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迅英サイド④
しおりを挟む仕事中に電話がかかってきて、出ると近所に住む従兄弟だった。
「迅の嫁さん、家の前でなんかβのやつらに絡まれてる。僕はΩだから助けてあげられない」
電話越しにそう言われた瞬間に俺は走り出した。
「ちょ、橘さん!?」
事務所にいた同僚たちが俺を呼んだが俺は止まらずに今日は帰ることを告げた。
社会人としてとか、今はどうでもいい。
菜月が一番大切なのだから。
家の前の道に差し掛かった時、菜月が絶望したように手に持った何かを口に入れようとした。
それが何かはわからないが、口に入れさせないほうがいいのは分かった。
走って言ってギリギリのところで腕を掴んで止めることができた。
「迅英さん……なんで」
菜月はびっくりしたようにそう言った。
ドクドクと胸がなった。
菜月に傷がないようでよかった。
「近所の人が電話してくれて駆けつけたんだ」
「そう、ですか……」
俺は菜月を抱き寄せて男たちにうせろと言って牽制した。
何か喚いている男たちにイライラが増した。
「この子は俺の妻だ! 手を出したら殺すぞ」
「妻ぁ? へぇ~。まぁいいや。じゃあ一晩貸してよ」
その言葉に全身の血が沸き立つような怒りが感情を埋め尽くした。
「お前は頭がいかれているのか、それともぶっ殺されたいのか、どっちなんだ」
いや、聞くまでもないな。
ぶっ殺されたいんだろう。
俺は目の前の男をぶん殴った。
股間を蹴り上げ逃げようとする男を押さえつけ何発も何発も殴った。
「……ん! も……さい! その人死んじゃいますよ!」
菜月の声が聞こえた。
怒りが消えて代わりに茫然とした。
「菜月、くん……すまない」
菜月に引っ張られるように家の中に入りリビングに行くと春樹がいた。
「終わったー? なんか助けてくれちゃってありがとう。でも君が彼らに連れて行かれて犯されちゃったらいいのにと思っちゃった……よ……」
春樹は俺の存在に気がつき徐々に語尾が小さくなっていった。
こいつは何を言っている。
春樹は状況をすぐに理解したのか泣きそうな顔をした。
「迅……、帰ってきてたんだぁ。俺、また襲われるって思って怖かった……」
そう泣きついてきた春樹を見てももうなんとも思わない。
むしろ嫌悪感すら抱いてしまう自分にびっくりした。
「春樹、なぜここにいる」
「えー? だってそろそろ約束の時じゃん! 迅と早く結婚したくて来たんだよ」
「その話はなくなっただろう。もう別れようと告げたはずだ」
そう、俺は春樹が不貞をしていると知ってから春樹に連絡して電話でそう伝えた。
その時は春樹もあっさりと分かったと言って来た。
それを今更になって何をしに来たんだ。
その時、なぜか菜月が俺に怒った顔を向けて詰め寄って来た。
「迅英さん、それはあまりにも無責任なんじゃないですか。春樹くんはあなたとの子を身籠もっているんですよ」
「ちょ、ちょっと、お前余計なこと言うなよな!」
春樹は菜月の言葉に焦ってそう言っていた。
それはそうだろう。
俺との子を春樹がはらむはずなどないのだから。
「身籠もってる? だとしたら少なくとも俺の子じゃないな。大体、菜月くんと結婚してからは君には一度も会っていない」
菜月が動揺したように俺と春樹の顔を見比べた。
俺は続けた。
「そもそも、菜月くんと離婚するまでは会わないでいようと言ったのは君だ。海外に三年間行くからそれまではと。だが、お前は海外になど行っていなかった。そうだろう。いろいろな知人からお前の目撃談が上がった」
「そんなのっ、嘘に決まってるだろ!? なんで俺じゃなく周りの奴らを信じるんだよ!」
春樹は声を荒げて俺に訴えて来た。
その顔は守らなければと思っていたあの頃とは違う。いや、俺が目を向けていなかっただけで春樹はもともとこんなやつだったんだ。
「探偵を雇った」
「は?」
「お前の行方を調べさせた。お前はいろいろな男を渡り歩いて遊んでいた。αに関わらずβまでも手を出して、それで妊娠したから托卵にでも来たのか?」
一瞬、びっくりした顔をした春樹は次の瞬間には笑顔になった。
「そんな……。俺のこと探偵に調べさせてまで愛してくれてたのか? 俺、嬉しいよ! 俺も、迅のこと愛してる!」
春樹が声高々に叫んだ内容を理解するのには少し時間がかかった。
意味が分からない。
本当にこいつはここまで意味のわからないやつだったか?
