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第七章 盛夏の逃げ水
第百五十六話 盛夏の逃げ水(21)
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あいつらのいっていたことは本当だった。
少しずつ頭がはっきりとしてくる。確かに毒を盛られていたのだ。それでなければこんなに状況を理解するのに時間がかかるはずがない。
いや、外傷によるものだというのもそうなのだろう。頭に触れると左の側頭部に傷があるのがわかる。すでにふさがってはいるものの傷の痛みのみならず頭痛までする。もしかしたらずっと痛み続けるのかもしれない。天気が悪いと特にひどいようだ。
頭を押さえながら大きな窓の外に目をうつす。重くのしかかる曇天の下には、廃墟とまではいわないが長く手入れされていない巨大な庭園が見える。かつてはぴったりとそろった三角形に整えられていた樹木はその形を大きく変えて蓬髪のごとく見苦しい。花が咲き乱れていた小道も、御影石が美しく模様を描いていたモザイクの広場も何もかも見る影もない。
何があったのか、まだよく思い出せないが傷に触れるとふつふつと怒りがわいてくる。
だがこの場所のことは思い出した。
ここは父、アルメシエ国王の部屋だ。正確にいうと王の部屋はあの二人が詰めている場所であった。ここは王の気の置けない友人が訪れた際に逗留させるためのゲストルームだった、と聞いている。いつ聞いたのか。それは定かではない。とにかくここに置いてある物は短期滞在者用のインテリアであり、並べられた本も新品同然で当たり前だ。
アルメシエ国王は死んだのだった。
そしてあの二人は「第三者の視点で状況を調べさせてもらう」と、のりこんできた図々しいレジス人だ。これまでのレジスとの関係をかんがみるに連中は間諜の類で、また自国に都合のいいようにアルメシエを利用する隙がないか探しているに違いない。そして自分はあの二人を監視するためにここにいたのだと考えられる。頭の働かない中よくそこまでできたものだ。きちんと毎日連中の会話を聞いていた。ただ残念なのは記憶の信憑性が著しく低いことだ。
レジス国王の書状には、恩着せがましく「助けてやらなくもない」というような内容のことが仰々しい文体で長々と書き連ねてあった。
だが悔しいことに助けとなったのは否定できない。妙な毒物を盛られなくなり、少しずつだがものを考えられるようになってきた。あの毒味の男、威勢よく毒かもしれないものを飲みこんでいたが、おそらく毒の味を覚えているのだろう。一度飲んだくらいではたいした影響がないものと考えられる。自分がいい例だ。毎日少しずつ盛られていたのでなければあんなになるまで「おかしい」と思わないわけがない。次に側近のイレートを見たら殴りつけてしまいそうだ。毒味していた男とイレートとの会話を思い出すと毒の件に無関係とは思えない。
記憶はまだ朧気だが、レジス人が国王の部屋を調べていることと、妹のアシュレイアがいないことにひどい焦燥感をおぼえる。何だったか。何かすぐにでもやらなければならないことがあったはずだ。
窓際から離れ部屋を歩きまわる。
隣室では相も変わらず例の二人組がひそひそと話をしながら、何かを調べている様子だ。壁の方に寄ればいつものように会話が聞こえるはずだが、今は考えごとに没頭したい。
何かまだ重要なことを忘れている気がする。
ずきりと頭痛の波が襲ってきた。頭がぼんやりとしていたときはここまで頭痛を感じなかった。あの毒には感覚を鈍らせる作用もあったのかもしれない。
そうだ。毒だ。「毒」のことを考えると妙にそわそわする。また部屋の中をいったりきたりと繰り返す。いったい誰に毒を盛られていたのか。それを考えると頭痛と怒りで頭が割れそうになる。父亡き今イレートが逆らえないような人物といったら思い当たるのは多くない。いや、わかっている、一人しかいない。だが黒々とした大きな感情の塊がうずまくだけで名前も顔も出てこない。重要なことほど思い出せないとは、忌々しいことこの上ない。
「本当ですか」
隣の部屋から毒味の男の声が聞こえた。あまり大きな声を出さない男だ。何があったのだろうか。あわてて壁際に寄る。
「本当みたいだよ」
何やら紙束を振っているような音がする。気づかなかったが、書状か何かが届いたのだろう。
「どういう経緯なんです?」
「知らない」
たちまち興味を失ったようなあの無礼な男の声がする。本当に役に立たない。あの男は何をしに来ているのだ。よく外に出て何かをしているようだが、遊びに行っているに違いない。
小さなため息と紙の束を手にするような物音がする。毒味の男が書状を見ているようだ。
「なんだか変ですね。自分で隠れておいて自分から出てくるというのはどういう心境の変化なんでしょうか」
「噂のロイの王族に何か説得されたのかも」
何がおもしろいのか笑いを含んだような声が聞こえる。
ロイの王族――。
