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一輪の赤い花、記憶の交差
しおりを挟む気がつけば、急斜面をはるか下まで滑落していた。命があったのは、運がよかったとしか形容しがたい。
天気がよく、視界は遮られていないが、一面の銀世界に、方向感覚も狂う。
「おい、ジアス。生きているか?」
「……見ての通り。ですが、まともに歩けそうにありません」
「そうか……」
立ち上がったベリアス。
その瞬間全身に稲妻のような痛みが走る。恐らくあばら骨の二、三本は折れているに違いない。
それでも、なんとか歩けそうだ。
倒れたままのジアスを起こそうとベリアスがしゃがみ込む。
その瞳をまっすぐに見つめ、副団長ジアスは覚悟を決めたように口を開いた。
「……団長一人ならば、友軍と合流出来るでしょう」
「かもしれんが、その選択肢はない」
「……そもそもなぜ、一緒に落ちたのですか! せっかく勝利を手にして、婚約者の元に帰れるところを!」
ベリアスは、その質問には答えることなく、ジアスに肩を貸し立ち上がらせる。
「なあ。信じるか?」
「……団長の言うことを疑うことなどありません」
「……俺の婚約者だが、人生をやり直しているそうだ」
「は? なんて……」
真っ白な雪と、この時期には珍しい青空。
ベリアスは、青く澄んだ空を見上げた。
「ルナシェが見てきたという、以前の人生では、この奇襲で、お前は死に、砦は陥落するはずだった。……事実、敵国の奇襲はあった」
「――――信頼できる情報と言っていたよな? やり直しているというルナシェ様のの言葉を鵜呑みにしたのか」
「信じられないか?」
「……友の正気の沙汰じゃない行動は信じられないが、話は信じるさ」
実際に、雪山を越えて敵軍はドランクの砦に攻め入ってきた。
手引きをした人間を調べていけば、シェンディア侯爵夫人にたどり着いたが、用意されていた物資や装備から言って、黒幕はほかにいるだろう。
現状では、ベリアスの持つ情報と、ガストの王国全土に広がる情報網を使っても、国王陛下の廃位を企てる王弟が怪しいというところまでしか掴めなかった。
「だが、ドランクの砦は守り切った。……次は、お前の番だ。ジアス」
「……置いていけと言っている」
「だめだ。未来は変えることができると、お前を連れ帰って、ルナシェを安心させてやりたい」
「は……。その結果、お前自身が危ない橋を渡ってどうする」
それ以上の問答は不要とばかりに、ベリアスはジアスに肩を貸したまま歩き出す。
雪が積もった山、味方と合流できないまま、夜になってしまえば二人の命の保証はないだろう。
体力が失われていく中、しかしベリアスは、闇雲に進んでいるわけではない。
こんなことが起こったときの、合流地点はあらかじめ決めてある。
「…………赤い花」
いまだ滑落の可能性が高い危険な斜面を越えた先に、山の中の開けた場所に、合流地点はあった。
その場所で、たった一輪、雪の間から鮮やかにのぞくのは、いつかルナシェに見せたいと思っていた、あの花だった。
遠くから、味方の騎士達がベリアスとジアスを呼ぶ声が聞こえる。
頬に当たる冷たい雪の感触。いつの間に、ベリアスは倒れていたのだろう。
気力だけでここまでたどり着いた。今になって、全身に強い痛みを感じ始める。
ベリアスの視線の先、あと少しで手が届きそうな場所に見えるのは赤い花。
「ルナシェ」
ベリアスは、赤い花に手を伸ばす。
この花は、きっとこの雪の世界よりも、ルナシェの白銀の髪に飾られた方が美しいに違いない。
『ドランクの街から、北に街道を進むと、雪の中で咲くこの花の群生地があるんだ。白銀の光の中で、この花を見るたびに、ルナシェを思い出す。いつか一緒に……』
たしかにそれは、ベリアスがルナシェにかつて伝えた言葉だ。
あのとき、向かい合わせに座ったルナシェに、恋い焦がれる思いを伝えたくて、その髪にそっとこの赤い花を飾った。
だが、それはいつのことだっただろう。
どこかで、瑠璃色の宝石が輝いている。
その宝石を握りしめて、もう一度会いたいと泣いているのは……。
あと少しで届きそうな記憶を思い出せないもどかしさを感じたまま、ベリアスの意識は雪原の中に沈んでいった。
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