亡国の草笛

うらたきよひこ

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第四章 真昼間の追跡

第百十話 真昼間の追跡(3)

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 あれは何だったのか。パーシーは何度も首をかしげた。報告書は一行も進まない。
 あの男、とにかくよくしゃべった。冗談でもなんでもなく文字通り日が暮れた。好きな演劇の話だったので、パーシーの方も時間を忘れて話し込んでしまったが、後から思い返すとなんだったのかまったくわからない。劇場に行くと言っていたのに、その気配もなく、かつパーシーが疑問を抱く隙すら与えなかった。そもそも道を聞きながらなぜ手品を見せたのか。
 パーシーは明るい窓の外をながめ呆然とする。当然だが、気づいた時には彼女はいなくなっていた。日が落ちれば見回りを終え、夜勤に引き継ぎをすることになっている。尾行できたのはわずかな間だけだった。
「でも楽しかったな」
 尾行ではなくあの男との会話のことだ。演劇にすごく詳しかったし、パーシーがびっくりするような脚本の裏話や役者のゴシップも教えてくれた。それに演劇以外にも幅広く知識がある様子だ。話に全然脈絡がなかったがそれもパーシーには新鮮だった。
 しかし残念ながらどこの誰かはわからない。
 道をたずねられたということはレジスの街の人ではないのかもしれないが、結局道を教えてはいない。何が目的だったのだろうか。役人と長話がしたかったわけではあるまい。
 しかもパーシーはもう少し話をしたくて、その男をイゴルデに誘ったのだ。とたんに男は黙った。黙った末に、「あ!」と明後日の方を指し、パーシーが男から視線を外した隙に消えたのだ。
「何だったんだ」
 またパーシーは首をかしげた。
「よぉ、昨日来なかったな」
 同僚二人がパーシーの机に来て、驚いたように真っ白な報告書をまじまじと見た。
同僚の一人ジェフがあきれたように「もう昼だぞ」と口を開くと、「何をやっていたんだ」ともう一人の同僚ザグリーが追い打ちをかける。
 朝から何一つ進んでいない。
「あのさ、昨日――」
 言いかけてやめた。シフトで同じ見回りコースを行くことがある二人ならあの男のことを知っているかと思ったが、昨日パーシーは非番であった。まさか同僚の女性をつけまわしたあげくに見知らぬ男に道を聞かれ手品を見せられ、日が暮れるまで演劇の話をしていたなど、どう説明すればいいのかわからない。
 黙りこんだパーシーを見て二人は顔を見合わせる。
「昨日、なんかあったのか?」
「トラブルか」
「いやー、えっと――」
 なんとかうまく説明してあの男のことを聞けないかと頭をひねるパーシーを二人は不思議そうに眺める。しかし、一向にパーシーが口を開かないので、あきらめたように二人してため息をついた。
「なんともないなら、まあいいけど。どうだ? 今日こそイゴルデで遊ばないか。俺は今日も昼から非番なんだ」
 ジェフが気を取り直したようにパーシーを誘うと、ザグリーが「俺の方は夜に緊急当番だからそうそう羽目は外せないけどな」とわざわざ言い添える。
 緊急当番というのは、夜勤の役人たちが見回りをしている間の留守番のようなものだ。呼ばれれば夜勤トラブルの助っ人をしたり、この地域の管轄内で通報があれば対応するなど、夜勤の予備要員のような役回りである。南門付近が管轄内になるこの役所では気が抜けない業務といえる。
「僕も夜からコレット大通り周辺の見回りだから、今から酒は飲めない……」
 パーシーが真面目な顔を作っていうと、二人は爆発するように笑い出した。
「何言ってるんだよ。いつも夜勤だろうが緊急当番だろうが、昼に飲んでんじゃねえか」
「うん、ちょっと言ってみただけだっ、よっと」
 パーシーが勢いよく立ち上がると、二人は「そうこなくっちゃ」とバンバンと背中を叩きまくる。パーシーも負けじと二人の背中を叩く。
 仕方ないのでしばらく昨日のことは忘れてリフレッシュしよう。
 ところが、いざイゴルデに入ったパーシーは昨日のことを思い出さないなどということはできなくなった。
「どうしたパーシーはそっち座らないのか」
「悪い。ちょっとそこかわって」
 パーシーは強引にジェフが座ろうと背を引いていた椅子に横から入る。
「なんだよ、おい。まあ……別にいいけど」
 不思議そうな顔をしつつも席をかわってくれる。
 見間違いではない。後ろにいる男、昨日の男だ。ちょうど背中合わせの形になるので、この席なら会話が聞こえるし、パーシーが顔を見られることはない。なぜこそこそ隠れてしまったのかというと、面と向かって「昨日はどうも。ところであなたは誰ですか?」と聞いてもまたはぐらかされてしまうと思ったからだ。その前にどこの誰なのかきっちりと確認しなくては。
 それにあの男には連れがいた。おそらく男だが外套のフードを目深にかぶったままでボードゲームをしているので性別すらもわからない。
「どうしてそんなところに駒を置くんですか」