すでに滅ぼされた国の王族がなぜここアルメシエにいるのだ。アシュレイアと一緒にいるというのは本当なのだろうか。おそらく今二人が話しているのはアシュレイアのことだ。気になる。いったいアシュレイアがどうしたというのか。
「それはただの噂だと何度いったら……」
「そうはいい切れないみたいだよ。僕の観察によるとね」
「どういう意味です?」
毒見の男の怪訝な様子にやはり無礼な男はくすくすと笑っているだけだ。
そこに隣室の扉がノックされる音がした。
「あの、書状は受けとっていますか? さっそくですが挨拶にみえました」
イレートの声だ。わきあがる怒りを懸命に押さえながら、もはや壁に張りつかんばかりになって耳をそばだてる。
「アシュレイアちゃんが? 入ってよ。ちょうど退屈してたんだよ」
アシュレイアだと。見つかったのか。壁から耳をはなし、急いで隣室への扉に向かうが、そこで思い直して立ち止まる。まだ記憶がはっきりしていない。少し様子をみていたら何か思い出すかもしれないと、もう一度壁に耳を寄せた。
「イレート、ありがとう。もういいから下がって」
凛とした女の声がする。アシュレイアの声か。どういうわけか思い出せない。
「どうして戻ってきたの?」
無礼な男は誰に対しても無礼だ。
「ここに戻ればいずれグリディラン様があらわれるでしょう。隠れていてもどうにもなりません」
グリディラン。思い出した。あの男だ。事故に見せかけて大怪我を負わせられ、あげくに毒まで盛られた。そうだ。大叔父のグリディランだ。年老いてなおこの国を支配しようとたくらんでいる。自分とアシュレイアはあの男に命を狙われているのだった。じょじょに記憶がよみがえってくる。グリディランは兵の多くを率いてどこかに潜伏している。この城に攻めこむ機会を虎視眈々とうかがっているのだ。
「それは最初からわかっていたことじゃない? 本当は何をしに来たの?」
無礼な男がまた無礼なことを言っている。
「レジスから来られたんでしょう。もう調べはついているはず。無駄話はやめましょう。ここで待ち伏せてグリディランを討つ。あなたたちが協力してくれるという認識で合っているかしら?」
なぜかまたひどい焦燥感におそわれる。何だ?
「髪を――切られたんですね」
ずっと黙っていた毒見の男が声を発した。案外どうでもいいことを言い出す。
「あなたとお会いしたことがありましたか?」
「いいえ。事前に聞いていた話と違ったので」
「ええ。長かった髪は切りました。戦の邪魔になります。かならずグリディランを討ち、亡き父の意に従います」
亡き父の意。そうだ、それだ。
アシュレイアを――早く殺さなければならない。
少しずつ頭がはっきりとしてくる。確かに毒を盛られていたのだ。それでなければこんなに状況を理解するのに時間がかかるはずがない。
いや、外傷によるものだというのもそうなのだろう。頭に触れると左の側頭部に傷があるのがわかる。すでにふさがってはいるものの傷の痛みのみならず頭痛までする。もしかしたらずっと痛み続けるのかもしれない。天気が悪いと特にひどいようだ。
頭を押さえながら大きな窓の外に目をうつす。重くのしかかる曇天の下には、廃墟とまではいわないが長く手入れされていない巨大な庭園が見える。かつてはぴったりとそろった三角形に整えられていた樹木はその形を大きく変えて蓬髪のごとく見苦しい。花が咲き乱れていた小道も、御影石が美しく模様を描いていたモザイクの広場も何もかも見る影もない。
何があったのか、まだよく思い出せないが傷に触れるとふつふつと怒りがわいてくる。
だがこの場所のことは思い出した。
ここは父、アルメシエ国王の部屋だ。正確にいうと王の部屋はあの二人が詰めている場所であった。ここは王の気の置けない友人が訪れた際に逗留させるためのゲストルームだった、と聞いている。いつ聞いたのか。それは定かではない。とにかくここに置いてある物は短期滞在者用のインテリアであり、並べられた本も新品同然で当たり前だ。
アルメシエ国王は死んだのだった。
そしてあの二人は「第三者の視点で状況を調べさせてもらう」と、のりこんできた図々しいレジス人だ。これまでのレジスとの関係をかんがみるに連中は間諜の類で、また自国に都合のいいようにアルメシエを利用する隙がないか探しているに違いない。そして自分はあの二人を監視するためにここにいたのだと考えられる。頭の働かない中よくそこまでできたものだ。きちんと毎日連中の会話を聞いていた。ただ残念なのは記憶の信憑性が著しく低いことだ。
レジス国王の書状には、恩着せがましく「助けてやらなくもない」というような内容のことが仰々しい文体で長々と書き連ねてあった。
だが悔しいことに助けとなったのは否定できない。妙な毒物を盛られなくなり、少しずつだがものを考えられるようになってきた。あの毒味の男、威勢よく毒かもしれないものを飲みこんでいたが、おそらく毒の味を覚えているのだろう。一度飲んだくらいではたいした影響がないものと考えられる。自分がいい例だ。毎日少しずつ盛られていたのでなければあんなになるまで「おかしい」と思わないわけがない。次に側近のイレートを見たら殴りつけてしまいそうだ。毒味していた男とイレートとの会話を思い出すと毒の件に無関係とは思えない。
