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第11話 ステージ(2)
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ステージ企画はメイン会場となる私立高校の附属中学のグラウンドで行われる。私の家からはイエローラインで1本。上ノ水よりさらに向こうで、最寄り駅から40分くらいだろうか。
いよいよ夏休み。早起きしてメイクをして、制服を着て外に出た。せっかく夏休みだし、私は私服を推したが、制服は青春の香りがするという涼夏のよくわからない理由に押し切られた。
朝から暑い。絢音にメールをしながら電車に乗って、途中の駅で涼夏と合流すると、いつもよりさらに着崩した涼夏が、固く目を閉じて悲鳴を上げた。
「朝から暑い。無理」
「制服だし」
シャツの襟に触れながら言うと、涼夏は非難げに私を睨んだ。
「昨日言ってよ。私は見た目だけで制服を選んだ」
「まあまあ。ほとんど屋内だし、電車の中は涼しいじゃん?」
「ずっとこうしてる」
そう言って、涼夏は私の手を握って少しだけ私に体重を預けた。こうとは何だろう。涼しいから電車の中にいたいという意味で捉えたが、私と手を繋いで座っていたいという意味だろうか。
探るように涼夏を見ると、涼夏は目を細めて私の顎を指先で撫でた。
「環状線だったら良かったのに」
「仕草と台詞が合ってないから!」
どうやら前者だったらしい。私の抗議に、涼夏はくすっと笑った。
サマセミは朝から盛況だった。やはり学生が多いが、子供連れの家族や、お年寄りの姿もある。受付でパンフレットをもらい、早速目星をつけた講座の教室を覗きに行くと、人の入りはバラバラだった。少ない方がじっくり教えてもらえそうだが、少ないということは講座の内容が大したことないのかもしれない。もちろん、単に講師の知名度と人脈のせいかもしれないが、何となく恥ずかしい女子高生心理が働いて、人が入っている講座を選ぶことにした。
1限はパーソナルカラーを知ろう的な講座を受け、2限はJKによるJKのためのメイク的な講座を受けた。どちらも絢音は興味がなさそうだが、内容は良かったので、全体の評価としてサマセミは面白いと結論付けていいだろう。明日も来るかは、また夜にでも3人で通話して決めたい。
「意外と収穫があった」
昼休み。涼夏が笑顔でそう言いながらホットドッグを頬張った。うなじに浮かんだ汗の滴がとてもエッチだ。私がじっと見つめていると、涼夏が「食べる?」と言いながら、食べかけのホットドッグを私の方に向けた。この子は私に何かを食べさせるのが好きだ。
そのままひと口かぶりつくと、涼夏は満足そうに微笑んだ。
「今は情報が溢れてるから、YouTubeで動画見てるだけでわかった気になってたけど、やっぱり直接誰かに教えてもらうと、新しい発見があるね」
「うん。メイクの落とし方とか、私は適当だった」
「わかる。なんか、落ちてりゃ何でもいっかみたいな」
2コマ分の内容を振り返りながら、ステージ企画の会場に移動する。音がしなかったので不思議に思いながら足を踏み入れると、講座の時間割に合わせて休憩を挟んでいるらしい。炎天下でタオルをかぶってステージ横のタイムテーブルを見ていると、背中から声をかけられた。
「二人ともお疲れさん」
振り返ると、絢音が可愛らしく手を振っていた。派手な柄の薄手のパーカーに、可愛らしいチェックのスカート。腰には太いベルトを巻き付け、剥き出しの腕にはハートのシールが貼ってある。なかなか攻めた格好だ。
「絢音。久しぶり」
「いや、昨日会ったから」
冷静に突っ込まれる。
「調子はどう? 緊張してない?」
涼夏が絢音の腕のシールを指でなぞると、絢音も意味もなく涼夏の手の甲に指を這わせた。
「大丈夫。センターだけど喋らないし、気楽なもんだよ」
「絢音のMC、聞けないの?」
「振られたら喋る」
「じゃあ、振るように言っておこう」
ステージ前はあまりにも暑いので、日陰に移動した。午後の部が始まって、司会の男子生徒と女子生徒がステージでマイクを握る。ステージ前には30人くらいだろうか。私たちのように日陰から見ている人も含めたら、50人くらいはいるかもしれない。