 涼やかな少年のような声だ。やはり連れは男のようだ。
「こっちに置いた方が全体的にきれいだろ。ここに金色があって、この空白の木地、そしてこの銀色」
 さっきちらりと見えたがダウレというゲームをやっているようだった。そして昨日の男は相変わらず飄々としゃべっている。
「そういうゲームではないんですけど。ゼインさんが教えて欲しいっていうから貴重な休みの日にここまで来たのに」
 男の連れはすねたような声をあげる。
 パーシーは即座にメモをとりたくなった。あの男、ゼインという名前だったのか。だが名前だけではまだ駄目だ。パーシーがいつでも探しに行けるくらいの情報が欲しい。
「おーい、パーシー?」
 同僚二人が目の前で手を振っている。とたんに周りの喧騒がパーシーの耳に飛び込んできた。相変わらず騒がしい店だが、大勢の陽気な人間に囲まれると妙に落ち着く。
「いつもどおり、カードでいいよな」
 ザグリーが慣れた手つきでカードを切っている。
「はーい、これ、パーシーの」
 すでにどちらかが飲み物を買ってきてくれていたようで、ジェフが武骨な木のカップをパーシーの前に置いてくれる。
「はあー、いいね」
 パーシーはとたんにくつろいだ気分になり、カップに口をつける。安いがおいしい酒だ。
「お前、買ってきた俺よりも先に飲むなよ」
 テーブルが和やかな笑いに包まれる。いつの間にかつまみのナッツやハムなども置かれており、パーシーは遠慮なく手を付けた。どうせ払いは後から割り勘だ。
 昼食時はメニューが肉一色の店だが、それ以降はこういったつまみ類も出してくれる。ただ厨房に客が買いに行くシステムだ。うまくて安いのでそれに対しては誰も文句は言わない。
 背後のことを忘れかけたパーシーの意識は次の瞬間また後ろに引き戻された。
「ええー、そんな目的でおれのこと呼んだんですか。それ、大丈夫なんですか」
「うるっさい、バカ。声がでかい。バカ、このバカ」
 いつの間にかゼインと呼ばれた男の声がひそめられている。うっかり肝心な何かを聞き逃してしまったようだ。どうも何か企んでいるらしい。いったい何の話をしていたのだろう。
「今、バカって四回も言いましたね」
「三回だ。数も数えられないのか、バカ」
「あ、もう今、四回目言ったじゃないですか。というかマリルさんはこの話――」
 途端に男の連れの声がくぐもる。口元を押さえつけられているようなもごもごという音だけが聞こえた。
「軽々しくその名を呼ぶな。あー、人選を間違えた。まったくもって間違えた。もう石柱でも座敷犬でも何でもいいと思って呼んだお前がそれ以下とは大誤算」
 マリルという名前には聞き覚えがあるような気がする。確か――。
「まだか」
「どうせないんだろ? な?」
 はっと気づくと二人が深刻な顔でパーシーの顔をのぞきこんでいた。
 あわてて手元のカードに目を走らせるが、出せそうなカードはない。
「ないね」
 おどけたようにパーシーが降参という仕草をすると二人はどっと笑い出す。
「おーい、思わせぶりな沈黙やめてよ」
「びびらせるなよなー」
 二人は場に置いてあるコインとカードをまとめはじめる。このメンバーでやるときは子供のお小遣い程度のお金を賭ける。大勝ちしたところで翌日の昼食代になるか、ならないかという規模のささやかな遊びだ。
「じゃ、もう一戦」
 再度カードが配られる。背後はなぜか静かだ。ひどい叱責を受けた少年が黙ってしまったようだが、かすかにダウレの駒を進めている音がする。何らかの企みを共有し、静かにしていることになったようだ。こうなってはパーシーには情報が入らない。
 何を企んでいるのかはこの際どうでもいいから、何か会話をしてくれないだろうかとパーシーが意識を耳に集中させていると、願いが通じたのか、また男の連れが戸惑ったような声をあげている。
「また――なんでそんなところに駒を置くんですか。次におれがここに置くでしょう。そうしたらもう動けなくなっちゃいますよ」
「動けるだろ。ここをこうして、こっちに置く手がある」
 コツコツと木のボードの上で駒を動かしている音が聞こえる。
「ありません。それは確実に負ける手です。詰んでるんですよ。初心者でも投了するレベルの話です」
「気合でなんとかなるだろ」
「なりません」
「これだから軍人は。杓子定規な。詰んだ先に何かがあるということもあり得る。創造の翼を広げていこうぜ」
「軍人ではありませんし、これはそういうゲームでもありません」
 先ほどバカと連発され、石柱や座敷犬以下と罵られたためなのか、男の連れの声は不機嫌だ。だがこれは予定調和な不機嫌だとパーシーは感じる。この掛け合いを聞くに二人はかなり仲が良いようだ。
 パーシーは嫉妬をおぼえた。昨日はこのゼインという男と話をしていた際に、こういった掛け合いのような会話も何度かあった。パーシーの経験からいえば、そうなったらもう友達も同然だ。それなのに素性すら明かしてくれなかった。
 思わず深くため息をついてしまったパーシーに同僚二人は顔を見合わせる。
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