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第6話 誕生日(1)
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6月第2週の日曜日。奈都の誕生日。中3の去年は平日で、学校帰りに2人で過ごしたが、今年は涼夏が誕生日会を企画してくれた。企画と言っても4人で集まって遊んで、プレゼントを渡すだけだが、それでも十分嬉しい。肝心な本人はどう思っているか、涼夏自身も気にしていたが、聞いてみたら素直に喜んでいた。
「バトン部でも私の誕生日を知ってる子はいるけど、わざわざ休日まで使って祝ってくれる子はいないしね」
涼夏に誘われた翌日の朝、奈都はそう言って声を弾ませた。もちろんそれは、バトン部の子が単に迷惑ではないかと気を遣っただけかもしれないが、涼夏のように一歩踏み込まなければ仲は深まらない。涼夏は絢音とは別の意味で距離感が近い。私にはそれがとても嬉しい。
日曜日当日、大人っぽいブラウスに可愛めのスカートを穿いて外に出た。微妙に合っていない気もするが、所持しているアイテムが少ないから仕方ない。メイクは目はいじらずに肌を整える程度で。主役がすっぴんなのに、私たちが気合を入れるのは良くないと、涼夏と事前に取り決めた。
駅で先に待っていた奈都が、私を見て顔を綻ばせた。
「おはよう。スカート可愛いね」
「おはよ。まあ、一応、ちょっとオシャレを?」
「チサがスカート穿いてるところなんて、見たことがない」
「いや、結構穿いてる。なんならワンピースとかも着る。っていうか、学校じゃいつもスカートだし」
奈都のよくわからない振りに冷静に返すと、言い出しっぺは楽しそうに微笑んだ。調子も機嫌も良さそうだ。
格好はパーカーにショートパンツにスニーカー。素材がもったいなくて仕方ないが、似合っていないわけでもないのがまた悔しい。この子は一生、ガーリーな格好をしない気がする。
待ち合わせの恵坂までイエローラインで一本。絢音と涼夏は先に来ていて、私たちを見つけて手を振った。絢音は意外と短いスカートと、底が厚めの靴を履いて、いつもより少し視線が高い。涼夏は元気なパンツルックで、約束通り目力弱めなメイクだが、それでもやはり圧倒的に可愛い。
私がじっと見つめると、涼夏は恥ずかしそうに顔を隠した。
「なんか、いつもメイクしてると、メイク無しで人と会えなくなる」
「私は涼夏もチサも、そのままで十分可愛いと思うけど」
奈都が呆れたようにそう言って、隣で絢音が苦笑いを浮かべた。すっぴんでも高校生としては可愛い部類だろうし、男子にモテたいわけでもない。ただ、可愛くありたいという自己満足だから、こればかりは他人からの評価はあまり関係がない。
「まあでも、私もいつかは必要になるだろうし、その時は教えてね」
涼夏に余計な言い訳をさせることなく、奈都が見事に話を終わらせた。「もちろん!」と頷く涼夏を見てほっと息をつく。こういう自分経由で知り合った輪を繋げるのは緊張するが、この二人に関しては心配する必要はなさそうだ。
「西畑さん、学校とは印象が違うね」
奈都が絢音に微笑む。私は絢音とも休日に何度か遊んでいるが、このメンバーで会うのは今日が初めてだ。絢音は服を見せるように半身だけ振り返るポーズをした。
「今日はちょっと女の子。今澤さんは印象通りボーイッシュだね。いい意味で」
「いい意味でって、いい意味なの?」
「いい意味で」
絢音がくすっと笑って、奈都も可笑しそうに顔を綻ばせた。そんな二人の様子を見ていた涼夏が、笑顔でポンと手を打った。
「名前の呼び方、今日から変えたら?」
唐突な提案。
