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第八章 とある一日
第百八十一話 とある一日(2)
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細かいことはあまり気にしないたちだが、――これは、なかなかである。
待ち合わせた人物の背後にはきっちりと間諜の人間らしき人物が張りついていた。もうちょっと真面目に身を隠そうと思えば、隠せるだろうに。これはわざと気づかせようとしている。「この人物に深く関わるんじゃない」と圧力をかけているようだ。後日、何だかんだと難癖をつけ、こちらを陥れるよりはまだ良心的かもしれないが、圧力をかける相手を間違えている。こちらが誰だかわかっているのだろうか。
「ずいぶんと連れて来たな」
そう。張りついているのは一人ではない。確認できるだけで三人。大所帯だ。
「もう慣れた」
昔どおりの砕けた口調である。声はやや固いが、とりあえず元気ではあるようだ。
「急にどうした?」
王立学校で同窓だったこの男は仕えていた主人の失脚によって一緒に片田舎に飛ばされていたはずだ。
それはかなり大きな事件だった。レジスの重要行事であるローズガーデンの最中、コルトニエス鉱山一帯を治める領主が惨殺された。それには種々根深い事情が重なっており、最終的には帝国軍がマルロの砦まで侵攻してくるという事態にまでなった。重要参考人であるオグデリスを筆頭としたデルゴヴァ一族は左遷され、その秘書官であった同窓生はいまだ仕事を辞めることなく主人とともに田舎で蟄居していると聞く。
「猫ちゃんたちのごはんだよ。育ちがいいから田舎の変なものは食べられないんだ。きちんとした食材をそろえないと。また人が辞めちゃってね。俺が買いに来るしかなかった」
食材をそろえるというと猫の餌をわざわざ料理するということか。猫なら残飯でも喜んで食うだろう。相変わらず変なやつだ。それに田舎の方が新鮮な食材が手に入るような気がしたが、遠路はるばる買いに来るということは、何か事情があるのかもしれない。
とりあえず状況はわかったという意味でうなずくと、クリフは安心したように笑った。
「そうだ、ダグラス。久しぶりにイゴルデに行こう。息抜きも兼ねて出てきたんだ。ガキの頃みたいにゲームでもしよう」
ダグラスの以前と変わらぬ態度に安心したのか、クリフは明るい声をあげた。仕事中はクールな秘書官ぶっているが、元来こういう男だ。それにオグデリスという小物にはもったいないくらい優秀である。何度かグーデンバルド家で働かないかと誘ったが、やはり同窓の下で働くのは抵抗があるのか、断られ続けている。
「僕はかまわないが、クリフ、きみは……」
間諜の人間をぞろぞろと引き連れて面倒ではないのか。
ダグラスは久しぶりに休暇をとっていて、時間は十分にある。まったく問題ないのだが。
ちらりとクリフの背後を見ると背後では間諜の連中が互いに目配せなどをしている。先にイゴルデの方へ人をやる算段でもつけているのだろう。
事前にクリフからは顔を隠して来た方がよいと言われていたが、ダグラスはいつも通りの休日の装いで出て来ていた。仕事柄休みの日も市街警備に当たっている部下たちに見られているのは仕方のないこととわりきっている。誰だって休みを取るし、友達にも会う。飯も食えば、ゲームだってする。見られて困るようなみっともない真似だけしなければよい。
しかしクリフが心配していたのはデルゴヴァ一族の醜聞についてのことだろう。
