亡国の草笛

うらたきよひこ

文字の大きさ
174 / 239
第七章 盛夏の逃げ水

第百七十四話 盛夏の逃げ水(39)

しおりを挟む
 王妃は悲痛な面持ちでアッシュグレン王子に近づこうと大袈裟に身を乗り出している。まるで首元の刃物が存在しないかのような動きだ。いくら王子を心配するのであっても、普通はもう少し気にする。何しろちょっと動いたくらいですっぱりと血脈が切れて死ぬかもしれないのだ。それすらもかまわないというほどの気迫も特に感じられない。もしかしてあの刃物は刃を落してあるのだろうか。
「帝印をここに置け」
 グリディランは淡々と指示をしてゆく。アッシュグレン王子は一度王妃の方を見る。相変わらず王妃は先ほどから同じことを繰り返しているだけだ。王子は王妃のしぐさの違和感に気づいているだろうか。
「そんなもの、くれてやれ!」
 総長がまるでイゴルデでゲームを見ている客のような野次を飛ばした。背中しか見えないためよくわからないが、アッシュグレン王子は王妃を見たり、ライラを見たり、手元、おそらく帝印を見たりしている。しばらくの逡巡の後、結局帝印の木箱を膝前にそろそろと差し出した。
「素直でよろしい」
 グリディランは満足げにしわの多い唇の間から黄色い歯を見せる。
「さて、次はきみたちの命をもらおうか」
 グリディランは帝印の箱を拾いあげる。それが合図だったかのように、左右に控えていたグリディランの兵たちが長剣を抜いた。王妃は「殺さないで」と大袈裟に泣きわめく。渓谷の一団や兵たちの間も悔しげにうめく声があがった。
 いよいよ何か手を打たないと二人が殺されてしまう。エリッツは総長をちらりと見るが、今すぐ何か行動を起こす様子はない。エリッツは自身とライラたちの距離を目算した。行けなくはないが、怪我の影響で自分で思うよりも素早くは動けないかもしれない。
「エリッツ、動いちゃだめだよ。あいつらの中に術士がいる」
 後ろからつかまえているアルヴィンにはエリッツが何かしようとしているのがわかってしまう。
「でも……」
「静かに」
 アルヴィンがさらに声をひそめる。
 何かあるのだろうか。エリッツは落ち着いて辺りを見てみる。術兵たちはじっと耳をすませているような表情をしていた。グリディラン側の兵たちも一部が不安げに辺りの様子をうかがっている。その人たちが術兵なのかもしれない。またエリッツには感知することができない何かが起こっているようだ。総長もめずらしく真剣な面持ちで、何かを聞き逃すまいとしているようだ。
 その異様な雰囲気を感じているのか、ライラとアッシュグレン王子の前で長剣をかまえた兵たちも動きをとめている。
「ライラ、戻れ!」
 突如、総長が声をあげた。それに素早く反応したライラはアッシュグレン王子を首根っこを乱暴に引き寄せて立たせると、一目散にこちらへと駆けてくる。グリディランたちがライラの動きに反応するまでの一瞬の出来事だった。直後、すさまじい地鳴りと揺れがあり、グリディランたちはもうもうと立ちのぼる砂塵の中に消えた。
 何が起こったのか、よくわからない。そこからアッシュグレン王子がはい出てくるのが見える。周りにいた兵たちも大慌てで砂塵から逃げていった。どうやらグリディランたちだけがきれいに消えているようだ。
 そのとき上空で風の鳴る音がした。すでに聞き馴染んだ水竜の咆哮である。
「見えてたからやるだろうなとは思ってたけど、それはいらないんだよ。気に入ってんのかな」
 総長が上空を見ながらぶつぶつ言っている。水竜が砂塵の舞う辺りに向かって水を吐いた。総長をずぶ濡れにした時の比ではない。あきらかに攻撃としてやっている勢いだ。さらについでとばかりに総長に向かってペッと唾を吐くように水を飛ばす。本当にコントロールが抜群だ。また見事に総長だけがずぶ濡れである。「いちいち俺にじゃれつくんじゃない」と、総長はうんざりしたように濡れた髪をかきあげた。
「シェイル、どこにいるんだろう」
 水竜ということは、シェイルがやっているに違いない。
「近くにはいると思うよ。さっき術兵たちの話を聞いてたでしょ。こういう術は術士の居所がわかると手を打たれちゃうからね」
「その通りです。狙いを定めているうちに逆にあっち側の術士に狙われてしまいますから」
 いつのまにか隣にシェイルがいる。上空にはまだ水竜もいる。さっきは渓谷の辺りに体がつながっていたが、今は少しだけ小ぶりになり、尾までしっかりと見えている。あれをどう操っているのだろう。
「あの水竜というのを引っこめれば問題ないだろうに」
 総長はまた文句を言っている。エリッツが首をかしげていると、アルヴィンが小声で補足してくれる。
「地中の術というのはもとから対抗しにくいんだよ。動きを見づらいうえに、術素が重いからそもそも扱える術士自体も少ない。水竜を使わなければ隠れる必要はなかったのかも」
 シェイルがちらりとこちらを見たので、アルヴィンが緊張する。
「エリッツもすぐ飛び出したりしてしまうので、隠れていて欲しかったんですけどね」
 それはまさにそうだったので何も言えない。アルヴィンに止められなかったらたぶん飛び出して、あの砂塵の中にいたことだろう。
 舞いあがった砂が落ちつき、何が起こっているのか少しずつ見えてくる。
 穴だ。
 グリディランたちがいたところに大きな穴があいている。水竜を掘り出した術と同じ理屈だろうか。おそらく命まで奪うつもりはなかったらしく、深さはそこまでないようだ。しかし水竜の吐いた水で池のようになり、装備が重いのか数人の兵たちがおぼれかけていた。
「王子様、ご指示を!」
 何度もびしょ濡れにされて、やけくそのように総長が叫ぶ。
「母を……王妃を早く……」
 アッシュグレン王子はどうやらすっかり腰が抜けてしまったようで地面にはった姿のまま、震える指で、できたばかりの池を指している。
「アッシュグレン王子のご命令だ。グリディランとその仲間たちをしばりあげろ。ついでに王妃様もだ」
 総長がまたでたらめを言っている。総長も王妃の動きの違和感に気づいていたのだろう。エリッツが気づくくらいなら、みんな気づくということか。総長の声に疑問をさしはさむ者もなく全員が水から引きあげられ、とらえられた。王妃は縄こそかけられはしなかったものの、二人の兵にがっちりと囲まれている。「無礼者!」と大声で抗議している様子はいかにもアッシュグレン王子の母親らしい。この後のことはエリッツたちが首を突っ込むべきことではないだろう。
「さて事務仕事を片付けたら帰りますよ」
 シェイルがエリッツとアルヴィンに顔を向けた。ちょっと様子がおかしい。顔色があまりよくないようだ。
「おい、おい、そのおもちゃを放すなよ」
 総長がため息まじりで、しかし少しあわてた様子でシェイルに歩みよる。
「気を失うまでおもちゃで遊ぶとか五歳児かよ」
 総長がシェイルの左手をとると、シェイルはそのまま総長の方へ倒れこんだ。
「重い。お前も重いが、おもちゃが重い」
 総長がよくわからないことを言いながら歯を食いしばっている。
「よくこんなもん掘りおこしたうえにここまで持ってきたな」
 軽々とシェイルを抱きとめているように見えるが、エリッツはとりあえず「大丈夫ですか」と総長に駆けよった。アルヴィンが後ろから「きみじゃ無理だ」と、ついてくる。
「手伝うよ」とアルヴィンが総長に声をかけたが「いや、ごめん。ちょっと無理だった」と、総長が脱力したように笑った。
 直後、すさまじい勢いで雨が降り出す。空は快晴であるが、文字通り滝のような大雨だ。なすすべもなくその場の全員がずぶ濡れになる。視界がさえぎられるほどの豪雨の中、みんな呆然と立ち尽くしていた。
 この雨はもしかして水竜だったものだろうか。
「俺はこれ、何度目だ?」
 ようやくやんだ雨のあと総長はやはりずぶ濡れのまま、ぼんやりとつぶやいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実
ファンタジー
新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。 神様の土下座・謝罪もない、スキル特典もレベル制もない、転生トラックもそれほど走ってない。突然の転生に戸惑うも、前世での経験があるおかげで図太く生きられる。生きるのに『隠してたけど実は最強』も『パーティから追放されたから復讐する』とかの設定も必要ない。人はただ明日を目指して歩くだけで十分なんだ。 『王道とは歩むものではなく、その隣にある少しずれた道を歩くためのガイドにするくらいが丁度いい』 平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました! 【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】 皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました! 本当に、本当にありがとうございます! 皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。 市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です! 【作品紹介】 欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。 だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。 彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。 【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc. その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。 欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。 気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる! 【書誌情報】 タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』 著者: よっしぃ イラスト: 市丸きすけ 先生 出版社: アルファポリス ご購入はこちらから: Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/ 楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/ 【作者より、感謝を込めて】 この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。 そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。 本当に、ありがとうございます。 【これまでの主な実績】 アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得 小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得 アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞 第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過 復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞 ファミ通文庫大賞 一次選考通過