司会の紹介で制服を着た男子4人がステージに上がった。空回りした内輪ノリのMCに私は思わず眉をひそめたが、涼夏は「元気だねー」と笑っていた。寛大な心をお持ちである。
よく知ったポップスのカバーを3曲。レベルは思ったより高く、絢音は大丈夫かと心配になったが、当の本人はいつも通りにこにこしながら、「そろそろ行くね」と言ってステージ裏に駆けていった。
「いやー、絢音があんな風に歌うのかと思って見てたらドキドキしたよ」
涼夏が胸に手を当てて、長い息を吐いた。ふんにょりと押し潰された胸がとても柔らかそうだ。
「結構、レベル高いんだね」
「だね。高校生だったらプロになってもおかしくないし、絢音たちはどんな感じなんだろ」
恥をかくようなことがなければいいと願うのは、失礼だろうか。それとも、友達として正しい心配だろうか。
MCや準備も入れて1組15分。もう3組見たらいよいよ絢音たちの出番だ。入れ替えのタイミングでステージ前に移動すると、強い日差しに肌が焦げそうだった。日焼け止めには15分だけ頑張ってほしい。
1組前のバンド目当ての子たちがゾロゾロと帰っていく。それは悲しいが、代わりに何人かがステージに集まってきた。中には同じ制服の見知った顔もあり、目が合うとヒラヒラと手を振ってくれた。
「では次は、結波と一岡の混合バンド。中学が一緒だったのかな? LemonPoundです!」
司会の紹介で、絢音たちがステージに上がる。センターにギターを提げて絢音。セカンドギターとドラムは女子だったが、意外にもベースとキーボードは男子だった。そういえば人数も構成も聞いたことがなかった。隣を見て「男子もいるんだね」と耳元で囁くと、涼夏は知っていたようで、呆れた目で私を見た。
ベースの男子が話し始めたので、ステージに視線を戻す。
「LemonPoundです。ちょっとこのバンド名、声に出すと恥ずかしい年頃なんだけど、リーダーが若かりし頃につけた名前なので許してください」
内輪な雰囲気の挨拶だ。やや苦手寄りだが、絢音の友達なので我慢しよう。絢音がボーカル用のマイクを取って、目だけで隣を見た。
「レモンケーキが食べたかったからつけた名前が、こんなにも長く使われるとは思わなかった」
「じゃあ、もしその時パンナコッタが食べたかったら、パンナコッタになってた可能性?」
「十分有り得るね。じゃあ、1曲目」
スパッとトークを打ち切って、曲をコールする。女性アーティストのアップテンポなナンバー。わかりやすいバンドサウンドに、キャッチーなメロディー。曲名が出て来ずに頭をひねっていたら涼夏が教えてくれた。
ステージ前も盛り上がっている。涼夏も楽しそうに手を叩いている。前4組より明らかにグルーヴ感が高い。楽器が多いせいもあるだろうが、何よりも絢音の歌が上手い。
1曲終わると、明らかに観客の人数が増えていた。日陰から引きずり出すことに成功したようだ。
MCを挟んで2曲目は、人数の多い有名なアイドルグループの底抜けに明るいサウンド。キーボードのおかげでピアノ曲が映える。こういう曲は観客が勝手に踊ってくれるから盛り上がる。
それにしても、絢音が上手い。あの日、私の背中でドラムの子が言った。自分たちのセンターに絢音がいることの、どこに違和感があるのかと。
私はあの時、そもそも何を言っているのかと思って聞いていたが、今目の前で5人のパフォーマンスを見たら、ここに絢音がいない想像ができない。LemonPoundは、紛れもなく絢音のバンドだ。
「じゃあ、次で最後です。告知とかあるといいんだけど、私はゲストなので」
「いや、リーダーがゲストっておかしいだろ!」
「若い世代に引き継がないと」
「同い年だから!」
ベースの男子と内輪寄りのトークをしてから、絢音がピックを弾き下ろす。もはや若者なら誰でも知っている、YouTubeで2億回再生されているアコースティックなナンバー。