記憶はまだ朧気だが、レジス人が国王の部屋を調べていることと、妹のアシュレイアがいないことにひどい焦燥感をおぼえる。何だったか。何かすぐにでもやらなければならないことがあったはずだ。
窓際から離れ部屋を歩きまわる。
隣室では相も変わらず例の二人組がひそひそと話をしながら、何かを調べている様子だ。壁の方に寄ればいつものように会話が聞こえるはずだが、今は考えごとに没頭したい。
何かまだ重要なことを忘れている気がする。
ずきりと頭痛の波が襲ってきた。頭がぼんやりとしていたときはここまで頭痛を感じなかった。あの毒には感覚を鈍らせる作用もあったのかもしれない。
そうだ。毒だ。「毒」のことを考えると妙にそわそわする。また部屋の中をいったりきたりと繰り返す。いったい誰に毒を盛られていたのか。それを考えると頭痛と怒りで頭が割れそうになる。父亡き今イレートが逆らえないような人物といったら思い当たるのは多くない。いや、わかっている、一人しかいない。だが黒々とした大きな感情の塊がうずまくだけで名前も顔も出てこない。重要なことほど思い出せないとは、忌々しいことこの上ない。
「本当ですか」
隣の部屋から毒味の男の声が聞こえた。あまり大きな声を出さない男だ。何があったのだろうか。あわてて壁際に寄る。
「本当みたいだよ」
何やら紙束を振っているような音がする。気づかなかったが、書状か何かが届いたのだろう。
「どういう経緯なんです?」
「知らない」
たちまち興味を失ったようなあの無礼な男の声がする。本当に役に立たない。あの男は何をしに来ているのだ。よく外に出て何かをしているようだが、遊びに行っているに違いない。
小さなため息と紙の束を手にするような物音がする。毒味の男が書状を見ているようだ。
「なんだか変ですね。自分で隠れておいて自分から出てくるというのはどういう心境の変化なんでしょうか」
「噂のロイの王族に何か説得されたのかも」
何がおもしろいのか笑いを含んだような声が聞こえる。
ロイの王族――。
すでに滅ぼされた国の王族がなぜここアルメシエにいるのだ。アシュレイアと一緒にいるというのは本当なのだろうか。おそらく今二人が話しているのはアシュレイアのことだ。気になる。いったいアシュレイアがどうしたというのか。
「それはただの噂だと何度いったら……」
「そうはいい切れないみたいだよ。僕の観察によるとね」
「どういう意味です?」
毒見の男の怪訝な様子にやはり無礼な男はくすくすと笑っているだけだ。
そこに隣室の扉がノックされる音がした。
「あの、書状は受けとっていますか? さっそくですが挨拶にみえました」
イレートの声だ。わきあがる怒りを懸命に押さえながら、もはや壁に張りつかんばかりになって耳をそばだてる。
「アシュレイアちゃんが? 入ってよ。ちょうど退屈してたんだよ」
アシュレイアだと。見つかったのか。壁から耳をはなし、急いで隣室への扉に向かうが、そこで思い直して立ち止まる。まだ記憶がはっきりしていない。少し様子をみていたら何か思い出すかもしれないと、もう一度壁に耳を寄せた。
「イレート、ありがとう。もういいから下がって」
凛とした女の声がする。アシュレイアの声か。どういうわけか思い出せない。
「どうして戻ってきたの?」
無礼な男は誰に対しても無礼だ。
「ここに戻ればいずれグリディラン様があらわれるでしょう。隠れていてもどうにもなりません」
グリディラン。思い出した。あの男だ。事故に見せかけて大怪我を負わせられ、あげくに毒まで盛られた。そうだ。大叔父のグリディランだ。年老いてなおこの国を支配しようとたくらんでいる。自分とアシュレイアはあの男に命を狙われているのだった。じょじょに記憶がよみがえってくる。グリディランは兵の多くを率いてどこかに潜伏している。この城に攻めこむ機会を虎視眈々とうかがっているのだ。
「それは最初からわかっていたことじゃない? 本当は何をしに来たの?」
無礼な男がまた無礼なことを言っている。
「レジスから来られたんでしょう。もう調べはついているはず。無駄話はやめましょう。ここで待ち伏せてグリディランを討つ。あなたたちが協力してくれるという認識で合っているかしら?」
なぜかまたひどい焦燥感におそわれる。何だ?
「髪を――切られたんですね」
ずっと黙っていた毒見の男が声を発した。案外どうでもいいことを言い出す。
「あなたとお会いしたことがありましたか?」
「いいえ。事前に聞いていた話と違ったので」
「ええ。長かった髪は切りました。戦の邪魔になります。かならずグリディランを討ち、亡き父の意に従います」
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