絢音が「あー」とふんわりとした相槌を打って、私はゴクリと息を呑んだ。まだ付き合いの短い奈都と絢音は、お互いを名字で呼び合っている。涼夏にはそれが少し他人行儀に感じたのだろう。
ただ、絢音は抱きついて耳に舌を入れてくるような子だが、すべて考えた上で距離を縮めている。奈都との距離だって考えていないはずがない。涼夏もそれはわかっているはずだ。それでも敢えてそう言ったのは、絢音が思うより行けると考えたのか、それとももっと踏み込んで欲しいというただの希望か。
いずれにせよ、奈都の前で言われた以上、絢音にそれを拒否するという選択はない。ハラハラしながら見守っていると、絢音は明るい笑顔で奈都を見つめた。
「どうしよっか。ナッちゃんは二番煎じだから、カタカナでナツにする?」
「カタカナとか平仮名とかわかるの?」
「奈都とナツじゃ、響きが違うでしょ?」
「私には違いが微妙すぎてわかんないけど、カタカナでいいよ。私はアヤにしようかな。千紗都はチサだし」
そう言って笑う奈都に、絢音が握手を求めるように手を差し出した。奈都がその手を握って、絢音が満足そうに頷く。ボディータッチ計画の第一歩だ。私や涼夏とも、この握手から始まった。
「その流れだと、私はスズじゃないの?」
涼夏が不満げに唇を尖らせた。涼夏だけは何故かそのまま涼夏と呼ばれている。奈都が困ったように笑った。
「えっと、スズって響きが、これは私のとっても個人的な意見なんだけど、あんまり可愛く感じなくて」
「わかる。ちょっとおばさんっぽいよね」
せっかく奈都が10枚くらいオブラートに包んだのに、本人がはっきりとそう言って、奈都があははと乾いた笑みを浮かべた。とりあえず全国のすずさん、うちの涼夏がごめんなさい。帰宅部の部長として、私は心の中で陳謝した。
遊びの一発目はカラオケである。昼になると混むし、午前から入ると安いと言って、涼夏が意気揚々と私たちをカラオケ店に連れて来た。混むからと言いながら、ちゃんと予約してあるのがこの子の偉いところだ。私はお店に電話をするとか苦手なのだが、客商売のバイトをしている涼夏にはどうと言うことはないのだろう。こういう些細なところでとても大人に感じる。
カラオケは帰宅部でも定番の遊びである。3人で来ることもあるし、涼夏や絢音と二人だけの時もある。いずれにせよ利用頻度は高いが、奈都と二人で遊ぶ時に選択することはほとんどない。別にお互い歌が嫌いでも苦手でもないのだが、あまり話せないし、お金もかかる。それに、曲の趣味にもズレがある。
カラオケという場所は、交流を目的に入るには、若干不向きだと感じる。一体涼夏はどうするつもりなのだろう。ドキドキしながら成り行きを見守っていると、絢音が小さく笑って私の耳に顔を寄せた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「たぶんね。でも、私の友達をくっつけるのに、私が自分で動かなかったのは失敗だった」
「こういう時は自分で仕切った方が安心かもね。今日は涼夏に任せてみたら?」
絢音がそう言って、二人に気付かれないように私の背中を柔らかく撫でた。その言葉と手の温もりに、私は少しだけ安心して息を吐いた。絢音がそう言ったということは、少なくとも先ほどの呼び方の提案は、絢音的にはOKだったということだ。
ドリンクを持って部屋に入ると、涼夏がどっかりと腰を下ろしてリモコンをテーブルに置いた。
「リモコン、回す? 適当に入れて適当に歌う?」
「適当でいいよ。私、そんなにレパートリーがない」
真っ先に奈都が答える。奈都がそれを自然に主張できる流れを作ってくれたことに、私は内心で感謝を捧げた。奈都のことはまだよく知らないだろうに、涼夏は大雑把を装いながら、すごく繊細に事を進めている。しかも、恐らく無意識に。涼夏が普通に振る舞えば、当たり前にこうなるのだ。
