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第七章 盛夏の逃げ水
第百六十七話 盛夏の逃げ水(32)
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エリッツはまた混乱していた。
水竜は文字通りの水竜だった。それはそれとして……、いや、それもかなり驚くべきことで無視できないのだが、目の前の光景もそれに匹敵するほどの事態になっている。
少し時を遡る。
エリッツたちは旧アルメシエ軍の術兵たちとグリディラン軍を罠に追いこむ作戦を実行していた。首尾は上々で、背後をとられたグリディラン軍は混乱したままじりじりと前方へと押されていった。指揮官はどこにいるのか。やはりひどい砂ぼこりで戦場の全貌は見えない。どうやら背後は無視してこのまま城を攻め落とそうと判断したような動きだ。なぜ背後から攻められているのか理由を考えなかったのだろうか。拍子抜けするほどの展開である。
最後尾からついて行っているエリッツは本当に自分の怪我の具合を心配しているだけでよかった。敵兵はすべて前にいる渓谷のメンバーとアルメシエの術兵たちが退けてゆく。たまに危なっかしい事態が起こっても、すぐに他のメンバーがフォローするためエリッツの出る幕はまったくない。
――正直、暇である。
総長もライラも強い。ライラの動きは賊との戦いで見ていたが、総長の動きも惚れ惚れするほどだった。ブランデーを飲んで赤子のようにごろごろしていた昨夜の様子とのギャップがすごい。動きの緩急で敵を誘いこみ素早く斬こむ。何となくライラの剣技と似ていた。違うところは総長が術を使いこなしている点だ。やはりロイというのはその手の才能に恵まれているのだろう。なんら気負うところのない表情で呼吸するがごとく炎式や風式を使いこなしている。剣技と術が一体化しているというか、レジス軍では見たことのない戦い方だ。
アルヴィンも今のところヒルトリングに問題は起こっていないようである。この距離ならよく見えるので何かあっても安心だ。
なんとも判断力に欠けているうえに、機密情報をもらしまくっていたあの二人の術兵も、戦場となれば驚くほどの実力を発揮していた。
意外だったのは獅子である。どうでもいいことばかりにこだわって、あまりいい印象がなかったが、ひとつの集団を束ねる長として選ばれただけのことはある。
かなりの怪力だ。巨大な斧のような形の武器を振りまわし、次々と敵兵をなぎ倒してゆく。仲間たちとの息もぴったりである。ちゃんと横手に旗を持った従者を引き連れているのはさすがのこだわりぶりだ。
こちらが攻め立てるまでもなく、グリディラン軍は勝手に城の方へと向かってゆくので非常に楽な作戦であった。後はこちらの作戦に気づかれる前に前方へ押しこみ、城の前に展開しているという旧アルメシエ軍が囲いこむのを待っていればいい。そしてタイミングを見て巻きこまれないよう離脱するだけだ。そんな楽観的な気分にひたっていたときだった。
また地面が揺れた。
今度はさっきよりも大きい。騎乗していてもわかるくらいの揺れである。敵味方関係なく術士らしき人たちが青ざめた顔でこちらを振り返った。エリッツよりずっと背後を見ている。総長も例にもれず嫌そうな顔をして後ろを見ていた。
「おい、なんだ? なんだってんだ?」
獅子をはじめ術士ではない人々は戸惑ったように辺りを見渡している。地面の揺れといい、周りの様子といい、異常事態であることは感じているのか、ここぞとばかりに攻撃しようとする兵はいなかった。
アルヴィンがやはり緊張した面持ちでこちらに駆け寄ってくる。
「エリッツ、よくわからないけど術素がとんでもない動き方をしてる。そこは危ないかもしれない」
アルヴィンがエリッツを守るように最後尾に移動した。術のこととなるとアルヴィンに頼らざるをえない。エリッツもそわそわと周りの術士たちの様子をうかがった。