前の事件の後、長い調査の末にオグデリス・デルゴヴァは兄であるアイザックのたくらみに意図的に関与はしていなかったと認められた。第一王子の母親の家のことであるからどれほど信頼のおける調査かは知らない。とにかく一族の中に謀反を働いた者がいたというだけで、彼ら自身は罪人ではないと公的機関が保証している。堂々と会ったところでなんら問題はない。――というか、実は最初から気にしてはいない。グーデンバルド家の家名を汚すことがあってはならないが、万が一何かあったとしても、もみ消すくらいの力も人脈もある。そんなことより旧友とのんびり休日を過ごす方が重要だ。後ろ暗いところはまったくない顔をして堂々としてるべきだろう。
「きみがかまわないならオッケーだ。混むから早く行こう」
「猫の餌はいいのか?」
ダグラスの腕を引っ張ろうとしていたクリフが急に生真面目な顔をしてふり返った。
「ダグラス、いいか。『猫ちゃんたちのごはん』だ」
妙に強いアクセントをつけて言う。どう違うのだろう。ダグラスが首をかしげて「うん? だからそれは猫の餌のことだろう?」というと、クリフはあきれたように頭をふった。
「まぁ、いいさ。ダグラス、きみにはかわいらしさへの敬意みたいなものはわからないだろう。人はみなかわいらしさにひざまずくべきなんだよ」
「それくらいわかっている。そうだ。ちょっと聞いてくれ」
なぜがクリフは「しまった」というような顔をする。
「えっ。いや、その話は聞けない」
「なぜだ」
かわいい弟、エリッツの話を聞いてもらいたい。最近、仕事だといってなかなか会ってくれないのだ。新しくそろいで服を仕立てたが、それもいつ着てもらえるか。仕事などしなくとも養ってやれるのに、ずいぶんと仕事に打ち込んでいるようだ。
本来、家の中で静かに本を読んでいるのを好むおとなしい子だが、ダグラス子飼いの調査部隊によればあちこち走り回って危ない任務にもあたっているらしい。怪我をしたらどうするのか。屋敷の書庫には自身の仕事用の書籍のほかにエリッツの好みそうな本も手当たり次第仕入れてある。屋敷でのんびり過ごせばいいのに。
休暇中に妻のフィアーナが連れ帰ってきたが、数日滞在しただけで、やはり仕事があると置手紙を残して帰ってしまった。
胡散臭い異国人である第二王子の側近が上官だというのも気に食わない。しかしカウラニー家を敵に回すことになれば、グーデンバルド家といえども無傷ではいられない。非常に腹立たしい状況である。
「かわいい弟が――」
「いや、待て。俺が悪かった。早く行こう」
なぜかクリフはあわてている。
「猫の餌はいいのか」
「猫ちゃんたちのごはんだ。もしくはお食事だ」
「ああ。で、それはいいのか?」
「荷物が増えるから後にするよ」
「そんなの、荷馬車を雇えばいいじゃないか」
クリフは驚いたように目を丸くしてダグラスを見る。そんなおかしなことを言ったつもりはないが。
「ダグラス、そういうところだ。きみはもう少し人の境遇というか立場というか、そういうのを想像した方がいい。これじゃあ弟も大変だ」
「どういう意味だ? どうしてエリッツは僕だけのものになってくれないんだ?」
クリフは虚をつかれたような顔をしてから、ゆっくりと頭をふって「……今のは聞き間違いだよな。さすがにやば過ぎる」とひとりでぼそぼそ言っている。
「とにかく、荷馬車を雇うほどの金はない。それにそんな大屋敷規模の買い物じゃないんだ。一人で運べる程度の量だよ」
「それなら――」
「やめてくれ」
クリフはダグラスに手のひらをつき出す。
「まだ何も言ってない」
「言わなくていい」
「いや、聞いてくれ。僕はきみと会えるのを楽しみに休みを取ったんだ。きみが猫の――猫ちゃん? の餌に時間と体力と奪われるというなら、僕の貴重な休みはどうなる?」
なぜかクリフはきょとんとしている。まったく当たり前のことを言っているのに何が理解できないのか。
「おい、きみ。悪いが、ちょっと市街警備軍が待機している屋敷まで走って人を呼んでくれ。荷運びがいる。一人でいい。市場の方で待っている」
