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番外編 インバウンド(1)
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※今回、話の切れ目ではないところで切っています。
* * *
時代はインバウンドだと、涼夏が嬉々として言い出した。
インバウンドとは外国人が日本を訪れる旅行、もしくはその旅行客を指す言葉である。英語ではinbound trainとかinbound touristsのように用いる形容詞だが、日本では名詞的に使われている。
涼夏は雑貨屋でアルバイトをしているので、そのお客さんに外国人旅行者が増えたとか、帰宅部の常設イベントである絢音イングリッシュに繋がる話かと思ったら、そうではなかった。私の涼夏レベルは、まだまだ成長の余地を残している。
「京都はオーバーツーリズムで大変らしいが、我がプリフェクチャーには全然来ない」
「インダストリアルシティーだからねぇ」
絢音が残念そうにそう言ってから、「もしくはマニュファクチャリングハブ」と別の表現をすると、涼夏が目を輝かせた。
「カッコイイ表現だ。使っていこう」
ちょっと女子高生の日常会話で使うシーンが思い付かないが、頑張っていただきたいと思う。
日本に観光客が増えているのは、経済が低迷して円の価値が下がり、安い国になっているからで、手放しに喜べることではない。ジャパニフィケーションというやつだ。
もっとも、安くても旅行客が行かない国はあるから、訪れる魅力を感じてもらえるのは誇らしい。清潔だし、食べ物は美味しいし、独特の文化がある。日本のアニメが好きだという人も依然として多い。治安は少しずつ悪くなっているが、電車で寝ることも、夜道を歩くことも出来る。
世界遺産も多いし、綺麗な景色や有名な寺院、リラックス出来るビーチやハイキングが出来る山々など、自然も豊かだ。
しかし、我がプリフェクチャーには何もない。もちろん、海獣のたくさんいる大きな水族館や、日本で有数のプラネタリウム、歴史的に重要な古戦場、廃城を免れた現存天守、海外の文化を楽しめるテーマパーク、太古の昔から存在する神社など、観光地は無数にあるが、いずれも「他のプリフェクチャーにも存在する程度の観光地」であり、海外からわざわざ見に来るほどのものではない。
個人的な考えとしては、売り込み方の問題であり、十分観光的にも他のプリフェクチャーに引けを取らない魅力があると思うのだが、生憎国内での評価もマニュファクチャリングハブだ。
そんなガッカリ感を改めて共有するための話題かと思ったら、涼夏は実に帰宅部らしい前向きな提案を始めた。
「そこで、脱マニュファクチャリングハブを掲げて、インバウンドごっこをしようと思う」
「好き」
思わず抱き付くと、涼夏が「どうした?」と若干狼狽えたように身を引いた。絢音が私もと言って涼夏に抱き付きながら、低い位置から私を見上げた。
「それで、部長はインバウンドごっこがどういうものか、完全に理解したんだね?」
「何もわからない」
私が静かに首を振ると、涼夏が「じゃあ、この抱擁は何なの?」と呆れたように言った。
元の位置に戻って続きを促すと、涼夏がズボンにくっ付いたヌスビトハギを取るように、絢音を引き剥がしながら説明した。
「インバウンドごっこは、外国人旅行者の気分になって、我がプリフェクチャーを再発見する遊びだ」
「Amazing! That's awesome!」
絢音が涼夏の胸に顔を埋めながら、くぐもった声でそう叫ぶと、涼夏が冷静に退けた。
「言葉は日本語でいい」
「絢音イングリッシュの延長じゃないんだね。日本語で会話するなら、それはもう、日本人旅行者じゃない?」
私が疑問を呈すると、絢音があははと笑った。今の台詞の何が面白かったのかは不明だが、この人はいつも元気で明るい。
涼夏の説明によると、自分たちが海外の観光地を検索すると旅行会社や旅系のブログがヒットして、そういうところから情報を得るが、海外の人は日本に来る時、何を見て観光地を知るのかという疑問が、この遊びの発端らしい。
