この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜

氷雨そら

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帰る場所と誓い

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 焚き火のそばで眠ってしまったルナシェ。
 そのままにすることもできず、迷った末、ベリアスはルナシェを抱き上げた。

「……軽いな。ちゃんと食べているのか?」

 人一人抱えているとは思えないスピードで、部屋に戻る。
 そして、ベリアスはルナシェをそっと、寝台に横たえた。

 そこまでされても、ルナシェが目を覚ます様子はない。

 先ほどまで、婚約式という名の宴で、戸惑いながらも、騎士達に囲まれていたルナシェ。

 深窓の令嬢にとっては、困惑の連続だっただろうに、ルナシェが騎士達に嫌悪感を表すことなど一度もなかった。

 暗い室内に、小さな明かりが揺れる。

 いつもであれば、たった一人、戦いに疲れた体を休めるための、何もない部屋だ。
 第一騎士団団長という立場上、寝室だけではなく、執務室などの部屋が与えられている。
 だから、ベリアスが、この部屋に誰かを招き入れるのは、ルナシェが初めてだ。

 そんなことも知らないままに、ルナシェはすやすやと眠っている。

「無防備だな……」

 ベッドの横に置かれた椅子にベリアスは腰掛けた。
 ルナシェの横に眠ったなら、翌朝ルナシェはどんな反応を見せるだろうか。

「だが……」

 ベリアスは、少しだけ楽しく思えるそのいたずらを実行する気はない。
 それよりも気がかりなのは……。

「……何があったんだ、ルナシェ」

 今は閉じられている瑠璃色の瞳は、先ほどまで、不安を隠しきれないかのように、確認するように何度もベリアスへと向けられた。
 そして、明らかにベリアスの姿を見るたび安堵しているように見えた。

 婚約者といえ、初対面の人間に向けるような視線ではない。

 しかも、ルナシェの目は、死線をくぐり抜けたような人間のそれをしている。
 一般の人間にはわからないかもしれないが、新人の騎士が死線をくぐり抜け、そんな目に変わっていく様をベリアスは数え切れないほど見てきた。

 だから、間違いないだろう。ルナシェは、死ぬような思いをした。この短期間の間に……。
 しかし、ベリアスの耳にそんな事件は一つも届いていなかった。

 ベリアスが、ルナシェを守るために手を打っていたことは別としても、ミンティア辺境伯家は、唯一王国に対抗できるほどの武力を持つ。

 ルナシェに、危険が及ぶはずもない。

 ミンティア辺境伯領は、隣国に接した場所にあり、戦時中であっても、隣国の品物を手に入れられるほどだ。
 財力も、王家よりもあるかもしれない。隣国との戦争状態である今、その立ち位置は重要かつ危険視されている。

 それでも、ミンティア辺境伯家には長男もいる。
 家督を継ぐ予定のないルナシェは、辺境伯家に必要な教育を受けてはいるが、深窓の令嬢として守られて育てられ、危険な目に遭うはずなどなかった。

 だが、ベリアスの騎士としての経験が、直感が、ルナシェに何かが起きたのだと告げる。

「何があっても守り抜くと誓いながら、ルナシェがそこまでつらい思いをした時にそばにいられなかったのか? ……俺は」

 それは事実だ。ベリアスはルナシェを守り切れずに永遠にそばからいなくなり、ルナシェは断頭台に消えた。

 それは、まだ起こっていない未来で、そのことは今のベリアスのせいではない。それでも、ベリアスはその時ルナシェのそばにいなかった。

「……今度こそ、守るから」

 それは、誰にも聞かれることのない誓いだ。
 だが、当然のようにベリアスはその誓いに自らの剣を捧げる。

「たった一言声を掛けられたあの瞬間から、あなたを守りたかった」

 ルナシェにとっては、たくさんの騎士達に掛けてきた言葉の一つだろう。
 ベリアスは、ルナシェと初めて出会ったあの日に、思いをはせた。

 * * *

 この地に赴任した日、辺境伯との謁見を終えて、帰路につこうとしたベリアスは、ルナシェと初めて出会った。
 屋敷内で出会った見知らぬ騎士に、少しだけ目を見開いたルナシェ。

 屋敷の中庭にいたルナシェの白銀の髪が、陽光にキラキラと輝く。知的な瑠璃色の瞳をまっすぐこちらに向けた姿は、まるで神話から抜け出した聖霊の御遣いのようだった。

 我に返ったベリアスが、騎士の礼をするとルナシェは微笑んで、ドレスの裾をつかんで優雅に一礼した。

「王国の平和は、あなた達のお力で保たれているのでしょう。尊敬していますわ」

 たった一言、そう告げられただけ。
 それは、あくまでルナシェにとって社交辞令だっただろう。そんなことは、ベリアスにだってわかっている。

「――――当たり前の一言だったのだろう。だが、あの日から俺は」

 王国の平和、そしてルナシェを守ると決めた。

 その後から、ベリアスは武功をあげ第一騎士団長に任命され、家名も名誉も金銭も、使えるものはすべて使ってルナシェとの婚約を手にした。

 たった一目見ただけの、深窓の令嬢に恋をしてしまったベリアス。
 ルナシェは知らないだろう。けれど、ずっとベリアスはルナシェを恋い慕っていた。

「――――それなのに、どうして」

 ルナシェは、ベリアスと会うためだけに、慣例通りシェンディア侯爵家に向かうことなく、ミンティア辺境伯家に帰ることもなく、この地に直接来た。

 はじめは婚約式に行かなかったことで、婚約破棄の申し出に来たのだとベリアスは思った。

 だが、婚約破棄は告げられず、ただルナシェは泣いた。

 しかし、政略的な婚約をしただけの婚約者のために、ルナシェが自分が求められている立ち位置を捨ててまで、危険なこの場所に来るだろうか。

 ルナシェのことを遠くから見ているだけでもわかる。今までのルナシェであれば、おそらく三ヶ月後に戦争が一時的に終わり、ベリアスが帰るのをおとなしく待っていただろう。

 それが、辺境伯令嬢としての、あるべき立ち位置だからだ。

「うーん……」
「ルナシェ……」

 幸せそうに寝返りを打ったルナシェに、深い思考から我に返ったベリアスは、そっとそばによる。

「――――どちらにしても、明日には、ここを離れるように話さなければいけないな……」

 ベリアスが、そっとルナシェの頬に触れたのは、ほんの出来心だっただろう。
 まさか、その手にもう一度ルナシェの涙がこぼれ落ちてくるなんて、ベリアスは想像もしていなかった。

「…………帰ってくるって言ったのに」

 こぼれ落ちた涙と、その言葉は誰に向けられたものなのか、ベリアスにはわからない。
 けれど、なぜか自分に向けられているのだと、そう思わずにはいられなかった。

「…………ルナシェが、帰ってきてほしいと言ってくれるのなら」

 最前線で戦い続けるベリアスが、生き残れるかなんて五分五分がいいところだろう。

 理由もわからないまま、ベリアスは今度こそルナシェの元に帰りたいと思った。
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