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第7章 変調
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そうだ。いつまでも宙ぶらりんのままじゃいけない。栞ちゃんが今、僕のことをどう思っているのかは分からないけれど……はっきりと、僕は僕の気持ちを決めるべきだ。心の引っ掛かりを全て取り除くなんてことは多分できない。引っ掛かりがある中でも前に進むのが……きっと、大人になるってことなんだ。
時刻は、もう十九時五十分を回っていた。まもなく花火が上がる。
たった三十分のあいだに、伝えたい。全部は無理でも……最低限の気持ちだけでも。
そう心に決めた、その瞬間だった——。
「やっと見つけたわ」
突然、背後から男の声が聞こえた。人混みの中にしてはえらく鮮明で、真っ直ぐで、そして……どこか苛立ちを帯びている。その声に聞き覚えはない。けれど、その言葉が向いているのは、確実に彼女のほうだった。
まさか——。
僕は思わず振り返った。視界に飛び込んできたのは、驚いたような彼女の顔。その先には、僕よりも少し背の高い男が立っていた。
黒のワイドパンツに、水色のサマーニット。茶色がかった髪はゆるく整えられ、全体からは“洗練されたオシャレ”の匂いが漂っている。
「もしやと思って近づいてみたら……やっぱり来てたんだ」
「和也くん……」
彼女が、つぶやいた。
やっぱり——。僕の直感は当たっていた。この人は、いやこの男は……僕がずっと嫌悪していた、水泳部の先輩。なるほど。栞ちゃんが言っていた「変わった」って、こういうことか。外見も、態度も、記憶にある先輩とはまるで別人だった。
「今一人?少し話そうよ」
先輩は彼女に歩み寄ると、当然のように左手首を掴んだ。そしてそのまま、引き寄せるようにして道の端へ——
「やめてください」
僕は、反射的に動いていた。思考よりも先に、体が動いた。先輩の腕を、強く掴む。
「……なに?」
その瞬間、初めて目が合った。こうして見ると、確かに見覚えのある顔だ。そして向こうもすぐに僕のことを思い出したようだった。
「あれ……お前、副会長やってた奴じゃん」
「よく、ご存知で」
「……ちょっと待てよ。こいつと来たの?」
彼女が、小さく頷く。
先輩は一瞬だけ驚いた顔をして——そしてすぐ、皮肉げに笑った。
「へぇ。先週別れたばっかで、もう次の男か。最近会えない日多いと思ったら、そういうこと……後釜ができたから、そっちに乗り換えたわけ?」
僕の顔を一瞥したあと、彼女の顔をじっと見つめる。その視線の奥から、怒鳴り声ではなく、淡々とした口調で静かに言葉が突き刺さる。
「散々やることはやって、飽きたらバイバイってか。たった一ヶ月で、随分変わったな? 栞」
優越感、侮蔑、皮肉、そして苛立ち。先輩の声と表情には、そんな幾つもの負の感情が混ざっている。
なのに——彼女は、ただ黙っていた。
下唇をわずかに噛みしめ、視線を逸らさず、真っ直ぐに見返している。その瞳に浮かぶのは、怒りと……哀しみ。
「しかもこの時期の夜に、そんな格好でうろついてさ。……あざとすぎて引くんだけど」
口調が少しだけ鋭くなる。挑発とも取れる一言が空気を震わせる。それでも、彼女は言葉を返さない。
「いるんだよなあ」
溜め息混じりに、吐き捨てるような声。
「粘着しといて、保険できた途端に手のひら返すヤツ。……清楚ぶってる分、よけいタチ悪いんだわ」
痺れを切らしたのか、先輩は僕に視線を移した。
「で、キミは今どういう立ち位置?まさか付き合ってるはずはないと思うけど、栞を誘ったの?それとも誘われた?」
胸の奥が一瞬ヒヤリとする。でも、不思議と怖くはなかった。二週間前とは違う。あの時の不運が、今日のためにあったのだとすら思える。自分でも驚くほど、冷静だった。
この男がどう思おうと、知ったことじゃない。所詮は“元カレ”。僕が今守らなきゃいけないのは——彼女のことだけだ。もしここで本当のことを言えば、きっとまた彼女に矛先が向く。そう思った瞬間、迷いは消えていた。
「もちろん、僕——」
「私が誘ったよ」
まるで、僕の言葉を遮るように、彼女がはっきりと言い放った。
さすがに驚いた。何を言われても黙っていた彼女が、このタイミングで口を開いたことに。その表情は変わらない。ただ、その瞳には、迷いも揺らぎもなかった。あの時とは違う。僕の言葉に興味を持つような、あの目ではない。
「あっそ。……やっぱり、変わったな。もうただのビッチじゃん」
今度こそ吐き捨てるように先輩は言った。それを聞いた僕は、無意識に拳を握っていた。もし彼女が言葉を続けなかったら、僕は衝動的に先輩を殴っていたかもしれない。そのくらい、今の発言は許せなかった。
けれど——彼女は冷静に、言葉を返した。
「そうだよ。だから別れて良かったでしょ?」
「……は?認めんの?」
「和也くんがそう思うなら、そうなんじゃない?」
先輩の表情がピクリと強張る。返された言葉が意外すぎたのか、怒りをぶつける先を失ったように、その目が宙を彷徨う。
「和也くんに何と思われても、私は別に構わないから。それに——」
