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聞こえない声
足音
しおりを挟む伊藤さんと二人で荷物を持ち事務所に戻っていく。暑い中ひいひい言いながらなんとかエレベーターに乗り込み、ついたら冷えたお茶でも飲もうと心に決める。
五階にたどり着き事務所の扉を目指して歩く。見慣れたドアを、荷物を持っていない方の手で思い切り開いた。
「ただいまもどり———」
「除霊ってことではないのなら、ちょっと」
てっきり眠っている九条さんしかいないと思い込んでいた私は、見知らぬ声を聞いて一時停止した。座る九条さんの目の前に、一人の男性がいる。私がドアを開けたのに気づき、彼がこちらを向いた。
二十代半ばぐらいだろうか。短髪の黒髪に切長な奥二重。どこか爽やかさを醸し出している男性は、私を見て驚いたように目を丸くした。
「あ……すみません、お話中に」
どうやら伊藤さんと買い出しに行っている間に依頼者の人が来ていたらしい。予約は入っていなかったので飛び込みだろうか。頭を下げた私に九条さんが言った。
「光さん、今依頼の話を伺っているところです、どうぞ」
「はい、今……って、!!?」
いつものトーンで説明してくれた九条さんの前髪は水色のシュシュで結ばれているままだった。しまった! 朝の私の嫌がらせが!! というか普通気づくものじゃないだろうか? あんなヘンテコな格好で依頼者と話していたのかこの人は!
「光ちゃん僕荷物片付けておくから」
背後から伊藤さんの声がして、ありがたく持っていた荷物を預けた。そそくさと九条さんの隣に移動する。とりあえず挨拶をせねば、と頭を下げた。
「黒島光と申します」
「彼女も視える体質です、調査となれば黒島さんも同行しますので」
目の前に座る依頼主の方は、戸惑ったように頭を下げた。九条さんが続ける。
「今うちの事務所のやり方について説明していたところです。除霊ではなく浄霊の手伝いだ、と」
「はい、わかりました」
依頼主の人が口を開いた。
「あの、私は菊池正樹といいます。よろしくお願いします。依頼というのも、ここ最近不思議な現象に悩まされていて」
菊池さんは俯く。その時丁度伊藤さんが飲み物を持ってきた。出されたお茶を菊池さんが飲んでいるのを見て、私はすかさず隣の九条さんのシュシュを奪い取った。彼はキョトン、としている。
跳ねた前髪を手櫛で適当に整えてあげると、何事もなかったように前を向いた。菊池さんも特に何も突っ込まずに話を続けた。
「いつもそばに誰かがいる……そんな気がしてならないんです」
「誰かがいる、ですか」
少し跳ねた前髪を気にすることもなく九条さんが呟く。
「常に誰かに見られているような。特に一人の時にそう感じます。家の中だとか。あと……夜寝る時になると、足音が聞こえるんです」
「足音?」
「とんとん、って誰かが歩く音です。それと同時に、もう少し小さな足音もするんです」
「つまりは霊は複数いると?」
九条さんの視線が鋭くなる。菊池さんは頷いた。
「そう思っています。あとは夢も酷くうなされるものばかり。パシっとか色んな音もするし、もう一人で家にいるとノイローゼになりそうで……」
彼はガクリと項垂れた。疲れ切っているその姿が哀れに思う。
私は何も言わず、背筋を伸ばしてじっと菊池さんの姿を正面から見つめた。
今までの発言を聞くに、一概に霊のせいとはいえないものが多い。疲れているから感じる、聞こえるパターンだとか、ただの家鳴りだったりとか。依頼者の中にはそういうことを怪奇だと思い込んで相談にくる人も多くいる。
だが私は今回、これは菊池さんの精神面が問題ではないと思っていた。
言葉にはうまく言い表せられない……彼の周りを重い空気がまとわりついているような気を感じるからだ。
(きっと彼の周りに……何かいる)
私は心で強く確信する。私が気づいていることは大概九条さんも気がついている。彼もそう思っているだろう。
九条さんは少し考えるようにしていう。
「ほとんどはご自宅での経験が多い、ということですか」
「そうですね……まあ仕事中も視線とかは感じますけど、やっぱり一人の時が一番」
「他に何か気になることは」
聞かれた菊池さんが、一瞬口籠もったのを九条さんは見逃さなかった。鋭く目を光らせ、やや前のめりになる。
「何か?」
「……いやあの。心霊現象とは全然違う話なんですけど……」
「構いませんよ、なんでも」
「あの。時々、なんですが。女性に後をつけられたりするんです」
菊池さんは言いにくそうに小声で言った。私は驚いて聞き返す。
「え? あの、生きてる人間に、ってことですか?」
「だ、だと思います」
「つまりはストーカーとか!?」
「いやそこまでじゃない、と思うんですけど。
男がストーカーに遭うってのもなんか情けないですし……」
菊池さんの外見を改めてみてみる。清潔感があって、爽やかな感じ。どちらかといえば絶対にモテるタイプだろうと思った。
九条さんが淡々という。
「そんなことはありません。男性でも女性でも、怖いものは怖いです。レイプだって女性側が加害者でも認められる時代ですよ。
そのつけてくる人はどんな人なんです」
「ええと、あんまりじっとみたことはないんですけど、若い女の人ですよ。ショートカットで小柄な。仕事が終わって駅から家までついてくることがたまにあるんです。声をかけてくるでもないし、そのほかも何も被害はないんで、僕の思い込みということも……」
自信なさげにいう菊池さんを哀れに思った。人間にも霊にも悩まされているなんて可哀想。
多分この人、結構繊細な人なんだろうなあ。
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