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第一章 (仮)
第五十二話 長椅子
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混乱した頭がゆっくりと動きはじめる。
そうか。ここは娼館だ。ここへきたことを他人にばらされたくない状況もあるだろう。さすがリファはプロだ。エリッツが前に来たときここでラヴォート殿下に会っていた。シェイルもエリッツもわざわざ外套を着こんで目立たないようにここへ来たのだ。あまり知られたくない密談だったはずだ。
どんな情報がどんな風に流れてしまうかわからない。リファに余計なことをいわなくて本当によかった。
「ご指名をいただきありがとうございます。ベリエッタでございます」
その女性が階段からおりてきたとき、エリッツは酒をつくったり受付をしたりする従業員なのかと思っていたので驚いた。
歳は五十を過ぎているだろう。ふっくらとした体に見事にカールした赤毛、黒と緑を基調としたシンプルなドレスを着ているが豊かすぎる胸が余計に体を大きく見せている。エリッツは母親という存在をほとんど知らないが「お母さん」という印象がある。
「あなたがベリエッタさんですか、こんな時間に本当に申し訳ない」
アイザック氏の口調は娼婦に対するものというより尊敬の念がこもっているように感じる。
ベリエッタは呆けたように見ているエリッツにもにこりとほほえみかけてくれた。
「ダグラス様からお話はうかがっております。お手合わせの機会をいただき光栄です。それではさっそくはじめましょう」
ベリエッタがゆったりと優雅な物腰でアイザック氏の正面に腰掛ける。
「ベリエッタさんに何か飲み物を」
すかさずアイザック氏が飲み物を注文する。エリッツはこういうお店での立ち居振る舞いはよくわからないのでただ見守っていた。いったい何がはじまるのだろう。エリッツが心配したようないかがわしい展開ではなさそうである。
リファがテーブルの上に重い木材のボードを置く。それは馴染みのあるダウレの盤だった。
「三本ほど落としますか」
リファがベリエッタの駒を三本抜いた。
「ええ、まずそれくらいからお願いします」
アイザック氏の腕前がどれくらいかは知らないが、兄は強い。その兄が認めているベリエッタも相当やるに違いない。エリッツは状況を忘れて俄然この勝負に興味をもってしまった。
娼館というといかがわしい行為をする場所だと思っていたが、このようにゲームの腕を売る女性もいるのだとエリッツは感心した。そしてどうやら兄がゲームをするためにこの女性を「買って」いたらしいとわかり少しほっとする。兄なら強い相手を求めて金を支払うくらいやりそうである。
ついでに前この店に来たときエリッツはどうやらリファにかつがれていたのではないかと思いはじめる。シェイルがベリエッタといやらしいことをしているといったが、この様子だとやはり違うのではないか。
そんなことを考えながらふとバーカウンターの方を見やるとリファはエリッツのことなど気にもせず、機嫌よさそうにグラスを磨いていた。
エリッツがもやもやと考えているうちに二人はルールの確認などを終わらせゲームをはじめようとしている。
エリッツは盤上に目を落す。見るとリークも興味深そうに盤をのぞきこんでいた。
序盤はとくに大きな動きはない。駒落ちにもかかわらずベリエッタの方がやや優勢といったところか。ただ見ている限りかなりレベルの高い勝負であることは確かだ。兄がわざわざ紹介するだけあってアイザック氏も相当強い。
ときおりベリエッタが「レジスはいかがでしたか」とか「コルトニエスの方はまだかなり寒いのではないですか」と世間話をもちかける。アイザック氏も楽しそうにそれに応じていた。エリッツはなんとなくいいなぁと二人の様子を見守る。仕事を得て自分でお金を稼げるようになったらベリエッタと勝負してみたい。いったいいくらくらいかかるんだろうか。リファの機嫌のよさを考えると相当「心付け」を包んだはずだ。
何気なく顔をあげるとリファと目があった。別段意味があるようには思えなかったがエリッツは飲み物をもらいにいく風を装って席をたつ。ゲームに熱中しているアイザック氏が気にとめる様子はなかった。
「次はお酒になさいます?」
リファはそんなエリッツを笑顔でむかえる。
エリッツは空いたグラスを差しだしながら「あの……」と切りだした。自分がこの店からいなくなった後、どうなったんだろうか。何も伝えることができないまま姿を消したのでシェイルもリファもさぞ困っただろう。ひとこと謝っておきたかった。
リファは小さく人さし指を鼻の前にかざす。小声だったので絶対に聞こえていないはずだが、リファは慎重だ。
「その怪我、痛そうね」
リファが気づかうように玻璃で細かな傷がついた手の甲を両手でつつみこむ。それは小さな傷だしもうふさがっていた。
「いえ、昨日ちょっと。たいしたことはないんですが」
「あまり顔色もよくないわ。少し横になった方がいいんじゃないかしら」
