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第5章 泳ぐ
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黙ってただ彼女と一緒に流れに身を任せていると、あっという間に半周が過ぎた。浮き輪ごと流れていく(というより流されていく)彼女は、後ろから見ると『救助を必要としている人』に見えなくもない。
「どう?快適?」
「んー……大きすぎて、ちょっと腕が疲れるかな」
「まあ……デカいのは多分二人を守るためだろうから、許してあげて」
「あっ、そういうことなの?」
彼女は浮き輪にしがみついたまま、上手いこと回転して僕の方を向いた。
瞬間——。僕は動揺した。純粋な驚きの表情とは相反して、浮き輪に圧迫された胸の谷間が、不純にも強調されている。目線の高さにあるそれが目の前にきて、咄嗟に目を逸せるわけがない。またしても言葉が喉を通らなくなって、僕は見開いた目で、小刻みに首を縦に振った。
「じゃあ、明希くんが前にきて私の腕を掴んでくれたら完璧じゃない?しがみつかなくていいし、明希くんが守ってくれるんでしょ?」
「あ、え……?」
彼女は僕に向かって、両手を伸ばす。その声も表情も、一切あざとさを感じさせない。けれどそれがかえって僕をドギマギさせる。僕はある意味で、麻美ちゃんのあざとさに慣れつつあったのかもしれない。彼女ならここで、イタズラな目であったり、何かを誘うような口元であったりを見せ、僕はそこで心臓を打たれつつも従う。不純に重ねる不純とは、また勝手が違う。
彼女の両腕を優しく掴み、流れる向きを背に彼女と対面する。周期的に浮き上がる体が、僕らの距離を近づけたり遠ざけたりする。無言の彼女が、ただ微笑む。
「な、なんか……タイタニックみたいだね」
間が持たなかった僕は何か言おうとして、結果おかしなことを口にしてしまった。
「明希くんがデカプリオ役?」
「いやまあ……そうなるのか」
「じゃあ沈むのは明希くんの役だね」
「え、僕沈むの?」
「あっ、ほら!今だよ!沈むタイミング」
「あ、え!?今!?」
よく分からないまま、彼女に促され僕は一度水中に潜った。不可抗力で、僕の脚と彼女の体が接触する。僕の下腹部が、水着を介して彼女の下腹部にぶつかる。じわじわと、腰の下に熱がこもる——。
三十秒ほどして、今度は僕の腕を彼女が引っ張り上げた。
「大丈夫ジャック?」
「大丈夫だよ。えっと……誰だっけ」
「プハっ。それ一番言っちゃダメだよ」
目の水滴を払うと、そこには珍しく歯を見せて笑う彼女がいた。もう、何が原因でここまで心臓が動いているのか、僕には分からない。
「そろそろ麻美ちゃんたちが見えるかなと思ってね」
そう言われてようやく気づいた。早くも一周したようで、ついさっき“輪投げ”をした場所が視界に収まっている。確かに、体裁が『僕と彼女を近づけるため』とはいえ、タイタニック状態の僕らをあの二人に見られたら、それはそれで恥ずかしいものがある。ましてや当の彼女は、その体裁すら知らないわけだし。
「二人は何してた?」
「いや、それが二人ともいなかったの。どこ行ったのかな」
「そっか……」
体が惰性で流されていく中、僕は念の為あたりを見回した。実はこっそり僕らを監視している……なんてことはなさそうだ。でも、消えたとなればそれはそれで気になる。二人で今何をしているのか。
いや——なぜ、今この状況で僕はそれを気にしているんだ?
「あっ、『スライダー行ってくる!』だってさ」
彼女が、首から下げたスマホの画面を僕に向ける。確かにそこには、『田中くん』という名でその文言のメッセージが表示されていた。
「私たちも行く?」
彼女の提案に、今度は首を横に振った。「邪魔しちゃ悪い気がする」と僕は言い訳したけれど、本心はそうじゃない。どちらにせよ、僕は今このプールから上がれる状況ではなかった。その辺、女子とは違うから困る。
「それにしても、電車で『お母さん』の話題が出た時、ヒヤッとしたね」
「あ、ああ……浩大なら『母さん美人なの?』とか訊きそうだし」
「明希くんのあの疑問もちょっと驚いたけど」
「あー。すみませんでした」
「ふふ。あれ本当に知らなかったの?」
「も、もちろん。逆に知ってた?」
「そりゃまあ……ね」
その微笑みが、今度は罠のように甘かった。
「もしかして……行ったことある?」
僕はその罠にまんまと引っかかった。「気になる?」とひとさじの毒が混じり、僕はそれを「うん」と飲み込む。空気と共に飲んだ毒の答えは、
「ふふっ。ひみつです」
僕はその表情でようやく思い出した。彼女もまた、一端の役者だったことを。
それから僕らは、ひたすら流れるプールを漂っていた。もう何周したのかも分からない。途中、僕が浮き輪にハマってみたり、彼女が上から乗ってみたりといくつか試したけれど、やっぱり最後はあのスタイルに落ち着いた。時間が経つにつれ次第に人で混み合ってきて、浮き輪が迷惑なほど存在感を発揮し始めた頃、ようやく僕らは上がった。その頃にはさすがに僕の体も落ち着きを取り戻していたし、うまいこと誤魔化せた……と思う。
