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第七章 盛夏の逃げ水
第百七十六話 盛夏の逃げ水(41)
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もたもたしていたわりに、期限には間に合った。
本来であれば遅刻は確実であったが、アルメシエ軍の好意で国境まで馬車を出してもらい、オエディシスの町ではレジス軍の馬車が迎えに来ていた。後から聞いた話だとウィンレイク指揮官から報告を受けた国王陛下が直属の軍に指示したらしい。唐突にシェイルに無茶な仕事をさせたわりにこれは破格の待遇ではないか。逆にいうとシェイルが国王の期待通りの働きをしたということだろうか。
ちなみにアルヴィンも極秘任務の協力者だったことになっており、駐屯地を抜け出したことはお咎めなしだと聞いた。あまりにも都合がよすぎて驚いたのだが、これはエリッツから経緯を聞いたシェイルが早馬でリデロ指揮官に書状を出してくれていたためらしい。ずいぶんと疲れていた様子だったのに仕事が早い。そんなにアルヴィンのことがお気に入りなのだろうかと少しもやもやする。
アルヴィンといえば、ヒルトリングのロックの件はなんだったのだろう……。何事もなくすんだのでもう追求する必要はないかもしれないが、なんとなく落ち着かない。
「ねぇ、旅行楽しかった?」
カーラが寝そべっているエリッツをのぞき込む。また執務室近くにある草地だ。しげった緑が夏の強い日差しを心地よい木漏れ日にかえてくれる。疲れた体にやさしい光がしみこむようだ。カーラは場所を覚えてしまったので、もはやエリッツの秘密の場所ではなくなってしまった。
本当にシェイルは十日間の休暇をとっていたということになっている。エリッツはその間の仕事がとどこおらないように、緊急の連絡やその他どうしても必要になった場合の仕事を仲介するためシェイルに付き添っていたという扱いだ。
「おれは一応仕事だよ」
「仕事なんてほとんどなかったんじゃないの? ある意味カウラニー様との旅行と同じでしょ」
確かに建前通りであればどんなに楽しかったことだろう。シェイルとの架空の旅行を想像して一瞬幸せな気分にひたる。旅行記はよく読むが、エリッツは純粋に楽しみのためだけの旅行というものをしたことがない。
起きあがろうとして痛みに顔をしかめた。こっそりと医務室で手当してもらったが、左腕の怪我は完治までまだ時間がかかりそうだ。制服で隠れてわからないはずなのに、変な目で見られている。
「……寝違えたの?」
「うん、まあ、そうかも」
嘘なのでつい目をそらしてしまう。
「まだ元気ないみたいだよね?」
元気がないというか、ただ疲れているだけだ。帰った翌日から仕事である。昨夜遅くにレジスに着き、簡易ながら報告や手続きがあって、ようやく深夜にベッドに入った。久々のレジスだという感慨も何もない。
「元気だよ」
これは明らかな嘘なのでカーラはつまらなそうにため息をつく。
「カウラニー様が休暇をとって旅行するのもめずらしいし、どこに旅行に行ってたかも秘密なんて、なんだか変な感じ」
カーラは勘がいい。今回の件についていろいろと不審に感じているようだ。全部話してしまえればどれだけ楽だろう。そしてアルメシエでのことをどう思うのかカーラに聞いてみたい。
エリッツはいまだ起こった出来事をゆっくりふり返る余裕すらなかった。そういえば、ライラや総長、アルヴィンともまともにお別れできていない気がする。また会えるだろうか。
頭が回らずぽっかりと空白ができてしまったような感じだ。思考が無駄にめぐってゆく中でふと思い出す。最初シェイルがいないことに気づいたのはカーラたちだった。後を追うようにエリッツがいなくなったのだから、休暇で旅行に行っていたというのがそもそも話の辻褄が合わない。どうやらカーラは気づかぬふりをしてくれているようだ。何があったのか真相を知りたいようだが、嘘が下手なエリッツをぎりぎりのところで追いこまないようにしている。
「うん……ごめん。いや、えっと、ありがとう」
