7 / 102
序 章 華
7
しおりを挟む
溶けた脳みそが、そのまま何処かへ消えてしまったかのように思考を止める。単純に、頭が真っ白になった、と表現するべきだろうか。教室に響き渡ったその乾燥鋭利な音は、間違いなくカメラのシャッター音。そしてその音の先には、間違いなく僕がいる。レンズの先には、僕がいる。この瞬間を、誰かが切り取った。
視界を元に戻せない。背筋が凍る。ただ、一つだけ、はっきりと分かること——
僕に、罰が下ったんだ。
硬直したまま、体が動かない。もう逃げられないことなんて分かっているのに、埋めた顔を離せなかった。せめて一秒でも長く、現実から目を逸らしたかった。だけど、顔以外の姿で正体なんてバレているに決まってる。ただ——怖いんだ。次に来る現実を知ることが。
ミシミシと、ドアのレールが軋む音が教室に響く。誰かが入ってきた。けれど足音は聞こえない。それでも、なんとなく僕のほうへ近づいている気配は感じる。心臓だけが無遠慮に暴れ続けていた。そして——
肩に、人の手が触れる。
「なーにしてるの?」
耳元で囁かれたその声は、僕の呼吸よりも小さな音で、唇が耳に触れそうな距離で。官能的な吐息が、細胞の隅々まで染み込む。
僕の手から力が抜け、河西栞の体操服が音も立てずに床へと落ちた。
視界の端に、赤みがかった髪の先端が揺れている。おそるおそる顔を上げると、そこにいたのは、まだ見慣れない制服姿の——麻美ちゃんだった。
動けない僕に代わって、麻美ちゃんは無言でしゃがみこみ、落ちた体操服を拾い上げた。
「河西……」
胸元の刺繍を、確認するようにぽつりとこぼす。その声に、僕の心臓はさらに深く沈んでいく。
——終わった。
穴があったら入りたいなんて言うけど、もはや穴なんかじゃ足りない。逃げ道なんてどこにもない。終わった。僕の中学校生活は、今日で終わりだ。いや、もっとだ。高校でも、大学でも、大人になってからですら、きっと僕を知る人間は皆こう思うんだ。
「女子の体操服を物色していたキモい奴」
考えるだけで呼吸が詰まった。
空っぽの頭が、足をベランダの方に向ける。自然と、吸い込まれるように足が動く。あそこから落ちれば、もう全てなかったことにできる。どうやら、これが僕に課された、取り返しのつかない罰らしい。……やっぱり、性の欲は罪深いんだ。
もう、何も聴こえない。部活動生の声も、吹奏楽部の音も。
教室の生ぬるい空気から抜け出した瞬間、すべてが変わった気がした。夏の夕風が、やけに優しくて、まるで背中を押してくれているようだ。
刹那。
右腕が思うように動かせなくなった。手首に、強い力が——
「なにしようとしてるの?」
無音だった世界をぶち壊すように、今度ははっきりと声が聞こえた。ガツン、と現実に引き戻される。
「あ……えっと——」
「もしかして、飛び降りるつもり?死ぬ気なの?」
なんだか、久しぶりに声を出した気がする。そして、少し正気に戻った気もする。僕は今、死のうとしていたのかな。ここから飛び降りたら、確実に死ぬのだろうか。今更そう思った。
「明希君が死ぬなら私も死ぬ」
その言葉で、『少し』だった正気が一気に輪郭を取り戻した。彼女の目が、至って真面目だったからだ。
「そ、それはダメだよ」
僕は体を反転させ、声を絞り出した。
「なんで?」
「なんでって……麻美ちゃんが死ぬ理由ないじゃん」
「あるよ。恥ずかしくなって飛び降りた明希君を見て、罪悪感を感じた私も飛び降りた。充分死ぬ理由だよ」
「そんなことで——」
「そんなこと?じゃあ死なないで。こんなしょうもない理由で命使わないで。私より明希君のほうがよっぽど馬鹿らしい死に方だよ」
あまりにも真剣な目に、僕は言葉を失った。まっすぐ射抜かれるようなその視線に、胸の奥がざわつく。
欲に溺れていた自分の姿を見られたことはもちろん、今まさにどれほど情けないことをしようとしていたのか——その事実すら、一瞬、本気で忘れそうになっていた。
まっすぐに突き刺さる彼女の言葉が、ぐらついていた心に、一本の杭を打ち込む。
「……分かった」
ようやくの声は、ひどく小さくて頼りなかった。けれど、彼女には届いたらしい。麻美ちゃんはふわりと微笑んだ。どこか懐かしくて、昔と何も変わらない、あの優しい笑顔で。
そして、そっと僕の手首から右手を離した。
「あの……いつから、見てたの?」
冷静になった途端、いても立ってもいられなくなり、廊下側へ歩いていく彼女の後ろ姿に問いかけた。
「えー? 明希君が栞ちゃんの体操服をクンクンしてたところからだけど?」
振り返らないその声には、さっきまでの真剣さが嘘みたいに消えていて、どこか小悪魔的な響きをまとっている。
棚の上に置かれた体操服を手に取ると、彼女はそれを丁寧に丸め、形を崩さぬよう巾着袋へ戻し、元あった河西栞のスペースにそっと収めた。
視界を元に戻せない。背筋が凍る。ただ、一つだけ、はっきりと分かること——
僕に、罰が下ったんだ。
硬直したまま、体が動かない。もう逃げられないことなんて分かっているのに、埋めた顔を離せなかった。せめて一秒でも長く、現実から目を逸らしたかった。だけど、顔以外の姿で正体なんてバレているに決まってる。ただ——怖いんだ。次に来る現実を知ることが。
ミシミシと、ドアのレールが軋む音が教室に響く。誰かが入ってきた。けれど足音は聞こえない。それでも、なんとなく僕のほうへ近づいている気配は感じる。心臓だけが無遠慮に暴れ続けていた。そして——
肩に、人の手が触れる。
「なーにしてるの?」
耳元で囁かれたその声は、僕の呼吸よりも小さな音で、唇が耳に触れそうな距離で。官能的な吐息が、細胞の隅々まで染み込む。
僕の手から力が抜け、河西栞の体操服が音も立てずに床へと落ちた。
視界の端に、赤みがかった髪の先端が揺れている。おそるおそる顔を上げると、そこにいたのは、まだ見慣れない制服姿の——麻美ちゃんだった。
動けない僕に代わって、麻美ちゃんは無言でしゃがみこみ、落ちた体操服を拾い上げた。
「河西……」
胸元の刺繍を、確認するようにぽつりとこぼす。その声に、僕の心臓はさらに深く沈んでいく。
