黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実

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第4章 罪と罰

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 匂いを嗅ぐという行為は、突き詰めれば性の欲からくるものだ。

 そして——性の欲は、罪になる。

 それは理屈じゃない。三年間、積み重ねてきた僕なりの“結論”だった。性欲に従ったせいで、失敗していくやつを僕は何人も見てきた。誰かを傷つけ、自分も傷つき、友を裏切り、道徳や倫理さえも壊してしまう。
 だから、たとえささやかな欲望でも、それに従った瞬間、それはもう『罪』なんだ——僕は、ずっとそう思っていた。

「私に写真を撮られたことが罰だから?」

「い、いや……そういうわけじゃ」

「私はあの日、明希君を懲らしめるつもりで撮ったんじゃないよ」

 一瞬、胸の奥を風が通り抜けたような、そんな感覚に陥った。

「どういうこと……?」

「ふふ。知りたい?」

 僕は足を止め、彼女の方を振り返って、無言で頷いた。
 そして、彼女は、迷いのない瞳で、こう言った。


「なんて愛おしい姿なんだろうって、思ったの。ただ、それだけ」


 微笑む彼女から放たれたその言葉は、間違いなく僕の中の何かを揺さぶった。それが何だったのか、まだうまく言葉にできない。ただ、強固に積み上げてきた積み木を、一番下の段から崩されたような衝撃だけが、確かに残っている。

 僕は結局、「愛おしい」が意味するところまでは訊けなかった。もちろん、言葉の意味自体は分かる。でも大事なのは、“なぜ”彼女がそう感じたのか——。性欲に飲まれた僕の姿が、どうして愛おしく映ったのか。

 その理由を聞く勇気は、僕にはなかった。単に器が大きいとか、寛容だとか、それとはまた違う。なぜなら、その先には『代償』という言葉が見えてしまうから。

 ——その代わり、代償は払ってもらうね。

 あのとき言われたその一言が、ずっと頭に引っかかっている。愛おしい——それだけでは、罰には結びつかない。
 でも、今ここでそれを掘り下げるのは、どうしても無粋に思えた。揚げ足を取るような気もしたし、なにより……今は、彼女と過ごすこの穏やかな時間を壊したくなかった。
 
 坂を登り終わった後は、目的地まであっという間だった。途中(というか登りきって三十秒足らず)で宣言通りマックに寄りシェイクを奢らされたものの、基本的に最後まで緩い下り坂だからかなり楽だった。まあ、見方を変えれば帰りはずっと登り坂ってことになるんだけど。

 通りに面する名ばかりの駐輪場に自転車を停めると、彼女は今まさに飲んでいたシェイクを僕に差し出してきた。意図せずストローの先端が下唇に触れ、断りどころを失った僕は必死に平静を装いつつそれを咥える。ストローの中に空気はほぼ無くて、上まで吸い上げられていたバニラ味のそれがひんやりと舌先に広がった。

「お疲れさま」

 こんなことでドギマギする僕の方がおかしいのだろうか。間接的に触れた唇に特段意識する様子もなく、彼女はそう言って僕を労い出入り口へと歩き始めた。

「ちょっと、カバン持って行かないの?」

「だって、二人とも私服なのに変でしょ」

「いやでも、取られたりしたらマズくない?スマホとかは?」

「大丈夫だって。財布もスマホも今日は持ってきてないし」

 いいからおいで、とばかりに手招きしながら自分はスタスタと店内に入っていく。このご時世女子の制服なんて盗まれても何らおかしくないのに……大胆というか不用心というか。僕はせめてもの対策として、いつもは後輪にかけるチェーンロックをカバンに通し、後を追った。

 エスカレーターで二階へ上がる彼女に追いついたタイミングで、先ほどの台詞が違和感を帯びて戻ってきた。

「あれ?ちょっと待ってよ。財布持ってきてないって言わなかった?」

 改めて彼女の服装を見ると、確かに物を入れている様子はない。でも、彼女は得意げにスカートのポケットに手を入れると「この間の剰余金だよ」と言って、そこから半分に折った裸の千円札数枚を取り出した。

「どうりで手ぶらに見えたわけだ。でも……結局何買うの?」

「水着」

「ああ、水着か。……はあ!?」

 思わず声が裏返った。そして、僕の反応を楽しむように、彼女はクスッと笑う。

「そんなに驚かなくてもいいじゃん。私が水着持ってないの意外だった?」

「いや、そうじゃなくて……それならこんなとこじゃなくて、隣町のイオンの方が絶対良かったでしょ」

「あんなとこ行ったらすぐ噂になるよ?」

「いや、まあ……ンンン」

 声にならない唸りが漏れる。一瞬、それの何が問題なのか分からなくなった。そもそも僕はなぜ今彼女と一緒に買い物をしているのか。それを辿れば、あの初日に戻る。あの出来事があったから結果として僕は彼女の“足”をするに至るわけで、だからこそ、他人にはこの関係を知られない方がいい。そして彼女は、それを気遣ってあえてこの田舎のスーパーを選んだ、というわけか。

「でも……そもそもここ水着売ってるの?」

「うん。調べたらちょうど今水着フェアやってるって。時期的に何処かの売れ残り商品だろうけどね」

「んー、でも婦人服がメインだよ?それこそ、今回ばかりは女子友達とあっちでお洒落な水着漁った方が良かったと思うけど」

「いいの。こういうのはこっそり買うのが楽しいんだから」

 それに、と続けて彼女は横目で僕を見た。


「別に水着なんて何でもいいんだよ。大事なのは水着を着るのか、でしょ?」
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