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第七章 盛夏の逃げ水
第百三十七話 盛夏の逃げ水(2)
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順を追って出来事を思い出していくと、多少頭がすっきりした。ただ、あわてすぎてしまってダフィットから殿下に伝えられた情報が何だったのか、エリッツは確認していない。起こったことを話せばマリルはすべてを理解するだろうと殿下は言っていたが、それならばエリッツにだって何かがわかっても不思議ではない。
立ち止まったまま、しばらくぼうっと考えてみる。
ラヴォート殿下ははじめシェイルにかかわりが深そうな人物に総当たりしろと言ったが、ダフィットから情報を得た後は目立たないようにマリルだけに相談しろと指示内容が変わった。特に敵対する間諜にさとられるな、と。つまり今回の件は敵対する間諜はノータッチで、むしろこの事件を利用されてラヴォート殿下たちに不利な状況をつくられるのを恐れたということか。――であれば、ダフィットの情報とは、シェイルが消えた原因が敵対する間諜以外のところからもたらされたという確信を得る内容だったに違いない。
しかしシェイルの執務室にあやしい人の気配があったことを鑑みるに敵対する間諜部隊はすでに何かを嗅ぎつけているのではないだろうか。シェイルを日々見張っている立場であれば当然だが、少なくともエリッツ自身がこの後悪手を打ってしまうことだけは避けたい。
エリッツが考えてわかることはそこまでだった。
実はエリッツはまだ城から出てもいない。十日しかないわけだが、だからこそ無駄打ちはしたくない。
マリルの執務室も一応城内にあるようだし先にそちらを当たる方が得策だろう。――とはいえ、執務室にいることなど少ないと聞いているが。
どういうわけか部下であるゼインはその辺によくいる。次策はゼインを見つけて、マリルの居場所を教えてもらう。それに確かパーシーは職場が同じだといっていなかっただろうか。エリッツがはじめてマリルに出会った時もパーシーと同じ役人の制服を着ていた。理由はわからないが仕事上役人の姿でいることも必要だったのだろう。よく考えれば、探せる場所はいろいろとある。エリッツは少し楽観的な気分になっていた。
「ウィンレイク指揮官の居場所? そんなのこっちが聞きたいよ」
マリルの執務室を訪れると、疲れた表情の事務官に迎えられる。ラヴォート殿下やシェイル以外の高官の執務室に入るのは初めてのことだが、室内の内装はほぼ同じだ。しかし雰囲気がかなり違う。扱っている内容が間諜部隊の事務作業ということもあり、応接からは他の事務官の姿がほとんど見えないように仕切りが立ててあった。姿は見えないが大勢の事務官が忙しそうに立ち働いている気配だけは絶えず感じられる。執務室自体もそこに用事がなければ来ないだろうと思われる奥まった場所に位置していた。
「――そうですか。お忙しいところどうもすみません」
ここにマリルがいないのであれば、すぐに次を当たらなければならない。応接のソファから腰を上げようとしたエリッツだったが、事務官は「忙しいなんてもんじゃないよ」と愚痴をこぼした。カーラ同様、言いたいことがたまっている様子である。
「ウィンレイク指揮官が戻らないのは今に始まったことじゃないし、後から報告書を見れば仕事内容が内容だけに『仕方なかったか』と思うんだけど、とにかく例のローズガーデンの事件からこっち帝国軍関係の仕事がすごいんだ。まぁ、詳しくは話せないんだけど……」
立場上、細かな愚痴をこぼせないのが口惜しいとでもいうように、こぶしを震わせて顔を伏せる。
そういえばここにいる事務官の中の誰かにマリルと間違えられて吹き矢で毒を射られたのだった。そこまで追いつめられるというのは相当である。
「またお話をうかがいにきます」
急いでいることもあり、エリッツはなぜか愚痴を聞きに来ることを約束してしまった。事務官の方もきょとんとして「え? そう? ありがとう。またね」と、力なく手をふる。
「あ!」
扉を出かけたエリッツは急に次策のことを思い出した。無駄打ちはできないのだった。
「ゼインさんを知りませんか。ここにはいないんでしょうか?」
事務官はしばらく眉をひそめて思案している様子だったが、最終的に首をふる。
「ゼイン・アルバディス? ここにあの人の机はないよ。籍はここの事務室だけど、遊軍――みたいな感じの人だから。指揮官同様に何やってるのかよくわからないし。その辺にいるんじゃないかな」
エリッツの認識と驚くほど一緒である。つまり特に新しい情報はない。事務官に丁重に礼を言い今度こそエリッツはマリルの執務室を出た。
さて、次はゼインである。
