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第2章 接触
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「ごめん出発していいよ?」
「あッ、うん」
動かない僕に違和感を覚えたのか、彼女がパッと目を開き、静かな表情で僕を見た。僕は咄嗟に、視線を空へ逃がした。誰に聞いたか忘れたけど、胸元の視線は女子にはしっかりバレているらしい。危ないところだった——。
「あー、やっぱり自転車は涼しくて良いね。乗ってるだけでいいのがまた」
「……僕は別に構わないけど。でも、高校生になったら結局買うことにならない?」
「高校かあ……そんな先の事はまだ考えてないなあ」
その言葉どおり、それは遠くを見るような口調だった。来年の四月と聞けば、理屈の上ではまだ二百日も先。たしかに“まだまだ”と言える。実際、僕もつい数日前まではそんな気分でいた。
でも——今は違う。どうしても、残りの時間が一瞬で終わる気がしてならない。
それはきっと、僕が終わってほしくないと思い始めているから。終わってほしくない時間ほど、早く終わるものはない——僕の、経験則だ。
ふと、右腕がやけに窮屈に感じた。見ると、先ほどのスカーフが上腕に結ばれていて、結び目から垂れた端が風にはためいている。
「どう?」
「え、いや、どうって言われても」
何のことかすぐには分からなかった僕に、彼女はさらりと言う。
「卒業したら男の子は第二ボタンあげるでしょ?そのノリで、私はスカーフあげようかなと思って」
「あ、ああ、そういうことか……」
なるほど高校の話題を出したから卒業に話が繋がったわけか。いや、まさかそっちに繋がるとは思わないだろ。
「まあ、貰えるならそれはそれで嬉しいかも」
「匂いはついてないけど、いいの?」
「いッ、いいよついてなくて」
「そっかー。じゃあ、覚えといてね」
背中をポンポンと二度叩き、彼女はスカーフをすっと解いた。
「覚えといてね」——その一言が頭の中で何度も繰り返される。今の流れでいくと、そのスカーフは僕が貰えることに、なる……よな?
男子の第二ボタンと同じノリ……正直そのノリがよく分かってないけど、あれは確か男子から渡すのではなくて女子が好きな男子に貰う流れじゃなかったか?まあ、麻美ちゃんの場合そこまで深いことは考えてなさそうだけど。「記念に取っといて」くらいの、そういう軽いノリなのだろうか。
……いや。でも、普通こういうのって——まずは恋人にあげるんじゃないか?
「あさみちゃんって、その、彼氏とかいないの?」
「え、なに?気になる?」
「いや、その……いちおうさ。彼氏いるなら、こういうの……なんか、誤解されるかもって……」
自分から訊いておきながら、言葉を重ねるほどに声が弱まっていくのがわかった。そこは素直に「うん」で良かったのに、なぜ余計な言い訳までしているのか。『彼氏がいるならこういうのは良くないのでは』という正論じみた台詞は、どうやら彼女には言えなかった。もし仮にそうだとしても、情けないことに僕が内心その正論を彼女には望んでいないからだろう。
「大丈夫。私に彼氏がいようがいまいが、スカーフは明希君にあげるから」
「あ、ああ……そっか」
彼女の「大丈夫」は、なんとも掴みどころのない響きだった。いないからなのか、それともいても気にしないでって意味なのか。答えは分からない。
でも、彼女がはっきりと言わない以上無理して訊き出すわけにもいかないし、むしろこの曖昧なままの方が僕の精神的には良いのかもしれない。
「あ、そういやさ!英語の時間、栞ちゃんと楽しそうに話してたね?」
例の絨毯を抜けたところで、彼女が思い出したように口を開いた。その一言で、ペダルを踏んでいた足がふと止まる。
「見てたの?」
「そりゃー気になるじゃん?名前、ちゃんと呼べた?」
「あー……うん、まあ」
「ん?本当に?」
視線を逸らしながら曖昧に笑う僕を疑ってか、半ば強引に彼女が視線を合わせようとしてくる。流石にちょっと小っ恥ずかしいからやめてほしい。
「呼べたなら良かった。とりあえずこれでスタートラインに戻ってきた感じだね」
スタートラインか。たしかに、今までより距離は縮まったと思う。でも、僕にとってそのラインの先には、もうゴールテープなんて存在しない。たとえゴールに近づこうとも、肝心のゴールテープは無いんだ。今更彼女に打ち明けるのも、どうかと思うけど——。
「あのさ……今更だけど、栞ちゃんには彼氏がいるんだよ」
「……あっ、そうなの?」
「うん。一個上の水泳部の先輩。二人揃って頭良いんだ」
確か、栞ちゃんはその先輩と同じ進学校を目指してるって風の噂で聞いた。そこは、僕にはとても届かない場所だ。
「ふーん。それって、明希君的には重要なの?」
「……え?」
彼女は、何食わぬ顔で訊き返してきた。まるで、ゲームに興味のない女子が「それってそんなに面白いの?」と尋ねているような、そんな淡々としているけど、どこか刺さるような口調で。
「『頭が良い』ってとこじゃないよ?『彼氏がいる』ってとこ」
「いや……え?重要っていうか——」
