132 / 450
オフィスに潜む狂気
また何を言い出すのかこの人は
しおりを挟む昼食は珍しく、三人で外へ食べに出かけた。生活に余裕のなかった私も、ここで働いてそこそこいいお給料をいただいてしばらく経つ。それなりに余裕も出来てきたので、時々伊藤さんや九条さんと外食することがあった。
とはいっても、なんやかんや伊藤さんにうまく言いくるめられて奢ってもらうことも多々。お礼に時々お弁当を作ってこれまたみんなで囲って食べる、というお決まりのパターンになっていた。
その日は定食屋に入り三人で食べた後、伊藤さんは郵便局に用があるとのことで一人道を分かれた。私と九条さんはそのまま事務所へ帰っていった。
エレベーターに乗り込んで、ようやく乾いてきた彼の後ろ髪が目に入る。乾いてないのに寝るもんだから、後頭部は寝癖がついていた。
「九条さん、髪のびましたね」
私は思ったことを言った。
元々無造作でやや長めだった九条さんの髪は、以前に比べてさらに伸びている。前髪は目を隠してしまいそうなほどで鬱陶しいだろうに。
九条さんはああ、と思い出したように言う。
「そういえばそうですね」
「そういえばって……」
「最後に切ったのはいつだったか……そろそろ切らねば。面倒です」
本当に彼はめんどくさそうにため息をついた。私はつい笑う。美容室に行くのに、そんな嫌そうにするかな普通。
二人で五階に到着したエレベーターから降りた。廊下を歩き事務所の扉を目指す。
「夏だから暑そうだし、洗うのも面倒じゃないですか」
「それを言うなら光さんこそ、そんなに長い髪の毛面倒じゃないんですか」
「面倒ですよ」
「なぜ短くしないんですか」
「女心です」
「はあ」
絶対わかってないのに返事したな。私は軽く隣をにらみつけた。
「ショートヘアも可愛いけど、長い方が顔の形とか合ってるかなーって自分なりに思ってるんです。女は色々考えてるんですよ」
「そうですか、大変ですね」
抑揚のない声でそう言いながら彼は事務所のドアを開けた。身だしなみになんの興味もない九条さんからすれば、どーーでもいい話なんだろうなあ。身だしなみこんなんでも顔がこれだとあまり気にならないし。顔がいいってズルい。
心の中で九条さんに恨みをぶつけていると、突然彼が振り返った。ぶつかりそうになったのを慌てて足を止める。
九条さんは私をじっと見下ろした。突然の奇行に驚き体を固める。しばらく私を見つめたあと、九条さんは納得したように頷いた。
「確かに、光さんはその髪型が一番似合ってそうですね。髪、綺麗ですし」
ドカン、と爆発したかと思った。私の心臓が。
……なんでこの人って突然こういうこと言うの。そりゃ女として髪ぐらい綺麗にしてたいって気遣ってたけど、褒められるなんて思ってもみなかった。もう、髪の手入れサボれない。むしろもっといいトリートメント買ってやろうか。単純すぎる私はそう思った。
「は、ははは、どうも……」
恥ずかしがっている私に気づくことなく、九条さんは再びくるりと前を向いて事務所へはいっていった。裏からポッキーを取ってきて立ったまま早速封を開けて食べ始める。
ニヤニヤを隠すように私は言う。
「私ロングヘア歴長いんですけどね。ロングって頻繁に美容室に行かなくていいって言う利点もあるんですよね、私前髪とかいつも自分で切っちゃってますもん」
褒められて気分良くした私は口数を増やしてそう笑った。その瞬間だった。ポッキーを咥えたまま、九条さんが目を見開いてこちらを見たのだ。
「はい?」
その表情にこちらが目を丸くする番だ。え、なに。私変なこと言ったっけ?
「ど、どうしました九条さん」
「髪、自分で切ってるんですか」
「え、前髪だけですよ?」
九条さんは持っていたお菓子の封をそっと近くの机に置いた。そして私のそばまで歩み寄り、再びじっと見つめて見下ろしてくる。
真っ直ぐ見つめられるもんだから、私はついドキドキと心臓が鳴ってしまう。今日はなんだかよく見られる日だ、外から帰ってきたばかりだけどメイク崩れてないかな、最近ニキビができちゃったんだけど……
「光さん」
「は、はい」
「私の髪も切ってくれませんか」
「は、……え?」
九条さんはそばにあるデスクの引き出しからハサミを取り出した。そしてツカツカとソファに歩み寄り座る。
「お願いします」
「……は、はあ!?」
「伸びてきて困ってたんです。美容室に行くなんて時間かかるし面倒で嫌いなんです。光さんが切ってください」
阿呆かこの男は!! 素人に髪切らせるか普通!!
唖然としてソファに座る男を見る。彼はもう準備万端です、とばかりにキリッとした表情で前だけを向いていた。
「何言ってるんですか、人の髪なんて切れませんよ!」
「前髪自分で切ってるんでしょう」
「自分のだからですよ、九条さんも自分で切ればいいじゃないですか!」
「以前そうしようとしたら、伊藤さんに『もし自分で髪をカットしてきたら裏にあるポッキー全て処分する』と宣言されてできないんです」
「え? あ、そうか……」
すぐに伊藤さんが言った台詞の意図が読める。もし九条さんがセルフカットしたら、すんごい髪型になりそうだもの。前さえ見れて涼しければいい、という感じで、とんでもなく短くしたり、某国民的アニメのようなギザギザ前髪とか、とにかくとんでもない髪型にしてきそうだ。
だから伊藤さんは止めたんだな。それは正しい、伊藤さん。
「いや、だからといって私って……」
「失敗してもいいですから」
「私が嫌ですよ」
「お願いします。美容室好きじゃないんです」
九条さんは持っていたハサミを私に差し出した。頑ななその姿に彼の固い意志が見える。困り果てた私は、ついに諦めてそのハサミを受け取った。
26
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。