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第七章 盛夏の逃げ水
第百七十話 盛夏の逃げ水(35)
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「子うさぎがあまりに遅いのでこんなところまで来てしまいました」
よく見るとそのライラは髪が短い。アルメシエ軍の軍服を着て軍馬に乗っているが腰にさげている長剣だけはライラのものと酷似していた。
姉妹だろうか。あまりに似ている。
誰もが呆然となりゆきを見守る中「あんたがアシュレイア王女?」とずぶ濡れのまま総長が腕を組む。
「ご存知とは思いますが、違います」
髪の短い方のライラが、下馬しながら淡々と答えた。
「もうこちらの仕事は終わりました。あまり体調がよくないので国に帰ります。早いところ代わってください」
髪の短い方のライラがエリッツたちのよく知るライラの前に立つ。子うさぎというのはライラのことだったのだろうか。
「代わる? いったい何の話? あなた誰?」
当然ながら困惑した表情でライラはわずかにさがる。
「ああ、そうでした」
突然、髪の短いライラが手を打った。
「私の手落ちで申し訳ないことなんですが」
言いながら髪の短い方のライラが動く。エリッツには抜いた瞬間がまったく見えなかった。気づくと結ってあったライラの長い黒髪がばっさりと切り落とされている。ライラ本人は何が起こったのかまったくわからないようで何度もまばたきをしていた。これでもう装備以外で見分けがつかない。
「なるほど」
総長がずぶ濡れのままひとりでうなずいている。また理解が追いつかない。ここまでのどこが「なるほど」なのか。二人のライラはそれぞれ何者なのだろうか。
総長の反応にライラ自身も何かを察したかのような表情で「――なるほど」と、腕を組んだ。
「大丈夫です。アッシュグレン王子は妹にひびって精神がガタガタになるまで追いこんであります。むやみやたらにあなたの命を狙ったりしません」
総長がそこでぷっとふきだした。
「あのぼんくら王子、ガタガタだってさ」
「総長、笑うところじゃありません」
ライラは短くなった髪にさして拘泥もせずかきあげた。活発なライラに短い髪はよく似合っている。
「笑ってください。あなたが無邪気であればあるほど勝手に深読みして自滅するようにしつけてあります」
総長は「そりゃあいい」と、ひとりで盛大に笑っている。一方他のみんなは何の話をしているのかと首をかしげていた。エリッツだけが理解できない状況じゃないようで、ひとまず安心する。
その後、二人のライラは淡々と装備を交換し入れ替わった。何が何だかさっぱりわからない。城の方から来たライラはさらに白いフードのついた外套をはおり、ライラが、乗っていた馬にまたがる。そのまま「では」と、立ち去ろうとした。
「ありがとうというべき?」
その背中にライラが声をかける。
「それはレジス国王陛下に」
本当に早く帰りたそうにしている。ふり返りもしなかった。
そしてここにきてようやくエリッツはひとつだけ気づくことができた。立ち去ろうとした人物の外套の裾に小さくうさぎの模様が入っているのだ。見覚えがある。かつて意図せずそれと同じデザインのうさぎ付きの外套で歩き回ったことがあったのでよく知っていた。そのときある人物に間違えられて毒矢を受けるという悲惨な目に遭ったのだ。
名を呼んではいけないのだろうな。エリッツはその後ろ姿からそっと目をそらす。やはりレジスの間諜がアルメシエに介入していたのだ。何をしたのかは全然わからないが。
その場にいた渓谷の一団とアルメシエ軍の術兵、グリディラン軍の一部はライラを先頭にして城に向かった。グリディラン軍は完全に鎮圧されていた。背後に水竜をしたがえているからなのか、誰も襲ってはこない。それどころか畏怖をたたえた目でライラを見ている。それは水竜のせいだけではないらしい。
「アシュレイア様!」
ライラに向かってアルメシエ軍の兵たちが歓声をあげている。その事実にエリッツの理解はまったくついていっていなかった。隣でアルヴィンが「総長のいう正義ってそういうこと?」と、ひとりごとを言っている。
「え? なに? どういうこと?」
完全に混乱しているエリッツがアルヴィンを問い詰めるが「見たままでしょ。これ以上何を説明するの?」と、逆に聞かれてしまった。
見たまま――というと、ライラはアルメシエの王女アシュレイアだったということなのか。それにしてはずいぶんと庶民的というか親しみやすいというか。エリッツの頭にはアルヴィンとともに安値で買い叩かれた思い出がよみがえる。そもそもライラはラインデル帝国の出身ではないのか。これはどういうことなんだろう。すでに頭がぼんやりしはじめていた。
アルメシエ市街の前には多くの兵が集まり鎮圧されたグリディラン軍を捕縛したり、怪我人を運んだりと戦いは急速に収束している様子であった。まだそんなに時間が経ってはいないはずだが、どうやら水竜を見た兵たちがすっかり戦意を喪失してしまい次々と投降したようである。水竜のおかげで戦死者や怪我人は大幅に減ったのではないだろうか。