「ナツは何を歌うの?」
絢音がリモコンをポチポチしながら聞くと、奈都はほんの一瞬考える素振りをしてから、何でもないように言った。
「アニソンとかかな」
言うんだ。空気がピリッと張ったのは、私が息を呑んだせいかもしれない。もちろん私は知っていたが、それをまだあまり仲が深まっていない二人に、いきなり言うとは思わなかった。いや、そもそもそう考えてしまう時点で、私がアニソンが好きだという人に偏見を持っているのかもしれない。
涼夏が「へー」と呟いてから、まばたきをして奈都を見つめた。
「今日は意外なナッちゃんが知れて楽しいよ」
「よく言われる。アニメをそんなに見るわけでもないんだけど、声優さんとかアニソン歌手とか好きかな。涼夏は?」
「アニソン好きって友達もたくさんいるから、何の偏見もないけど、私は聴かない」
「じゃあ、チサと同じだ。涼夏とチサは、色んなところが似てる」
「それなら、私とナッちゃんも愛し合えるね」
そう言って会話を締め括った涼夏の見事さに、私は拍手を贈りたくなった。私なら今の会話を、ポジティブな内容で終わらせる自信がなかった。
「涼夏、抱きしめていい?」
私が感動に震える声でそう言うと、涼夏がギョッとした目で私を見て体を震わせた。
「いや、マジで意味わからん。千紗都の思考回路って、一体どうなってんの?」
隣で奈都も、何言ってんだこいつという目で私を見ている。絢音が一人平然とリモコンを掲げて、曲を入れてマイクを取った。
「じゃあ、アニソンにも理解のある私が歌おう」
誰もが聴いたことがあるが、曲調も年代も古くないアニメソング。奈都もよくカラオケで歌っているが、果たして絢音と一緒に歌う気になるか。
絢音が歌い始めた瞬間、奈都が驚いたように目を丸くした。
「えっ? うま……」
思わずというように漏れたその呟きに、私は自分のことのように鼻を高くした。絢音は歌が上手い。音程の正確さに加えて、日頃の絢音からでは想像もつかない声量。低音は太くて落ち着きがあり、高音はファルセットから透明に抜けていく。私も涼夏も最初は面食らったし、一緒に歌うのが恥ずかしくなったが、もう慣れた。奈都にも慣れてもらおう。
「めちゃめちゃ上手いじゃん。びっくりした」
歌い終わった後、小さく拍手する奈都に、絢音は満足そうに笑った。
「ボーカルだからね」
「何のだよ」
涼夏がくすくすと笑いながら、動画サイトで話題の有名曲を入れた。奈都の言う通り、私と涼夏は好きな曲も、音楽との接し方も似ている。動画サイトで再生数の多い曲を聴く。だから、テレビでよく耳にするアーティストではないが、何百万回再生というような、ややサブカル寄りの選曲になる。
最近の中高生はみんなそんなものだ。CDは高いし、動画サイトには素敵な曲が溢れている。PV・MV付きでフルで聴ける曲もたくさんある。それも、違法アップロードではなく、公式チャンネルで公開されているものだ。アーティストも最初から私たちのような人間をターゲットにしているし、結果的にそれで収入も得ている。
涼夏の歌が普通だったからか、奈都がほっと息を吐いた。「失礼だなぁ」と涼夏が小突くが、それで奈都も歌いやすくなっただろう。
初めての4人でのカラオケは、私の心配とは裏腹に、和やかに進んだ。絢音の言う通り、涼夏に任せておけばいいのだ。この子は私が考える以上にすごいのだと、改めて思い知った。
カラオケの最中、奈都がトイレで席を外した時に、涼夏に「今日、どう?」と短く聞いてみた。涼夏は私の質問の意図を汲み取ったのか、ニタリと笑って言った。
「今日は本気でナッちゃんを落としにいく。私はあの子が帰宅部に欲しい」
「トップヒエラルキーの涼夏に本気で落とされるとか、奈都は幸せ者だ」
「だったら千紗都も幸せ者でしょ」
