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第5章 泳ぐ
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僕は気の抜けた声で「そうなんだ……」とつぶやいた。同時に、自分でも驚くほどはっきりと感じたのは——言葉にはしにくい安堵。
麻美ちゃんがそれを飲んでいる理由は、避妊じゃなくて痛みを和らげるため。つまり、不純な目的ではない。そこにほっとしている自分がいる。
……彼女が、僕の知らないところで何をしていようが、僕にとやかく言う資格なんて微塵もないのに。
「私も試しに飲んでみようかなー。期間も短くなるみたいだし、それだけでもありがたいんだよね」
独り言のように彼女もつぶやいた。表情は真面目で、きっと言葉の通りの意味なのだろう。でも、無意識におへその下を撫でている彼女を見ていると——胸の奥に、また別の感情が湧き上がってくる。
——仮に飲み始めたとして、あの先輩がそれを知ったら、どうなる?
「で、でもさ……麻美ちゃん、生理前なのにお腹痛いんだよね?それって結局、普通の薬と大差ないってことじゃない?」
「んー……飲み始めたのも割と最近って言ってたから、効果が出るまではもう少しかかるのかも」
「な、なるほど……でもほら!栞ちゃんは真面目な理由で飲んでても、それを知った“不真面目なやつ”が近寄ってきそう……っていうか」
言ってる途中で、思わずハッとした。今のは、どう考えても“中立な意見”ではない。彼女も一度小首をかしげて、それから、何かに気づいたように口元を緩ませる。
「……もしかして、心配してくれてるの?」
「あーいや、まあ……」
「ふふ。さすが彼氏さん」
同時に、彼女が僕の背中に手を添えて、優しく前へと促す。
ちょうど列が進んだタイミングだったらしい。体内で鳴り響く鼓動が、背中越しでさえ伝わってしまいそうだ。
「でも、彼氏の立場だと、飲んでる子の方がありがたいんじゃない?」
恥じらいのない、唐突なその一言は、僕には妙に生々しく感じられた。
「いや、んー……どう、だろ」
それはもちろん、その通りだ。なぜか?そんなもの彼女も僕も、言葉にはしないだけで分かってはいる。避妊の必要がないなら、ゴムを使う必要がない。それに——。
でも、だからこそ、今素直に肯定するわけにはいかなかった。あの先輩の支配欲が満たされるような、そんな事態を——僕はどうしても許せない。少なくとも、まだ別れていない彼女には、僕の口からそれを勧めることなんてできない。
「でも、今は、やめた方がいいと思う」
自分でも驚くほど、きっぱりと言い切った。もはや中立なんて言えないし、彼女の生理痛を軽んじたような、クソみたいな意見だ。それでも、僕はこれ以上、あの先輩に好き勝手される彼女の姿を想像したくなかった。
「それは、彼氏としての意見?それとも、明希くんの意見?」
「……僕の意見、かな」
ふーん。と、彼女は微笑む。その清々しい表情の内側で、今彼女が何を考えているのかは、分からなかった。思えば、先週もこんな風に、階段から見える景色を遠目で眺めては『彼氏』の話をしていたっけ。あのときも、今と同じような表情を浮かべていた気がする。やっぱり、今もあの人のことを考えているのだろうか。
遠くに流れていた視線が、列の動きに合わせて戻ってくる。階段を登り、止まって、そしてまた遠くを見る。僕は彼女の真似をするように景色を眺めた。不思議と、そこに気まずさは感じない。彼女の意識が、ここにはないからなのか——。
「じゃあ、今はやめとこっかな」
見上げると、いつの間にかその視線は僕に向けられていた。
不意を突かれた僕は、口は開いたものの声は出なかった。けれど、彼女の視線はそのまま逸れず、わずかに細められた目が、静かに“何か”を試してくる。
「よろしく、お願いします」
何か返さなきゃいけない。でも、その次の答えが、わからない。そんな中、気づいたら“お願い”していた。
当然、僕がその返答に違和感を感じているんだから、彼女だってそうだろう。口元を隠して、「フッ」と笑った。
「はい、こちらこそ?」
なんか、意味不明なのに会話が成立していくことに、妙な恥ずかしさだけが込み上げてくる。
「あ、あのさ。もし僕にできることあったら、言ってね」
「……それは、私がお腹痛いときの話?」
「ええっと、そう……なのかな」
「やっぱり、今日の明希くん、彼氏よりも彼氏だね」
強引に話をまとめようとして、どうやら上手くいったらしい。彼女の微笑みが、そう言ってくれているようだった。
その後すぐ僕らの順番がやってきて、そして意外にもあっさりと滑り終わってしまった。振り返ると、二人乗りのウォータースライダーは人生初だったかもしれない。先週ジェットコースターを体験しているせいか、良くも悪くもスリルのようなものは感じられなかった。まあ、全長は百メートルもないし、親子ならともかく“男女”でそこに重きを置いている人はいないだろう。
「全然怖くなかったね」
「うん……まあ、そもそも栞ちゃん絶叫に強いからなあ」
「あー、そういえば明希くん、フワッとするやつ苦手だよね」
「えッ、なんで知ってるの!?」
「だって、あの時顔引きつってたもん。なんだっけ、あの船みたいなやつ……あ、田中くんから返信来てる」
麻美ちゃんがそれを飲んでいる理由は、避妊じゃなくて痛みを和らげるため。つまり、不純な目的ではない。そこにほっとしている自分がいる。
……彼女が、僕の知らないところで何をしていようが、僕にとやかく言う資格なんて微塵もないのに。
「私も試しに飲んでみようかなー。期間も短くなるみたいだし、それだけでもありがたいんだよね」
独り言のように彼女もつぶやいた。表情は真面目で、きっと言葉の通りの意味なのだろう。でも、無意識におへその下を撫でている彼女を見ていると——胸の奥に、また別の感情が湧き上がってくる。
——仮に飲み始めたとして、あの先輩がそれを知ったら、どうなる?