エリッツも先ほどの事務官と同様、その辺にいる印象を持っていたが、いざ探そうとなるとどこに行ったらいいのかわからない。仕事でリファの娼館や、イゴルデにいることもあるようだが、よく食材を求めて市場にも行っているらしいし、劇場や画廊も常連のようだ。いそうな場所の範囲が広すぎる。レジスの城下を一日中歩き回るわけにはいかない。まれにレジス城下以外の場所で活動していることもある。以前、エリッツの実家であるサムティカまでやってきたこともあった。まさか国外に出ることはないだろうが――確信はない。ゼインを当たるのがマリルを見つけるための最短距離のように思っていたが、案外難しいような気がしてきた。
先にパーシーのいる役所に行く方がよさそうだ。行く途中でゼインに会うかもしれない。
マリルとパーシーの職場である役所は城からかなり遠いところにあった。レジス城下の入り口となる南門の近くである。王城からはもっとも遠い門だ。馬車なども使ったが、あわよくばゼインに会えないかと寄り道もしたので、役所に着いた頃はすでに日が傾きかけていた。これだけで一日を使ってしまうのか。シェイルの居場所を探すための第一段階にまでも到達していない。
焦りを感じつつ役所の重い扉を開けると中は雑然としていた。天井が高いので狭苦しい感じはしないが、人が大勢いる。そういえばエリッツはレジス城下の役所を訪れるのは初めてだ。各種手続きや申請、道案内から揉めごとの仲裁まで色々とやっているらしい。
窓口であろうカウンターには役人が三人ほどおり、全員なんらかの相談で訪れたであろう人々につかまっている。さらに数人順番待ちまでいた。カウンターの奥には扉がいくつかあり、おそらく見回りの役人や事務作業をしている役人がその先に控えているのだろう。
どうしたものかとカウンターを見ながら思案していると、奥の扉から顔を知る人物が現れた。顔は知っているが名前は知らない。カウンターに置いてある名簿のような紙の束を手にして何か確認作業をしていた。
パーシーの友達の一人だった気がする。イゴルデで一度見たきりで話しもしたことがないので、エリッツのことを覚えているか不安だが、仕方がない。
足早にカウンターへ向かうと声をかける前にその人物の方がエリッツの姿をみとめた。
「座敷犬くんじゃないか。久しぶり。今日、パーシー非番だけど、どうした? 迷子?」
あれ? この人と友達だったんだっけ?
驚きすぎて言葉がでない。さすがパーシーの友達だ。パーシーもまるで最初から友達だったかのような感覚で話かけてくるので、面食らったものだが、周りの人間も同じらしい。
「あ、俺、ザグリー」
聞いていないのに名乗ってくれる。
「おれはエリッツです。座敷犬というのは……ちょっと何でそう呼ばれているのかわからないですが違います」
距離感をつかみかねて、エリッツは大まじめな調子になってしまう。ザグリーは気を悪くした様子もなく「名前、知らなかったもんで」と、軽やかに笑った。
名前も知らない人とこんなに気さくに話せるというのは、なかなかの特殊能力である。
立ち止まったまま、しばらくぼうっと考えてみる。
ラヴォート殿下ははじめシェイルにかかわりが深そうな人物に総当たりしろと言ったが、ダフィットから情報を得た後は目立たないようにマリルだけに相談しろと指示内容が変わった。特に敵対する間諜にさとられるな、と。つまり今回の件は敵対する間諜はノータッチで、むしろこの事件を利用されてラヴォート殿下たちに不利な状況をつくられるのを恐れたということか。――であれば、ダフィットの情報とは、シェイルが消えた原因が敵対する間諜以外のところからもたらされたという確信を得る内容だったに違いない。
しかしシェイルの執務室にあやしい人の気配があったことを鑑みるに敵対する間諜部隊はすでに何かを嗅ぎつけているのではないだろうか。シェイルを日々見張っている立場であれば当然だが、少なくともエリッツ自身がこの後悪手を打ってしまうことだけは避けたい。
エリッツが考えてわかることはそこまでだった。
実はエリッツはまだ城から出てもいない。十日しかないわけだが、だからこそ無駄打ちはしたくない。
マリルの執務室も一応城内にあるようだし先にそちらを当たる方が得策だろう。――とはいえ、執務室にいることなど少ないと聞いているが。
どういうわけか部下であるゼインはその辺によくいる。次策はゼインを見つけて、マリルの居場所を教えてもらう。それに確かパーシーは職場が同じだといっていなかっただろうか。エリッツがはじめてマリルに出会った時もパーシーと同じ役人の制服を着ていた。理由はわからないが仕事上役人の姿でいることも必要だったのだろう。よく考えれば、探せる場所はいろいろとある。エリッツは少し楽観的な気分になっていた。
「ウィンレイク指揮官の居場所? そんなのこっちが聞きたいよ」
マリルの執務室を訪れると、疲れた表情の事務官に迎えられる。ラヴォート殿下やシェイル以外の高官の執務室に入るのは初めてのことだが、室内の内装はほぼ同じだ。しかし雰囲気がかなり違う。扱っている内容が間諜部隊の事務作業ということもあり、応接からは他の事務官の姿がほとんど見えないように仕切りが立ててあった。姿は見えないが大勢の事務官が忙しそうに立ち働いている気配だけは絶えず感じられる。執務室自体もそこに用事がなければ来ないだろうと思われる奥まった場所に位置していた。
