黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実

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第8章 告白

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 次は正座で、少し前かがみに座り直した。彼女に対して横向きになっていた手を、縦向きに変える。それから、手のひらでやさしく揺らしていた動きも、指先で軽く押し込む動きへと変えていく。一定のリズムで、テンポよく。白い制服と、その隙間からのぞく白いインナーが擦れ合う音。静かな室内に、それだけがうっすらと響く。

 しばらく続けていると——ふと、彼女の身体に微かな変化を感じ取った。


 これまで素直に沈み込んでいたお腹が、ほんのりと押し返してくるような感触に変わっていた。


「痛い?」

「……痛くは、ない」

 彼女の声は、わずかに上擦っていた。痛くない——どこか、意味を含んでいるようにも聞こえる。

 問いかけのせいか、そのこわばりは一旦おさまった。けど、それから数分も経たないうちに、今度は手元に違和感を覚えた。彼女の指先が、そっとカーペットの布を探るみたいに動いている。まるで、何かをじっと耐えてるみたいな仕草だ。

 ——もしかして、これが麻美ちゃんの言っていた“変化”なのか?

 気づけば、彼女の口数はめっきり減っていた。最初は脱力していた表情も、体も、少しずつ緊張を帯びている。指先、足先、眉間、口元……そのすべてに、うっすらと力が宿っている。  

 試しに、指にほんの少しだけ力をこめた。テンポをゆっくりにして、より深く、奥へ。


 ポンポンポンポン——から、ドンドンドン。

 もっと奥を、揺らすように。


 そのとき——


「んッ」


 閉じた唇の奥から、彼女はかすかに声を漏らした。瞬間的に、手が止まりそうになる。

 ……今の、声。

 それは、今まで一度も聞いたことのない、甘く濁ったような吐息だった。



 ——わからない。どういうことなのか、まったく。

 これは、あくまで痛みを和らげるためのマッサージのはず。でも、今の声は……絶対に違う。普通じゃない。


 この反応は、明らかに——。


 そう思った途端、心臓がドクンと跳ねた。急に呼吸が浅くなって、胸が熱くなる。

 けれど、僕は手を動かし続けた。というより、止められなかった。むしろ、鼓動の高鳴りに合わせて、指先が動きを速めていく。

「あき、くん——」

 浅い息に混じって、僕の名前がこぼれた。でも、それが僕に向けたものなのか、ただ口から出ただけなのか、わからなかった。気づけば、脚はそわそわ動き、頬は床をかすめている。手が僕の腰に触れ、そのまま下へ滑ってきて、太ももをギュッと掴んだ。指が食い込んでくるのがはっきりわかる。

「はぁ……」

 短い吐息がもれて、その音にまた心臓が大きく跳ねる。

「あきくん、まって……」

 彼女が目をわずかに開け、僕を見つめる。その“待って”に合わせるように、僕は少しテンポを落とした。でも止めはしなかった。彼女は言葉とは裏腹に無抵抗だった。止められるわけがない。気づけば制服はずり上がり、中のシャツに触れていた。そのシャツもスカートを下げていたせいかすぐに乱れ、隙間から肌が見えてしまう。


 ——直に触れたい。


 その感情は、紛れもなく『性の欲』だった。本来の目的なんて、とっくに吹き飛んでいた。いけないと分かっていても、手は勝手に動き続ける。下唇を噛み締める彼女を見て、額ににじむ汗を見て、脚の震えを見て、太ももに伝わる指先の力を感じて、なお——その欲に抗えるほど、僕の理性は強くなかった。


 けれど、その時だった。




 ガタガタガタガタ——。



 一枚挟んださらに奥から、慌ただしい音が響いた。


 反射的に手が止まり、一瞬で我に返る。間違いない、外の扉だ。
 彼女は息を切らして、ぐったりしている。とても動けるような、ましてや起き上がれるような状態じゃない。


 ガタン!


 今度は一気に扉が開いた。差し迫る危機が、冷気のように背中を走る。 

 まずい——誰かが入って来る。今の状況を見られたら……ましてや三角さんだったら、言い訳のしようがない。

 咄嗟に彼女の背と膝に腕を回し、勢いで抱き上げた。そのまま前かがみで入り口と同じ壁側の奥へ急ぐ。奥には、物置へ通じるスライド式のドアがある。


 目の前に着き、右手で素早く、でも音を立てないようにドアを開ける。ちょうどその時、入り口のドアがガタッと鳴った。誰が来たかなんて確かめている暇はない。僕はギリギリのところで中へ滑り込み、すぐ彼女を下ろすと、開けたドアをゆっくり閉めた。


「涼しい……」

 ドア越しに、かすかな声がした。小さくて誰の声かは分からない。

 気づけば呼吸を止めていた。荒ぶる心臓をなだめるように、大きく息を吸い込む。鼻から肺に、生ぬるい空気が流れ込む。遅れて、湿った埃と古紙のにおいがひっそり漂ってきた。

 光が入らないこの場所は、先ほどとは違って真っ暗だ。下ろした彼女の表情すら分からない。でもどうやら、彼女は壁にもたれて呼吸を整えているようだった。僕はその横に身を寄せ、耳をドアの隙間に近づける。一体、誰が来たのか——。

「誰も居ねえな」

 どうやら、一人ではないらしい。低い声が確認するようにつぶやいた。いや、というかこの声……。


 まさか——。


「変だな。鍵開いててエアコンも点いてんのに誰も居ねえなんて」

 二言目で、疑いは確信に変わった。間違いなく、浩大だ。

 なぜだ?なぜこのタイミングで、よりによって浩大が?いや……問題はそこじゃない。浩大が来たということは、もう一人の声は——。

 細心の注意を払い、ほんのわずかな隙間を開ける。たったそれだけで、外の声が鮮明に届いてきた。

「ちょうどどこかに行ってる間なのかも。手短にした方がいいね」

 やっぱり……麻美ちゃんだ。

 予想していたはずなのに、胸のざわつきは強まっていく。昨日、この場所を思いついたのは僕じゃない。のは、彼女だった。それなのに、どうしてここに?しかも、何も知らないふりをして。

「いや、それより大丈夫か?今日授業以外ほとんどトイレに籠ってたっしょ?話は明日でも——」

「大丈夫。それより……ごめんね。迷惑かけちゃって」

 柔らかい声が、ドアの隙間から切なく響く。

 先ほどとは別の緊張が僕を襲った。その声だけで、二人の距離も、彼女の表情も、容易に想像できてしまう。
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