「で、でもさ……麻美ちゃん、生理前なのにお腹痛いんだよね?それって結局、普通の薬と大差ないってことじゃない?」
「んー……飲み始めたのも割と最近って言ってたから、効果が出るまではもう少しかかるのかも」
「な、なるほど……でもほら!栞ちゃんは真面目な理由で飲んでても、それを知った“不真面目なやつ”が近寄ってきそう……っていうか」
言ってる途中で、思わずハッとした。今のは、どう考えても“中立な意見”ではない。彼女も一度小首をかしげて、それから、何かに気づいたように口元を緩ませる。
「……もしかして、心配してくれてるの?」
「あーいや、まあ……」
「ふふ。さすが彼氏さん」
同時に、彼女が僕の背中に手を添えて、優しく前へと促す。
ちょうど列が進んだタイミングだったらしい。体内で鳴り響く鼓動が、背中越しでさえ伝わってしまいそうだ。
「でも、彼氏の立場だと、飲んでる子の方がありがたいんじゃない?」
恥じらいのない、唐突なその一言は、僕には妙に生々しく感じられた。
「いや、んー……どう、だろ」
それはもちろん、その通りだ。なぜか?そんなもの彼女も僕も、言葉にはしないだけで分かってはいる。避妊の必要がないなら、ゴムを使う必要がない。それに——。
でも、だからこそ、今素直に肯定するわけにはいかなかった。あの先輩の支配欲が満たされるような、そんな事態を——僕はどうしても許せない。少なくとも、まだ別れていない彼女には、僕の口からそれを勧めることなんてできない。
「でも、今は、やめた方がいいと思う」
自分でも驚くほど、きっぱりと言い切った。もはや中立なんて言えないし、彼女の生理痛を軽んじたような、クソみたいな意見だ。それでも、僕はこれ以上、あの先輩に好き勝手される彼女の姿を想像したくなかった。
「それは、彼氏としての意見?それとも、明希くんの意見?」
「……僕の意見、かな」
ふーん。と、彼女は微笑む。その清々しい表情の内側で、今彼女が何を考えているのかは、分からなかった。思えば、先週もこんな風に、階段から見える景色を遠目で眺めては『彼氏』の話をしていたっけ。あのときも、今と同じような表情を浮かべていた気がする。やっぱり、今もあの人のことを考えているのだろうか。
遠くに流れていた視線が、列の動きに合わせて戻ってくる。階段を登り、止まって、そしてまた遠くを見る。僕は彼女の真似をするように景色を眺めた。不思議と、そこに気まずさは感じない。彼女の意識が、ここにはないからなのか——。
「じゃあ、今はやめとこっかな」
見上げると、いつの間にかその視線は僕に向けられていた。
不意を突かれた僕は、口は開いたものの声は出なかった。けれど、彼女の視線はそのまま逸れず、わずかに細められた目が、静かに“何か”を試してくる。
「よろしく、お願いします」
何か返さなきゃいけない。でも、その次の答えが、わからない。そんな中、気づいたら“お願い”していた。
当然、僕がその返答に違和感を感じているんだから、彼女だってそうだろう。口元を隠して、「フッ」と笑った。
「はい、こちらこそ?」
なんか、意味不明なのに会話が成立していくことに、妙な恥ずかしさだけが込み上げてくる。
「あ、あのさ。もし僕にできることあったら、言ってね」
「……それは、私がお腹痛いときの話?」
「ええっと、そう……なのかな」
「やっぱり、今日の明希くん、彼氏よりも彼氏だね」
強引に話をまとめようとして、どうやら上手くいったらしい。彼女の微笑みが、そう言ってくれているようだった。
その後すぐ僕らの順番がやってきて、そして意外にもあっさりと滑り終わってしまった。振り返ると、二人乗りのウォータースライダーは人生初だったかもしれない。先週ジェットコースターを体験しているせいか、良くも悪くもスリルのようなものは感じられなかった。まあ、全長は百メートルもないし、親子ならともかく“男女”でそこに重きを置いている人はいないだろう。
「全然怖くなかったね」
「うん……まあ、そもそも栞ちゃん絶叫に強いからなあ」
「あー、そういえば明希くん、フワッとするやつ苦手だよね」
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