「どう?快適?」
「んー……大きすぎて、ちょっと腕が疲れるかな」
「まあ……デカいのは多分二人を守るためだろうから、許してあげて」
「あっ、そういうことなの?」
彼女は浮き輪にしがみついたまま、上手いこと回転して僕の方を向いた。
瞬間——。僕は動揺した。純粋な驚きの表情とは相反して、浮き輪に圧迫された胸の谷間が、不純にも強調されている。目線の高さにあるそれが目の前にきて、咄嗟に目を逸せるわけがない。またしても言葉が喉を通らなくなって、僕は見開いた目で、小刻みに首を縦に振った。
「じゃあ、明希くんが前にきて私の腕を掴んでくれたら完璧じゃない?しがみつかなくていいし、明希くんが守ってくれるんでしょ?」
「あ、え……?」
彼女は僕に向かって、両手を伸ばす。その声も表情も、一切あざとさを感じさせない。けれどそれがかえって僕をドギマギさせる。僕はある意味で、麻美ちゃんのあざとさに慣れつつあったのかもしれない。彼女ならここで、イタズラな目であったり、何かを誘うような口元であったりを見せ、僕はそこで心臓を打たれつつも従う。不純に重ねる不純とは、また勝手が違う。
彼女の両腕を優しく掴み、流れる向きを背に彼女と対面する。周期的に浮き上がる体が、僕らの距離を近づけたり遠ざけたりする。無言の彼女が、ただ微笑む。
「な、なんか……タイタニックみたいだね」
間が持たなかった僕は何か言おうとして、結果おかしなことを口にしてしまった。
「明希くんがデカプリオ役?」
「いやまあ……そうなるのか」
「じゃあ沈むのは明希くんの役だね」
「え、僕沈むの?」
「あっ、ほら!今だよ!沈むタイミング」
「あ、え!?今!?」
よく分からないまま、彼女に促され僕は一度水中に潜った。不可抗力で、僕の脚と彼女の体が接触する。僕の下腹部が、水着を介して彼女の下腹部にぶつかる。じわじわと、腰の下に熱がこもる——。
三十秒ほどして、今度は僕の腕を彼女が引っ張り上げた。
「大丈夫ジャック?」
「大丈夫だよ。えっと……誰だっけ」
「プハっ。それ一番言っちゃダメだよ」
目の水滴を払うと、そこには珍しく歯を見せて笑う彼女がいた。もう、何が原因でここまで心臓が動いているのか、僕には分からない。
「そろそろ麻美ちゃんたちが見えるかなと思ってね」
そう言われてようやく気づいた。早くも一周したようで、ついさっき“輪投げ”をした場所が視界に収まっている。確かに、体裁が『僕と彼女を近づけるため』とはいえ、タイタニック状態の僕らをあの二人に見られたら、それはそれで恥ずかしいものがある。ましてや当の彼女は、その体裁すら知らないわけだし。
「二人は何してた?」
「いや、それが二人ともいなかったの。どこ行ったのかな」
「そっか……」
体が惰性で流されていく中、僕は念の為あたりを見回した。実はこっそり僕らを監視している……なんてことはなさそうだ。でも、消えたとなればそれはそれで気になる。二人で今何をしているのか。
いや——なぜ、今この状況で僕はそれを気にしているんだ?
「あっ、『スライダー行ってくる!』だってさ」
彼女が、首から下げたスマホの画面を僕に向ける。確かにそこには、『田中くん』という名でその文言のメッセージが表示されていた。
「私たちも行く?」
彼女の提案に、今度は首を横に振った。「邪魔しちゃ悪い気がする」と僕は言い訳したけれど、本心はそうじゃない。どちらにせよ、僕は今このプールから上がれる状況ではなかった。その辺、女子とは違うから困る。
「それにしても、電車で『お母さん』の話題が出た時、ヒヤッとしたね」
「あ、ああ……浩大なら『母さん美人なの?』とか訊きそうだし」
「明希くんのあの疑問もちょっと驚いたけど」
「あー。すみませんでした」
「ふふ。あれ本当に知らなかったの?」
「も、もちろん。逆に知ってた?」
「そりゃまあ……ね」
その微笑みが、今度は罠のように甘かった。
「もしかして……行ったことある?」
僕はその罠にまんまと引っかかった。「気になる?」とひとさじの毒が混じり、僕はそれを「うん」と飲み込む。空気と共に飲んだ毒の答えは、
「ふふっ。ひみつです」
僕はその表情でようやく思い出した。彼女もまた、一端の役者だったことを。
それから僕らは、ひたすら流れるプールを漂っていた。もう何周したのかも分からない。途中、僕が浮き輪にハマってみたり、彼女が上から乗ってみたりといくつか試したけれど、やっぱり最後はあのスタイルに落ち着いた。時間が経つにつれ次第に人で混み合ってきて、浮き輪が迷惑なほど存在感を発揮し始めた頃、ようやく僕らは上がった。その頃にはさすがに僕の体も落ち着きを取り戻していたし、うまいこと誤魔化せた……と思う。
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