ちょうどよく町役人が見回りをしていたのでつかまえる。町役人であれば、屋敷の場所を知っているはずだ。「頼んだ」と、背中を叩くとダグラスの顔を見て驚いた様子ではあったものの「はい!」と、すぐさま走り出した。
クリフは目を見開いて口をぱくぱくとさせている。
「おいおいおいおい。――自分が世界の中心か。お前らしいけど、引くわ」
「なんだ? 何か問題か? とにかく早く猫のアレを買いに行くぞ。用事をすませた方がゆっくりできる」
クリフの背後にいた間諜たちがややあわてたように動き出した。仕事の邪魔をしてしまったようだが、ダグラスにとっても貴重な休みである。譲れない。
市場には数えるほどしか来たことがないが、相変わらず雑然としている。広大な土地に大小様々なテントが並び、商人と買い物客でごった返している。何なら買い物自体を人に頼んだ方がよかったのではないかと思えてきた。足元もぬかるんでいて、あるところは青臭く、またあるところは生臭い。クリフはどういうわけか慣れた様子で市場の中を突き進んでゆく。目当てのものがある場所を知っているようだ。
「何を買うんだ?」
「米と干した魚だ」
「魚か」
魚であれば確かに海のない場所ではなかなか手に入らないだろう。
「米はフィロクイ産か、ラフタル産だ。粒が大きくて甘みがある。魚はイリア湾でとれたものを、イリア村で即加工したものでないとダメだ。これは絶対だ。煮汁の出方、深みがよそとは全然違う。これでなければ完成しない」
クリフは何やらぶつぶつとわけのわからないことを言いながら、干した魚を扱っているテントに首をつっこんで、品定めしている。この辺りは魚臭い。
「あの――」
どこからともなくか細い声が聞こえたような気がした。ダグラスは辺りを見渡したが、特にそれらしき人物はいない。そろそろ荷運びが来るはずだが。
「あの!」
今度はか細いながらもはっきりと聞こえた。
「おい、クリフ。何かいるぞ」
だがクリフはたくさんの種類の干した魚を扱っている店の男と熱心に話をしている。
「あの方はお連れ様ですか?」
気づいてもらおうとしてなのか、ひょろりとやせた男が、ダグラスの視界を遮るようにあらわれた。ダグラスは眉をひそめる。黒髪だ。顔つきも完全にロイである。
「何の用だ」
男は困ったような顔をする。抱えている布の袋からは土くれのようなものがのぞいていた。芋か何かかもしれないがダグラスは食材について詳しくない。
ロイがレジスの軍事力として重要であることは理解しているが、個人的な感情で嫌悪感を抱いてしまう。かわいいエリッツと毎日執務室で二人きりであろうあの男もロイだと聞いた。髪が黒いだけで見ているとえらく腹が立ってくる。
「いえ、その、料理に詳しそうなご様子だったので、少しお話をうかがえないかと」
個人的な理由で苛立っているダグラスが威圧的だからか男は小さく縮こまる。ただ身なりはきちんとしていた。外出用であろうジレの下に見える服装は城勤めの人間のようだ。制服のアレンジとしては案外と趣味のいいものを着ている。
それに――。
ダグラスは目線だけで周囲を見た。間諜の人間は先ほどよりうまく隠れている。ダグラスにもぱっと見ただけではわからないくらい市場の客に紛れこんでいた。もはや自分たちの存在を知らしめる段階は終わり、普通にクリフを見張っているのだろう。
それをこの異国人は正確に把握している、ようだ。視線を見ればわかる。腰が低く小者に見えるがどうも間諜の関係者かその筋の者だろう。だが、怪訝そうな顔をしているところを見ると、クリフの抱えている事情を知っていて声をかけてきたわけではなさそうだ。何が目的なのか。
そこへ当のクリフが縄でくくった木の棒のようなものをいくつも抱えて戻ってくる。
「なんだそれは?」
「そちらの方は?」
ダグラスとクリフの声が重なる。瞬間、膠着してしまった二人の間にするりと入りこむように異国人が口をはさんだ。