しっとりと聴かせるには歌唱力が極めて大事になるが、何も問題ない。いきなり手を握られたので隣を見ると、涼夏が瞳を潤ませてステージを見つめていた。子供の学芸会を見守る母親かと突っ込みたくなるが、実際に絢音を見ていたら、私も胸が熱くなってきた。
ただそれは、涼夏のように歌に感動しているわけではない。まだ自分でも感情の整理がつかないが、たぶん、絢音がとても遠いところに行ってしまったような、そんな寂しさかもしれない。
曲が終わる。司会が「LemonPoundの演奏でした!」と声を上げ、絢音たちが一礼してからステージを降りるまで、私はただ拍手を贈り続けた。
絢音のライブの後、日差しから逃げるように駅に戻ると、そのままイエローラインに乗り込んだ。当初、14時50分からの4限にも行くとか、せっかくだから他のバンドのライブも見て行く話もしていたが、絢音のライブで胸がいっぱいになり、もう今日という日に十分満足してしまった。
カフェにでも入って感想戦をしようということになったが、会場の近くはどこも混んでいる。どうせ定期券の区間内だからと、恵坂まで戻ってカフェに入ると、アイスカフェオレとケーキを注文した。絢音の演奏からすでに30分以上経っているが、まだ少し胸がドキドキする。
「すごかったね」
涼夏がシンプルに感想を述べ、疲れたように息を吐いた。私は暑さのあまり水を飲みほしてから、テーブルにスマホを置いて、ライブ中に撮った写真を開いた。
「別人みたいだった。絢音、あんなに歌えるのに、どうしてバンド辞めたんだろ」
「やれることとやりたいことは違うって言ってたじゃん」
「そうだけど……。もったいない気がする」
私は感情が上手く言葉にできずに、頬を膨らませた。私には何もない。絢音にはある。出来ることがあるのにそれをしないのは、もったいないと感じるし、出来ることを持つ者の責務を果たしていないようにも思う。言葉に詰まりながらそう伝えると、涼夏は不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ千紗都は、絢音が帰宅部を辞めちゃってもいいの?」
「それは嫌」
きっぱりと答える。ほんの2、3週間一緒に帰れないだけでも、耐え難い寂しさだった。なんとか我慢できたのは、終わりがわかっていたからだ。
「あんなすごい子を独占できるなんて、私たち、ラッキーじゃん。鼻を高くしていいと思うけど」
涼夏がミーハーなことを言って、運ばれてきたケーキを美味しそうに頬張った。私も同じようにケーキを口に入れると、程よい甘さに舌が幸せになった。
「バンドの子たち、絶対に絢音を引き留めるよね。元々リーダーが抜けても続けてたくらいだし」
「欲しいだろうね。でも、絢音はこっちに戻って来るよ」
涼夏が疑うことなくそう言って、フォークに差したケーキを私の顔に近付けた。口に含むと、涼夏が自分が食べた時以上に嬉しそうに微笑んだ。変な子だ。
同じように自分のケーキを涼夏に食べさせながら、私は懸念を訴えた。
「絢音も、改めてやってみたら面白かったって思うかも」
「その可能性はあるね。時々手伝うくらいはするかも」
「それくらいならいっか……」
私が眉根を寄せて難しい顔をすると、涼夏が「どっちだよ」と笑った。今日の演奏に感動した私としては、この先も絢音にライブを続けてほしいが、帰宅部の部長としては、絢音には部の活動に専念してほしい。その2つの気持ちのせめぎ合いを熱弁すると、涼夏はストローをくわえて頷いた。
「わからんでもない」
テーブルに置いたスマホが震えたので見てみると、ちょうど同時に2通来ていた。片方は絢音からで、「来てくれてありがとう」と書かれている。元々終わった後は打ち上げをすると聞いているので、今日は会えないだろう。
もう1通は奈都からで、イベントが無事に終了した報告だった。恵坂で涼夏と二人でくだを巻いているのでどうかと誘ったら、こちらもこれから学校に戻って、反省会と打ち上げがあるらしい。
「二人とも明日からだな」
私が小さく息を吐くと、涼夏が身を乗り出していたずらっぽく囁いた。
「私と千紗都の二人きりの時間も、今日までだね」
「いや、この先死ぬほどたくさん二人でいると思う」
「今、死ぬまで二人でいようって言った?」