「だ、大丈夫だ。これも作戦だ。作戦通りだ」
アルメシエの黒髪の術兵が言葉とは裏腹に震えた声をあげた。
「えっと、ちょっと待って。殺さないでね」
総長がグリディラン軍の兵たちを制するように手のひらをつき出す。何だか間が抜けているが、言われなくともそれどころではないという表情でみな背後を見ていた。術士たちにはよっぽど怖いものが見えているのだろうか。エリッツも振り返るが岩ばかりの渓谷と黄色く枯れた草地しか見えない。みんなの様子がおかしいからか、戦場なのに静まり返っているからか、その風景が急に不気味なものに感じられる。
「ねぇ、あれはどういうこと? あっちで何やってんの?」
総長が黒髪の術兵に詰め寄った。そういえば総長を探していたように思っていたが、違ったのだろうか。
「誰があんな……」
総長はそこで口をつぐんだ。そして急に何かを思い出したかのように眉をひそめる。
「――あっちにきみら以外のロイがいるのか?」
黒髪の術兵は迷いのある表情でおどおどしている。
「ひ、秘密の作戦なんで、ちょっと、勘弁してくださいよ」
総長はそれにかまうことなく詰問を続ける。
「誰がいるんだ?」
黒髪の術兵がむっつりと黙っていると総長は深くため息をついた。
「そいつはアルメシエの軍人か? 信頼できるのか? きみらも巻き添えくって殺されたりしない保証はあるのかな」
すると黒髪の術兵は目に見えて顔面蒼白になる。
「強いのは確かだけど、あの人のこと正直よく知らない」
先ほどの栗色の髪をした女性の術兵がやはりこわばった声をあげる。
「あ、ちょっとあんたに似てたよ」
そう付け加えられた瞬間、総長が「はぁ?」と変な声をあげた。
他の術兵たちもお互い顔を見合わせながら首を振ったり、頭を抱えたりしている。
「ロイだとは聞いたが」
「信用できるかと言われると……先日会ったばかりだからな」
「でも国王の部屋に出入りするくらいだから出自のちゃんとした人なんだろ?」
「見た感じロイだけど、レジスから来たって話だったな」
その言葉にエリッツはハッとする。それはもしかして、エリッツがずっと探していた人物ではないのか。
「どうする? もう敵とか味方とかなしにしてみんなであっちに逃げる?」
総長が城の方向を指す。どさくさにまぎれて作戦まで早々に片付けようとしている。だがおびえ切った術士たちはその案にひかれているかのように、城の方をちらちらと見ていた。術士ではない兵たちも仲間に感化されたように不安げな表情で城の方向を見ている。結局向かう方向に変わりはない。ただちょっと戦闘を中断して急ぐだけである。エリッツたちにとっては戦わずして素早く作戦を遂行できるので願ったり叶ったりといったところだが。
そのときまた地面が揺れた。何かが地面の下でうごめいているような地響きもする。この物理的な揺れは術士だろうがなかろうか恐怖を感じる。レジスではほとんど地揺れなどは起こらない。旅行記などで読んで知識として知っていたが、実際に体験するのは全然違う。
「――あの、レジスから来たロイの客人が水竜を掘り起こしているんだ」
突然、黒髪の術兵が口を開いた。もはや不安に押しつぶされて機密事項はどうでもよくなったようである。
「――やっぱり。あいつまだ生きていたのか。見間違いじゃなかった。相変わらずいろんなもんを掘り起こすのが好きみたいで何よりだ。何しろ限度というものがわからんうえに直情的でむちゃくちゃをする」
総長はぶつぶつとひとりごとをいいながら馬首をめぐらせる。
「逃げる」
きりっとした表情でふり返りそう言い捨てると、城に向かって猛スピードで馬を駆る。
「総長! 一体何なんですか。待って!」
ライラが後を追って馬を走らせた。その二人の動きに辺りの兵たちは「逃げろ!」と、悲鳴をあげながら、総崩れになり、一気に城に向かって駆け出した。
「しまった! 子うさぎ!」
黒髪の術兵が叫び、栗色の髪の女性が「子うさぎを追え!」と声を張る。もう何が何だかわからない。敵も味方も入り乱れての大混乱である。