カーラはまじまじとエリッツの顔を見た。
「――ま、そっちもいろいろあるよね。そうそう、エリッツたちの留守中は私がカウラニー様宛の書類を整理したり、殿下のところに持ってったりしたの。カウラニー様にそれとなく私の活躍を伝えておいてね。お礼とかはいいのよ。ただ使える事務官がいるなって名前を覚えてもらえれば。次期長官にはカーラ・ミランディーを推していただけるようよろしく頼むわね」
最終的にいつものセリフを言って戻って行った。
エリッツも左腕を庇いながら立ちあがる。午後からはアルメシエの件で、ラヴォート殿下に呼び出されている。昨夜は少しだけ顔を見たが、こちらもずいぶんと疲れている様子だった。シェイルとエリッツが抜けた分の仕事というのもあるだろうが、どうもシェイルがいなかったことが結構こたえていたようだ。
レジス国王の気分ひとつでシェイルの存在はなかったことになるのだと、恐ろしい話をしていた。だからこそシェイルはアルメシエに行ったのだし、ラヴォート殿下は休暇中だと言い張ってシェイルの帰る場所を死守したのだ。
エリッツは今回のことがそこまで恐ろしい事態だったとはまったく知らなかった。国王はシェイルを排除しようとしたのだろうか。
聞くとどうもそう単純なことでもないらしい。
「むしろ気に入っている。自分の息子くらいに思っている」
むっつりと口をひらいたのはラヴォート殿下だ。
「そうでしょうか」
シェイルは首をかしげている。
ラヴォート殿下の執務室に、不在時の仕事の引き継ぎ、アルメシエでの出来事の報告、今後の口裏合わせのための打ち合わせなど、盛りだくさんの内容で集まっていた。エリッツも気合を入れて帳面を開いている。ありがたいことに怪我は書くことにさほど影響がなかった。指先は問題なく働いてくれる。
「少なくとも敵視されているわけではないと私も感じています」
これはダフィットである。
「気に入らないと思ったらすぐ消せる。今回はロイの王族の件もあるだろうが、気に入ってるからあれこれやらせて反応を見てるんだ。お前がいないから俺はジーダルの相手までさせられた」
ジーダルというと、レジスの古い武術か何かだったろうか。エリッツは習ったことがないのでよく知らない。
「物足りないと文句は言うし、自分で仕組んでおきながら『まだ帰ってこないのか』と騒ぎ出す。――とりあえずのところお前を手放す気はなかったらしい」
殿下がうんざりしたようにため息をつく。
「とりあえずのところ、ですね」
シェイルが意味深な相槌をうつ。今後どうなるかはわからないということか。また無理難題を押しつけられたあげくに存在を消されるという可能性がないこともない、と。
エリッツは出されたお茶を一口飲んだ。どこかでかいだような甘い香りが気になっていた。飲んでみると甘い香りの中にすっと異国のスパイスのような香りが混じっている。
「あ、このお茶……」
エリッツが声をあげると、相変わらずダフィットがうっとおしそうに顔をしかめた。シェイルとラヴォート殿下の前なので口には出さないが、目が黙っていろといっている。
「この茶がどうした?」
ラヴォート殿下が自身もカップに口をつけてからエリッツを見る。エリッツを相手にしてくれるのはめずらしい。心身ともに弱っているからかもしれない。
「アルメシエで飲んだお茶に似てるような……」
言いながら声が尻すぼみになる。お茶の話は今どうでもいいかもしれない。ただライラにふるまってもらったアルメシエのお茶を殿下のお土産にしたいと思っていたので覚えていたのだ。もちろんそんな買い物をする余裕はなかったが、お茶好きの殿下はすでに所有していたらしい。
「これは先日土産でもらった。アルメシエ産だ」
エリッツは目を丸くした。今回の騒ぎの中でラヴォート殿下にお土産を持ってくるような人物がいたとは。
「ああ、そういえば退屈して先にお戻りでしたね」
シェイルはさして驚く様子もなくそう言った。シェイルも知っている人なんだろうか。
「誰のことですか?」
「――ルゥだ。会わなかったのか」
殿下はさして重要なことでもないような口調でいうと、お茶にブランデーを数滴落とした。ふわりと新たな香りが加わる。このお茶によく合いそうだ。