おどけるようにそう言って、涼夏が明るく笑った。すでにキスのことは知っているらしく、絢音が笑いを堪えるように肩を震わせる。まったく変な子たちだが、とりあえずいつもの帰宅部の空気が何も変わっていないことに、私はほっと胸を撫で下ろした。
「バトン部でも私の誕生日を知ってる子はいるけど、わざわざ休日まで使って祝ってくれる子はいないしね」
涼夏に誘われた翌日の朝、奈都はそう言って声を弾ませた。もちろんそれは、バトン部の子が単に迷惑ではないかと気を遣っただけかもしれないが、涼夏のように一歩踏み込まなければ仲は深まらない。涼夏は絢音とは別の意味で距離感が近い。私にはそれがとても嬉しい。
日曜日当日、大人っぽいブラウスに可愛めのスカートを穿いて外に出た。微妙に合っていない気もするが、所持しているアイテムが少ないから仕方ない。メイクは目はいじらずに肌を整える程度で。主役がすっぴんなのに、私たちが気合を入れるのは良くないと、涼夏と事前に取り決めた。
駅で先に待っていた奈都が、私を見て顔を綻ばせた。
「おはよう。スカート可愛いね」
「おはよ。まあ、一応、ちょっとオシャレを?」
「チサがスカート穿いてるところなんて、見たことがない」
「いや、結構穿いてる。なんならワンピースとかも着る。っていうか、学校じゃいつもスカートだし」
奈都のよくわからない振りに冷静に返すと、言い出しっぺは楽しそうに微笑んだ。調子も機嫌も良さそうだ。
格好はパーカーにショートパンツにスニーカー。素材がもったいなくて仕方ないが、似合っていないわけでもないのがまた悔しい。この子は一生、ガーリーな格好をしない気がする。
待ち合わせの恵坂までイエローラインで一本。絢音と涼夏は先に来ていて、私たちを見つけて手を振った。絢音は意外と短いスカートと、底が厚めの靴を履いて、いつもより少し視線が高い。涼夏は元気なパンツルックで、約束通り目力弱めなメイクだが、それでもやはり圧倒的に可愛い。
私がじっと見つめると、涼夏は恥ずかしそうに顔を隠した。
「なんか、いつもメイクしてると、メイク無しで人と会えなくなる」
「私は涼夏もチサも、そのままで十分可愛いと思うけど」
奈都が呆れたようにそう言って、隣で絢音が苦笑いを浮かべた。すっぴんでも高校生としては可愛い部類だろうし、男子にモテたいわけでもない。ただ、可愛くありたいという自己満足だから、こればかりは他人からの評価はあまり関係がない。
「まあでも、私もいつかは必要になるだろうし、その時は教えてね」
涼夏に余計な言い訳をさせることなく、奈都が見事に話を終わらせた。「もちろん!」と頷く涼夏を見てほっと息をつく。こういう自分経由で知り合った輪を繋げるのは緊張するが、この二人に関しては心配する必要はなさそうだ。
「西畑さん、学校とは印象が違うね」
奈都が絢音に微笑む。私は絢音とも休日に何度か遊んでいるが、このメンバーで会うのは今日が初めてだ。絢音は服を見せるように半身だけ振り返るポーズをした。
「今日はちょっと女の子。今澤さんは印象通りボーイッシュだね。いい意味で」
「いい意味でって、いい意味なの?」
「いい意味で」
絢音がくすっと笑って、奈都も可笑しそうに顔を綻ばせた。そんな二人の様子を見ていた涼夏が、笑顔でポンと手を打った。
「名前の呼び方、今日から変えたら?」
唐突な提案。
絢音が「あー」とふんわりとした相槌を打って、私はゴクリと息を呑んだ。まだ付き合いの短い奈都と絢音は、お互いを名字で呼び合っている。涼夏にはそれが少し他人行儀に感じたのだろう。
ただ、絢音は抱きついて耳に舌を入れてくるような子だが、すべて考えた上で距離を縮めている。奈都との距離だって考えていないはずがない。涼夏もそれはわかっているはずだ。それでも敢えてそう言ったのは、絢音が思うより行けると考えたのか、それとももっと踏み込んで欲しいというただの希望か。
