黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実

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第11章 熟す

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「ほら明希君、時間ないから」

 そう言って彼女は手を握り、交差点に向かって歩き出した。道路沿いにある明太子の店や、スポーツ用品店を見ても、まだ思い出せなかった。でも、交差点に差し掛かった瞬間、心臓がドキッと跳ねた。

 僕は思い出した。ここが、どこなのか。道路を挟んだ先には交番と、電気屋……この通りを真っ直ぐ行けばイオンに繋がる。そして、ここを渡らず左に曲がったら……。

 まさか——。

 先を行く彼女は、僕の疑いをすぐ確信に変えた。交差点を左に曲がり、一分ほど歩いて、足を止める。

「着いたよ。今日の目的地」


 浩大から、一部の男子から……この二年半ずっと聞かされてきた、噂の場所。


「カラオケ……?」

 僕は動揺した。僕にとって、ここは気安く来る場所じゃない。来て良い場所じゃない。もし知り合いに見られようものなら、僕は間違いなく明日浩大に問い詰められるだろう。彼女がどういう意図で、僕をここに連れてきたのか……知っているのか?それとも、何も知らないのか?まったく読めない。 

「どうしたの?もしかして明希君、歌うの苦手?」

「いや……そういう、わけじゃないけど……」

「ふふ。苦手でも、大丈夫だよ」

 彼女の表情を見ても、わからない。その妖艶な笑みが、どちらを意味しているのか。その言葉の意味が、どちらを意味しているのか——。





「えっとー……一時間のワンドリンク制で。明希君、飲み物何がいい?」

「じゃあ……コーラで」

「それじゃ、私はいちごミルクで。おしぼり余分にもらえますか?」

「大丈夫ですよ。ちなみに、ご希望の機種はございますか?」

「いえ、それはどっちでも。あ、あと内線の電話は無しで大丈夫です」

「かしこまりました。……それでは、右手奥のお部屋になります。ドリンクは後でお持ちしますね」

 入口入ってすぐの受付では、情けなくも彼女のやり取りをただ眺めていた。僕は、実はカラオケというもの自体初めてだった。歌が苦手とか、別にそういうわけじゃない。これまで刷り込まれた知識が、無意識に僕の足を遠ざけていただけ。

 ここは、で来る場所——。

 そういう歪んだ概念が、ずっと頭にあった。別に同性だろうが異性だろうが、目的がカラオケなら関係ない。それなのに、余計な知識のせいで、この空間を純粋な目では捉えられない。男女と遭遇すれば、皆がそう見えてしまう。そしてそれが、また余計な感情を生む。僕はそれが、嫌だった。

「麻美ちゃん、もしかして来たことあるの?」

「ここは当然初めてだよ。別の店舗は何回かあるくらい。明希君は?」

「僕は、カラオケ自体初めて」

「あ、そうなんだ。よかったね、初めての相手が私で」

 彼女は無邪気に笑って見せた。けれど、僕としては複雑だった。

 本当に、良かったのだろうか?……正直、わからない。僕は栞ちゃんに『麻美ちゃんと話してくるから、一時間だけ待ってほしい』とだけ伝えた。どこで話すだとか、何を話すだとかまでは伝えてない。それでも、彼女はただ『わかった』とだけ言ってくれた。何も追及してこなかった。

 彼女は、僕を信じてくれている。それなのに、僕は今こんなところにいる。彼女がこの事実を知ったら、どう思うだろう。この短時間であれば、それでも信じてくれるだろうか——。

「あ、角部屋だね。明希君お手洗い大丈夫?」

「僕は、大丈夫」

「じゃあ私ちょっと行ってくるから、先に入ってて」

 彼女は伝票のバインダーだけ僕に預けて、フロントの方へ引き返した。僕は言われた通り、一番奥の部屋に入った。

 部屋の中は、広くはないけど二人で使うには十分な個室だった。直角三角形に近い形をしていて、ドア側は狭く、奥に向かって広がっている。L字型に置かれたソファー、その前にテーブル、そして奥にはモニターと操作機器。……初めて触れる世界の匂い。全てが新鮮で、一人なのに全然落ち着かない。ソファーに腰掛けても、なぜかソワソワしてしまう。薄暗い照明が、逆に緊張を増幅させる。

 少しして、先ほどの店員がドリンクを持ってきた。本来なら普通のことなのだろう。でも、僕は思わず身構えてしまった。改めて状況を整理してみると、想定とはずいぶん違う。店員はノックとほぼ同時に許可なく入ってきたし、そもそもドアには正方形の小窓がついている。覗かない限りは分からないにしても、逆に覗かれたらおしまいだ。
 つまり、男女が良からぬ目的で来るには、あまりにもリスクが高すぎる。

 ——もしかして、実は都市伝説みたいな話だったのか?

 いや……それはない。浩大がここを目的で使っているのは昔から知ってる。……でも、もしこのリスクを承知の上で行為に及んでいるなら、それはあまりにも浅はかな行動だ。僕が体操服に手を出したあの時とは、比較にならない。


「ごめんお待たせ。……どうしたの?なんかソワソワして」

 戻って来た彼女は、僕とはまるで真逆だった。機器の上にあるマイクとタブレットらしき端末をテーブルに置き、ボンッと勢いよく僕の隣に座った。と思ったら、今度は慣れた手つきで画面の操作を始める。そこに、緊張とか迷いの色は一切ない。

「いや、ちょっと……なんというか、落ち着かなくて」

「ふふ。一曲歌えばスッキリするよ」

「えッ、いや僕はいいよ!いきなり女子の前で歌うのは、ちょっと」

「えーなんでよ。さっきは『別に』みたいなこと言ってたのに」

「いや、まあそうなんですけど……」

 いざ歌えと言われると、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。相手が男友達ならまだしも、麻美ちゃんとなると余計に酷い。

「ま、今回は大目に見てあげるとしよう。それに、今日明希君を連れて来たのは、一応私の為だから」

「麻美ちゃんの……?」
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