一瞬、同じように海外の旅行会社がヒットするのではないかと思ったが、欧米の訪日客がツアーで回っているところはあまり見ない。中国や韓国はその限りではないが、いずれにせよ日本特有の文化という気がする。
とりあえず、海外の人が日本に旅行に来る時に見るサイトは何か、ChatGPTに聞いてみると、Travel Japanというサイトを紹介してくれた。見てみると、確かに日本の数多の観光地が、各国の言葉で紹介されている。
では、これで我がプリフェクチャーを検索してみようと提案すると、涼夏が静かに首を振った。
「私も事前にこのサイトには行き着いたんだけど、このサイトは日本の団体が運営している。つまり、日本人の日本人による外国人のためのサイトだ」
突然のリンカーンに、絢音が涼夏にしがみつきながら笑った。その場所の居心地がいいのはわかるが、そろそろ会話に入ってきて欲しい。
もちろん、運営には海外の人もいるだろうが、あくまで自分たちが日本の旅行会社のサイトで海外の情報を調べるように、外国人の外国人による外国人のためのサイトが見たいというのが、この遊びの主旨だ。
ChatGPTは他にJapan GuideとInside Japan Toursというサイトも紹介してくれていて、とりあえず県別にページのあるJapan Guideで我がプリフェクチャーを検索したら、城が2つ出てきただけだった。
「知ってた。所詮マニュファクチャリングハブだ」
涼夏ががっくりと肩を落とす。ようやく絢音が胸以上に興味を惹かれたらしく、体を離してスマホを覗き込んだ。Inside Japan Toursで我がシティーだけを指定して検索する。
0件だった。「残念ながら、ご希望の条件に合う旅行は見つかりませんでした」という内容の英語が表示されて、絢音があははと笑った。涼夏も再びため息を落とす。
「こりゃ、誰も来ないはずだ」
「フックが欲しいよね、フックが」
私が右手でフックを打ちながらそう言うと、涼夏に「フックって言いたいだけだろ」とあしらわれた。ちょっと恥ずかしい。
* * *
時代はインバウンドだと、涼夏が嬉々として言い出した。
インバウンドとは外国人が日本を訪れる旅行、もしくはその旅行客を指す言葉である。英語ではinbound trainとかinbound touristsのように用いる形容詞だが、日本では名詞的に使われている。
涼夏は雑貨屋でアルバイトをしているので、そのお客さんに外国人旅行者が増えたとか、帰宅部の常設イベントである絢音イングリッシュに繋がる話かと思ったら、そうではなかった。私の涼夏レベルは、まだまだ成長の余地を残している。
「京都はオーバーツーリズムで大変らしいが、我がプリフェクチャーには全然来ない」
「インダストリアルシティーだからねぇ」
絢音が残念そうにそう言ってから、「もしくはマニュファクチャリングハブ」と別の表現をすると、涼夏が目を輝かせた。
「カッコイイ表現だ。使っていこう」
ちょっと女子高生の日常会話で使うシーンが思い付かないが、頑張っていただきたいと思う。
日本に観光客が増えているのは、経済が低迷して円の価値が下がり、安い国になっているからで、手放しに喜べることではない。ジャパニフィケーションというやつだ。
もっとも、安くても旅行客が行かない国はあるから、訪れる魅力を感じてもらえるのは誇らしい。清潔だし、食べ物は美味しいし、独特の文化がある。日本のアニメが好きだという人も依然として多い。治安は少しずつ悪くなっているが、電車で寝ることも、夜道を歩くことも出来る。
世界遺産も多いし、綺麗な景色や有名な寺院、リラックス出来るビーチやハイキングが出来る山々など、自然も豊かだ。
