ほのぼの学園百合小説 キタコミ!

水原渉

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第42話 進路(2)

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 学校から南に歩くと、最寄り駅の上ノ水駅があり、そこからイエローラインで西に4駅目に、一番の繁華街である恵坂の駅がある。
 つまり学校を出てから真っ直ぐ西に歩いているということは、恵坂に近付いているということだが、学校から上ノ水までと同じ距離を、どこかで南に歩く必要がある。
 3キロほど歩いただろうか。涼夏が突然足を止めて天を仰いだ。
「疲れた。私はもう歩けない」
「子供のような疲れ方だね」
 呆れながらそう言って、辺りを見回す。経度的には恵坂に近付いており、辺りも閑散とした商店街から、オフィスやマンションのある都会の景色に変わっていた。遊び場はないが、カフェやレストランには事欠かない。
 少し先に古いタイプの喫茶店を発見したので、店の前まで行ってみた。お客さんはそれなりに入っているようだが、女子高生が3人で入って変ではないだろうか。もしくは、コーヒー1杯700円とかでも入れない。
 現代っ子なのでスマホで調べると、価格帯は普通、と言っても高校生の私たちには少し高いが、ケーキがたくさんあるという情報をキャッチして涼夏が顔を綻ばせた。
「入ろう。ここでケーキにありつけたら、ひたすら歩いた道程が価値を得る。ああ、自然よ。千紗都よ」
 随分と嬉しそうだ。少し財布を気にする素振りをした奈都の手を掴んで、涼夏が問答無用でドアを開けた。
「私が援助する。援交だな」
「悪いよ」
「じゃあ、帰宅部に入って」
「明日バトン部を辞める」
「それはいいから」
 盛り上がっている二人の背中を押して、適当な席についた。店内もいかにも昔ながらの造りで、少し暗くて木の温かみを感じる内装だ。歌のない静かな曲がかかっているが、離れた席に座っているおばさんの3人組がけたたましい。
 涼夏が選べというので、有り難く二人で1つのケーキを分けることにした。涼夏は上品なオペラを頼み、私たちはイチゴのムースにした。
 私も疲れたので、背もたれに体を預けてぐったりしていると、奈都が水のグラスに口をつけてからパチクリとまばたきした。
「さっき、物語のクライマックスみたいな感動的なシーンがあったと思うんだけど、なんか普通だね」
 そんなものあっただろうか。首を傾げながら涼夏を見ると、涼夏は「なかったぞ?」と笑った。私も大きく頷いた。
「気のせいじゃない?」
「気のせいか……」
 奈都ががっかりしたようにため息をついた。先程から失礼なことを言っていることに気が付いているだろうか。あれに驚いたというのは、私の愛をまったく信じていなかったと言っているのと同じだ。
「バトン部、飽きたの?」
 今日は妙に辞めるという言葉を口にするのでそう聞いてみると、奈都は曖昧に微笑んだ。
「バトン自体は楽しいね」
「人間関係が面倒になったとか?」
「別に。後輩に過剰に懐かれたくらいかな」
 奈都が困ったようにそう言ったが、嫌がっている響きはなかった。
 運ばれてきたケーキの写真を撮ってから、涼夏がフォークを手に取った。私たちも涼夏に感謝を伝えて、ムースを口に運ぶ。美味しい。品のある甘さだ。
 涼夏が一口交換しようと言うので食べさせ合っていると、奈都が落ち着いた声で話し始めた。
「部活だけど、今年は外部講師を招いたり、大会を目指したりしても良かったんじゃないかな。外部講師は一応まだ検討中だけど」
「奈都が反対したんじゃないの?」
「私は朝弱いから朝練は無理って言っただけで、上を目指すことには賛成の立場を取った。まあ、いいねって言っただけだけど」
 それは意外だ。後輩の話を聞いた限りでは、てっきり奈都はすべてに消極的なのかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。
 奈都は中学の時もバドミントンに打ち込んでいたし、高校でも私を置いて部活に入った子だ。ぬるさが物足りなくなってきたのだろう。
「料理部は大会とかステージとかなかったから、同じ部活なのに随分違うな」
 涼夏がケーキを頬張りながら言った。私も「帰宅部も同じだね」と賛同を求めたが、誰も相手してくれなかった。コールドフレンズと呼ぼう。
「文化祭はレストランとか開いたの?」
「クッキー焼いた。中学生だし、まあそんなもんかって」
「ユナ高の料理部はマフィン焼いてたね」
「うちもカフェをやってたから強敵だった」
 涼夏と奈都が去年の文化祭の話で盛り上がる。今となってはいい思い出だが、今年はどうなるだろう。帰宅部も多いし、なんとなく、長井さん辺りが仕切ってくれそうな気がする。
 話題はそれっきり、部活には戻らなかった。もしかしたら、さっきの奈都の奇妙な感動と話の流れを使えば、奈都を帰宅部に引き込むことができたかも知れない。