その水竜も城下までたどり着いたところで霧のように消えてしまった。相変わらず仕組みがわからないが、あれだけの水を消すのもすごいことではないのか。もしかしてと背後をふり返るが、人が多くてシェイルの姿を探すこともできない。
「グリディランはどうした?」
ライラを待ちかまえるようにして立っていたのは、アルメシエ軍の将らしき立派な甲冑に身を包んだ若い男性である。甲冑には傷ひとつ付いておらず高圧的な態度でライラをにらんでいた。もしかしてこの人がアッシュグレン王子だろうか。ひどくやせて神経質そうな人だ。ライラにはあまり似ていない。
「爺さんはどっかに逃げたんじゃないかな。見かけなかったよな?」
総長が背後の仲間たちに問いかける。相変わらず渓谷の一団は「そういやいなかったな」「もう歳だから」「そのうち出てくるんじゃないのか」「いや、戦死してるかもしれん」と、口々に騒ぎだした。どういうわけかそこに獅子やザディス、リューダたちも混じっている。エリッツにとってはもはやお馴染みの光景だが、アッシュグレン王子は大仰に眉をひそめた。
「アシュレイア、そいつらはなんだ。どこからわいてきた?」
まるで虫か何かのような言いようである。
「アッシュグレン様」
ライラが声を発すると、先ほどの高圧的な態度はどこへやら、王子はびくりと体をこわばらせた。いったい何をされたらこうなるのだろう。
「な、なんだ?」
「帝印と父の遺言のことでお話があります」
帝印というのはなんだろうか。今度は首をかしげているのはエリッツだけだ。
「帝印? 貴様、やはり知っていて黙っていたのだな。早く出せ。グリディランが消えた今、この国を治められるのは俺しかいない」
すごい剣幕で詰め寄るが、ライラからは微妙に目をそらしている。妹にびびっているというのはどうやら本当らしい。
「黙って聞いた方がいいんじゃないかな」
総長が相変わらず気の抜けた調子で横槍を入れた。その言葉にアッシュグレン王子は怒りの矛先を変え、総長に向き直った。
「お前、アシュレイアの後継人だというロイの王族か。お前が帝印を持っているのはわかっている」
「え」
エリッツとアルヴィンの声がきれいにそろった。ロイの王族って北の王以外に生き残っているのだろうか。それか偽物か。同じことをアルヴィンも思ったらしく、あやしむような目つきで総長をじっと見ている。その胡散くささはいかにも偽の王族を名乗りそうではある。
「持ってるよ?」
総長は挑発するように背をそらしてアッシュグレン王子を見おろす。総長の方が長身で体格もいいので威圧感はかなりのものだ。
アッシュグレン王子は舌打ちをして「早く帝印を出せ」と吐き捨てる。
「出すよ、出す出す。ガルシュエルとの約束だからね」
「父の名を軽々しく呼ぶんじゃない」
何を言っても怒る。エリッツは早くもアッシュグレン王子のことが苦手になりそうだった。ライラがそうなのかはいまだ半信半疑だが、アルメシエ王が亡くなった後、王女が城を離れたというのも納得してしまう。
「友達の名前くらい軽々しく呼ばせてくれよ。昔はお互いガルちゃんって呼び合ってたもんだ。懐かしいな」
一方、総長はどこまでも気の抜けた調子である。総長も「ガルちゃん」と呼ばれていたのだろうか。そういえば総長の名前も知らなかった。
「御託はいい。早く帝印を出せ」
総長の方は雑談にまったくのってこないアッシュグレン王子にもさして調子を崩された様子は見せない。
「王子様、帝印は目の前に」
総長は芝居がかった動きでライラを指した。
よく見るとそのライラは髪が短い。アルメシエ軍の軍服を着て軍馬に乗っているが腰にさげている長剣だけはライラのものと酷似していた。
姉妹だろうか。あまりに似ている。
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「なるほど」
総長がずぶ濡れのままひとりでうなずいている。また理解が追いつかない。ここまでのどこが「なるほど」なのか。二人のライラはそれぞれ何者なのだろうか。
総長の反応にライラ自身も何かを察したかのような表情で「――なるほど」と、腕を組んだ。
「大丈夫です。アッシュグレン王子は妹にひびって精神がガタガタになるまで追いこんであります。むやみやたらにあなたの命を狙ったりしません」
総長がそこでぷっとふきだした。
「あのぼんくら王子、ガタガタだってさ」
「総長、笑うところじゃありません」
ライラは短くなった髪にさして拘泥もせずかきあげた。活発なライラに短い髪はよく似合っている。
「笑ってください。あなたが無邪気であればあるほど勝手に深読みして自滅するようにしつけてあります」
総長は「そりゃあいい」と、ひとりで盛大に笑っている。一方他のみんなは何の話をしているのかと首をかしげていた。エリッツだけが理解できない状況じゃないようで、ひとまず安心する。
その後、二人のライラは淡々と装備を交換し入れ替わった。何が何だかさっぱりわからない。城の方から来たライラはさらに白いフードのついた外套をはおり、ライラが、乗っていた馬にまたがる。そのまま「では」と、立ち去ろうとした。
