視えるのに祓えない~九条尚久の心霊調査ファイル~

橘しづき

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オフィスに潜む狂気

邪魔者

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 深く突き刺さっているそこからは、赤黒い血が滴り落ちていた。それが点々と廊下にも残っている。痛々しさに私は顔を歪めた。

 男はうつろな目でどこかをぼうっと眺めており、悲壮感にあふれていた。中途半端に伸ばされた無精髭がまたその様子を助長した。

 九条さんがちらりと私を見た。彼には基本、霊はシルエットでしか見えないのだ。私は頷いた。証言があった通りの中年男性です。

「あなたはここで何をしているのですか」

 九条さんが声をかける。

 彼の特技は霊と会話ができること。男性が思い残したことがわかれば、それを理解して浄霊させてあげられるかもしれない。

 私は無言で二人を見守った。相手は答えるだろうか、私には聞こえないのだが……。

 けれどそのとき男の表情が変わった。驚いたように目を見開き九条さんを見る。急に話しかけられて驚いたのだろうか。

 そして次の瞬間、男はものすごい勢いで何かを叫んだ。同時に腹部から多量の出血が垂れる。何かを訴えるように、懇願するように私たちに叫んでいる。すごい形相だった。私にも何だか低い音が耳に届いてくる。だが、何と言っているかは理解できなかった。

 その様子から一気に悲しみの気が入り込んでくる。それはあまりにも大きな苦しみと悲しみのオーラで、息が止まってしまいそうだった。私は隣の九条さんを見上げた。

 彼は少しだけ眉をひそめていた。

「落ち着いて、私はちゃんと話が聞けます、どうか焦らないで」

 男の様子を見ただけで、聞き取りが困難なほど興奮して叫んでいるのは分かった。きっと九条さんもうまく聞こえないのだろうと思った。

 諭すように九条さんが優しく繰り返していた時だった。

 突如男が消えた。前ぶれもなく突然。あれだけ私たちに何かを訴えかけていたのに、なぜ? ポカンとしてしまう。

 床に点々と垂れていた血液たちも跡形もなく消失したかと思えば、その奥から見覚えのある顔が現れたのだ。嫌味ったらしい声で彼女は言う。

「えー意外とちゃんと起きてるんだ? 調査とかほざいて、どうせここにはいないか眠りこけてるかかと思ったんだけど」

 歩いてきたのは長谷川さんだった。なんというタイミングか、こんな夜中に一体なぜここに。隣を見ると、珍しく九条さんが苛立ったように目を細めて長谷川さんを見ていた。

「こんばんは、何か忘れ物ですか」

「私が忘れ物なんかするわけないでしょ、詐欺師たちが怪しいことしてないか見にきたの」

「会社中防犯カメラがついているのをお忘れですか、そちらをチェックしてください。調査の邪魔です」

 冷たく九条さんが言い放った。彼の様子を見るに、うまくあの男性と会話ができないまま長谷川さんがきてしまったのだろうか。せっかく解決の糸口が掴めそうだったのに。

 長谷川さんは腕を組んで鼻で笑った。

「尤もらしいことを言って。興味があるのよ、幽霊なんて存在しないものを使って金儲けするあんたたちのやり方に。きっと上手いこと事を運んでいくんでしょうね? やたら綺麗なその顔もそういう時には役に立つのかも」

 むっとして言い返しそうになるのを必死に堪えた。今日学んだことじゃないか、あっちは喧嘩を売っている。それを買うだけ損だ。長谷川さんはあえて私たちを怒らせようとしてるんだから。

 平常心、平常心。

 九条さんはたいへん面倒くさそうにため息をついた。

「興味を持ってくださりありがとうございます。先ほども言いましたが見ていたいなら防犯カメラの映像でもどうぞ。あなたのような威圧的な存在は人間だけではなく霊も遠ざけますから」

 普段の調子で淡々と述べたが、私が隣を二度見してしまうほど言葉にトゲがある。九条さんはよっぽど怒らないと毒を吐かないのだが。さすがにあれだけ敵意を持ってしかも邪魔されれば彼も苛立つらしい。

 長谷川さんも目を吊り上げた。

「はあ? 随分な言い方ね、立場わかってるの?」

「わかっていますよ、あなたは依頼人でも何でもない第三者。私たちは花田さんや被害を受けた社員の方々から依頼を受けた者。先ほども言ったつもりですが」

「…………」

 長谷川さんは苛立ったように私たちを再度睨みつけた。私はドキドキした気持ちと、九条さんもっと言ってやれという気持ちで二人を見比べる。いや、不謹慎かな、ちょっと楽しんじゃってるの。

 長谷川さんはチッと舌打ちをした。本当に敵意剥き出しだな、と呆れて彼女を見た時、驚きで息が止まった。私はつい小さく一、二本後退した。

 さきほどまで何もなかった彼女の背後に人がいる。右の肩にぬっと顔を出したそれは、眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開いて至近距離から長谷川さんを見つめていた。青い肌、唇。その吐息が長谷川さんの首元にかかっているところを想像する。それでも無論彼女は気づかない。ただ私たちに敵意を向けているだけだ。

 先ほどの男性だった。

 さっき見た時はお腹の刃物以外、そこまで異様な外見はしていないと思ったのだが今はガラリと姿を変えた。死者の青い肌は見るだけで冷たく固そうに見える。そして何より、生きている人間には決して真似できないあの目つきは全身を震わせた。

「……何よ?」
 
 私の怯えた様子に気が付いたのか長谷川さんが怪訝そうに言った。そんな時も男は右肩から彼女を見つめ続けている。

「い、え、その」

「なあに、今あなたの肩に霊が見えます! とかでもやるつもり? あいにく私には効かないわよ、つまらない芝居はやめてね」

 鼻で笑ったあと、彼女はくるりと踵を返した。その背中には、もうすでに何もいない。男はまたしても跡形もなく消えてしまったのだ。
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