 ただ、絢音のバンドと一緒で、私はそれを望んでいない。たとえ私と過ごす時間が短くなったとしても、自分の好きな人たちが何かに打ち込んでいるのは、私としても嬉しいことだ。もちろん、常に他の誰かが相手をしてくれるから、そんな悠長なことを言っていられるのだが。
 せっかくお金を出して店に入ったし、だらだら喋ったり、スマホでできるパーティーゲームをしていたら、2時間近く経っていた。いつの間にかおばさんたちはいなくなっていて、確実に店内で一番うるさい3人組になっていた。
 すっかり元気になったので、再び恵坂に向けて歩き出す。元々恵坂を目指していたわけではなく、何か珍しいものを探す目的だったが、素敵な喫茶店を見つけたことでその欲求も満たされた。涼夏ではないが、ここまで歩いた道のりは価値を得た。
「あの店なら恵坂からでも行けるし、結波の生徒とか誰も知らなそうだし、穴場感があっていいね」
 涼夏がふふんと得意げに言った。その優越感はわからないでもない。ケーキの写真は帰宅部グループにも流したが、絢音がとても羨ましがっていた。少なくとももう一回は、近い内に行くことになりそうだ。
 恵坂に着くともういい時間だったので、そのままイエローラインのホームに向かう。涼夏が「どうだった?」と漠然とした質問をして、奈都が力強く頷いた。
「楽しかったよ。疲れたけど。ケーキ美味しかった」
「結局歩いて喋ってケーキ食べただけだけど、帰宅部らしくはある」
「今年は少し頻度を上げようかな」
 奈都が独り言のようにそう呟いて、涼夏が「帰宅部は絶賛部員を募集中だよ」と、昔よく聞いた台詞を言った。
 次の駅で涼夏と別れて、奈都と並んで座る。耳に顔を寄せて、改めて「頻度上げるの?」と聞くと、奈都は曖昧に笑った。
「部活は休まないけどね。今日みたいな日に、去年はクラスの子を優先してたけど、それもどうかなって思い始めた」
 何が奈都にそう思わせたのか。まだあの変な感動を引きずっているのかと聞いたら、奈都は「それもあるけど」と前置きしてから話し始めた。
「それなりに遊んでた子と、クラスが変わって疎遠になってね。結局、クラスが一緒だから遊んでただけだったんだって、そう思った」
「ああ、長井さんも同じようなこと言ってたなぁ」
 そもそもそれが聖域事変の発端であり、その悲劇を少しでも減らすために、あの素敵なクラス替えの制度が生まれたのだ。広く浅く付き合っていた長井さんはあの制度を使わなかったそうだが、私みたいに狭く深い付き合いをしている人間には神制度だった。
「気付くのが遅くない?」
 声にからかいを含ませてそう言うと、奈都は私の手を握って小さく息を吐いた。
「クラスが違うっていうのは色々難しいんだよ」
 教室の移動や体育の着替え、お昼休み、掃除、その他色々なことがクラス単位で行われる。クラスに友達がいないとどんなに寂しい学校生活になるか、私はそれをよく知っている。
 もっとも、なんだかんだと中学の時はほとんど奈都と一緒にいたし、高校に入ってからは毎日が充実していて、そろそろ記憶も薄れてきた。もう3人のいない生活は考えられない。
 最寄り駅で降りて、いつもの別れ道までやってくる。今日はたくさん喋ったし、また明日の朝すぐに会うので、「じゃあまた」とあっさり別れようとしたら、奈都が私を呼び止めた。
「チサ」
「ん?」
 振り返ると、奈都は思いの外真剣な眼差しで私を見つめていた。またあの続きが始まるのかと身構えたが、奈都は思ったこととは違うことを言った。
「進路のこと、これからちゃんと話していこう。私も、少しでも上の大学に行けるように、もうちょっと勉強の時間を増やそうと思う」
「そうして」
 4文字で返すと、奈都が苦笑いを浮かべた。なかなか殊勝な決意だし、今日は帰宅部の帰り道なので、そっと近付いて背中を引き寄せた。
 奈都がぎこちない手つきで私の背中に手を回す。せっかくなのでキスもしてから体を離すと、奈都が恥ずかしそうに顔を赤くした。
「チサは、すぐキスする」
「スキンシップだよ」
 今度こそ、じゃあと言って背中を向けた。
 もうだいぶ遅い時間だが、まだ日は沈んでいない。丁度夕焼けに染まる空を見上げて、ぽつりと呟いた。
「進路か」
 まだ2年生の1学期だが、私もそろそろ先のことを考えなくてはいけない。未来のことを考えると憂鬱になるのは、今が最高に楽しいからだろう。あるいは、精神的に子供だからか。
 奈都はともかく、涼夏と絢音は去年の今頃と比べて、大人っぽくなった気がする。
 ずっと高校生のままでいたいが、時間とかお金とか、色々と制約があるのも確かだ。大人だからこそ出来ることもたくさんある。その可能性の拡がりには心が弾む。
 ひとまず今は、2年も先のことよりも、明日の帰宅部のことを考えよう。奈都もやる気になってくれたのなら、今日涼夏とあれこれ考えた甲斐があったというもの。
 卒業まで引退のない帰宅部だ。しっかりと3年間、部長としての責務を全うしたい。
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