まだ毒の影響があるのだろうか。確かに体調は万全ではないがどちらかというと外傷と筋肉が疲労しているせいだと思っていた。
「詳しくは知らないが、一昨日トラブルに巻きこまれたらしいじゃないか。私のことはいいから休ませてもらってはどうだね」
アイザック氏もそう声をかけてくれる。リファを見るとそれを肯定するようにうなずいていた。自分はそんなに具合が悪そうに見えるのだろうか。
「こちらにどうぞ」
エリッツの返事を待たず、リファがカウンターから出て手をひいてくれる。アイザック氏の様子を振りかえるともう盤を見おろし熟考の態勢にはいっていた。
リークはエリッツの方をじっと観察している。ゆっくり話す機会があればいいがあまり好かれていないようなので難しいだろう。
リファに手を引かれてバーカウンターの中にある扉に入るとそこは座り心地のよさそうな長椅子が置かれた休憩室のようになっていた。事務室も兼ねているのか書類なども多く置かれているが、きちんと整理されているため乱雑な印象はない。
完全に扉が閉じた後でリファはつかみかからんばかりにエリッツにつめよる。
「どこで何をしてたのよ」
さすがに小声だがエリッツにはおなじみの怖い顔をしていた。この表情の方がなぜかエリッツは安心する。
「それをさっき謝ろうと思って。実は――」
「いいわよ。お兄さんのところにいるのは知ってるから」
じゃあ聞かないで欲しい。エリッツの憮然とした表情が気に障ったのか、リファはさらにいいつのる。
「あの後シェイルが何でひとりで外に出したのかってうるさかったから文句をいいたかっただけよ。いい歳して誘拐とかされないでくれる?」
「それは――すみません」
「まぁ、とりあえず座ったら? 本当に横になってもいいのよ」
リファがすすめてくれた長椅子は体を包み込んでくれるような座り心地で確かに寝転んだら気持ちがよさそうだ。
「おれ、そんなに具合が悪そうですか」
「別に。あんまりにも危なっかしいから呼び出しただけ。余計なことはいわないで黙ってゲームでも見てなさいよ。なんなら本当に寝てた方がいいんじゃないの」
いいながらリファはエリッツの向かいに椅子を引っ張ってきて腰かける。自身がそんなに危なっかしかったという自覚がないだけに不安になる。
「シェイルは今どこにいるんでしょう」
リファが知っているとも思わなかったがその後のシェイルの動きが何かわかればとエリッツは口にした。
「今はどこか知らないけど、一昨日だったか、ここに来たわね」
一昨日といえば、シェイルはエリッツのいる兄の邸宅にもやってきた。
リファはそこでさらに声をひそめる。
「裏の男娼がいる店を紹介して欲しいっていわれたわ。ねぇ、男娼遊びとかあなたが教えたの?」
ニヤニヤしているリファの声がすっと遠のく。
「おれはそんなこと――」
動揺してしまい言葉が続かない。
「長いこと店主と話をしてたからたぶん――、あ、ちょっと」
リファの声を背中で聞きながら、エリッツはまたもや娼館を飛び出す。アイザック氏やリークたちもさぞびっくりしただろうがそれも目に入ってはいなかった。
昨日に引き続きエリッツはひたすらレジスの街中をかけ抜け、足が悲鳴をあげるのも無視して足場の悪い森の獣道を休むことなくひた走っていた。
そうか。ここは娼館だ。ここへきたことを他人にばらされたくない状況もあるだろう。さすがリファはプロだ。エリッツが前に来たときここでラヴォート殿下に会っていた。シェイルもエリッツもわざわざ外套を着こんで目立たないようにここへ来たのだ。あまり知られたくない密談だったはずだ。
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ベリエッタがゆったりと優雅な物腰でアイザック氏の正面に腰掛ける。
「ベリエッタさんに何か飲み物を」
すかさずアイザック氏が飲み物を注文する。エリッツはこういうお店での立ち居振る舞いはよくわからないのでただ見守っていた。いったい何がはじまるのだろう。エリッツが心配したようないかがわしい展開ではなさそうである。
リファがテーブルの上に重い木材のボードを置く。それは馴染みのあるダウレの盤だった。
「三本ほど落としますか」
リファがベリエッタの駒を三本抜いた。
「ええ、まずそれくらいからお願いします」
アイザック氏の腕前がどれくらいかは知らないが、兄は強い。その兄が認めているベリエッタも相当やるに違いない。エリッツは状況を忘れて俄然この勝負に興味をもってしまった。
娼館というといかがわしい行為をする場所だと思っていたが、このようにゲームの腕を売る女性もいるのだとエリッツは感心した。そしてどうやら兄がゲームをするためにこの女性を「買って」いたらしいとわかり少しほっとする。兄なら強い相手を求めて金を支払うくらいやりそうである。
ついでに前この店に来たときエリッツはどうやらリファにかつがれていたのではないかと思いはじめる。シェイルがベリエッタといやらしいことをしているといったが、この様子だとやはり違うのではないか。