「ありがとうというべき?」
その背中にライラが声をかける。
「それはレジス国王陛下に」
本当に早く帰りたそうにしている。ふり返りもしなかった。
そしてここにきてようやくエリッツはひとつだけ気づくことができた。立ち去ろうとした人物の外套の裾に小さくうさぎの模様が入っているのだ。見覚えがある。かつて意図せずそれと同じデザインのうさぎ付きの外套で歩き回ったことがあったのでよく知っていた。そのときある人物に間違えられて毒矢を受けるという悲惨な目に遭ったのだ。
名を呼んではいけないのだろうな。エリッツはその後ろ姿からそっと目をそらす。やはりレジスの間諜がアルメシエに介入していたのだ。何をしたのかは全然わからないが。
その場にいた渓谷の一団とアルメシエ軍の術兵、グリディラン軍の一部はライラを先頭にして城に向かった。グリディラン軍は完全に鎮圧されていた。背後に水竜をしたがえているからなのか、誰も襲ってはこない。それどころか畏怖をたたえた目でライラを見ている。それは水竜のせいだけではないらしい。
「アシュレイア様!」
ライラに向かってアルメシエ軍の兵たちが歓声をあげている。その事実にエリッツの理解はまったくついていっていなかった。隣でアルヴィンが「総長のいう正義ってそういうこと?」と、ひとりごとを言っている。
「え? なに? どういうこと?」
完全に混乱しているエリッツがアルヴィンを問い詰めるが「見たままでしょ。これ以上何を説明するの?」と、逆に聞かれてしまった。
見たまま――というと、ライラはアルメシエの王女アシュレイアだったということなのか。それにしてはずいぶんと庶民的というか親しみやすいというか。エリッツの頭にはアルヴィンとともに安値で買い叩かれた思い出がよみがえる。そもそもライラはラインデル帝国の出身ではないのか。これはどういうことなんだろう。すでに頭がぼんやりしはじめていた。
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その水竜も城下までたどり着いたところで霧のように消えてしまった。相変わらず仕組みがわからないが、あれだけの水を消すのもすごいことではないのか。もしかしてと背後をふり返るが、人が多くてシェイルの姿を探すこともできない。
「グリディランはどうした?」
ライラを待ちかまえるようにして立っていたのは、アルメシエ軍の将らしき立派な甲冑に身を包んだ若い男性である。甲冑には傷ひとつ付いておらず高圧的な態度でライラをにらんでいた。もしかしてこの人がアッシュグレン王子だろうか。ひどくやせて神経質そうな人だ。ライラにはあまり似ていない。
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ライラが声を発すると、先ほどの高圧的な態度はどこへやら、王子はびくりと体をこわばらせた。いったい何をされたらこうなるのだろう。
「な、なんだ?」
「帝印と父の遺言のことでお話があります」
帝印というのはなんだろうか。今度は首をかしげているのはエリッツだけだ。
「帝印? 貴様、やはり知っていて黙っていたのだな。早く出せ。グリディランが消えた今、この国を治められるのは俺しかいない」
すごい剣幕で詰め寄るが、ライラからは微妙に目をそらしている。妹にびびっているというのはどうやら本当らしい。
「黙って聞いた方がいいんじゃないかな」
総長が相変わらず気の抜けた調子で横槍を入れた。その言葉にアッシュグレン王子は怒りの矛先を変え、総長に向き直った。
「お前、アシュレイアの後継人だというロイの王族か。お前が帝印を持っているのはわかっている」
「え」
エリッツとアルヴィンの声がきれいにそろった。ロイの王族って北の王以外に生き残っているのだろうか。それか偽物か。同じことをアルヴィンも思ったらしく、あやしむような目つきで総長をじっと見ている。その胡散くささはいかにも偽の王族を名乗りそうではある。
「持ってるよ?」
総長は挑発するように背をそらしてアッシュグレン王子を見おろす。総長の方が長身で体格もいいので威圧感はかなりのものだ。
アッシュグレン王子は舌打ちをして「早く帝印を出せ」と吐き捨てる。
「出すよ、出す出す。ガルシュエルとの約束だからね」
「父の名を軽々しく呼ぶんじゃない」
何を言っても怒る。エリッツは早くもアッシュグレン王子のことが苦手になりそうだった。ライラがそうなのかはいまだ半信半疑だが、アルメシエ王が亡くなった後、王女が城を離れたというのも納得してしまう。
「友達の名前くらい軽々しく呼ばせてくれよ。昔はお互いガルちゃんって呼び合ってたもんだ。懐かしいな」
一方、総長はどこまでも気の抜けた調子である。総長も「ガルちゃん」と呼ばれていたのだろうか。そういえば総長の名前も知らなかった。
「御託はいい。早く帝印を出せ」
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