「言ってない。耳鼻科に行って」
そっけなくそう言うと、涼夏は「つれないなぁ」と唇を尖らせた。
まだ夏休み初日。このペースで遊んでいたら二度と社会復帰できなくなりそうだが、部員各位には暇な私にとことん付き合ってもらう所存である。
いよいよ夏休み。早起きしてメイクをして、制服を着て外に出た。せっかく夏休みだし、私は私服を推したが、制服は青春の香りがするという涼夏のよくわからない理由に押し切られた。
朝から暑い。絢音にメールをしながら電車に乗って、途中の駅で涼夏と合流すると、いつもよりさらに着崩した涼夏が、固く目を閉じて悲鳴を上げた。
「朝から暑い。無理」
「制服だし」
シャツの襟に触れながら言うと、涼夏は非難げに私を睨んだ。
「昨日言ってよ。私は見た目だけで制服を選んだ」
「まあまあ。ほとんど屋内だし、電車の中は涼しいじゃん?」
「ずっとこうしてる」
そう言って、涼夏は私の手を握って少しだけ私に体重を預けた。こうとは何だろう。涼しいから電車の中にいたいという意味で捉えたが、私と手を繋いで座っていたいという意味だろうか。
探るように涼夏を見ると、涼夏は目を細めて私の顎を指先で撫でた。
「環状線だったら良かったのに」
「仕草と台詞が合ってないから!」
どうやら前者だったらしい。私の抗議に、涼夏はくすっと笑った。
サマセミは朝から盛況だった。やはり学生が多いが、子供連れの家族や、お年寄りの姿もある。受付でパンフレットをもらい、早速目星をつけた講座の教室を覗きに行くと、人の入りはバラバラだった。少ない方がじっくり教えてもらえそうだが、少ないということは講座の内容が大したことないのかもしれない。もちろん、単に講師の知名度と人脈のせいかもしれないが、何となく恥ずかしい女子高生心理が働いて、人が入っている講座を選ぶことにした。
1限はパーソナルカラーを知ろう的な講座を受け、2限はJKによるJKのためのメイク的な講座を受けた。どちらも絢音は興味がなさそうだが、内容は良かったので、全体の評価としてサマセミは面白いと結論付けていいだろう。明日も来るかは、また夜にでも3人で通話して決めたい。
「意外と収穫があった」
昼休み。涼夏が笑顔でそう言いながらホットドッグを頬張った。うなじに浮かんだ汗の滴がとてもエッチだ。私がじっと見つめていると、涼夏が「食べる?」と言いながら、食べかけのホットドッグを私の方に向けた。この子は私に何かを食べさせるのが好きだ。
そのままひと口かぶりつくと、涼夏は満足そうに微笑んだ。
「今は情報が溢れてるから、YouTubeで動画見てるだけでわかった気になってたけど、やっぱり直接誰かに教えてもらうと、新しい発見があるね」
「うん。メイクの落とし方とか、私は適当だった」
「わかる。なんか、落ちてりゃ何でもいっかみたいな」
2コマ分の内容を振り返りながら、ステージ企画の会場に移動する。音がしなかったので不思議に思いながら足を踏み入れると、講座の時間割に合わせて休憩を挟んでいるらしい。炎天下でタオルをかぶってステージ横のタイムテーブルを見ていると、背中から声をかけられた。
「二人ともお疲れさん」
振り返ると、絢音が可愛らしく手を振っていた。派手な柄の薄手のパーカーに、可愛らしいチェックのスカート。腰には太いベルトを巻き付け、剥き出しの腕にはハートのシールが貼ってある。なかなか攻めた格好だ。
「絢音。久しぶり」
「いや、昨日会ったから」
冷静に突っ込まれる。
「調子はどう? 緊張してない?」
涼夏が絢音の腕のシールを指でなぞると、絢音も意味もなく涼夏の手の甲に指を這わせた。
「大丈夫。センターだけど喋らないし、気楽なもんだよ」
「絢音のMC、聞けないの?」
「振られたら喋る」
「じゃあ、振るように言っておこう」
ステージ前はあまりにも暑いので、日陰に移動した。午後の部が始まって、司会の男子生徒と女子生徒がステージでマイクを握る。ステージ前には30人くらいだろうか。私たちのように日陰から見ている人も含めたら、50人くらいはいるかもしれない。
司会の紹介で制服を着た男子4人がステージに上がった。空回りした内輪ノリのMCに私は思わず眉をひそめたが、涼夏は「元気だねー」と笑っていた。寛大な心をお持ちである。
