黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実

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第4章 罪と罰

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 公民館の裏は、人の目は届きにくい。でも、完全に死角というわけでもない。通路が狭くて、視界はある程度遮られているけれど、絶対に見られないとは言い切れない。男の僕でも、あそこで着替えろと言われたら躊躇する。それを平然とやってのけたというのか。

「大丈夫だよ。誰にも見られてないから」

 僕の動揺を見透かしたように、彼女がさらりと言った。全く悪気のないその一言に、かえって戸惑いが増す。けれど彼女は立ち上がると、自然な動きで僕の肩を軽く叩いた。

「行こ」

 そう言って、手を引いてくる。指先のぬくもりに、心臓がほんの少しだけ跳ねた。 

 お母さんが亡くなったことを知ってから、彼女とこうして二人きりで会うのは初めてだ。でも、目の前の彼女からは、そんな気配は微塵も感じられない。
 相変わらずのクールさと、時折見せる無邪気さ。吹っ切れたのか、それとも記憶の奥にしまい込んでいるだけなのか。どちらかは分からない。でも……分からないからこそ、僕はその話題に触れないことにした。

「ところで、どこ行くの?」

「食彩館。十五分くらいで行けるでしょ?」

「スーパー? まあ、いいけど……買い物?」

 彼女は「うん」と頷き、いたずらっぽく微笑む。

「あとは、着いてからのお楽しみ」

 僕の頭には、いくつかの「?」が浮かんだ。隣町の“食彩館”といえば、中規模のショッピングビル。食品売り場に日用品、ゲームセンターに小さなフードコート。地元の学生はよく駄弁ってるけれど、わざわざ僕たちが行くような場所かというと、微妙なところだ。

 でも、それでも彼女が行きたいと言うのなら、きっと理由があるのだろう。だから僕は、特に何も訊かず、ただ黙ってその手を握り直した。



 いつもなら彼女と別れるこの道を、今日初めて二人で走る。それだけで、どこか特別な感じがした。坂を下って、少しだけ登って、そこからはまっすぐ平坦な道。歩道こそないが、車通りは少なく、景色ものんびりしている。彼女がぶらぶらと脚を揺らすのも、なんとなく分かる気がした。

「明希君の家って、今の道を左に曲がったとこだよね?」

「うん。よく覚えてるね」

「このあたり、あんまり変わらないから。ひたすら一軒家って感じ」

 確かにその通りだ。一応、この先に山を切り崩してできた丘があって、小さな公園と、少し大きめの池がある。公園はそこの住人たちの庭みたいなものだけれど、池には誰も寄りつかない。だから僕は、その周辺を一種の秘密基地にしていた。学校帰りに友達と来て、抜け道を開拓したのは良い思い出だ。

 まあ、とにかく。決して一軒家ばかりってわけでもない。申し訳程度の“アクセント”は存在する。……というか、その意味では——。

「でもこの先に、アパート何棟か建ったよ」

「うん、知ってる」

「あ、知ってましたか……」

 いつも別れる坂の下と、この住宅街を抜けた先——そこに新しく建てられたアパートは、彼女がこの町を離れている間にできたものだ。だから今回、この辺りが引っ越し先の候補になって——きっと、あのアパートのどこかに彼女は住んでいるのだろう。そんなふうに、僕はぼんやりと思っている。


 アパート群を抜けると、今度は工業団地が広がる。この町を支えている数多くの工場が建ち並び、敷地面積でいえば結構なものだ。ただ、海沿いではないせいか、よくある“夜景スポット”のようなギラついた雰囲気とは無縁。ロマンチックさには欠けるけれど、そのぶん人も車も少なくて、僕にとっては静かで居心地のいい場所だ。

 大通りに出たところで、僕は自転車を一旦止めた。すると、彼女が「え、ここ横断歩道どころか信号機すらないじゃん」と驚いた様子で荷台から飛び降りた。

「まあ、見ての通り車通りは少ないから」

「この広さで二車線って、贅沢だね」

 とぼとぼと歩いて、彼女は道の真ん中に立ち、振り返ってこちらを見た。

 ——今、世界にいるのは私たちだけ。

 そんな錯覚を起こすような、無防備な仕草だった。思わず、僕は笑みをこぼす。

「この道をまっすぐ行けば、しーちゃんの家に着くね。懐かしいなあ」

 山の方を見つめながら彼女がぽつりと呟く。この道は、そのまま山のふもとにある栞ちゃんの家へ続いている。ちなみに、翔一の家はさらにその先、急な坂を登ったところにある。……この時期にあそこまで登るのは、さすがにキツいだろう。

「あっ、そういえば——」

「……ん?どうしたの?」

 翔一の話が頭をよぎって、ついでに僕は麻美ちゃんの実家のことを思い出す。この先の道は、栞ちゃんの家だけじゃない。麻美ちゃんのお婆ちゃんの家——いわば、彼女にとっての“もう一つの家”にもつながっている。それで、「お婆さん元気?」と訊きかけた。

 けれど——咄嗟に言葉を飲み込んだ。今、ここでその話題を出すのは……お母さんの記憶に触れることにもなってしまう。それだけは、避けたかった。

「そういえば……この坂の奥に、マックできたんだよ」

 視線を山側から進行方向へ戻して、僕は指差す。

「えっ、そうなんだ! 最近?」

「うん。半年くらい前かな」

「へー、じゃあシェイクでも奢ってもらおうかな」

“そういえば”と言っておきながら、文脈としてはちょっと不自然だったけど、彼女は特に気にした様子もなくニヤリと笑って、また荷台へ腰かけた。
 
 道路を渡った先の登り坂はとても二人乗りで越えられる勾配ではない。だから、僕は頑張って頂上まで押して進んだ。『頑張って』が意味するところは単純で、彼女が荷台に座ったままだったから。幸い、部活で鍛えた下半身のおかげか、はたまた彼女の“一風変わったゲーム”のせいか、途中でくたばることなく済んだ。
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