黒に染まった華を摘む

馬場 蓮実

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第5章 泳ぐ

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「知り合い……?」

 念のために彼女に尋ねると、彼女は静かに首を横に振った。——やっぱりだ。

 僕の言葉を聞いたもう一人の男が、軽く笑って言う。

「あ、もしかして、君この子の彼氏?」

 僕はもう一度、彼女の方に視線を向けた。彼女は、今度はなぜか黙ったまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
 まるで、僕が何と答えるのか——その一点に、ただ興味を寄せているような目だった。不安や困惑ではない。ただ、僕を見ている。

 ——僕は友達ですけど、彼女にはちゃんと彼氏がいるんで。

 多分、事実を述べるならこうだ。そして、それが正しい答えだろう。でも——
拳にギュッと力を込めて、言い放った。

「そうです。だからちょっかいかけないでください」

 一瞬、迷いはあった。けれどそれでもなお、僕はその言葉を選んだ。正しくなくても、今この場においては、それが“最善”だと信じた。

 震えそうになる脚に力を込め、痛いほど高鳴る心臓を、深呼吸でなんとか抑え込む。

 ——怖い。けれど、それ以上に。

 今、彼女の顔を見るのが、どうしようもなく照れくさかった。
 間をおいて、隣にいた男が舌打ちをし、もう一人が「ハハハ、残念だったな」と笑いながらその男を見た。

「ごめんごめん、邪魔したな。ほら、次行くぞ」

「あー、マジだる……」

 一人が最後に僕を鋭く睨みつけて、飲食スペースから出ていく。なんとかこの場を凌いだ。その事実が全身の力を奪い、その場に崩れ込むようにベンチへ腰を下ろした。

「大丈夫……?」

 彼女が、ぐったりとした僕の顔を覗き込む。その安堵の色を帯びた笑顔に、すべてが救われたような気がする。

「まったく……プールって、治安悪いんだね」

「ふふっ。そうでもないよ?ナンパされたの、初めてだし」

 冷静に考えれば、僕も迂闊だった。こんなに可愛くてスタイルのいい子が、一人でご飯を食べていたら……そりゃ変な男が寄ってきてもおかしくない。

「でも、ありがと。今の明希くん、彼氏よりも彼氏っぽかったよ」

「そ、それは……どうも」

 穏やかな声でそんなことを言うもんだから、僕は上手く返せなかった。“彼氏よりも彼氏らしい”なんて——それ以上に嬉しい言葉、僕には思いつかない。

「じゃあ、食べ終わったし、次行こっか?さん」

「……なんか、ちょっとイジってない?」

「ふふ。いじってないよ」

 穏やかな声と、穏やかな笑顔。
 たとえからかわれていたとしても、もはやどちらでもいい。どちらであれ、僕の心はもう、十分すぎるほど満たされていた。

 二人が休憩スペースにいなかったことを伝えると、彼女は「ウォータースライダー行こっか」と言って、浩大にその旨をメッセージで送った。結構並ぶってことだけど、食後の休憩にはちょうどいい。下手に泳いでうどんを戻したら、すべてが台無しだから。

「それにしても、本当にどこ行ったんだろうね」

 最後尾にたどり着いて、彼女はその待ち列をゆっくりと見渡す。僕も一緒に探したけれど、やはりもうここにはいないようだ。

「お腹が痛いって言ってたけど、あれはもう治ったのかな?」

「いや……たぶん治ってないと思う。お腹が痛いっての、便秘とかそういうのじゃないからね」

 彼女は少し苦味の混じった表情でそう言った。けれど、僕には他に思い当たる理由がない。便秘じゃないなら、ストレスとか……?でも、麻美ちゃんがその手の理由で体調を崩すようなタイプには思えないし。

 僕の鈍感さを察したのか、彼女は声のトーンを落としながら、そっと付け加えた。

「麻美ちゃん、生理前だから……たぶんそのせい。私も生理痛ひどいから、気持ち分かるの」

「あっ——そういう……なるほど」

 なるほど、とは言ったものの、正直それでもピンと来ない。『生理痛』という言葉自体は、もちろん保健の授業で聞いたことがある。でも、それで実際に困っている女子と、間近で接したことは一度もなかった。まあ、よほど親しい関係でもなければ、そんな話を異性にする機会なんてないだろう。

「その……結構みんな悩んでるものなの?」

「んー、それが『人による』んだよね。全然平気な子もいれば、私みたいに痛くて薬飲んでる子もいるし」

「あ、ちゃんとそれ用の薬もあるんだ」

「うん。麻美ちゃんは、それでもキツいからピル飲んでるらしいけど」

 そこまで聞いた途端、僕は無意識に「えっ——」と声を漏らしていた。

 ピル——その単語は、さすがに知っている。でも、僕の知識ではそれは“避妊のための薬”であって、生理痛とはまったく関係がない。

 望んでいない不純が、僕の頭を真っ白に染めていく——。
 彼女が避妊薬を飲んでいる。たったそれだけの情報で、勝手に“その先”を想像してしまう。

「ピ、ピルって、生理痛と関係あるの……?」

 きっと、言った僕の顔は相当ぎこちなかったんだと思う。彼女は一瞬目を見開き、すぐにクスッと笑って頬を緩めた。

「ふふっ。明希くん、ピルを避妊目的で飲む人はたぶん半数もいないよ」

「え、そうなの……!?」

「どっちかっていうと、生理痛とか、生理不順とか……そういうのを整えるために飲んでる人の方が多いと思う」
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