「それは干したお魚……ススウオですね。さしつかえなければ、それをどう調理されるのかおうかがいしてもよろしいでしょうか」
ダグラスはクリフと顔を見合わせた。この異国人の家にも猫がいるのかもしれない。
待ち合わせた人物の背後にはきっちりと間諜の人間らしき人物が張りついていた。もうちょっと真面目に身を隠そうと思えば、隠せるだろうに。これはわざと気づかせようとしている。「この人物に深く関わるんじゃない」と圧力をかけているようだ。後日、何だかんだと難癖をつけ、こちらを陥れるよりはまだ良心的かもしれないが、圧力をかける相手を間違えている。こちらが誰だかわかっているのだろうか。
「ずいぶんと連れて来たな」
そう。張りついているのは一人ではない。確認できるだけで三人。大所帯だ。
「もう慣れた」
昔どおりの砕けた口調である。声はやや固いが、とりあえず元気ではあるようだ。
「急にどうした?」
王立学校で同窓だったこの男は仕えていた主人の失脚によって一緒に片田舎に飛ばされていたはずだ。
それはかなり大きな事件だった。レジスの重要行事であるローズガーデンの最中、コルトニエス鉱山一帯を治める領主が惨殺された。それには種々根深い事情が重なっており、最終的には帝国軍がマルロの砦まで侵攻してくるという事態にまでなった。重要参考人であるオグデリスを筆頭としたデルゴヴァ一族は左遷され、その秘書官であった同窓生はいまだ仕事を辞めることなく主人とともに田舎で蟄居していると聞く。
「猫ちゃんたちのごはんだよ。育ちがいいから田舎の変なものは食べられないんだ。きちんとした食材をそろえないと。また人が辞めちゃってね。俺が買いに来るしかなかった」
食材をそろえるというと猫の餌をわざわざ料理するということか。猫なら残飯でも喜んで食うだろう。相変わらず変なやつだ。それに田舎の方が新鮮な食材が手に入るような気がしたが、遠路はるばる買いに来るということは、何か事情があるのかもしれない。
とりあえず状況はわかったという意味でうなずくと、クリフは安心したように笑った。
「そうだ、ダグラス。久しぶりにイゴルデに行こう。息抜きも兼ねて出てきたんだ。ガキの頃みたいにゲームでもしよう」
ダグラスの以前と変わらぬ態度に安心したのか、クリフは明るい声をあげた。仕事中はクールな秘書官ぶっているが、元来こういう男だ。それにオグデリスという小物にはもったいないくらい優秀である。何度かグーデンバルド家で働かないかと誘ったが、やはり同窓の下で働くのは抵抗があるのか、断られ続けている。
「僕はかまわないが、クリフ、きみは……」
間諜の人間をぞろぞろと引き連れて面倒ではないのか。
ダグラスは久しぶりに休暇をとっていて、時間は十分にある。まったく問題ないのだが。
ちらりとクリフの背後を見ると背後では間諜の連中が互いに目配せなどをしている。先にイゴルデの方へ人をやる算段でもつけているのだろう。
事前にクリフからは顔を隠して来た方がよいと言われていたが、ダグラスはいつも通りの休日の装いで出て来ていた。仕事柄休みの日も市街警備に当たっている部下たちに見られているのは仕方のないこととわりきっている。誰だって休みを取るし、友達にも会う。飯も食えば、ゲームだってする。見られて困るようなみっともない真似だけしなければよい。
しかしクリフが心配していたのはデルゴヴァ一族の醜聞についてのことだろう。
前の事件の後、長い調査の末にオグデリス・デルゴヴァは兄であるアイザックのたくらみに意図的に関与はしていなかったと認められた。第一王子の母親の家のことであるからどれほど信頼のおける調査かは知らない。とにかく一族の中に謀反を働いた者がいたというだけで、彼ら自身は罪人ではないと公的機関が保証している。堂々と会ったところでなんら問題はない。――というか、実は最初から気にしてはいない。グーデンバルド家の家名を汚すことがあってはならないが、万が一何かあったとしても、もみ消すくらいの力も人脈もある。そんなことより旧友とのんびり休日を過ごす方が重要だ。後ろ暗いところはまったくない顔をして堂々としてるべきだろう。