そんなことを考えながらふとバーカウンターの方を見やるとリファはエリッツのことなど気にもせず、機嫌よさそうにグラスを磨いていた。
エリッツがもやもやと考えているうちに二人はルールの確認などを終わらせゲームをはじめようとしている。
エリッツは盤上に目を落す。見るとリークも興味深そうに盤をのぞきこんでいた。
序盤はとくに大きな動きはない。駒落ちにもかかわらずベリエッタの方がやや優勢といったところか。ただ見ている限りかなりレベルの高い勝負であることは確かだ。兄がわざわざ紹介するだけあってアイザック氏も相当強い。
ときおりベリエッタが「レジスはいかがでしたか」とか「コルトニエスの方はまだかなり寒いのではないですか」と世間話をもちかける。アイザック氏も楽しそうにそれに応じていた。エリッツはなんとなくいいなぁと二人の様子を見守る。仕事を得て自分でお金を稼げるようになったらベリエッタと勝負してみたい。いったいいくらくらいかかるんだろうか。リファの機嫌のよさを考えると相当「心付け」を包んだはずだ。
何気なく顔をあげるとリファと目があった。別段意味があるようには思えなかったがエリッツは飲み物をもらいにいく風を装って席をたつ。ゲームに熱中しているアイザック氏が気にとめる様子はなかった。
「次はお酒になさいます?」
リファはそんなエリッツを笑顔でむかえる。
エリッツは空いたグラスを差しだしながら「あの……」と切りだした。自分がこの店からいなくなった後、どうなったんだろうか。何も伝えることができないまま姿を消したのでシェイルもリファもさぞ困っただろう。ひとこと謝っておきたかった。
リファは小さく人さし指を鼻の前にかざす。小声だったので絶対に聞こえていないはずだが、リファは慎重だ。
「その怪我、痛そうね」
リファが気づかうように玻璃で細かな傷がついた手の甲を両手でつつみこむ。それは小さな傷だしもうふさがっていた。
「いえ、昨日ちょっと。たいしたことはないんですが」
「あまり顔色もよくないわ。少し横になった方がいいんじゃないかしら」
まだ毒の影響があるのだろうか。確かに体調は万全ではないがどちらかというと外傷と筋肉が疲労しているせいだと思っていた。
「詳しくは知らないが、一昨日トラブルに巻きこまれたらしいじゃないか。私のことはいいから休ませてもらってはどうだね」
アイザック氏もそう声をかけてくれる。リファを見るとそれを肯定するようにうなずいていた。自分はそんなに具合が悪そうに見えるのだろうか。
「こちらにどうぞ」
エリッツの返事を待たず、リファがカウンターから出て手をひいてくれる。アイザック氏の様子を振りかえるともう盤を見おろし熟考の態勢にはいっていた。
リークはエリッツの方をじっと観察している。ゆっくり話す機会があればいいがあまり好かれていないようなので難しいだろう。
リファに手を引かれてバーカウンターの中にある扉に入るとそこは座り心地のよさそうな長椅子が置かれた休憩室のようになっていた。事務室も兼ねているのか書類なども多く置かれているが、きちんと整理されているため乱雑な印象はない。
完全に扉が閉じた後でリファはつかみかからんばかりにエリッツにつめよる。
「どこで何をしてたのよ」
さすがに小声だがエリッツにはおなじみの怖い顔をしていた。この表情の方がなぜかエリッツは安心する。
「それをさっき謝ろうと思って。実は――」
「いいわよ。お兄さんのところにいるのは知ってるから」
じゃあ聞かないで欲しい。エリッツの憮然とした表情が気に障ったのか、リファはさらにいいつのる。
「あの後シェイルが何でひとりで外に出したのかってうるさかったから文句をいいたかっただけよ。いい歳して誘拐とかされないでくれる?」
「それは――すみません」
「まぁ、とりあえず座ったら? 本当に横になってもいいのよ」
リファがすすめてくれた長椅子は体を包み込んでくれるような座り心地で確かに寝転んだら気持ちがよさそうだ。
「おれ、そんなに具合が悪そうですか」
「別に。あんまりにも危なっかしいから呼び出しただけ。余計なことはいわないで黙ってゲームでも見てなさいよ。なんなら本当に寝てた方がいいんじゃないの」
いいながらリファはエリッツの向かいに椅子を引っ張ってきて腰かける。自身がそんなに危なっかしかったという自覚がないだけに不安になる。
「シェイルは今どこにいるんでしょう」
リファが知っているとも思わなかったがその後のシェイルの動きが何かわかればとエリッツは口にした。
「今はどこか知らないけど、一昨日だったか、ここに来たわね」
一昨日といえば、シェイルはエリッツのいる兄の邸宅にもやってきた。
リファはそこでさらに声をひそめる。
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ニヤニヤしているリファの声がすっと遠のく。
「おれはそんなこと――」
動揺してしまい言葉が続かない。
「長いこと店主と話をしてたからたぶん――、あ、ちょっと」
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