いずれにせよ、奈都の前で言われた以上、絢音にそれを拒否するという選択はない。ハラハラしながら見守っていると、絢音は明るい笑顔で奈都を見つめた。
「どうしよっか。ナッちゃんは二番煎じだから、カタカナでナツにする?」
「カタカナとか平仮名とかわかるの?」
「奈都とナツじゃ、響きが違うでしょ?」
「私には違いが微妙すぎてわかんないけど、カタカナでいいよ。私はアヤにしようかな。千紗都はチサだし」
そう言って笑う奈都に、絢音が握手を求めるように手を差し出した。奈都がその手を握って、絢音が満足そうに頷く。ボディータッチ計画の第一歩だ。私や涼夏とも、この握手から始まった。
「その流れだと、私はスズじゃないの?」
涼夏が不満げに唇を尖らせた。涼夏だけは何故かそのまま涼夏と呼ばれている。奈都が困ったように笑った。
「えっと、スズって響きが、これは私のとっても個人的な意見なんだけど、あんまり可愛く感じなくて」
「わかる。ちょっとおばさんっぽいよね」
せっかく奈都が10枚くらいオブラートに包んだのに、本人がはっきりとそう言って、奈都があははと乾いた笑みを浮かべた。とりあえず全国のすずさん、うちの涼夏がごめんなさい。帰宅部の部長として、私は心の中で陳謝した。
遊びの一発目はカラオケである。昼になると混むし、午前から入ると安いと言って、涼夏が意気揚々と私たちをカラオケ店に連れて来た。混むからと言いながら、ちゃんと予約してあるのがこの子の偉いところだ。私はお店に電話をするとか苦手なのだが、客商売のバイトをしている涼夏にはどうと言うことはないのだろう。こういう些細なところでとても大人に感じる。
カラオケは帰宅部でも定番の遊びである。3人で来ることもあるし、涼夏や絢音と二人だけの時もある。いずれにせよ利用頻度は高いが、奈都と二人で遊ぶ時に選択することはほとんどない。別にお互い歌が嫌いでも苦手でもないのだが、あまり話せないし、お金もかかる。それに、曲の趣味にもズレがある。
カラオケという場所は、交流を目的に入るには、若干不向きだと感じる。一体涼夏はどうするつもりなのだろう。ドキドキしながら成り行きを見守っていると、絢音が小さく笑って私の耳に顔を寄せた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「たぶんね。でも、私の友達をくっつけるのに、私が自分で動かなかったのは失敗だった」
「こういう時は自分で仕切った方が安心かもね。今日は涼夏に任せてみたら?」
絢音がそう言って、二人に気付かれないように私の背中を柔らかく撫でた。その言葉と手の温もりに、私は少しだけ安心して息を吐いた。絢音がそう言ったということは、少なくとも先ほどの呼び方の提案は、絢音的にはOKだったということだ。
ドリンクを持って部屋に入ると、涼夏がどっかりと腰を下ろしてリモコンをテーブルに置いた。
「リモコン、回す? 適当に入れて適当に歌う?」
「適当でいいよ。私、そんなにレパートリーがない」
真っ先に奈都が答える。奈都がそれを自然に主張できる流れを作ってくれたことに、私は内心で感謝を捧げた。奈都のことはまだよく知らないだろうに、涼夏は大雑把を装いながら、すごく繊細に事を進めている。しかも、恐らく無意識に。涼夏が普通に振る舞えば、当たり前にこうなるのだ。
「ナツは何を歌うの?」
絢音がリモコンをポチポチしながら聞くと、奈都はほんの一瞬考える素振りをしてから、何でもないように言った。
「アニソンとかかな」
言うんだ。空気がピリッと張ったのは、私が息を呑んだせいかもしれない。もちろん私は知っていたが、それをまだあまり仲が深まっていない二人に、いきなり言うとは思わなかった。いや、そもそもそう考えてしまう時点で、私がアニソンが好きだという人に偏見を持っているのかもしれない。