いじめられっ子異世界にて、最強の仲間を引き寄せて勝利する!

はじめアキラ@テンセイゲーム発売中
ファンタジー
 逃げることと隠れることだけが得意な男子中学生、園部優理。  従来のお節介な性格で、いじめられっ子を助けては自分がいじめの標的にされるということを繰り返していた。  ある日、自分をいじめた不良達と一緒に事故に遭い、異世界転生させられてしまうことに。  帰るためには、異世界を荒らす魔女を倒さなければいけない。しかし与えられたのは“引き寄せ”というよくわからないスキルで……  いじめられっ子だけれど、心の強さなら誰にも負けない!  これはそんな少年が、最強の仲間を引き寄せて異世界で成り上がる物語である。 ※表紙絵は汐茜りはゆさんに描いて頂きました。

嘘つきな君の世界一優しい断罪計画

空色蜻蛉
ファンタジー
誰も傷つけないよう付いた嘘が暴かれる時、誰よりも優しい青年の真実が明らかになる。 悪逆非道な侯爵家に生まれたリトスは、王太子妃を狙っている妹の野望を阻止し、実家を良い感じに没落させて、自分は国外追放されたいな~と考えていた。 軟派で無能な侯爵令息を装い、妹の対抗馬である庶民出身のテレサ嬢を支援したり、裏でいろいろ画策していた。 しかし、リトスの完璧な計画は、国外から招聘された有名な魔術師レイヴンによって徐々に暴かれていく。 リトスとレイヴン、二人の【星瞳の魔術師】が織りなす、オリジナル世界観の異世界ファンタジー物語。 ※女性向けハイファンタジー&ブロマンス作品です  恋愛がメインではないので既存の女性向けカテゴリに分類できず・・主役二人の関係性はBLに近いです。  主人公最強、かつ相方も最強で、対等に戦うライバル&相棒です。  主役二人が水戸黄門よろしく事件を恰好よく解決していくお話になります。いっそ文芸の方がいいのかも? ※カクヨム、エブリスタ、Talesで連載中。掲載サイトによって進行がちがいます。  また、番外編の掲載の仕方も各サイトの仕様に合わせて変えています。

処理中です...