「しょうがないな。とにかくここにいても危険なだけだし、僕らも行こう」
アルヴィンが落ち着いているので少し安心する。
「ねぇ、みんなが言ってたのって、シェイルのことじゃないのかな」
エリッツが背後を指すと、アルヴィンは首を傾げる。
「今の段階ではわからないけど……可能性としてはあるかな。これだけのことができるとしたら、うん、そうなのかもしれない」
これだけのことと言われても術素の見えないエリッツには全然ピンとこない。
「シェイルだとしたら何のために何をしてるんだろう」
アルヴィンはお手上げとでもいうように肩をすくめた。
水竜は文字通りの水竜だった。それはそれとして……、いや、それもかなり驚くべきことで無視できないのだが、目の前の光景もそれに匹敵するほどの事態になっている。
少し時を遡る。
エリッツたちは旧アルメシエ軍の術兵たちとグリディラン軍を罠に追いこむ作戦を実行していた。首尾は上々で、背後をとられたグリディラン軍は混乱したままじりじりと前方へと押されていった。指揮官はどこにいるのか。やはりひどい砂ぼこりで戦場の全貌は見えない。どうやら背後は無視してこのまま城を攻め落とそうと判断したような動きだ。なぜ背後から攻められているのか理由を考えなかったのだろうか。拍子抜けするほどの展開である。
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アルヴィンも今のところヒルトリングに問題は起こっていないようである。この距離ならよく見えるので何かあっても安心だ。
なんとも判断力に欠けているうえに、機密情報をもらしまくっていたあの二人の術兵も、戦場となれば驚くほどの実力を発揮していた。
意外だったのは獅子である。どうでもいいことばかりにこだわって、あまりいい印象がなかったが、ひとつの集団を束ねる長として選ばれただけのことはある。
かなりの怪力だ。巨大な斧のような形の武器を振りまわし、次々と敵兵をなぎ倒してゆく。仲間たちとの息もぴったりである。ちゃんと横手に旗を持った従者を引き連れているのはさすがのこだわりぶりだ。
こちらが攻め立てるまでもなく、グリディラン軍は勝手に城の方へと向かってゆくので非常に楽な作戦であった。後はこちらの作戦に気づかれる前に前方へ押しこみ、城の前に展開しているという旧アルメシエ軍が囲いこむのを待っていればいい。そしてタイミングを見て巻きこまれないよう離脱するだけだ。そんな楽観的な気分にひたっていたときだった。
また地面が揺れた。
今度はさっきよりも大きい。騎乗していてもわかるくらいの揺れである。敵味方関係なく術士らしき人たちが青ざめた顔でこちらを振り返った。エリッツよりずっと背後を見ている。総長も例にもれず嫌そうな顔をして後ろを見ていた。
「おい、なんだ? なんだってんだ?」
獅子をはじめ術士ではない人々は戸惑ったように辺りを見渡している。地面の揺れといい、周りの様子といい、異常事態であることは感じているのか、ここぞとばかりに攻撃しようとする兵はいなかった。
アルヴィンがやはり緊張した面持ちでこちらに駆け寄ってくる。
「エリッツ、よくわからないけど術素がとんでもない動き方をしてる。そこは危ないかもしれない」
アルヴィンがエリッツを守るように最後尾に移動した。術のこととなるとアルヴィンに頼らざるをえない。エリッツもそわそわと周りの術士たちの様子をうかがった。
「だ、大丈夫だ。これも作戦だ。作戦通りだ」
アルメシエの黒髪の術兵が言葉とは裏腹に震えた声をあげた。
「えっと、ちょっと待って。殺さないでね」
総長がグリディラン軍の兵たちを制するように手のひらをつき出す。何だか間が抜けているが、言われなくともそれどころではないという表情でみな背後を見ていた。術士たちにはよっぽど怖いものが見えているのだろうか。エリッツも振り返るが岩ばかりの渓谷と黄色く枯れた草地しか見えない。みんなの様子がおかしいからか、戦場なのに静まり返っているからか、その風景が急に不気味なものに感じられる。