涼夏が「へー」と呟いてから、まばたきをして奈都を見つめた。
「今日は意外なナッちゃんが知れて楽しいよ」
「よく言われる。アニメをそんなに見るわけでもないんだけど、声優さんとかアニソン歌手とか好きかな。涼夏は?」
「アニソン好きって友達もたくさんいるから、何の偏見もないけど、私は聴かない」
「じゃあ、チサと同じだ。涼夏とチサは、色んなところが似てる」
「それなら、私とナッちゃんも愛し合えるね」
そう言って会話を締め括った涼夏の見事さに、私は拍手を贈りたくなった。私なら今の会話を、ポジティブな内容で終わらせる自信がなかった。
「涼夏、抱きしめていい?」
私が感動に震える声でそう言うと、涼夏がギョッとした目で私を見て体を震わせた。
「いや、マジで意味わからん。千紗都の思考回路って、一体どうなってんの?」
隣で奈都も、何言ってんだこいつという目で私を見ている。絢音が一人平然とリモコンを掲げて、曲を入れてマイクを取った。
「じゃあ、アニソンにも理解のある私が歌おう」
誰もが聴いたことがあるが、曲調も年代も古くないアニメソング。奈都もよくカラオケで歌っているが、果たして絢音と一緒に歌う気になるか。
絢音が歌い始めた瞬間、奈都が驚いたように目を丸くした。
「えっ? うま……」
思わずというように漏れたその呟きに、私は自分のことのように鼻を高くした。絢音は歌が上手い。音程の正確さに加えて、日頃の絢音からでは想像もつかない声量。低音は太くて落ち着きがあり、高音はファルセットから透明に抜けていく。私も涼夏も最初は面食らったし、一緒に歌うのが恥ずかしくなったが、もう慣れた。奈都にも慣れてもらおう。
「めちゃめちゃ上手いじゃん。びっくりした」
歌い終わった後、小さく拍手する奈都に、絢音は満足そうに笑った。
「ボーカルだからね」
「何のだよ」
涼夏がくすくすと笑いながら、動画サイトで話題の有名曲を入れた。奈都の言う通り、私と涼夏は好きな曲も、音楽との接し方も似ている。動画サイトで再生数の多い曲を聴く。だから、テレビでよく耳にするアーティストではないが、何百万回再生というような、ややサブカル寄りの選曲になる。
最近の中高生はみんなそんなものだ。CDは高いし、動画サイトには素敵な曲が溢れている。PV・MV付きでフルで聴ける曲もたくさんある。それも、違法アップロードではなく、公式チャンネルで公開されているものだ。アーティストも最初から私たちのような人間をターゲットにしているし、結果的にそれで収入も得ている。
涼夏の歌が普通だったからか、奈都がほっと息を吐いた。「失礼だなぁ」と涼夏が小突くが、それで奈都も歌いやすくなっただろう。
初めての4人でのカラオケは、私の心配とは裏腹に、和やかに進んだ。絢音の言う通り、涼夏に任せておけばいいのだ。この子は私が考える以上にすごいのだと、改めて思い知った。
カラオケの最中、奈都がトイレで席を外した時に、涼夏に「今日、どう?」と短く聞いてみた。涼夏は私の質問の意図を汲み取ったのか、ニタリと笑って言った。
「今日は本気でナッちゃんを落としにいく。私はあの子が帰宅部に欲しい」
「トップヒエラルキーの涼夏に本気で落とされるとか、奈都は幸せ者だ」
「だったら千紗都も幸せ者でしょ」
おどけるようにそう言って、涼夏が明るく笑った。すでにキスのことは知っているらしく、絢音が笑いを堪えるように肩を震わせる。まったく変な子たちだが、とりあえずいつもの帰宅部の空気が何も変わっていないことに、私はほっと胸を撫で下ろした。
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