから、事件の起こった中学2年生までずっと同じでした」
「腐れ縁でもあるんだね」
「そうとも言いますね」
だけど、僕と琴葉の縁が腐っているとは一度も思ったことはない。
「琴葉は明るく優しい性格の持ち主で。ですから、毎年、クラスでは男女問わず人気のある女の子でした。僕と一緒にいることが多かったですけど。琴葉の存在もあって、僕も男子よりも女子と話すことが多かったですね」
「お姉様もいるものね。玲人君は小さい頃から、女性と話すことは慣れているんだね」
沙奈会長は笑顔でそう言うけれど、心なしか怒っているように思えて。女子と関わることの方が多かったと言ったからかな。
「今の会長ほど親密に接した女の子は、姉さんを除けば琴葉くらいしかいませんよ」
「へ、へえ……そうなんだ。別に、私は玲人君がこれまでに女の子とどんな風に付き合っていても気にしないけどね」
と言いながらも会長はニヤニヤしている。嬉しいなら嬉しいと言えばいいものを。反応が面白いので指摘しないでおこう。
「話は戻りますが、中学2年生になっても、琴葉が僕と一緒にいることが多かったからか、一部の生徒が琴葉にいじめをしてくるようになりました」
「いじめか。いつ、どこでもいじめはあるものなのね……」
さっきまでの笑顔は嘘であるかのように、沙奈会長は真剣な表情になる。
「すぐに、琴葉はいじめられていることを僕に言ってくれました。詳しく聞くと、中心人物はクラスの中で最も人気のある女子生徒で、僕にフラれた女の子でもあったんです」
「なるほど。つまり、その中心となった女の子は、幼なじみである恩田さんが玲人君の側にいるからフラれたと思った。そして、それを口実に恩田さんをいじめたのかな」
「そうです。ただ、当時からいじめを訴えても、学校側は適切な対応をしないという報道が多かった。しかも、琴葉の場合はクラスカースト最上位の女子生徒がいじめの中心人物。なので、ただ訴えただけでは、おざなりな対応をされると思いました。ですから、スマートフォンで写真を撮ったり、会話を録音したりして証拠を集めてから、学校側に訴えることにしました。琴葉にとっては辛いことですが、今後もずっと続くことに比べれば我慢できると本人も言っていました」
ただ、証拠を集めるとはいえ、いじめられていることに変わりはない。証拠を集めてから学校に訴えようという考えが正しかったのかどうか。正直、今でも分からない。
「それで、証拠は手に入ったの?」
「ええ、短い間にたっぷりと。琴葉と一緒に集めた証拠は今も僕の部屋にあります。手に入れた証拠をまとめ、僕と琴葉の家族にいじめについて簡単に説明しました。そして、学校側に訴えようとした矢先、琴葉は数人の男子生徒から襲われそうになったんです」
「そんな……」
今でもあのときのことを思い出すと、胸が苦しくなって吐き気がしてくる。これまでに何度もあった。ただ、琴葉の味わった苦しみに比べれば、こんなのは軽いと思っている。
「事件が起こったのは放課後でした。琴葉は逃げるようにして教室を後にしたので、おかしいと思いました。ですから、僕は気付かれないように琴葉の後をついて行きました。辿り着いたところは、人気の全然ない場所にあった廃墟ビルでした。入り口の前にはクラスメイトの男子生徒が数人いました。その男子生徒達も琴葉のいじめに関わっていて。その中にはいじめの本当の首謀者も含まれていました。そして、彼らは琴葉をビルの中に連れ込もうとしたんです」
「……数人で恩田さんを強姦しようとしたのね」
「おそらくそうだと思います」
コーヒーを飲んだこともあってか、胃がキリキリしてきた。
「僕はすぐに琴葉を助けに行きました。力ずくで男子生徒らを琴葉から引き離した。ただ、琴葉は僕に暴力を振わせたくはなかったのでしょう。僕を必死に押さえようとした。でも、怒りが収まらなかった僕は琴葉を勢いよく振り払ってしまったんです」
「じゃあ、そのときに……」
「……はい。僕が振り払ってすぐに、鈍い音が響き渡りました。その瞬間、妙に寒気を感じたことを今でもよく覚えています。気付いたときには、頭から血を流して倒れている琴葉がいました。ビルの壁に血が付いていたので、おそらく僕に振り払われたことで、琴葉はビルの壁に強く頭を打ってしまったのだと思います」
今でも、頭から血を流しながら倒れている琴葉の姿はよく覚えている。その姿を見た瞬間、僕のせいで琴葉が傷付いてしまったのだと分かった。
琴葉の名前を何度も言ったけれど、彼女が目を覚ますことはなくて。頬を軽く叩いてもダメだった。生温かい彼女の血がベットリと手について、ひたすら虚しい気持ちになったことを今でも鮮明に思い出す。
「琴葉が倒れたことで、襲おうとした男子生徒達は逃げました。僕は救急車を呼んで、琴葉と一緒に病院に行きました。ケガはひどく、一時は重篤な状態にもなりましたが、緊急手術のおかげで命は助かりました。意識は……今まで一度も取り戻していません。僕は琴葉と彼女のご家族にひたすら謝り続けました」
「恩田さんのご家族は、玲人君のことをどう思っているの?」
「……有り難い話で、僕には全く怒りませんでした。すぐに許していただきました。むしろ、襲われそうなところを守ったことに感謝さえしてくれて」
それでも、僕が琴葉にひどいケガを負わせた事実は変わらない。せめて、あの日だけでもご家族から怒られたかったと思っている。
「きっと、それは長い付き合いと、恩田さんの受けているいじめに対して真摯に支えていたからじゃないかな。でも、恩田さんのご家族が許したのなら、どうして玲人君は逮捕されて、服役しなくちゃいけないの?」
