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待ち合わせ
怒り
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突然周りの気温が下がった。元々寒かったその場所が、ぐんぐん寒さを増していく。余裕で氷点下にまで達しているだろうと思うその空間に、自分の吐いた真っ白な息が昇っていった。
「飛鳥さん」
九条さんが優しく名前を呼んだ。私はじっと目を凝らして辺りを見回す。
「飛鳥さん、少しお話し出来ませんか」
間違いなく近くにいる、と感じる。この寒さは異常だ、彼女が死んだ時もこんな風に感じていたんだろうか。
姿は見えないものの、九条さんはそのまま話し出した。とにかく話してみないと始まらないと思ったんだろう。
「すみませんでした、あなたが飛鳥さんだとようやく分かりました。私たちは違う子と勘違いしていたのです。あなたは篠田飛鳥さんですね」
エコーがかかったような不思議な声。九条さんが言い終わって少しした頃、階段の中央あたりに人影が生まれた。その人は、黒いモヤを守っていた。
膝を抱えて座る飛鳥ちゃんだった。彼女は相変わらず目の周りを黒く、そして鼻血をつけたまま、子供とは思えない冷たい目でこちらをみていた。今までと随分違う、怒りを感じる視線に、私は体を強ばらせた。
九条さんが小声で尋ねる。
「何やら様子が違いますね」
「怒ってる? みたい……黒いもやみたいなのを体に纏ってます……!」
「怒っている」
「私が怒らせたのかも」
「どうでしょう。あなただけではなく、散々違う名前で呼んで母親に会えと言ってきた私たちみんなに怒っているかも」
飛鳥ちゃんは何も言わずじっと私たちを見ていた。ウネウネと生き物のように動く黒いモヤたちは、何か邪悪なものを感じる。ずっと大人しくしていた飛鳥ちゃんを刺激しすぎて、悪いものへ変わりつつあるんだろうか。私のせいで、生前の嫌な体験を思い出させてしまったのかも。
九条さんはゆったりした口調でいった。
「飛鳥さん。私たちはあなたを傷つけたりしない。あなたの味方です。ここに一人でいる飛鳥さんを、もっと素敵な場所へ案内したいだけ」
いつもよりだいぶ柔らかな言い方だが、飛鳥ちゃんの表情は固いままだった。次第にどこからかピシ、ピシっと小さな音が聞こえてくる。
ラップ音、というやつだ。
ちらりと周りを見ると、伊藤さんは気づいていないのか気づかないふりをしているのか、微動だにしない。聡美と信也は不思議そうに周りをみていた。ラップ音だけ聞こえているみたいだ。
隣の九条さんが珍しく困っているように見えた。私もどうしていいか分からず九条さんと飛鳥ちゃんを交互に見るだけ。
多分、九条さんのせいじゃない。飛鳥ちゃんが大分感情的になっている。その表情からひしひしと感じる不快なオーラが強くなってゆく一方だ。
それでも九条さんは話しかけ続けた。
「ここで母親を待つ必要はないんです。待たなくても、あなたはもう誰かに叩かれたりすることはありません。大丈夫、安心して」
その言葉を聞いて、飛鳥ちゃんの目がキッと釣り上がった。ついこちらがビクッと体を反応させてしまうほど。
『うそ』
はっきりとそう聞こえた。その声は低く、子供とは思えない声だ。その威圧感に押しつぶされそうだ。
「いいえ、嘘ではないです。あなたはもう怯える必要はない、あなたは何も悪くない」
『怒られる』
「もう大丈夫です。あなたを怒る人は誰もいない」
『じゃあ、 一緒に来てよ』
冷たい声がして、九条さんも一瞬口籠った。
だめだ、と心の中で思う。この子、本当に心を閉ざしている。私たちの言葉より、生前受けた親からの仕打ちの方がずっと心を占めているんだ。
こちらの戸惑いが伝わってしまったのだろうか。次の瞬間、飛鳥ちゃんは突然口を開けて叫び出した。まるでサイレンのような、高くて悲痛な叫び声だった。彼女にとって戸惑いと悲しみと怒り、全てをぶつけた声。ひどい音量につい顔を歪めた。
それに共鳴するようにラップ音が強くなる。さまざまな方角から聞こえてくる音に危機感が増す。九条さんが強い口調で言った。
「いけない、一度撤収を」
声は掻き消された。どこからか強い突風のようなものが現れたからだ。まるで近寄るなと言っているようだった。聡美の悲鳴が遠くから聞こえた気がする。風に煽られ、私は体のバランスを崩し倒れ込んだ。背後にあった出口の扉にもたれながら、この状況をなんとかせねばならないと必死に考える。
飛鳥ちゃんは混乱してるんだ。何を信じていいか分からないんだろう。生前誰のことも信用できなかった彼女に、信頼されるだけの関係性が作れていない。
「飛鳥さん、どうか落ち着いてください!」
九条さんの声は掻き消される。飛鳥ちゃんに届いてはいない。
風音とラップ音の中に、何かが割れるような音がした。頭上からだった。見上げようとしたとき、突然自分に白い服が覆いかぶさる。
「光さん!」
確かにそんな声が聞こえた。自分はただ驚きで体を固まらせる。同時に、何かが落下したのを感じた。さらに、すぐそばでガシャンという音が響く。
「く、九条さん!?」