よく知ったポップスのカバーを3曲。レベルは思ったより高く、絢音は大丈夫かと心配になったが、当の本人はいつも通りにこにこしながら、「そろそろ行くね」と言ってステージ裏に駆けていった。
「いやー、絢音があんな風に歌うのかと思って見てたらドキドキしたよ」
涼夏が胸に手を当てて、長い息を吐いた。ふんにょりと押し潰された胸がとても柔らかそうだ。
「結構、レベル高いんだね」
「だね。高校生だったらプロになってもおかしくないし、絢音たちはどんな感じなんだろ」
恥をかくようなことがなければいいと願うのは、失礼だろうか。それとも、友達として正しい心配だろうか。
MCや準備も入れて1組15分。もう3組見たらいよいよ絢音たちの出番だ。入れ替えのタイミングでステージ前に移動すると、強い日差しに肌が焦げそうだった。日焼け止めには15分だけ頑張ってほしい。
1組前のバンド目当ての子たちがゾロゾロと帰っていく。それは悲しいが、代わりに何人かがステージに集まってきた。中には同じ制服の見知った顔もあり、目が合うとヒラヒラと手を振ってくれた。
「では次は、結波と一岡の混合バンド。中学が一緒だったのかな? LemonPoundです!」
司会の紹介で、絢音たちがステージに上がる。センターにギターを提げて絢音。セカンドギターとドラムは女子だったが、意外にもベースとキーボードは男子だった。そういえば人数も構成も聞いたことがなかった。隣を見て「男子もいるんだね」と耳元で囁くと、涼夏は知っていたようで、呆れた目で私を見た。
ベースの男子が話し始めたので、ステージに視線を戻す。
「LemonPoundです。ちょっとこのバンド名、声に出すと恥ずかしい年頃なんだけど、リーダーが若かりし頃につけた名前なので許してください」
内輪な雰囲気の挨拶だ。やや苦手寄りだが、絢音の友達なので我慢しよう。絢音がボーカル用のマイクを取って、目だけで隣を見た。
「レモンケーキが食べたかったからつけた名前が、こんなにも長く使われるとは思わなかった」
「じゃあ、もしその時パンナコッタが食べたかったら、パンナコッタになってた可能性?」
「十分有り得るね。じゃあ、1曲目」
スパッとトークを打ち切って、曲をコールする。女性アーティストのアップテンポなナンバー。わかりやすいバンドサウンドに、キャッチーなメロディー。曲名が出て来ずに頭をひねっていたら涼夏が教えてくれた。
ステージ前も盛り上がっている。涼夏も楽しそうに手を叩いている。前4組より明らかにグルーヴ感が高い。楽器が多いせいもあるだろうが、何よりも絢音の歌が上手い。
1曲終わると、明らかに観客の人数が増えていた。日陰から引きずり出すことに成功したようだ。
MCを挟んで2曲目は、人数の多い有名なアイドルグループの底抜けに明るいサウンド。キーボードのおかげでピアノ曲が映える。こういう曲は観客が勝手に踊ってくれるから盛り上がる。
それにしても、絢音が上手い。あの日、私の背中でドラムの子が言った。自分たちのセンターに絢音がいることの、どこに違和感があるのかと。
私はあの時、そもそも何を言っているのかと思って聞いていたが、今目の前で5人のパフォーマンスを見たら、ここに絢音がいない想像ができない。LemonPoundは、紛れもなく絢音のバンドだ。
「じゃあ、次で最後です。告知とかあるといいんだけど、私はゲストなので」
「いや、リーダーがゲストっておかしいだろ!」
「若い世代に引き継がないと」
「同い年だから!」
ベースの男子と内輪寄りのトークをしてから、絢音がピックを弾き下ろす。もはや若者なら誰でも知っている、YouTubeで2億回再生されているアコースティックなナンバー。
しっとりと聴かせるには歌唱力が極めて大事になるが、何も問題ない。いきなり手を握られたので隣を見ると、涼夏が瞳を潤ませてステージを見つめていた。子供の学芸会を見守る母親かと突っ込みたくなるが、実際に絢音を見ていたら、私も胸が熱くなってきた。