「ルーヴィック王子ですよ」
ぼんやりしているエリッツにシェイルが言い添えてくれた。それでもすぐには誰のことかわからない。あまりにも意外な人物だったからだ。
本来であれば遅刻は確実であったが、アルメシエ軍の好意で国境まで馬車を出してもらい、オエディシスの町ではレジス軍の馬車が迎えに来ていた。後から聞いた話だとウィンレイク指揮官から報告を受けた国王陛下が直属の軍に指示したらしい。唐突にシェイルに無茶な仕事をさせたわりにこれは破格の待遇ではないか。逆にいうとシェイルが国王の期待通りの働きをしたということだろうか。
ちなみにアルヴィンも極秘任務の協力者だったことになっており、駐屯地を抜け出したことはお咎めなしだと聞いた。あまりにも都合がよすぎて驚いたのだが、これはエリッツから経緯を聞いたシェイルが早馬でリデロ指揮官に書状を出してくれていたためらしい。ずいぶんと疲れていた様子だったのに仕事が早い。そんなにアルヴィンのことがお気に入りなのだろうかと少しもやもやする。
アルヴィンといえば、ヒルトリングのロックの件はなんだったのだろう……。何事もなくすんだのでもう追求する必要はないかもしれないが、なんとなく落ち着かない。
「ねぇ、旅行楽しかった?」
カーラが寝そべっているエリッツをのぞき込む。また執務室近くにある草地だ。しげった緑が夏の強い日差しを心地よい木漏れ日にかえてくれる。疲れた体にやさしい光がしみこむようだ。カーラは場所を覚えてしまったので、もはやエリッツの秘密の場所ではなくなってしまった。
本当にシェイルは十日間の休暇をとっていたということになっている。エリッツはその間の仕事がとどこおらないように、緊急の連絡やその他どうしても必要になった場合の仕事を仲介するためシェイルに付き添っていたという扱いだ。
「おれは一応仕事だよ」
「仕事なんてほとんどなかったんじゃないの? ある意味カウラニー様との旅行と同じでしょ」
確かに建前通りであればどんなに楽しかったことだろう。シェイルとの架空の旅行を想像して一瞬幸せな気分にひたる。旅行記はよく読むが、エリッツは純粋に楽しみのためだけの旅行というものをしたことがない。
起きあがろうとして痛みに顔をしかめた。こっそりと医務室で手当してもらったが、左腕の怪我は完治までまだ時間がかかりそうだ。制服で隠れてわからないはずなのに、変な目で見られている。
「……寝違えたの?」
「うん、まあ、そうかも」
嘘なのでつい目をそらしてしまう。
「まだ元気ないみたいだよね?」
元気がないというか、ただ疲れているだけだ。帰った翌日から仕事である。昨夜遅くにレジスに着き、簡易ながら報告や手続きがあって、ようやく深夜にベッドに入った。久々のレジスだという感慨も何もない。
「元気だよ」
これは明らかな嘘なのでカーラはつまらなそうにため息をつく。
「カウラニー様が休暇をとって旅行するのもめずらしいし、どこに旅行に行ってたかも秘密なんて、なんだか変な感じ」
カーラは勘がいい。今回の件についていろいろと不審に感じているようだ。全部話してしまえればどれだけ楽だろう。そしてアルメシエでのことをどう思うのかカーラに聞いてみたい。
エリッツはいまだ起こった出来事をゆっくりふり返る余裕すらなかった。そういえば、ライラや総長、アルヴィンともまともにお別れできていない気がする。また会えるだろうか。
頭が回らずぽっかりと空白ができてしまったような感じだ。思考が無駄にめぐってゆく中でふと思い出す。最初シェイルがいないことに気づいたのはカーラたちだった。後を追うようにエリッツがいなくなったのだから、休暇で旅行に行っていたというのがそもそも話の辻褄が合わない。どうやらカーラは気づかぬふりをしてくれているようだ。何があったのか真相を知りたいようだが、嘘が下手なエリッツをぎりぎりのところで追いこまないようにしている。
「うん……ごめん。いや、えっと、ありがとう」
カーラはまじまじとエリッツの顔を見た。