——終わった。
穴があったら入りたいなんて言うけど、もはや穴なんかじゃ足りない。逃げ道なんてどこにもない。終わった。僕の中学校生活は、今日で終わりだ。いや、もっとだ。高校でも、大学でも、大人になってからですら、きっと僕を知る人間は皆こう思うんだ。
「女子の体操服を物色していたキモい奴」
考えるだけで呼吸が詰まった。
空っぽの頭が、足をベランダの方に向ける。自然と、吸い込まれるように足が動く。あそこから落ちれば、もう全てなかったことにできる。どうやら、これが僕に課された、取り返しのつかない罰らしい。……やっぱり、性の欲は罪深いんだ。
もう、何も聴こえない。部活動生の声も、吹奏楽部の音も。
教室の生ぬるい空気から抜け出した瞬間、すべてが変わった気がした。夏の夕風が、やけに優しくて、まるで背中を押してくれているようだ。
刹那。
右腕が思うように動かせなくなった。手首に、強い力が——
「なにしようとしてるの?」
無音だった世界をぶち壊すように、今度ははっきりと声が聞こえた。ガツン、と現実に引き戻される。
「あ……えっと——」
「もしかして、飛び降りるつもり?死ぬ気なの?」
なんだか、久しぶりに声を出した気がする。そして、少し正気に戻った気もする。僕は今、死のうとしていたのかな。ここから飛び降りたら、確実に死ぬのだろうか。今更そう思った。
「明希君が死ぬなら私も死ぬ」
その言葉で、『少し』だった正気が一気に輪郭を取り戻した。彼女の目が、至って真面目だったからだ。
「そ、それはダメだよ」
僕は体を反転させ、声を絞り出した。
「なんで?」
「なんでって……麻美ちゃんが死ぬ理由ないじゃん」
「あるよ。恥ずかしくなって飛び降りた明希君を見て、罪悪感を感じた私も飛び降りた。充分死ぬ理由だよ」
「そんなことで——」
「そんなこと?じゃあ死なないで。こんなしょうもない理由で命使わないで。私より明希君のほうがよっぽど馬鹿らしい死に方だよ」
あまりにも真剣な目に、僕は言葉を失った。まっすぐ射抜かれるようなその視線に、胸の奥がざわつく。
欲に溺れていた自分の姿を見られたことはもちろん、今まさにどれほど情けないことをしようとしていたのか——その事実すら、一瞬、本気で忘れそうになっていた。
まっすぐに突き刺さる彼女の言葉が、ぐらついていた心に、一本の杭を打ち込む。
「……分かった」
ようやくの声は、ひどく小さくて頼りなかった。けれど、彼女には届いたらしい。麻美ちゃんはふわりと微笑んだ。どこか懐かしくて、昔と何も変わらない、あの優しい笑顔で。
そして、そっと僕の手首から右手を離した。
「あの……いつから、見てたの?」
冷静になった途端、いても立ってもいられなくなり、廊下側へ歩いていく彼女の後ろ姿に問いかけた。
「えー? 明希君が栞ちゃんの体操服をクンクンしてたところからだけど?」
振り返らないその声には、さっきまでの真剣さが嘘みたいに消えていて、どこか小悪魔的な響きをまとっている。
棚の上に置かれた体操服を手に取ると、彼女はそれを丁寧に丸め、形を崩さぬよう巾着袋へ戻し、元あった河西栞のスペースにそっと収めた。
2
あなたにおすすめの小説
高校生なのに娘ができちゃった!?
まったりさん
キャラ文芸
不思議な桜が咲く島に住む主人公のもとに、主人公の娘と名乗る妙な女が現われた。その女のせいで主人公の生活はめちゃくちゃ、最初は最悪だったが、段々と主人公の気持ちが変わっていって…!?
そうして、紅葉が桜に変わる頃、物語の幕は閉じる。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?
宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。
栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。
その彼女に脅された。
「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」
今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。
でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる!
しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ??
訳が分からない……。それ、俺困るの?
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。
四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……?
どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、
「私と同棲してください!」
「要求が増えてますよ!」
意味のわからない同棲宣言をされてしまう。
とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。
中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。
無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。
陰キャの俺が学園のアイドルがびしょびしょに濡れているのを見てしまった件
暁ノ鳥
キャラ文芸
陰キャの俺は見てしまった。雨の日、校舎裏で制服を濡らし恍惚とする学園アイドルの姿を。「見ちゃったのね」――その日から俺は彼女の“秘密の共犯者”に!? 特殊な性癖を持つ彼女の無茶な「実験」に振り回され、身も心も支配される日々の始まり。二人の禁断の関係の行方は?。二人の禁断の関係が今、始まる!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる