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待ち合わせ
乗り越えた過去のこと
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箪笥の奥底に仕舞い込んだ古い記憶が、強引に引き摺り出されたような感覚に陥る。血の気が引くように頭が真っ白になった。外気の寒さによるものではなく、自分の心が凍ったかのように寒気が襲う。
蘇る。もうほとんど忘れていたあの感覚が、蘇って私の身を支配する。
呆然としている私の隣で、九条さんがポケットから手を出す。頭を掻きながら、背の高い彼は聡美を見下ろした。彼女は少しそれに見とれるように表情を固める。
「知っていますが」
「え」
「私も光さんと同じく視える体質なので。視えないあなたからすれば信じられない世界かもしれませんが、心配は無用です。この人は嘘をつきませんし人を陥れようとすることもない信頼できる人間ですから」
抑揚のない中で、どこか怒りを感じる声色で九条さんはそう言った。私はただ驚きで九条さんを見ることしかできず、彼の横顔を見つめた。
聡美は笑顔を無くして黙り込んだ。じっと私たちを見つめている。
そんな彼女に九条さんは淡々と言った。
「そういったことで仕事もしているので、何かあればご相談をどうぞ。まああなたには関係ない世界かもしれませんね。もう用がないのならよろしいですか」
聡美は何か言いたそうにしていたが、九条さんは無視して踵を返しスタスタと歩き出した。私は迷った挙句、聡美に一言だけ言葉を残して九条さんの後を追った。
「ごめんね、私は元気にやってるから。……信也にもよろしく」
黒いコートを追いかけて彼の隣に並ぶ。一度だけ後ろを振り返ると、聡美がじっとこちらを睨むようにして見ていた。他にも言いたいことがあった気がするが、何も言葉は出てこなかった。
九条さんの持つつみれ入りの袋がカサカサと音を立てる。彼は小声でいった。
「すみません」
「え?」
「咄嗟に嘘をついて」
彼の言葉に私は首を振った。彼がどうしてあんなふうにしてくれたのか分かっている。私は微笑んでお礼を言った。
「いいえ。私を思ってそう言ってくれたこと、わかってます。ありがとうございます」
初めて彼に過去を話した時、分かりにくいけれど九条さんは一緒に怒ってくれていた。『傷心の相手に嫌味なメールを送るつけるなんて』と棘のある言葉を出して。
だからきっと、私の立場を心配して、少しでも今私が幸せに暮らしているとアピールしてくれたんだろう。
正直、九条さんがそんなふうに気を遣ってくれたのは意外すぎた。この人基本鈍いというのに。
そう思うと、さっきまで冷えていた心は温かさを取り戻した。こんな優しい嘘を九条さんから聞くとは思っていなかったから。
「大丈夫ですか」
心配そうに私の顔を覗き込んだ。私は頷いてみせる。
「はい。まさかこんなところで再会するなんて、最初はびっくりしてあの頃の事思い出しちゃいましたけど。でもすぐに落ち着きました。私にとっては過去のことです、今は新しい生活もあるし、九条さんや伊藤さんと働けて楽しいですから」
私がそう言うと、九条さんはほっとしたように少しだけ笑った。強くなりましたね、と言っているように見えた。
私はもう振り返ることなく伊藤さんのアパートを目指した。ここずっと会うことのなかった妹と、これからまた再会することになるなんて夢にも思わないまま。
「え……妹さんって、あの?」
伊藤さんはお玉を持ったまま固まって目を見開いた。私は小声で返事をする。
三人で使うには少し狭めのローテーブルに座り込み、伊藤さんが作ってくれたちゃんこ鍋を食べ始めたところだった。彼が作ってくれたそれは具材も多く入っており、火の通り具合も完璧な美味しいお鍋になっていた。部屋中に充満するいい匂いを肺一杯に吸い込みながら、私は先ほどあった出来事を伊藤さんにも話していた。
伊藤さんも私が事務所で働き出すきっかけだった一連の出来事は全て知っている。以前お酒の力も借りて話したことがあるのだ。彼は目を真っ赤にして泣きそうになりながら話を聞いてくれたものだ。
伊藤さんは固まったまま私に問う。
「な、なんか言われた? あれ以降連絡も取ってないんでしょ?」
「はい、携帯も一度破棄して番号も変えましたし、聡美の連絡先はわからなくなってたから。まさかこんなところで再会するなんて夢にも思わず」
なんか言われたのか、という質問に答えづらかった私はそう返事をしたのだが、一人で鍋を食べ始めた九条さんが代わりに答えるように言った。
「私を交際相手と勘違いしているようだったのでそのように話を合わせたんですが、嫌味っぽく『霊が視えると言う痛い姉だけど大丈夫か』みたいなこと言ってましたね」
その言葉を聞いた伊藤さんは口を固く閉じて表情を険しくさせた。すうっと目を細め、眉間に皺を寄せて苛立ったように声を低くさせる。
「へえ……素晴らしい喧嘩の売り方ですね」
「(ブラック伊藤さんだ!)
あ、あの。でも九条さんが上手くフォローしてくれたから大丈夫です。すぐにその場から去りましたし、もう会うことはないと思うので。元気そうで安心しました」
笑ってそう答えると、伊藤さんは複雑そうな顔をした。お玉でお鍋の出汁を掬いながら口を尖らせる。
「そりゃずっと一緒に暮らしてないとはいえさ、どうも敵意があるっていうか」
「しょうがないです。私のせいで両親は離婚することになりましたし。そもそも霊が視えるなんて、素直に信じてくれる伊藤さんが珍しいんですよ。普通は信じられないですもん」
「そう? まあ信じ難いっていう気持ちもわかる。でも家族となれば、少なくとも信じようとするんじゃないかなって思うんだけどな」
そうサラリと言える伊藤さんはやっぱりすごい人だなと思える。彼も引き寄せやすい体質だから色々大変だったというのもあるだろうが、それでも自分はみえないのに私と九条さんを当然のように信じてくれるから。
蘇る。もうほとんど忘れていたあの感覚が、蘇って私の身を支配する。
呆然としている私の隣で、九条さんがポケットから手を出す。頭を掻きながら、背の高い彼は聡美を見下ろした。彼女は少しそれに見とれるように表情を固める。
「知っていますが」
「え」
「私も光さんと同じく視える体質なので。視えないあなたからすれば信じられない世界かもしれませんが、心配は無用です。この人は嘘をつきませんし人を陥れようとすることもない信頼できる人間ですから」
抑揚のない中で、どこか怒りを感じる声色で九条さんはそう言った。私はただ驚きで九条さんを見ることしかできず、彼の横顔を見つめた。
聡美は笑顔を無くして黙り込んだ。じっと私たちを見つめている。
そんな彼女に九条さんは淡々と言った。
「そういったことで仕事もしているので、何かあればご相談をどうぞ。まああなたには関係ない世界かもしれませんね。もう用がないのならよろしいですか」
聡美は何か言いたそうにしていたが、九条さんは無視して踵を返しスタスタと歩き出した。私は迷った挙句、聡美に一言だけ言葉を残して九条さんの後を追った。
「ごめんね、私は元気にやってるから。……信也にもよろしく」
黒いコートを追いかけて彼の隣に並ぶ。一度だけ後ろを振り返ると、聡美がじっとこちらを睨むようにして見ていた。他にも言いたいことがあった気がするが、何も言葉は出てこなかった。
九条さんの持つつみれ入りの袋がカサカサと音を立てる。彼は小声でいった。
「すみません」
「え?」
「咄嗟に嘘をついて」
彼の言葉に私は首を振った。彼がどうしてあんなふうにしてくれたのか分かっている。私は微笑んでお礼を言った。
「いいえ。私を思ってそう言ってくれたこと、わかってます。ありがとうございます」
初めて彼に過去を話した時、分かりにくいけれど九条さんは一緒に怒ってくれていた。『傷心の相手に嫌味なメールを送るつけるなんて』と棘のある言葉を出して。
だからきっと、私の立場を心配して、少しでも今私が幸せに暮らしているとアピールしてくれたんだろう。
正直、九条さんがそんなふうに気を遣ってくれたのは意外すぎた。この人基本鈍いというのに。
そう思うと、さっきまで冷えていた心は温かさを取り戻した。こんな優しい嘘を九条さんから聞くとは思っていなかったから。
「大丈夫ですか」
心配そうに私の顔を覗き込んだ。私は頷いてみせる。
「はい。まさかこんなところで再会するなんて、最初はびっくりしてあの頃の事思い出しちゃいましたけど。でもすぐに落ち着きました。私にとっては過去のことです、今は新しい生活もあるし、九条さんや伊藤さんと働けて楽しいですから」
私がそう言うと、九条さんはほっとしたように少しだけ笑った。強くなりましたね、と言っているように見えた。
私はもう振り返ることなく伊藤さんのアパートを目指した。ここずっと会うことのなかった妹と、これからまた再会することになるなんて夢にも思わないまま。
「え……妹さんって、あの?」
伊藤さんはお玉を持ったまま固まって目を見開いた。私は小声で返事をする。
三人で使うには少し狭めのローテーブルに座り込み、伊藤さんが作ってくれたちゃんこ鍋を食べ始めたところだった。彼が作ってくれたそれは具材も多く入っており、火の通り具合も完璧な美味しいお鍋になっていた。部屋中に充満するいい匂いを肺一杯に吸い込みながら、私は先ほどあった出来事を伊藤さんにも話していた。
伊藤さんも私が事務所で働き出すきっかけだった一連の出来事は全て知っている。以前お酒の力も借りて話したことがあるのだ。彼は目を真っ赤にして泣きそうになりながら話を聞いてくれたものだ。
伊藤さんは固まったまま私に問う。
「な、なんか言われた? あれ以降連絡も取ってないんでしょ?」
「はい、携帯も一度破棄して番号も変えましたし、聡美の連絡先はわからなくなってたから。まさかこんなところで再会するなんて夢にも思わず」
なんか言われたのか、という質問に答えづらかった私はそう返事をしたのだが、一人で鍋を食べ始めた九条さんが代わりに答えるように言った。
「私を交際相手と勘違いしているようだったのでそのように話を合わせたんですが、嫌味っぽく『霊が視えると言う痛い姉だけど大丈夫か』みたいなこと言ってましたね」
その言葉を聞いた伊藤さんは口を固く閉じて表情を険しくさせた。すうっと目を細め、眉間に皺を寄せて苛立ったように声を低くさせる。
「へえ……素晴らしい喧嘩の売り方ですね」
「(ブラック伊藤さんだ!)
あ、あの。でも九条さんが上手くフォローしてくれたから大丈夫です。すぐにその場から去りましたし、もう会うことはないと思うので。元気そうで安心しました」
笑ってそう答えると、伊藤さんは複雑そうな顔をした。お玉でお鍋の出汁を掬いながら口を尖らせる。
「そりゃずっと一緒に暮らしてないとはいえさ、どうも敵意があるっていうか」
「しょうがないです。私のせいで両親は離婚することになりましたし。そもそも霊が視えるなんて、素直に信じてくれる伊藤さんが珍しいんですよ。普通は信じられないですもん」
「そう? まあ信じ難いっていう気持ちもわかる。でも家族となれば、少なくとも信じようとするんじゃないかなって思うんだけどな」
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