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第9章 賭け
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「あ、しーちゃん上がってきたね」
言われて、ようやく階段の軋む音に気づいた。
「私がこうしてくっついてたら、しーちゃんどう思うかな?」
「いや、何言ってるの——」
「というより、明希君がどう思われるか、かな?」
「ぼ、僕が……?」
「そう。きみが」
彼女はまるで、僕を弄ぶように言った。言葉だけじゃない。触れていた肩はじわじわと密着して、ついには僕の肩へと頭を預けてくる。髪が頬に触れて、柔らかな香りが意図せず広がる。
「いや、ちょっ——」
栞ちゃんはもうすぐそこだった。ギシ、ギシという音が止み、無音の気配だけが近づいてくる。これでドアを開けられたら——マズい。でも、麻美ちゃんを押し返すなんて無理だ。
僕は慌てて体を反対側に傾けた。だけど彼女はついてくる。重心が僕の腰に落ちてきて——瞬間、むしろ余計に妙な体勢になってしまった。バランスが崩れ、そのまま床に倒れ込む。
「お待た……大丈夫?」
覚悟していた問いとは、まるで違った。床についた衝撃で頭が真っ白になったせいか、体がふっと軽くなったことにも気づかなかったらしい。顔を上げると、麻美ちゃんは何事も無かったかのように座り直していた。
「足が痺れたんだって」
僕に代わって、麻美ちゃんがフォローを入れる。栞ちゃんは「そう、なんだ」とだけ返した。納得しているのかどうか、表情からは読み取れない。考えてみれば、麻美ちゃんは座り直せば密着するほど近く、その距離感は明らかにさっきまでとは違う。僕が倒れているおかげで、辛うじて誤魔化せている——そんな感覚だ。
僕がゆっくり起き上がると、麻美ちゃんはさりげなく少し右側にずれた。唯一触れていた脚と脚が離れ、わずかな隙間がこの場の雰囲気を平衡させる。
「とりあえず、水分摂ったら?」
そう言って、栞ちゃんは持ってきたグラスにお茶を注ぎ、僕らの前に静かに置いた。赤みがかった茶色は麦茶にしては濃く、一見すると烏龍茶のようだ。けれど、香りだけはまるで違う。
「あっ、これこれ。しーちゃん家のお茶だ」
麻美ちゃんが一口飲んで、無邪気に笑いながら言った。つられて僕も一口飲む。……確かに、独特な味がする。
「覚えてるの?」
「うん。黒豆茶にルイボスティーブレンドしたやつでしょ?」
「ふふっ。すごいね」
「もちろん。短い期間だったからこそ、逆にはっきり覚えてるよ。何を食べたとか、何して遊んだとか……この部屋で話したこととか、ね」
「……そっか」
穏やかなやり取りが、ぎこちなかった空気を少しずつほどいていく。
彼女の言葉は大袈裟には思えなかった。僕も麻美ちゃんとの会話は断片的に覚えているし、他の連中との記憶よりよほど鮮明だ。それが『初恋の相手だから』なんて言われたら、返す言葉もないけれど。
「ところでさ」
ピッチャーを床に置いて、栞ちゃんが真っ直ぐ、麻美ちゃんを見た。
「……今日、田中くんは、呼ばなくてよかったの?」
和んでいた空気が、そこでわずかに軋んだ。
グラスに口をつけたまま、僕は固まった。口に含んだはずのお茶が一瞬で水に変わったような、そんな錯覚に陥ってしまう。
聞きようによっては、ただの普通の疑問だ。これまで四人で会っていたんだし、二人きりならともかく今日は三人。先週までの僕らであれば、むしろ誘わない方が不自然だろう。
そう——先週までであれば。
「……どうして?」
少し間を置いて、彼女は平然と訊き返した。ただ、その表情はどこか試すようにも見えた。
「どうしてって……」
「田中君は来てもどーせ勉強しないでしょ?テスト勉強するようなタイプじゃなさそうだし。それに——」
空になったグラスを、テーブルにそっと置いて、付け加えた。
「週末は、カラオケに行くって言ってたよ?」
その曖昧な語尾が、妙に胸に引っかかった。報告のようで、確認にも取れる音。まるで——
あの時の会話、聞いてたでしょ?
とでも言いたげだ。
栞ちゃんは返す言葉に詰まり、一瞬横目で僕を見た。それから、手元のお茶をそっと一口飲む。僕の表情を確認したのは、きっと——僕らが“見てしまった側”だからだろう。彼女にとってあれは偶然の遭遇で、あくまで“知らないテイ”を装わなきゃいけない。
結局出てきたのは、「そう……なんだ」という小さな声だけだった。
「それよりさ、明希君は普段のテストどのくらいとってるの?」
麻美ちゃんが話を変え、視線が彼女から僕に移る。テーブルに肩肘をつき、力の抜けた目で僕を見つめてくる。
「あ、えっと……大体は七割いかないくらい?かな」
「え?なんだ結構とれてるじゃん。心配して損した」
拍子抜けしたのか、彼女は安堵のような苦笑いを浮かべた。そしてすぐに、今度は何かを閃いたのかニヤリと笑みをこぼす。
「あっじゃあさ、一つ“賭け”しようよ」
「賭け……?」
言われて、ようやく階段の軋む音に気づいた。
「私がこうしてくっついてたら、しーちゃんどう思うかな?」
「いや、何言ってるの——」
「というより、明希君がどう思われるか、かな?」
「ぼ、僕が……?」
「そう。きみが」
彼女はまるで、僕を弄ぶように言った。言葉だけじゃない。触れていた肩はじわじわと密着して、ついには僕の肩へと頭を預けてくる。髪が頬に触れて、柔らかな香りが意図せず広がる。
「いや、ちょっ——」
栞ちゃんはもうすぐそこだった。ギシ、ギシという音が止み、無音の気配だけが近づいてくる。これでドアを開けられたら——マズい。でも、麻美ちゃんを押し返すなんて無理だ。
僕は慌てて体を反対側に傾けた。だけど彼女はついてくる。重心が僕の腰に落ちてきて——瞬間、むしろ余計に妙な体勢になってしまった。バランスが崩れ、そのまま床に倒れ込む。
「お待た……大丈夫?」
覚悟していた問いとは、まるで違った。床についた衝撃で頭が真っ白になったせいか、体がふっと軽くなったことにも気づかなかったらしい。顔を上げると、麻美ちゃんは何事も無かったかのように座り直していた。
「足が痺れたんだって」
僕に代わって、麻美ちゃんがフォローを入れる。栞ちゃんは「そう、なんだ」とだけ返した。納得しているのかどうか、表情からは読み取れない。考えてみれば、麻美ちゃんは座り直せば密着するほど近く、その距離感は明らかにさっきまでとは違う。僕が倒れているおかげで、辛うじて誤魔化せている——そんな感覚だ。
僕がゆっくり起き上がると、麻美ちゃんはさりげなく少し右側にずれた。唯一触れていた脚と脚が離れ、わずかな隙間がこの場の雰囲気を平衡させる。
「とりあえず、水分摂ったら?」
そう言って、栞ちゃんは持ってきたグラスにお茶を注ぎ、僕らの前に静かに置いた。赤みがかった茶色は麦茶にしては濃く、一見すると烏龍茶のようだ。けれど、香りだけはまるで違う。
「あっ、これこれ。しーちゃん家のお茶だ」
麻美ちゃんが一口飲んで、無邪気に笑いながら言った。つられて僕も一口飲む。……確かに、独特な味がする。
「覚えてるの?」
「うん。黒豆茶にルイボスティーブレンドしたやつでしょ?」
「ふふっ。すごいね」
「もちろん。短い期間だったからこそ、逆にはっきり覚えてるよ。何を食べたとか、何して遊んだとか……この部屋で話したこととか、ね」
「……そっか」
穏やかなやり取りが、ぎこちなかった空気を少しずつほどいていく。
彼女の言葉は大袈裟には思えなかった。僕も麻美ちゃんとの会話は断片的に覚えているし、他の連中との記憶よりよほど鮮明だ。それが『初恋の相手だから』なんて言われたら、返す言葉もないけれど。
「ところでさ」
ピッチャーを床に置いて、栞ちゃんが真っ直ぐ、麻美ちゃんを見た。
「……今日、田中くんは、呼ばなくてよかったの?」
和んでいた空気が、そこでわずかに軋んだ。
グラスに口をつけたまま、僕は固まった。口に含んだはずのお茶が一瞬で水に変わったような、そんな錯覚に陥ってしまう。
聞きようによっては、ただの普通の疑問だ。これまで四人で会っていたんだし、二人きりならともかく今日は三人。先週までの僕らであれば、むしろ誘わない方が不自然だろう。
そう——先週までであれば。
「……どうして?」
少し間を置いて、彼女は平然と訊き返した。ただ、その表情はどこか試すようにも見えた。
「どうしてって……」
「田中君は来てもどーせ勉強しないでしょ?テスト勉強するようなタイプじゃなさそうだし。それに——」
空になったグラスを、テーブルにそっと置いて、付け加えた。
「週末は、カラオケに行くって言ってたよ?」
その曖昧な語尾が、妙に胸に引っかかった。報告のようで、確認にも取れる音。まるで——
あの時の会話、聞いてたでしょ?
とでも言いたげだ。
栞ちゃんは返す言葉に詰まり、一瞬横目で僕を見た。それから、手元のお茶をそっと一口飲む。僕の表情を確認したのは、きっと——僕らが“見てしまった側”だからだろう。彼女にとってあれは偶然の遭遇で、あくまで“知らないテイ”を装わなきゃいけない。
結局出てきたのは、「そう……なんだ」という小さな声だけだった。
「それよりさ、明希君は普段のテストどのくらいとってるの?」
麻美ちゃんが話を変え、視線が彼女から僕に移る。テーブルに肩肘をつき、力の抜けた目で僕を見つめてくる。
「あ、えっと……大体は七割いかないくらい?かな」
「え?なんだ結構とれてるじゃん。心配して損した」
拍子抜けしたのか、彼女は安堵のような苦笑いを浮かべた。そしてすぐに、今度は何かを閃いたのかニヤリと笑みをこぼす。
「あっじゃあさ、一つ“賭け”しようよ」
「賭け……?」
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