俺が茫然としている間に春樹は続けた。
「それに、迅の奥さんは迅のこと愛してないんだし、迅と俺が一緒になったら全て丸く治るじゃん!」
それのどこが丸く収まったというんだ。
本当にこいつは人間か?
前までの俺はこいつとどう会話していたのか分からない。
「愛して、いない? そうかもな。だが俺はもう失敗したくない。もしも菜月くんが俺を愛していなかったとしたら、俺は菜月くんに愛されるよう努力するだけだ。菜月くんは俺の運命の番だからな」
そうだ。努力をしよう。
今までひどいことをたくさんした。たくさん言った。
どれも許してもらえるとは思っていない。
だが、もう一度愛される努力くらいはしてみたい。
「今更無理だよ、だって奥さんの記入済みの離婚届、俺預かってるもん。こんなもの書いておいたってことはもう迅は愛されてないって証拠だよ」
離婚届……。
俺は菜月に愛されていない……。
知っている。
知っているんだ、そんなことは言われなくても。
それが当然なのだから。
「あのさぁ、今日泊まっていってもいい?」
春樹がそう言い出して俺はもう頭が痛くて仕方なくなった。
「良い訳がないだろう」
かろうじてそれだけは言えた。
なのに菜月くんが感情のない顔で言った。
「いいじゃないですか。泊まって行っていただけば」
「菜月くん、何を」
そう止めようとした俺の声を春樹が止めた。
「やったね~。ほら、迅、奥さんも良いって言ってることだし!」
「……分かった」
俺が了承すると菜月くんは一瞬だけ悲しそうな顔をした。
俺はまた失敗してしまった。
いや、こんなこと考えなくても分かることだったのに、春樹のウザさに押されてしまった。
「では僕は自分の部屋に戻っていますので」
そう言って去っていく菜月の背中に俺はなんと言って引き止めればいいのか思いつかなかった。
その間に春樹は俺の腕に抱きついきた。
「ごゆっくり~。あ、ねぇ迅! 迅の部屋ってどこなの?」
気持ちがわるい。
春樹を見て心底そう思った。
菜月の意向で泊まらせた方がいいのかと一瞬思ったがやっぱり俺は耐えられない。
「出ってってくれ」
「はぁ?」
「出てけ、うせろ」
「こわ~、何怒ってんだよっ。機嫌直せよなぁ? あ、じゃあさ、久々にする?」
「気持ちが悪い」
「迅、具合悪いのか? 大丈夫?」
「違う。お前が気持ちが悪いんだ。俺も菜月くんに対してそうとうクズだったけどな、お前を見てると吐き気がするんだよ。その腹の子の父親のところにでも行って泊めてもらえよ。相手が分かるなら、だけどな」
「ひっどーい。迅、少し冷たいんじゃないか? 奥さんが泊まってって良いって言ってるんだから俺を泊まらせないと奥さんに嫌われちゃうかもよ?」
「そうだとしたら謝るだけだ。俺はお前が菜月くんのいるこの家にいるのが嫌なんだよ」
「や、ちょっと!」
俺は暴れる春樹のシャツの襟首を持って玄関に連れて行き外に出して鍵をかけた。
しばらくは外にいて何だかんだ叫んでいたが最後にはドアを蹴って悪態を突きながら帰って行った。
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