彼の白い服に埋もれながら叫び、なんとか顔を上げる。至近距離にある九条さんの顔に、赤い何かを見つけた。
九条さんの額から血が垂れていた。
「飛鳥さん」
九条さんが優しく名前を呼んだ。私はじっと目を凝らして辺りを見回す。
「飛鳥さん、少しお話し出来ませんか」
間違いなく近くにいる、と感じる。この寒さは異常だ、彼女が死んだ時もこんな風に感じていたんだろうか。
姿は見えないものの、九条さんはそのまま話し出した。とにかく話してみないと始まらないと思ったんだろう。
「すみませんでした、あなたが飛鳥さんだとようやく分かりました。私たちは違う子と勘違いしていたのです。あなたは篠田飛鳥さんですね」
エコーがかかったような不思議な声。九条さんが言い終わって少しした頃、階段の中央あたりに人影が生まれた。その人は、黒いモヤを守っていた。
膝を抱えて座る飛鳥ちゃんだった。彼女は相変わらず目の周りを黒く、そして鼻血をつけたまま、子供とは思えない冷たい目でこちらをみていた。今までと随分違う、怒りを感じる視線に、私は体を強ばらせた。
九条さんが小声で尋ねる。
「何やら様子が違いますね」
「怒ってる? みたい……黒いもやみたいなのを体に纏ってます……!」
「怒っている」
「私が怒らせたのかも」
「どうでしょう。あなただけではなく、散々違う名前で呼んで母親に会えと言ってきた私たちみんなに怒っているかも」
飛鳥ちゃんは何も言わずじっと私たちを見ていた。ウネウネと生き物のように動く黒いモヤたちは、何か邪悪なものを感じる。ずっと大人しくしていた飛鳥ちゃんを刺激しすぎて、悪いものへ変わりつつあるんだろうか。私のせいで、生前の嫌な体験を思い出させてしまったのかも。
九条さんはゆったりした口調でいった。
「飛鳥さん。私たちはあなたを傷つけたりしない。あなたの味方です。ここに一人でいる飛鳥さんを、もっと素敵な場所へ案内したいだけ」
いつもよりだいぶ柔らかな言い方だが、飛鳥ちゃんの表情は固いままだった。次第にどこからかピシ、ピシっと小さな音が聞こえてくる。
ラップ音、というやつだ。
ちらりと周りを見ると、伊藤さんは気づいていないのか気づかないふりをしているのか、微動だにしない。聡美と信也は不思議そうに周りをみていた。ラップ音だけ聞こえているみたいだ。
隣の九条さんが珍しく困っているように見えた。私もどうしていいか分からず九条さんと飛鳥ちゃんを交互に見るだけ。
多分、九条さんのせいじゃない。飛鳥ちゃんが大分感情的になっている。その表情からひしひしと感じる不快なオーラが強くなってゆく一方だ。
それでも九条さんは話しかけ続けた。
「ここで母親を待つ必要はないんです。待たなくても、あなたはもう誰かに叩かれたりすることはありません。大丈夫、安心して」
その言葉を聞いて、飛鳥ちゃんの目がキッと釣り上がった。ついこちらがビクッと体を反応させてしまうほど。
『うそ』
はっきりとそう聞こえた。その声は低く、子供とは思えない声だ。その威圧感に押しつぶされそうだ。
「いいえ、嘘ではないです。あなたはもう怯える必要はない、あなたは何も悪くない」
『怒られる』
「もう大丈夫です。あなたを怒る人は誰もいない」
『じゃあ、 一緒に来てよ』
冷たい声がして、九条さんも一瞬口籠った。
だめだ、と心の中で思う。この子、本当に心を閉ざしている。私たちの言葉より、生前受けた親からの仕打ちの方がずっと心を占めているんだ。
こちらの戸惑いが伝わってしまったのだろうか。次の瞬間、飛鳥ちゃんは突然口を開けて叫び出した。まるでサイレンのような、高くて悲痛な叫び声だった。彼女にとって戸惑いと悲しみと怒り、全てをぶつけた声。ひどい音量につい顔を歪めた。
それに共鳴するようにラップ音が強くなる。さまざまな方角から聞こえてくる音に危機感が増す。九条さんが強い口調で言った。
「いけない、一度撤収を」
声は掻き消された。どこからか強い突風のようなものが現れたからだ。まるで近寄るなと言っているようだった。聡美の悲鳴が遠くから聞こえた気がする。風に煽られ、私は体のバランスを崩し倒れ込んだ。背後にあった出口の扉にもたれながら、この状況をなんとかせねばならないと必死に考える。
飛鳥ちゃんは混乱してるんだ。何を信じていいか分からないんだろう。生前誰のことも信用できなかった彼女に、信頼されるだけの関係性が作れていない。
「飛鳥さん、どうか落ち着いてください!」
九条さんの声は掻き消される。飛鳥ちゃんに届いてはいない。
風音とラップ音の中に、何かが割れるような音がした。頭上からだった。見上げようとしたとき、突然自分に白い服が覆いかぶさる。
「光さん!」
確かにそんな声が聞こえた。自分はただ驚きで体を固まらせる。同時に、何かが落下したのを感じた。さらに、すぐそばでガシャンという音が響く。
「く、九条さん!?」
彼の白い服に埋もれながら叫び、なんとか顔を上げる。至近距離にある九条さんの顔に、赤い何かを見つけた。
九条さんの額から血が垂れていた。
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