しかし、我がプリフェクチャーには何もない。もちろん、海獣のたくさんいる大きな水族館や、日本で有数のプラネタリウム、歴史的に重要な古戦場、廃城を免れた現存天守、海外の文化を楽しめるテーマパーク、太古の昔から存在する神社など、観光地は無数にあるが、いずれも「他のプリフェクチャーにも存在する程度の観光地」であり、海外からわざわざ見に来るほどのものではない。
個人的な考えとしては、売り込み方の問題であり、十分観光的にも他のプリフェクチャーに引けを取らない魅力があると思うのだが、生憎国内での評価もマニュファクチャリングハブだ。
そんなガッカリ感を改めて共有するための話題かと思ったら、涼夏は実に帰宅部らしい前向きな提案を始めた。
「そこで、脱マニュファクチャリングハブを掲げて、インバウンドごっこをしようと思う」
「好き」
思わず抱き付くと、涼夏が「どうした?」と若干狼狽えたように身を引いた。絢音が私もと言って涼夏に抱き付きながら、低い位置から私を見上げた。
「それで、部長はインバウンドごっこがどういうものか、完全に理解したんだね?」
「何もわからない」
私が静かに首を振ると、涼夏が「じゃあ、この抱擁は何なの?」と呆れたように言った。
元の位置に戻って続きを促すと、涼夏がズボンにくっ付いたヌスビトハギを取るように、絢音を引き剥がしながら説明した。
「インバウンドごっこは、外国人旅行者の気分になって、我がプリフェクチャーを再発見する遊びだ」
「Amazing! That's awesome!」
絢音が涼夏の胸に顔を埋めながら、くぐもった声でそう叫ぶと、涼夏が冷静に退けた。
「言葉は日本語でいい」
「絢音イングリッシュの延長じゃないんだね。日本語で会話するなら、それはもう、日本人旅行者じゃない?」
私が疑問を呈すると、絢音があははと笑った。今の台詞の何が面白かったのかは不明だが、この人はいつも元気で明るい。
涼夏の説明によると、自分たちが海外の観光地を検索すると旅行会社や旅系のブログがヒットして、そういうところから情報を得るが、海外の人は日本に来る時、何を見て観光地を知るのかという疑問が、この遊びの発端らしい。
一瞬、同じように海外の旅行会社がヒットするのではないかと思ったが、欧米の訪日客がツアーで回っているところはあまり見ない。中国や韓国はその限りではないが、いずれにせよ日本特有の文化という気がする。
とりあえず、海外の人が日本に旅行に来る時に見るサイトは何か、ChatGPTに聞いてみると、Travel Japanというサイトを紹介してくれた。見てみると、確かに日本の数多の観光地が、各国の言葉で紹介されている。
では、これで我がプリフェクチャーを検索してみようと提案すると、涼夏が静かに首を振った。
「私も事前にこのサイトには行き着いたんだけど、このサイトは日本の団体が運営している。つまり、日本人の日本人による外国人のためのサイトだ」
突然のリンカーンに、絢音が涼夏にしがみつきながら笑った。その場所の居心地がいいのはわかるが、そろそろ会話に入ってきて欲しい。
もちろん、運営には海外の人もいるだろうが、あくまで自分たちが日本の旅行会社のサイトで海外の情報を調べるように、外国人の外国人による外国人のためのサイトが見たいというのが、この遊びの主旨だ。
ChatGPTは他にJapan GuideとInside Japan Toursというサイトも紹介してくれていて、とりあえず県別にページのあるJapan Guideで我がプリフェクチャーを検索したら、城が2つ出てきただけだった。
「知ってた。所詮マニュファクチャリングハブだ」
涼夏ががっくりと肩を落とす。ようやく絢音が胸以上に興味を惹かれたらしく、体を離してスマホを覗き込んだ。Inside Japan Toursで我がシティーだけを指定して検索する。
0件だった。「残念ながら、ご希望の条件に合う旅行は見つかりませんでした」という内容の英語が表示されて、絢音があははと笑った。涼夏も再びため息を落とす。
「こりゃ、誰も来ないはずだ」
「フックが欲しいよね、フックが」
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