「ねぇ、あれはどういうこと? あっちで何やってんの?」
総長が黒髪の術兵に詰め寄った。そういえば総長を探していたように思っていたが、違ったのだろうか。
「誰があんな……」
総長はそこで口をつぐんだ。そして急に何かを思い出したかのように眉をひそめる。
「――あっちにきみら以外のロイがいるのか?」
黒髪の術兵は迷いのある表情でおどおどしている。
「ひ、秘密の作戦なんで、ちょっと、勘弁してくださいよ」
総長はそれにかまうことなく詰問を続ける。
「誰がいるんだ?」
黒髪の術兵がむっつりと黙っていると総長は深くため息をついた。
「そいつはアルメシエの軍人か? 信頼できるのか? きみらも巻き添えくって殺されたりしない保証はあるのかな」
すると黒髪の術兵は目に見えて顔面蒼白になる。
「強いのは確かだけど、あの人のこと正直よく知らない」
先ほどの栗色の髪をした女性の術兵がやはりこわばった声をあげる。
「あ、ちょっとあんたに似てたよ」
そう付け加えられた瞬間、総長が「はぁ?」と変な声をあげた。
他の術兵たちもお互い顔を見合わせながら首を振ったり、頭を抱えたりしている。
「ロイだとは聞いたが」
「信用できるかと言われると……先日会ったばかりだからな」
「でも国王の部屋に出入りするくらいだから出自のちゃんとした人なんだろ?」
「見た感じロイだけど、レジスから来たって話だったな」
その言葉にエリッツはハッとする。それはもしかして、エリッツがずっと探していた人物ではないのか。
「どうする? もう敵とか味方とかなしにしてみんなであっちに逃げる?」
総長が城の方向を指す。どさくさにまぎれて作戦まで早々に片付けようとしている。だがおびえ切った術士たちはその案にひかれているかのように、城の方をちらちらと見ていた。術士ではない兵たちも仲間に感化されたように不安げな表情で城の方向を見ている。結局向かう方向に変わりはない。ただちょっと戦闘を中断して急ぐだけである。エリッツたちにとっては戦わずして素早く作戦を遂行できるので願ったり叶ったりといったところだが。
そのときまた地面が揺れた。何かが地面の下でうごめいているような地響きもする。この物理的な揺れは術士だろうがなかろうか恐怖を感じる。レジスではほとんど地揺れなどは起こらない。旅行記などで読んで知識として知っていたが、実際に体験するのは全然違う。
「――あの、レジスから来たロイの客人が水竜を掘り起こしているんだ」
突然、黒髪の術兵が口を開いた。もはや不安に押しつぶされて機密事項はどうでもよくなったようである。
「――やっぱり。あいつまだ生きていたのか。見間違いじゃなかった。相変わらずいろんなもんを掘り起こすのが好きみたいで何よりだ。何しろ限度というものがわからんうえに直情的でむちゃくちゃをする」
総長はぶつぶつとひとりごとをいいながら馬首をめぐらせる。
「逃げる」
きりっとした表情でふり返りそう言い捨てると、城に向かって猛スピードで馬を駆る。
「総長! 一体何なんですか。待って!」
ライラが後を追って馬を走らせた。その二人の動きに辺りの兵たちは「逃げろ!」と、悲鳴をあげながら、総崩れになり、一気に城に向かって駆け出した。
「しまった! 子うさぎ!」
黒髪の術兵が叫び、栗色の髪の女性が「子うさぎを追え!」と声を張る。もう何が何だかわからない。敵も味方も入り乱れての大混乱である。
「しょうがないな。とにかくここにいても危険なだけだし、僕らも行こう」
アルヴィンが落ち着いているので少し安心する。
「ねぇ、みんなが言ってたのって、シェイルのことじゃないのかな」
エリッツが背後を指すと、アルヴィンは首を傾げる。
「今の段階ではわからないけど……可能性としてはあるかな。これだけのことができるとしたら、うん、そうなのかもしれない」
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