「――そうですか。お忙しいところどうもすみません」
ここにマリルがいないのであれば、すぐに次を当たらなければならない。応接のソファから腰を上げようとしたエリッツだったが、事務官は「忙しいなんてもんじゃないよ」と愚痴をこぼした。カーラ同様、言いたいことがたまっている様子である。
「ウィンレイク指揮官が戻らないのは今に始まったことじゃないし、後から報告書を見れば仕事内容が内容だけに『仕方なかったか』と思うんだけど、とにかく例のローズガーデンの事件からこっち帝国軍関係の仕事がすごいんだ。まぁ、詳しくは話せないんだけど……」
立場上、細かな愚痴をこぼせないのが口惜しいとでもいうように、こぶしを震わせて顔を伏せる。
そういえばここにいる事務官の中の誰かにマリルと間違えられて吹き矢で毒を射られたのだった。そこまで追いつめられるというのは相当である。
「またお話をうかがいにきます」
急いでいることもあり、エリッツはなぜか愚痴を聞きに来ることを約束してしまった。事務官の方もきょとんとして「え? そう? ありがとう。またね」と、力なく手をふる。
「あ!」
扉を出かけたエリッツは急に次策のことを思い出した。無駄打ちはできないのだった。
「ゼインさんを知りませんか。ここにはいないんでしょうか?」
事務官はしばらく眉をひそめて思案している様子だったが、最終的に首をふる。
「ゼイン・アルバディス? ここにあの人の机はないよ。籍はここの事務室だけど、遊軍――みたいな感じの人だから。指揮官同様に何やってるのかよくわからないし。その辺にいるんじゃないかな」
エリッツの認識と驚くほど一緒である。つまり特に新しい情報はない。事務官に丁重に礼を言い今度こそエリッツはマリルの執務室を出た。
さて、次はゼインである。
エリッツも先ほどの事務官と同様、その辺にいる印象を持っていたが、いざ探そうとなるとどこに行ったらいいのかわからない。仕事でリファの娼館や、イゴルデにいることもあるようだが、よく食材を求めて市場にも行っているらしいし、劇場や画廊も常連のようだ。いそうな場所の範囲が広すぎる。レジスの城下を一日中歩き回るわけにはいかない。まれにレジス城下以外の場所で活動していることもある。以前、エリッツの実家であるサムティカまでやってきたこともあった。まさか国外に出ることはないだろうが――確信はない。ゼインを当たるのがマリルを見つけるための最短距離のように思っていたが、案外難しいような気がしてきた。
先にパーシーのいる役所に行く方がよさそうだ。行く途中でゼインに会うかもしれない。
マリルとパーシーの職場である役所は城からかなり遠いところにあった。レジス城下の入り口となる南門の近くである。王城からはもっとも遠い門だ。馬車なども使ったが、あわよくばゼインに会えないかと寄り道もしたので、役所に着いた頃はすでに日が傾きかけていた。これだけで一日を使ってしまうのか。シェイルの居場所を探すための第一段階にまでも到達していない。
焦りを感じつつ役所の重い扉を開けると中は雑然としていた。天井が高いので狭苦しい感じはしないが、人が大勢いる。そういえばエリッツはレジス城下の役所を訪れるのは初めてだ。各種手続きや申請、道案内から揉めごとの仲裁まで色々とやっているらしい。
窓口であろうカウンターには役人が三人ほどおり、全員なんらかの相談で訪れたであろう人々につかまっている。さらに数人順番待ちまでいた。カウンターの奥には扉がいくつかあり、おそらく見回りの役人や事務作業をしている役人がその先に控えているのだろう。
どうしたものかとカウンターを見ながら思案していると、奥の扉から顔を知る人物が現れた。顔は知っているが名前は知らない。カウンターに置いてある名簿のような紙の束を手にして何か確認作業をしていた。
パーシーの友達の一人だった気がする。イゴルデで一度見たきりで話しもしたことがないので、エリッツのことを覚えているか不安だが、仕方がない。
足早にカウンターへ向かうと声をかける前にその人物の方がエリッツの姿をみとめた。
「座敷犬くんじゃないか。久しぶり。今日、パーシー非番だけど、どうした? 迷子?」
あれ? この人と友達だったんだっけ?
驚きすぎて言葉がでない。さすがパーシーの友達だ。パーシーもまるで最初から友達だったかのような感覚で話かけてくるので、面食らったものだが、周りの人間も同じらしい。
「あ、俺、ザグリー」
聞いていないのに名乗ってくれる。
「おれはエリッツです。座敷犬というのは……ちょっと何でそう呼ばれているのかわからないですが違います」
距離感をつかみかねて、エリッツは大まじめな調子になってしまう。ザグリーは気を悪くした様子もなく「名前、知らなかったもんで」と、軽やかに笑った。
名前も知らない人とこんなに気さくに話せるというのは、なかなかの特殊能力である。
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