後輩の幸せな片思い

Gemini

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先輩

第十一話

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 コピー室に井上は居た。
 朝はいつもと変わらない挨拶だったが、笑顔が曇っている。それは周りの連中も気がついていて、試験が近いからさすがの井上も疲れてるのだろうということで落ち着いているが、僕は気が気ではなかった。

「お疲れ」
「……うス」
「昨日ミュージカル楽しかったな」
「そうっスね」

 明らかにそっけない。井上が僕を見ない。昨日のことを謝らなくては。「あのさ──」と言いかけて井上に遮られる。

「これ」
「えっ、うん?」
「明日のプレゼンの企画書です」
「おぉ、早いな」
「大丈夫すよ、槇さんの手を煩わせることはないんで」
「…………なんだよ。その言い方」
「もう、オレ先輩のこと好きじゃないんで、好きになるの止めるんで」

 思考が追いついて行かず瞬きを繰り返すだけで、井上の言葉に反応ができない。

「もう好きになるのを止めたんです、だから昨日のことも忘れてください」
「……」
「仕事はやります、足を引っ張るような失敗もしないんで」
「ちょ、っと」
「じゃ、打合せあるんで」

 一方的に話すと井上はコピー室を出ていってしまった。

 怒ってる?
 怒らせた、のかな。好きになるのを止めた……?
 
 僕は昨日告白をされた。井上が僕にはない勇気で気持ちを伝えてくれた。なのに、僕は文哉からの連絡を理由に、逃げたんだ。







「恭介、飲みに行くぞ」

 事務所玄関の鍵を締めた仁が僕を呼び止めた。

「今日は飲みたくない」
「いいから付き合え、ウーロン茶でいいから」
「……なんだよ」

 半ば強引に仁の行きつけのクラフトビールバーに連れて行かれた。そこで仁から信じられない質問をされる。

「井上、マジで会社辞めんのか?」
「え───?」

 頭が真っ白になる体験をしたのは、これが初めてだ。

「お前にだったら相談してんじゃないのか? はぁ……一級の試験まであと少しだってのに、どんな悩み抱えてんだよ」

 仁は大きなため息をついた。

「知らなかった」
「は?」

 仁も信じられないって顔をしてる。

「いつ、辞表は? 受け取ったの?」
「今朝だよ。退職したいってな。考え直せって保留にしてっけど、恭介、お前本当に知らなかったのか?」
「……」
「お前に相談無しに辞めんのかよ、あいつ」

 仁は一気飲みしたグラスをドンっとテーブルに置いた。仁にとっては丸二年育ててきた人材だ。それが会社に貢献する前に辞めてしまうということは事業主としては大損だ。
 それに自身の社員を一級建築士に育てることは誇りでもある。

 仁は、僕が井上の退職を相談されていないことで、退職の原因が僕にあることを確信しているはずだ。僕が黙秘を続けても、仁はずっとこうやってひたすらビールを飲んで待ち続けるだろう。

 仁は、僕がゲイなのを多分知ってる。僕がカムアウトしたわけじゃない。片思いの相手が自分の弟だなんて知ったら気持ち悪いに決まってるし、絶対バレちゃいけなかった。でも仁は、知ってる。なんとなく気がついてる。僕の勘でしかないが。

 仁が追加注文したビールがテーブルに置かれて店員が去るまでの間、僕は手を付けずにいたウーロン茶を一口飲んで、それから仁に向き合った。

「昨日、井上に告白された」
「井上に?」
「原因と言えば、それしか考えられない」
「あぁ。……失恋の痛みで辞めんのか」
「僕が断ったテイ?」
「あ? 違うのか?」
「違わない、と、思う……けど、返事もしてないんだ」

 にしても、やはり男が男に告白されたという話を目の前にしても普段通り受け止めてしまうんだな、仁は。僕は仁に昨日の顛末を話した。




「お前はずっと文哉、文哉だったもんな」
「……」

 それは否定出来ない。

「井上は入社してからずっとお前と一緒だったろ」
「あぁ」
「井上がずっとくっついて、纏わりついてた」
「仕事でペアだからな」
「違う。恭介、お前、分かってたんじゃないのか?」

 仁の鋭い視線が僕を刺した。なんでもお見通しみたいな自信は、昔からだ。前の会社を辞めて独立すると言ったときも、微塵の迷いや怖さを持っていなかった。

「あいつが懐いてくれてるのは分かってるよ。いつも元気で明るくて人懐こいのがあいつの性格だろう?」
「だったらあの人懐こさを俺にもしていたか?」
「え? そりゃ、みんなにも」

 井上はザ・体育会系で挨拶は大きな声でハッキリと。いつも太陽みたいな奴。誰にでもちゃんと挨拶してた。
 僕にしか『先輩て』呼ばないのは知ってた。でもそれは僕が単に舐められてるだけだと思ってたし、同時に親しみの証だとも思ってた。

「お前が休みの日、井上めっちゃ静かなんだぞ。事務所内がシーンとしてんだ」

 そんなの、初めて聞いたことだ。

「挨拶だっておはようございます……って小さいし」と、トボトボ歩くマネをしてか肩を窄めて揶揄う仁。

「後輩として、弟みたいだったのに」
「そうやって井上に甘えてたのか」
「甘えてなんか」
「じゃあ、漬け込んだんだな?」
「もっと悪い言い方になってるぞ」
「お前は文哉しか見てなかったのに」
「やっぱり知ってたんだね」
「誰が見たってそれだろ」

恭介文哉ってファンクラブができてんだぞと、笑われた。

「……それはもう、終わったから、ケリつけた」
「ケリ付いたんだ? マジで? 二十年だぞ、諦められたのか」

 仁の性格には本当に助けられるな、甘えていて漬け込んでいたよ。仁という友の存在に。

「……諦めたっていうか、文哉が幸せになるならそもそも僕は見守るだけでいいから」
「じゃあ、他の人と恋愛する気があるんだな?」
「え?」
「それとも文哉一筋に死んでくのか? 童貞を捧げないのか?」
「はぁ…………?」
「童貞で死ぬのかお前は」
「ったく、なんでそうなんだよ、お前は! 筋肉バカ!」

 バカはお前だよと笑ってビールを飲んだ。



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