そう言って、彼女は僕の手をそっと握る。
「明希くんは、和也くんよりもずっと、良い彼氏だから」
彼女はそのまま僕の目を見つめ、ゆっくりと、先輩の目を見返した。躊躇も気後れもない、まっすぐな眼差しで。
時刻は、もう十九時五十分を回っていた。まもなく花火が上がる。
たった三十分のあいだに、伝えたい。全部は無理でも……最低限の気持ちだけでも。
そう心に決めた、その瞬間だった——。
「やっと見つけたわ」
突然、背後から男の声が聞こえた。人混みの中にしてはえらく鮮明で、真っ直ぐで、そして……どこか苛立ちを帯びている。その声に聞き覚えはない。けれど、その言葉が向いているのは、確実に彼女のほうだった。
まさか——。
僕は思わず振り返った。視界に飛び込んできたのは、驚いたような彼女の顔。その先には、僕よりも少し背の高い男が立っていた。
黒のワイドパンツに、水色のサマーニット。茶色がかった髪はゆるく整えられ、全体からは“洗練されたオシャレ”の匂いが漂っている。
「もしやと思って近づいてみたら……やっぱり来てたんだ」
「和也くん……」
彼女が、つぶやいた。
やっぱり——。僕の直感は当たっていた。この人は、いやこの男は……僕がずっと嫌悪していた、水泳部の先輩。なるほど。栞ちゃんが言っていた「変わった」って、こういうことか。外見も、態度も、記憶にある先輩とはまるで別人だった。
「今一人?少し話そうよ」
先輩は彼女に歩み寄ると、当然のように左手首を掴んだ。そしてそのまま、引き寄せるようにして道の端へ——
「やめてください」
僕は、反射的に動いていた。思考よりも先に、体が動いた。先輩の腕を、強く掴む。
「……なに?」
その瞬間、初めて目が合った。こうして見ると、確かに見覚えのある顔だ。そして向こうもすぐに僕のことを思い出したようだった。
「あれ……お前、副会長やってた奴じゃん」
「よく、ご存知で」
「……ちょっと待てよ。こいつと来たの?」
彼女が、小さく頷く。
先輩は一瞬だけ驚いた顔をして——そしてすぐ、皮肉げに笑った。
「へぇ。先週別れたばっかで、もう次の男か。最近会えない日多いと思ったら、そういうこと……後釜ができたから、そっちに乗り換えたわけ?」
僕の顔を一瞥したあと、彼女の顔をじっと見つめる。その視線の奥から、怒鳴り声ではなく、淡々とした口調で静かに言葉が突き刺さる。
「散々やることはやって、飽きたらバイバイってか。たった一ヶ月で、随分変わったな? 栞」
優越感、侮蔑、皮肉、そして苛立ち。先輩の声と表情には、そんな幾つもの負の感情が混ざっている。
なのに——彼女は、ただ黙っていた。
下唇をわずかに噛みしめ、視線を逸らさず、真っ直ぐに見返している。その瞳に浮かぶのは、怒りと……哀しみ。
「しかもこの時期の夜に、そんな格好でうろついてさ。……あざとすぎて引くんだけど」
口調が少しだけ鋭くなる。挑発とも取れる一言が空気を震わせる。それでも、彼女は言葉を返さない。
「いるんだよなあ」
溜め息混じりに、吐き捨てるような声。
「粘着しといて、保険できた途端に手のひら返すヤツ。……清楚ぶってる分、よけいタチ悪いんだわ」
痺れを切らしたのか、先輩は僕に視線を移した。
「で、キミは今どういう立ち位置?まさか付き合ってるはずはないと思うけど、栞を誘ったの?それとも誘われた?」
胸の奥が一瞬ヒヤリとする。でも、不思議と怖くはなかった。二週間前とは違う。あの時の不運が、今日のためにあったのだとすら思える。自分でも驚くほど、冷静だった。
この男がどう思おうと、知ったことじゃない。所詮は“元カレ”。僕が今守らなきゃいけないのは——彼女のことだけだ。もしここで本当のことを言えば、きっとまた彼女に矛先が向く。そう思った瞬間、迷いは消えていた。
「もちろん、僕——」
「私が誘ったよ」
まるで、僕の言葉を遮るように、彼女がはっきりと言い放った。
さすがに驚いた。何を言われても黙っていた彼女が、このタイミングで口を開いたことに。その表情は変わらない。ただ、その瞳には、迷いも揺らぎもなかった。あの時とは違う。僕の言葉に興味を持つような、あの目ではない。
「あっそ。……やっぱり、変わったな。もうただのビッチじゃん」
今度こそ吐き捨てるように先輩は言った。それを聞いた僕は、無意識に拳を握っていた。もし彼女が言葉を続けなかったら、僕は衝動的に先輩を殴っていたかもしれない。そのくらい、今の発言は許せなかった。
けれど——彼女は冷静に、言葉を返した。
「そうだよ。だから別れて良かったでしょ?」
「……は?認めんの?」
「和也くんがそう思うなら、そうなんじゃない?」
先輩の表情がピクリと強張る。返された言葉が意外すぎたのか、怒りをぶつける先を失ったように、その目が宙を彷徨う。
「和也くんに何と思われても、私は別に構わないから。それに——」
そう言って、彼女は僕の手をそっと握る。
「明希くんは、和也くんよりもずっと、良い彼氏だから」
彼女はそのまま僕の目を見つめ、ゆっくりと、先輩の目を見返した。躊躇も気後れもない、まっすぐな眼差しで。
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