いつの間にか荷台を降りていた彼女が、そっと視界の端に映る。
「あッ、うん」
動かない僕に違和感を覚えたのか、彼女がパッと目を開き、静かな表情で僕を見た。僕は咄嗟に、視線を空へ逃がした。誰に聞いたか忘れたけど、胸元の視線は女子にはしっかりバレているらしい。危ないところだった——。
「あー、やっぱり自転車は涼しくて良いね。乗ってるだけでいいのがまた」
「……僕は別に構わないけど。でも、高校生になったら結局買うことにならない?」
「高校かあ……そんな先の事はまだ考えてないなあ」
その言葉どおり、それは遠くを見るような口調だった。来年の四月と聞けば、理屈の上ではまだ二百日も先。たしかに“まだまだ”と言える。実際、僕もつい数日前まではそんな気分でいた。
でも——今は違う。どうしても、残りの時間が一瞬で終わる気がしてならない。
それはきっと、僕が終わってほしくないと思い始めているから。終わってほしくない時間ほど、早く終わるものはない——僕の、経験則だ。
ふと、右腕がやけに窮屈に感じた。見ると、先ほどのスカーフが上腕に結ばれていて、結び目から垂れた端が風にはためいている。
「どう?」
「え、いや、どうって言われても」
何のことかすぐには分からなかった僕に、彼女はさらりと言う。
「卒業したら男の子は第二ボタンあげるでしょ?そのノリで、私はスカーフあげようかなと思って」
「あ、ああ、そういうことか……」
なるほど高校の話題を出したから卒業に話が繋がったわけか。いや、まさかそっちに繋がるとは思わないだろ。
「まあ、貰えるならそれはそれで嬉しいかも」
「匂いはついてないけど、いいの?」
「いッ、いいよついてなくて」
「そっかー。じゃあ、覚えといてね」
背中をポンポンと二度叩き、彼女はスカーフをすっと解いた。
「覚えといてね」——その一言が頭の中で何度も繰り返される。今の流れでいくと、そのスカーフは僕が貰えることに、なる……よな?
男子の第二ボタンと同じノリ……正直そのノリがよく分かってないけど、あれは確か男子から渡すのではなくて女子が好きな男子に貰う流れじゃなかったか?まあ、麻美ちゃんの場合そこまで深いことは考えてなさそうだけど。「記念に取っといて」くらいの、そういう軽いノリなのだろうか。
……いや。でも、普通こういうのって——まずは恋人にあげるんじゃないか?
「あさみちゃんって、その、彼氏とかいないの?」
「え、なに?気になる?」
「いや、その……いちおうさ。彼氏いるなら、こういうの……なんか、誤解されるかもって……」
自分から訊いておきながら、言葉を重ねるほどに声が弱まっていくのがわかった。そこは素直に「うん」で良かったのに、なぜ余計な言い訳までしているのか。『彼氏がいるならこういうのは良くないのでは』という正論じみた台詞は、どうやら彼女には言えなかった。もし仮にそうだとしても、情けないことに僕が内心その正論を彼女には望んでいないからだろう。
「大丈夫。私に彼氏がいようがいまいが、スカーフは明希君にあげるから」
「あ、ああ……そっか」
彼女の「大丈夫」は、なんとも掴みどころのない響きだった。いないからなのか、それともいても気にしないでって意味なのか。答えは分からない。
でも、彼女がはっきりと言わない以上無理して訊き出すわけにもいかないし、むしろこの曖昧なままの方が僕の精神的には良いのかもしれない。
「あ、そういやさ!英語の時間、栞ちゃんと楽しそうに話してたね?」
例の絨毯を抜けたところで、彼女が思い出したように口を開いた。その一言で、ペダルを踏んでいた足がふと止まる。
「見てたの?」
「そりゃー気になるじゃん?名前、ちゃんと呼べた?」
「あー……うん、まあ」
「ん?本当に?」
視線を逸らしながら曖昧に笑う僕を疑ってか、半ば強引に彼女が視線を合わせようとしてくる。流石にちょっと小っ恥ずかしいからやめてほしい。
「呼べたなら良かった。とりあえずこれでスタートラインに戻ってきた感じだね」
スタートラインか。たしかに、今までより距離は縮まったと思う。でも、僕にとってそのラインの先には、もうゴールテープなんて存在しない。たとえゴールに近づこうとも、肝心のゴールテープは無いんだ。今更彼女に打ち明けるのも、どうかと思うけど——。
「あのさ……今更だけど、栞ちゃんには彼氏がいるんだよ」
「……あっ、そうなの?」
「うん。一個上の水泳部の先輩。二人揃って頭良いんだ」
確か、栞ちゃんはその先輩と同じ進学校を目指してるって風の噂で聞いた。そこは、僕にはとても届かない場所だ。
「ふーん。それって、明希君的には重要なの?」
「……え?」
彼女は、何食わぬ顔で訊き返してきた。まるで、ゲームに興味のない女子が「それってそんなに面白いの?」と尋ねているような、そんな淡々としているけど、どこか刺さるような口調で。
「『頭が良い』ってとこじゃないよ?『彼氏がいる』ってとこ」
「いや……え?重要っていうか——」
いつの間にか荷台を降りていた彼女が、そっと視界の端に映る。
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