黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実

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第9章 賭け

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「だ、大丈夫?」

「ううん。大丈夫じゃない」

 あまりにも飾り気なく言うものだから、僕は逆に拍子抜けしてしまった。……いや、そもそも質問自体がおかしい。状況からして、大丈夫なわけがない。

「とりあえず家まで送るよ。荷台に乗って」

 僕はそのつもりで自転車を道路に下ろした。けれど、彼女は首を横に振って「ちょっとだけ、雨宿りしよ」と手前にある屋根付きの自販機を指差した。僕は少し躊躇った。彼女はもう十分濡れているし、下手に休むより早く送り届けた方がいい。身体の心配をするなら、それが間違いなく最善だ。

 でも……結局、僕はそれを口にはできなかった。
 

 
「明希君、勉強は?」

 自販機前のコンクリートに、僕らは横並びで座った。雨に濡れた彼女の髪から、ほのかに甘いシャンプーの香りがふわりと立ちのぼる。薄まっているはずなのに、やけに鮮明で——どこか儚い。

「もう終わったよ。全部教えてもらった」

「そっか。ちゃんと点数取ってよ?スマホ没収されたら困るから」

 彼女が悪戯っぽく笑う。こんな状況なのに、僕は嬉しさと安堵で顔が綻ぶのを感じた。その感情を悟られまいとして、ついつい捻くれた言葉が先に出てしまう。

「困るほど大事なやり取りは、してない気もするけど」

「ふふ。するの」

 そう言って、ほんの少しずつ顔を近づけてくる。なんだか……全てを見透かされている気がした。

「まずはそうだなあ……私がテストに勝ったら、呼び出そうかな。週末にでも」

「あ、はあ」

「あれ、微妙な反応だね?次が最後になるかもよ?二人きりで会うの」

「……え!?」

 ドクン——と、心臓が重く打ちつけられた。

「それは……どういう……?」

 戸惑いが喉につかえて、言葉の形すらうまく作れない。それでも、彼女は微笑んだまま、まっすぐこちらを見てくる。
 次が最後……?なぜ、急に?

 彼氏ができたから、なんて理由じゃない。彼女はそういう“線引き”をしないタイプだ。それはもう、一月前の、あの帰り道で分かっていたこと。
 じゃあどうして?理由が、分からない。

「ふふっ」

 不意に、彼女が軽く息をついた。

「ただ可能性の話をしただけだよ。人っていつ死ぬか分からないんだし」

 彼女は『当然でしょ?』とでも言いたげな表情を浮かべる。でもその言葉を聞いた瞬間、血の気がすっと引いた。馬鹿馬鹿しいと押し込めていた“あの考え”が、また頭を過ってしまった。

 ——まさか、本当に。

「ま、まさか……病気だったり、するの……?」

 言葉にしたくなかった問いが、勝手に喉からこぼれ落ちた。今日の不調も相まって、悪い想像が一気に膨らむ。

 けれど彼女は、一瞬きょとんとした顔になり、困ったように笑った。

「ははっ。明希君、私が病人に見える?」

「……今は、見えなくもないけど」

「あ、確かに」

 状況を理解して、自分でも納得したらしい。一瞬目を見開き、そしてまた柔らかい笑みに戻った。

「……もし病死したら、一生忘れないでいてくれる?」

 頬杖のまま、試すような口調で問いかけてくる。

「そりゃっ、忘れるわけないよ」

「そっか。でも残念。そんな“お涙頂戴”みたいな死に方、予定してないから」

 軽く肩をすくめて笑うその様子は、いつもの彼女と何も変わらなかった。どうやら、“病気”という線は……心配ないらしい。

 僕が黙っていると、彼女は「私が言いたいのはね」と続け、今度はそっと僕の肩に頭を預けてきた。数時間前のあの強引さなんて影もない。ちょこんと触れた重みから届いたのは——

「生きてるのが当たり前だと思わないでね。ってこと」

 その声は、優しくて切なくて、間違いなく彼女の本心だった。

 
 少しの間、僕らはそのまま、降り止まない雨をぼんやり眺めていた。不思議と気まずさはなく、肩に落ちる彼女の呼吸はむしろ心地よかった。

 ずっとこのままでいられたら——そう思った。

 けれど、そうはいかない。僕はともかく、彼女は確実に風邪を引いてしまう。そんな状態で明日を迎えたら、テストに影響が出るに決まってる。そのせいで万が一、一教科でも僕の点数が上回ったら? 彼女が意味深に持ち出した賭けに、僕が勝つことになる。
 僕はそんな勝ち方、望んでない。


 ——いや、そもそも。
 僕は“勝ち”そのものを望んでいない。


「麻美ちゃん、あの——」

 この空気を壊したくはなかったけれど、理性を総動員して声を出した。
 
 ところが彼女は、ほぼ同時に何か思い出したようにスッと頭を上げた。

「どうしたの?」

「私……」

 言いかけた、その時。目の前に一台の車が、すっと滑り込むように停車した。

 一瞬、何事かと思った。けれど、よくよく見るとどこかで見覚えがある。気づくのが遅れたのは——あの時と今の光景があまりにも違うからだ。
 白いセダン。海外製の高級車。

 間違いない。祭りの日、麻美ちゃんが乗っていたあの車だ。

 雑味のない低いエンジン音を響かせたまま、ドンッと重たい開閉音がして、運転席から男性が降りてきた。

「お父さん……」

 彼女は、驚きを隠せないまま、ぽつりと呟いた。

 僕は改めてその男性を見た。短髪の黒髪、白いインナーに黒のセットアップ。爽やかで大人びた雰囲気なのに、どこか近寄りがたい。
 そして何より——若い。
 浩大よりずっと背は高く、少し強面だけど驚くほど整った顔立ちで、まるでテレビに出てくる俳優みたいだ。

 ——この人が、麻美ちゃんのお父さん……?
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