ただそれは、涼夏のように歌に感動しているわけではない。まだ自分でも感情の整理がつかないが、たぶん、絢音がとても遠いところに行ってしまったような、そんな寂しさかもしれない。
曲が終わる。司会が「LemonPoundの演奏でした!」と声を上げ、絢音たちが一礼してからステージを降りるまで、私はただ拍手を贈り続けた。
絢音のライブの後、日差しから逃げるように駅に戻ると、そのままイエローラインに乗り込んだ。当初、14時50分からの4限にも行くとか、せっかくだから他のバンドのライブも見て行く話もしていたが、絢音のライブで胸がいっぱいになり、もう今日という日に十分満足してしまった。
カフェにでも入って感想戦をしようということになったが、会場の近くはどこも混んでいる。どうせ定期券の区間内だからと、恵坂まで戻ってカフェに入ると、アイスカフェオレとケーキを注文した。絢音の演奏からすでに30分以上経っているが、まだ少し胸がドキドキする。
「すごかったね」
涼夏がシンプルに感想を述べ、疲れたように息を吐いた。私は暑さのあまり水を飲みほしてから、テーブルにスマホを置いて、ライブ中に撮った写真を開いた。
「別人みたいだった。絢音、あんなに歌えるのに、どうしてバンド辞めたんだろ」
「やれることとやりたいことは違うって言ってたじゃん」
「そうだけど……。もったいない気がする」
私は感情が上手く言葉にできずに、頬を膨らませた。私には何もない。絢音にはある。出来ることがあるのにそれをしないのは、もったいないと感じるし、出来ることを持つ者の責務を果たしていないようにも思う。言葉に詰まりながらそう伝えると、涼夏は不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ千紗都は、絢音が帰宅部を辞めちゃってもいいの?」
「それは嫌」
きっぱりと答える。ほんの2、3週間一緒に帰れないだけでも、耐え難い寂しさだった。なんとか我慢できたのは、終わりがわかっていたからだ。
「あんなすごい子を独占できるなんて、私たち、ラッキーじゃん。鼻を高くしていいと思うけど」
涼夏がミーハーなことを言って、運ばれてきたケーキを美味しそうに頬張った。私も同じようにケーキを口に入れると、程よい甘さに舌が幸せになった。
「バンドの子たち、絶対に絢音を引き留めるよね。元々リーダーが抜けても続けてたくらいだし」
「欲しいだろうね。でも、絢音はこっちに戻って来るよ」
涼夏が疑うことなくそう言って、フォークに差したケーキを私の顔に近付けた。口に含むと、涼夏が自分が食べた時以上に嬉しそうに微笑んだ。変な子だ。
同じように自分のケーキを涼夏に食べさせながら、私は懸念を訴えた。
「絢音も、改めてやってみたら面白かったって思うかも」
「その可能性はあるね。時々手伝うくらいはするかも」
「それくらいならいっか……」
私が眉根を寄せて難しい顔をすると、涼夏が「どっちだよ」と笑った。今日の演奏に感動した私としては、この先も絢音にライブを続けてほしいが、帰宅部の部長としては、絢音には部の活動に専念してほしい。その2つの気持ちのせめぎ合いを熱弁すると、涼夏はストローをくわえて頷いた。
「わからんでもない」
テーブルに置いたスマホが震えたので見てみると、ちょうど同時に2通来ていた。片方は絢音からで、「来てくれてありがとう」と書かれている。元々終わった後は打ち上げをすると聞いているので、今日は会えないだろう。
もう1通は奈都からで、イベントが無事に終了した報告だった。恵坂で涼夏と二人でくだを巻いているのでどうかと誘ったら、こちらもこれから学校に戻って、反省会と打ち上げがあるらしい。
「二人とも明日からだな」
私が小さく息を吐くと、涼夏が身を乗り出していたずらっぽく囁いた。
「私と千紗都の二人きりの時間も、今日までだね」
「いや、この先死ぬほどたくさん二人でいると思う」
「今、死ぬまで二人でいようって言った?」
「言ってない。耳鼻科に行って」
そっけなくそう言うと、涼夏は「つれないなぁ」と唇を尖らせた。
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