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第53話 ビーチ(4)
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結局海には入らないことにした。
荷物の問題もあるし、着替えもだるいし、濡れた水着を持ち帰るのも面倒だし、ベタベタするし、日焼け止めは塗り直さないといけないし、大変な割にそれほど楽しいものではないと結論付けた。
買ってきた焼きそばを食べていると、絢音がそう言えばと荷物をあさった。
「これ作ってきたの忘れてた」
そう言って取り出したのは、太いマジックで紙に「絢」の字を書いて、文字のところだけを切り抜いたものだった。
「これは?」
渡されたので両面を眺めながら聞くと、絢音はさも当たり前のように言った。
「太ももに置いて日焼けして。そうすると、絢の字が残るでしょ?」
「それで?」
「それだけ。文字入りのリンゴと同じだね」
まったく意味がわからない。いや、意味はわかるのだが、目的が不明だ。
もう一度聞くと、絢音は「私の刻印だよ」と不敵に笑った。絢の字の日焼け跡は、なるほど少し面白いと思わないでもないが、3日くらいで後悔しそうなのでやめておいた。
「せっかく作ったのに」
絢音がしょんぼりするので、自分でやったらどうかと言うと、私の名前なら是非と歓迎された。この人は本当にやりそうなので、下手なことは言わない方が良さそうだ。
それからも、フリスビーで遊んだり、日焼け止めを塗りっこしたり、写真を撮ったりして遊んでいたら、夕方になっていた。夕方と言っても、日が沈むまでにはまだ2時間もあるが、冬ならもう暗い時間である。
「ぶっちゃけ、もっと早く飽きるかと思ったら、意外と退屈しなかった」
水着の上から服を着て、椅子を片付けながらそう言うと、絢音もビーチボールの空気を抜きながら笑った。
「チェアリング・オン・ザ・ビーチ、大成功だね。これは毎年恒例のイベントになりそうな気がする」
そんな気はまったくしないが、絢音も楽しんでくれたのなら何よりだ。後は、これをまた駅まで担いで歩かなくてはいけないことだ。しかも帰りは上りだ。
「椅子とはここでお別れするか……」
「ゴミは持ち帰ってください」
「寄付だから」
もちろん、そんなことするはずもなく、肩に担いで歩き始める。絢音は隣で舞いながら、「ジュースの分、軽くなった」と喜んでいる。上機嫌で何よりだ。
「絢音も椅子に座ったから、交互に持とう」
そう提案すると、絢音は無念そうに首を振った。
「力になれそうもない」
「なれるから」
だらだら続く坂道を、椅子を押し付け合いながら歩く。どうにか駅までやってくると、丁度ホームに停まっていた電車に乗り込んだ。1時間に2本しかないので、運がいい。
汗だくの肌に、車内のエアコンが気持ちいい。そう言えば、結局海に入っていないから、シャワーも浴びていない。私たちは随分汗臭いのではないかと、絢音のうなじに顔を押し付けてくんくんと嗅いでみると、絢音が人差し指を立てて私の額を押し戻した。
「それは私のキャラだから」
「そうでもない。私は部活後の奈都を嗅ぐのを趣味にしてる」
「同情を禁じ得ないね」
「奈都は喜んでる」
私がそう断言すると、絢音は一度車内に目をやってから、私の首元に顔を近付けた。そして、何をとち狂ったか、鎖骨からあごに至るラインをベロンと舐めた。
「ひっ!」
思わず悲鳴を上げて逃げようとしたが、絢音にグッと肩を掴まれて引き離せなかった。絢音が容赦なく舐めてくる。人目がないとはいえ、正気の沙汰ではない。
「その舌圧はなんなの?」
「千紗都より一段高いレベルのことをしなくちゃと思って」
ドアの方から人の気配がしたからか、絢音が顔を離して指先で唇を拭った。入ってきたカップルに目撃された気がしないでもないが、まあ女子高生が友達のうなじを舐めるなど、よくある光景だろう。
「夏休みが終わると文化祭だね」
絢音に寄りかかりながらそう言うと、絢音がくすっと笑って私の太ももに手を乗せた。
「16歳の千紗都とも後少しか。私は果たして、16歳の千紗都を汲み尽くせただろうか」
意味のわからないことを言いながら、太ももの表面に指を這わせる。くすぐったい。
電車は思ったより長い時間停車していて、乗客も増えてきた。そろそろスキンシップは終わりだと手を取って握ると、絢音が眠そうにあくびをして、同じように私の方に体重を預けた。
窓の外の青空は、少しだけその色を薄めて日が沈むのを待っている。
絢音ではないが、私は果たして、2年生の夏休みを汲み尽くせただろうか。十分遊んでなお、それが終わることに寂しさと焦りを感じている。
後数日。この企画を最後に、後はのんびり思い出に浸って過ごそうと思ったが、やっぱり一つでも多く、思い出を積み重ねよう。
「夏はまだ終わらぬ」
そう囁くと、絢音が目を閉じたまま眠そうに言った。
「秋の準備しよ。夏は終わりました」
「チェアリング・イン・ザ・フォレスト」
「虫が多そう」
「チェアリング・オン・ザ・ロード」
「交通量調査だね」
それは言い得て妙だ。