「――ま、そっちもいろいろあるよね。そうそう、エリッツたちの留守中は私がカウラニー様宛の書類を整理したり、殿下のところに持ってったりしたの。カウラニー様にそれとなく私の活躍を伝えておいてね。お礼とかはいいのよ。ただ使える事務官がいるなって名前を覚えてもらえれば。次期長官にはカーラ・ミランディーを推していただけるようよろしく頼むわね」
最終的にいつものセリフを言って戻って行った。
エリッツも左腕を庇いながら立ちあがる。午後からはアルメシエの件で、ラヴォート殿下に呼び出されている。昨夜は少しだけ顔を見たが、こちらもずいぶんと疲れている様子だった。シェイルとエリッツが抜けた分の仕事というのもあるだろうが、どうもシェイルがいなかったことが結構こたえていたようだ。
レジス国王の気分ひとつでシェイルの存在はなかったことになるのだと、恐ろしい話をしていた。だからこそシェイルはアルメシエに行ったのだし、ラヴォート殿下は休暇中だと言い張ってシェイルの帰る場所を死守したのだ。
エリッツは今回のことがそこまで恐ろしい事態だったとはまったく知らなかった。国王はシェイルを排除しようとしたのだろうか。
聞くとどうもそう単純なことでもないらしい。
「むしろ気に入っている。自分の息子くらいに思っている」
むっつりと口をひらいたのはラヴォート殿下だ。
「そうでしょうか」
シェイルは首をかしげている。
ラヴォート殿下の執務室に、不在時の仕事の引き継ぎ、アルメシエでの出来事の報告、今後の口裏合わせのための打ち合わせなど、盛りだくさんの内容で集まっていた。エリッツも気合を入れて帳面を開いている。ありがたいことに怪我は書くことにさほど影響がなかった。指先は問題なく働いてくれる。
「少なくとも敵視されているわけではないと私も感じています」
これはダフィットである。
「気に入らないと思ったらすぐ消せる。今回はロイの王族の件もあるだろうが、気に入ってるからあれこれやらせて反応を見てるんだ。お前がいないから俺はジーダルの相手までさせられた」
ジーダルというと、レジスの古い武術か何かだったろうか。エリッツは習ったことがないのでよく知らない。
「物足りないと文句は言うし、自分で仕組んでおきながら『まだ帰ってこないのか』と騒ぎ出す。――とりあえずのところお前を手放す気はなかったらしい」
殿下がうんざりしたようにため息をつく。
「とりあえずのところ、ですね」
シェイルが意味深な相槌をうつ。今後どうなるかはわからないということか。また無理難題を押しつけられたあげくに存在を消されるという可能性がないこともない、と。
エリッツは出されたお茶を一口飲んだ。どこかでかいだような甘い香りが気になっていた。飲んでみると甘い香りの中にすっと異国のスパイスのような香りが混じっている。
「あ、このお茶……」
エリッツが声をあげると、相変わらずダフィットがうっとおしそうに顔をしかめた。シェイルとラヴォート殿下の前なので口には出さないが、目が黙っていろといっている。
「この茶がどうした?」
ラヴォート殿下が自身もカップに口をつけてからエリッツを見る。エリッツを相手にしてくれるのはめずらしい。心身ともに弱っているからかもしれない。
「アルメシエで飲んだお茶に似てるような……」
言いながら声が尻すぼみになる。お茶の話は今どうでもいいかもしれない。ただライラにふるまってもらったアルメシエのお茶を殿下のお土産にしたいと思っていたので覚えていたのだ。もちろんそんな買い物をする余裕はなかったが、お茶好きの殿下はすでに所有していたらしい。
「これは先日土産でもらった。アルメシエ産だ」
エリッツは目を丸くした。今回の騒ぎの中でラヴォート殿下にお土産を持ってくるような人物がいたとは。
「ああ、そういえば退屈して先にお戻りでしたね」
シェイルはさして驚く様子もなくそう言った。シェイルも知っている人なんだろうか。
「誰のことですか?」
「――ルゥだ。会わなかったのか」
殿下はさして重要なことでもないような口調でいうと、お茶にブランデーを数滴落とした。ふわりと新たな香りが加わる。このお茶によく合いそうだ。
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