やっぱり、沙奈会長はそう疑問を抱くよな。
「誰かが警察に通報したからですよ。僕が琴葉のことを突き飛ばした。それを目撃したと。それにより、僕は事件翌日に逮捕されました」
「そんな……」
さすがの沙奈会長も段々と怒った表情になっていく。
「通報してきた人が誰なのかすぐに分かりました。菅原和希というクラスメイトの男子生徒です。実は彼が琴葉のいじめの首謀者だったんです」
「……何となくだけど、彼の目的が分かった気がする。殺人未遂の罪で玲人君を逮捕させることで、事件当日に自分達が恩田さんを襲おうとしたことも含めて、これまでのいじめも隠そうとしたってこと?」
「その通りです」
「でも、玲人君が警察の取り調べで、菅原君達が現場にいたことや、恩田さんがいじめられていたことを供述するかもしれないじゃない。それに、被害者である恩田さんの家族が、玲人君を許していることを証言すれば、実刑判決になって服役という結果にはならなかったんじゃない? 不起訴になって釈放されるとか」
「普通ならそうだと思います。琴葉の御両親も被害届は出しませんでしたから。しかし、僕の場合は違いました。沙奈会長、突然ですが……菅原博之という人はご存知ですか?」
「その名前、どこかで……」
う~ん、と沙奈会長は腕を組んでいる。記憶を探っているのかな。
「あっ、確か……前に国会のニュースでその名前を聞いたことがあるわ」
「ええ、その通りです。菅原和希の父親の菅原博之は、当時から与党所属の衆議院議員なんです。将来の大臣候補の1人とも言われています」
さすがに、与党に所属する大物国会議員について沙奈会長も知っていたか。
「つまり、裏で圧力が働いていたってこと? 自分の息子が関わっていたいじめや犯罪を隠すために」
「おそらく。息子がいじめの首謀者であり、意識不明の殺人未遂事件にも関わっていたことが分かれば、親としての責任を取るために党からの除名処分、最悪の場合は議員を辞職することもあるでしょう。もし、そんな処分はなくても、イメージは著しく下がり、次回の選挙戦にもかなりの影響が出るかと」
「確かにそうね」
「警察は与党所属の現役国会議員に忖度をした。そんな力が働いていると思い始めたのは、警察の取り調べで事件当時のことを話しても、警察はそんな事実は確認できないと言われたときでした。僕の家族や琴葉の家族からも、いじめの話を聞いていたそうですが……」
「玲人君の供述をまともに聞いてくれなかったのね」
「ええ」
僕の話を端から信用していない雰囲気だった。警察からはそんな事実はないと言われるだけで。果てには侮辱罪や公務執行妨害罪になってしまうかもしれないから、これ以上嘘を言うのは止めろとも言われてしまった。
そんな中で警察……いや、世間というのは、10の暴言を吐く人間には罰することなく、1の暴力を働いた人間には理由に問わず必ず罰するのだろうと思った。
「ただ、琴葉のいじめや、事件当時の様子を示す証拠を持っていると言わないで正解でした。言ってしまったらきっと、警察によって没収、隠滅されたでしょうから。当時、僕の自宅に家宅捜索が入りましたが、運良く回収はされませんでした」
「ちょっと待って。事件当時の証拠を持っていたの?」
「ええ。琴葉のいじめ調査をしていく中で、何かあったらすぐに記録を取るという癖が付いていて。琴葉が連れ込まれそうになったとき、スマホで何枚か写真を撮り、ICレコーダーの録音スイッチを押し、琴葉のところに向かったんです」
証拠集めなんて考えず、真っ先に琴葉を助けに行けば、何か違う結果になっていたかもしれない。それはこれまでに何度も思った。
「よくそこまでできたね。それに、普通なら取り調べのときに証拠を持っているって言いそうだけれど。きっと、当時の玲人君にとって、自分を取り巻く空気や警察官の態度がおかしいと思ったのね」
「そうですね」
僕が逮捕されると知った瞬間から、警察に対する疑念はあった。琴葉の家族も僕のことを許してくれて、菅原達に襲われそうになっていたことも信じてくれていたから。
「あと、家族から聞きましたが、報道でも僕が琴葉に重傷を負わせたことしか報道されなかったそうです。一部メディアでは琴葉がいじめられていたという話もあると報じたそうですが、学校側がそれを否定したと」
「面倒なことにはなりたくなかったから、学校側は玲人君と恩田さんの間で起こった事件として話をつけたかった……ということなのかな」
「きっとそうでしょう」
本当は学校側もいじめの存在に気付いていたのかもしれないけど。
僕が逮捕された後、僕の家族と琴葉の家族が学校に琴葉のいじめがあったと訴えた。しかし、形式的な調査をしただけで、いじめはあると認定されなかった。
「マスコミ関係者は僕や琴葉の家を突き止めました。特に週刊誌の記者はしつこく、僕の家族も琴葉の家族も、事件直後は心身共にかなり疲れたと言っていました。取材を断ったときには、虚偽の内容を書かれたと聞いています」
「自分達の利益のためなら、人の心情やプライバシーは関係ないって感じね。聞いているだけでイライラしてくるわ」
僕もその話を初めて聞いたときはイライラしたけれど、事の発端は自分なので申し訳ない気持ちの方が強かった。毎回、琴葉のご家族が面会しに来たときには何度も謝った。
「もう、何も信じられなくなりました。ただ、琴葉を傷つけたことに対して償いたいと思っていました。菅原博之の力が働いていたとは思いますが、禁固1年という判決も受け入れ、刑務所で生活をすることになったんです」
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