今日は私も疲れた。中央駅まで約1時間。絢音の温もりを感じながら、何か斬新な企画を考えることにしよう。
荷物の問題もあるし、着替えもだるいし、濡れた水着を持ち帰るのも面倒だし、ベタベタするし、日焼け止めは塗り直さないといけないし、大変な割にそれほど楽しいものではないと結論付けた。
買ってきた焼きそばを食べていると、絢音がそう言えばと荷物をあさった。
「これ作ってきたの忘れてた」
そう言って取り出したのは、太いマジックで紙に「絢」の字を書いて、文字のところだけを切り抜いたものだった。
「これは?」
渡されたので両面を眺めながら聞くと、絢音はさも当たり前のように言った。
「太ももに置いて日焼けして。そうすると、絢の字が残るでしょ?」
「それで?」
「それだけ。文字入りのリンゴと同じだね」
まったく意味がわからない。いや、意味はわかるのだが、目的が不明だ。
もう一度聞くと、絢音は「私の刻印だよ」と不敵に笑った。絢の字の日焼け跡は、なるほど少し面白いと思わないでもないが、3日くらいで後悔しそうなのでやめておいた。
「せっかく作ったのに」
絢音がしょんぼりするので、自分でやったらどうかと言うと、私の名前なら是非と歓迎された。この人は本当にやりそうなので、下手なことは言わない方が良さそうだ。
それからも、フリスビーで遊んだり、日焼け止めを塗りっこしたり、写真を撮ったりして遊んでいたら、夕方になっていた。夕方と言っても、日が沈むまでにはまだ2時間もあるが、冬ならもう暗い時間である。
「ぶっちゃけ、もっと早く飽きるかと思ったら、意外と退屈しなかった」
水着の上から服を着て、椅子を片付けながらそう言うと、絢音もビーチボールの空気を抜きながら笑った。
「チェアリング・オン・ザ・ビーチ、大成功だね。これは毎年恒例のイベントになりそうな気がする」
そんな気はまったくしないが、絢音も楽しんでくれたのなら何よりだ。後は、これをまた駅まで担いで歩かなくてはいけないことだ。しかも帰りは上りだ。
「椅子とはここでお別れするか……」
「ゴミは持ち帰ってください」
「寄付だから」
もちろん、そんなことするはずもなく、肩に担いで歩き始める。絢音は隣で舞いながら、「ジュースの分、軽くなった」と喜んでいる。上機嫌で何よりだ。
「絢音も椅子に座ったから、交互に持とう」
そう提案すると、絢音は無念そうに首を振った。
「力になれそうもない」
「なれるから」
だらだら続く坂道を、椅子を押し付け合いながら歩く。どうにか駅までやってくると、丁度ホームに停まっていた電車に乗り込んだ。1時間に2本しかないので、運がいい。
汗だくの肌に、車内のエアコンが気持ちいい。そう言えば、結局海に入っていないから、シャワーも浴びていない。私たちは随分汗臭いのではないかと、絢音のうなじに顔を押し付けてくんくんと嗅いでみると、絢音が人差し指を立てて私の額を押し戻した。
「それは私のキャラだから」
「そうでもない。私は部活後の奈都を嗅ぐのを趣味にしてる」
「同情を禁じ得ないね」
「奈都は喜んでる」
私がそう断言すると、絢音は一度車内に目をやってから、私の首元に顔を近付けた。そして、何をとち狂ったか、鎖骨からあごに至るラインをベロンと舐めた。
「ひっ!」
思わず悲鳴を上げて逃げようとしたが、絢音にグッと肩を掴まれて引き離せなかった。絢音が容赦なく舐めてくる。人目がないとはいえ、正気の沙汰ではない。
「その舌圧はなんなの?」
「千紗都より一段高いレベルのことをしなくちゃと思って」
ドアの方から人の気配がしたからか、絢音が顔を離して指先で唇を拭った。入ってきたカップルに目撃された気がしないでもないが、まあ女子高生が友達のうなじを舐めるなど、よくある光景だろう。
「夏休みが終わると文化祭だね」
絢音に寄りかかりながらそう言うと、絢音がくすっと笑って私の太ももに手を乗せた。
「16歳の千紗都とも後少しか。私は果たして、16歳の千紗都を汲み尽くせただろうか」
意味のわからないことを言いながら、太ももの表面に指を這わせる。くすぐったい。
電車は思ったより長い時間停車していて、乗客も増えてきた。そろそろスキンシップは終わりだと手を取って握ると、絢音が眠そうにあくびをして、同じように私の方に体重を預けた。
窓の外の青空は、少しだけその色を薄めて日が沈むのを待っている。
絢音ではないが、私は果たして、2年生の夏休みを汲み尽くせただろうか。十分遊んでなお、それが終わることに寂しさと焦りを感じている。
後数日。この企画を最後に、後はのんびり思い出に浸って過ごそうと思ったが、やっぱり一つでも多く、思い出を積み重ねよう。
「夏はまだ終わらぬ」
そう囁くと、絢音が目を閉じたまま眠そうに言った。
「秋の準備しよ。夏は終わりました」
「チェアリング・イン・ザ・フォレスト」
「虫が多そう」
「チェアリング・オン・ザ・ロード」
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それは言い得て妙だ。
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