「きみがかまわないならオッケーだ。混むから早く行こう」
「猫の餌はいいのか?」
ダグラスの腕を引っ張ろうとしていたクリフが急に生真面目な顔をしてふり返った。
「ダグラス、いいか。『猫ちゃんたちのごはん』だ」
妙に強いアクセントをつけて言う。どう違うのだろう。ダグラスが首をかしげて「うん? だからそれは猫の餌のことだろう?」というと、クリフはあきれたように頭をふった。
「まぁ、いいさ。ダグラス、きみにはかわいらしさへの敬意みたいなものはわからないだろう。人はみなかわいらしさにひざまずくべきなんだよ」
「それくらいわかっている。そうだ。ちょっと聞いてくれ」
なぜがクリフは「しまった」というような顔をする。
「えっ。いや、その話は聞けない」
「なぜだ」
かわいい弟、エリッツの話を聞いてもらいたい。最近、仕事だといってなかなか会ってくれないのだ。新しくそろいで服を仕立てたが、それもいつ着てもらえるか。仕事などしなくとも養ってやれるのに、ずいぶんと仕事に打ち込んでいるようだ。
本来、家の中で静かに本を読んでいるのを好むおとなしい子だが、ダグラス子飼いの調査部隊によればあちこち走り回って危ない任務にもあたっているらしい。怪我をしたらどうするのか。屋敷の書庫には自身の仕事用の書籍のほかにエリッツの好みそうな本も手当たり次第仕入れてある。屋敷でのんびり過ごせばいいのに。
休暇中に妻のフィアーナが連れ帰ってきたが、数日滞在しただけで、やはり仕事があると置手紙を残して帰ってしまった。
胡散臭い異国人である第二王子の側近が上官だというのも気に食わない。しかしカウラニー家を敵に回すことになれば、グーデンバルド家といえども無傷ではいられない。非常に腹立たしい状況である。
「かわいい弟が――」
「いや、待て。俺が悪かった。早く行こう」
なぜかクリフはあわてている。
「猫の餌はいいのか」
「猫ちゃんたちのごはんだ。もしくはお食事だ」
「ああ。で、それはいいのか?」
「荷物が増えるから後にするよ」
「そんなの、荷馬車を雇えばいいじゃないか」
クリフは驚いたように目を丸くしてダグラスを見る。そんなおかしなことを言ったつもりはないが。
「ダグラス、そういうところだ。きみはもう少し人の境遇というか立場というか、そういうのを想像した方がいい。これじゃあ弟も大変だ」
「どういう意味だ? どうしてエリッツは僕だけのものになってくれないんだ?」
クリフは虚をつかれたような顔をしてから、ゆっくりと頭をふって「……今のは聞き間違いだよな。さすがにやば過ぎる」とひとりでぼそぼそ言っている。
「とにかく、荷馬車を雇うほどの金はない。それにそんな大屋敷規模の買い物じゃないんだ。一人で運べる程度の量だよ」
「それなら――」
「やめてくれ」
クリフはダグラスに手のひらをつき出す。
「まだ何も言ってない」
「言わなくていい」
「いや、聞いてくれ。僕はきみと会えるのを楽しみに休みを取ったんだ。きみが猫の――猫ちゃん? の餌に時間と体力と奪われるというなら、僕の貴重な休みはどうなる?」
なぜかクリフはきょとんとしている。まったく当たり前のことを言っているのに何が理解できないのか。
「おい、きみ。悪いが、ちょっと市街警備軍が待機している屋敷まで走って人を呼んでくれ。荷運びがいる。一人でいい。市場の方で待っている」
ちょうどよく町役人が見回りをしていたのでつかまえる。町役人であれば、屋敷の場所を知っているはずだ。「頼んだ」と、背中を叩くとダグラスの顔を見て驚いた様子ではあったものの「はい!」と、すぐさま走り出した。
クリフは目を見開いて口をぱくぱくとさせている。
「おいおいおいおい。――自分が世界の中心か。お前らしいけど、引くわ」
「なんだ? 何か問題か? とにかく早く猫のアレを買いに行くぞ。用事をすませた方がゆっくりできる」
クリフの背後にいた間諜たちがややあわてたように動き出した。仕事の邪魔をしてしまったようだが、ダグラスにとっても貴重な休みである。譲れない。
市場には数えるほどしか来たことがないが、相変わらず雑然としている。広大な土地に大小様々なテントが並び、商人と買い物客でごった返している。何なら買い物自体を人に頼んだ方がよかったのではないかと思えてきた。足元もぬかるんでいて、あるところは青臭く、またあるところは生臭い。クリフはどういうわけか慣れた様子で市場の中を突き進んでゆく。目当てのものがある場所を知っているようだ。
「何を買うんだ?」
「米と干した魚だ」
「魚か」
魚であれば確かに海のない場所ではなかなか手に入らないだろう。
「米はフィロクイ産か、ラフタル産だ。粒が大きくて甘みがある。魚はイリア湾でとれたものを、イリア村で即加工したものでないとダメだ。これは絶対だ。煮汁の出方、深みがよそとは全然違う。これでなければ完成しない」
クリフは何やらぶつぶつとわけのわからないことを言いながら、干した魚を扱っているテントに首をつっこんで、品定めしている。この辺りは魚臭い。
「あの――」
どこからともなくか細い声が聞こえたような気がした。ダグラスは辺りを見渡したが、特にそれらしき人物はいない。そろそろ荷運びが来るはずだが。
「あの!」
今度はか細いながらもはっきりと聞こえた。
「おい、クリフ。何かいるぞ」
だがクリフはたくさんの種類の干した魚を扱っている店の男と熱心に話をしている。
「あの方はお連れ様ですか?」
気づいてもらおうとしてなのか、ひょろりとやせた男が、ダグラスの視界を遮るようにあらわれた。ダグラスは眉をひそめる。黒髪だ。顔つきも完全にロイである。
「何の用だ」
男は困ったような顔をする。抱えている布の袋からは土くれのようなものがのぞいていた。芋か何かかもしれないがダグラスは食材について詳しくない。
ロイがレジスの軍事力として重要であることは理解しているが、個人的な感情で嫌悪感を抱いてしまう。かわいいエリッツと毎日執務室で二人きりであろうあの男もロイだと聞いた。髪が黒いだけで見ているとえらく腹が立ってくる。
「いえ、その、料理に詳しそうなご様子だったので、少しお話をうかがえないかと」
個人的な理由で苛立っているダグラスが威圧的だからか男は小さく縮こまる。ただ身なりはきちんとしていた。外出用であろうジレの下に見える服装は城勤めの人間のようだ。制服のアレンジとしては案外と趣味のいいものを着ている。
それに――。
ダグラスは目線だけで周囲を見た。間諜の人間は先ほどよりうまく隠れている。ダグラスにもぱっと見ただけではわからないくらい市場の客に紛れこんでいた。もはや自分たちの存在を知らしめる段階は終わり、普通にクリフを見張っているのだろう。
それをこの異国人は正確に把握している、ようだ。視線を見ればわかる。腰が低く小者に見えるがどうも間諜の関係者かその筋の者だろう。だが、怪訝そうな顔をしているところを見ると、クリフの抱えている事情を知っていて声をかけてきたわけではなさそうだ。何が目的なのか。
そこへ当のクリフが縄でくくった木の棒のようなものをいくつも抱えて戻ってくる。
「なんだそれは?」
「そちらの方は?」
ダグラスとクリフの声が重なる。瞬間、膠着してしまった二人の間にするりと入りこむように異国人が口をはさんだ。
「それは干したお魚……ススウオですね。さしつかえなければ、それをどう調理されるのかおうかがいしてもよろしいでしょうか」
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